1.導入
みなさま、おはようございます。この第一コリント書簡の学びも終盤になってきました。いつものように、これまでの手紙の内容を確認したいと思います。前回の箇所では、死者のからだのよみがえりなどない、というコリントの信徒たちがいたことを学びました。彼らは死んだ後に魂が天国に行けば十分だ、この世にふたたびからだをもってよみがえる必要などない、と考えたのでした。彼らに対し、もし死者のからだのよみがえりがないのなら、キリストもよみがえらなかったことになる、ということをパウロは指摘します。イエスは十字架に架かって確かに死にました。死者がよみがえらないのなら、キリストだってよみがえらなかっただろう、とパウロは論じたのです。そして、もしキリストが死者の中からよみがえらなかったならば、キリストはよみがえられたという福音を世界中で宣べ伝えているパウロたちはうそつきだということになります。さらには、もしキリストがよみがえらなかったのなら、私たちの罪のために死んでくださったその十字架上の死も無意味になり、私たちは今でも罪の中にいることになる、私たちには救いも希望もなくなってしまうのだ、とパウロは語っています。ですから、死者のからだのよみがえりを否定するということは、私たちの救いそのものを否定することになってしまうのです。
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