悲しみの手紙
第二コリント7章2~16節

1.導入

みなさま、おはようございます。今日も再び、第二コリントのみことばから学んでまいりましょう。今日の聖書箇所はとても重たい内容です。それは、牧師と信徒との対立という事情がこの手紙の背景にあるからです。コリント教会は深刻な問題を抱えていて、それが今日の箇所の重要な背景となっています。私たちの教会は、規模からすれば小さな教会ですが、とても仲が良く、互いに信頼し合っている教会です。私も皆さんのことを信頼していますし、皆さんも私のようなものを信頼してくださっています。ですから、このパウロの手紙が送られたコリント教会の状況とはずいぶん事情が違うのだろうと思います。しかし、残念ながら牧師と信徒の関係がうまくいっていない教会というのも少なからず存在するというのが現実です。そういう状況に置かれた時に、私たちはつい犯人捜しをしてしまいます。あの信徒が悪いからとか、あの役員が悪いからとか、あるいはあの牧師が悪いからとか、そういう犯人捜しをついしてしまうのです。みんなにいくらか問題があるというより、問題の所在をある人に集中させてしまうのです。このコリント教会の手紙に関して言えば、普通は牧師のパウロが100%正しく、コリント教会の信徒が100%悪い、という読み方をしてしまいます。キリスト教におけるパウロ先生の絶大な権威を考えればそれが当たり前なのかもしれません。しかし、ある共同体に深刻な亀裂が生じた際に、どちらか一方が100%正しくて、他方が100%悪いというような状況は現実にはあり得ないのではないでしょうか。コリント教会がこんなに大きな問題を抱えてしまったことに、牧師であるパウロにも少なからず責任があるというのが公平な見方ではないかとも思うのです。このコリント教会への第二の手紙からは、パウロの立場や視点しか知ることが出来ませんが、叱責されているコリント教会の側の立場になって考えるということも必要なことではないかということです。今日の説教では、なるべく複眼的なというか、いろんな角度からコリント教会の現実を考え、学んでいきたいと願っています。

今日の説教のタイトルは「悲しみの手紙」です。「涙の手紙」としても良いのですが、それはどんなものかというと、この第二コリント書簡の前に、パウロは一通の手紙をコリント教会に送っているのですが、その手紙のことです。その手紙自体は現存していませんが、その内容については第二コリントから大体のことは分かります。ではこの「悲しみの手紙」がどんなものだったのか、それを理解するために、パウロとコリント教会との関係を駆け足で振り返ってみたいと思います。

パウロは紀元50年から1年半かけてコリント教会で開拓伝道を行いました。この開拓伝道は大きな成果を生み出し、コリント教会はわずか1年半でかなりの大きさに成長し、その成果に満足したパウロは他の都市での開拓伝道のためにコリントを去りました。パウロが次の伝道の拠点にしたのが小アジアのエペソで、パウロはそこで2年を費やして伝道に励みます。そのエペソでの宣教活動の終わりごろに、コリント教会で様々な問題が勃発していることを聞いたパウロはコリント教会への第一の手紙をしたためます。この手紙については、私たちも1年間かけて学んで参りました。パウロはコリント教会に生じた様々な問題について、時には厳しい調子で指示を与えています。さて、コリント教会にこのような様々な問題が生じてしまった原因はいろいろあると思いますが、その原因の一つはパウロの牧師としての働きが1年半ととても短かったこと、またパウロが自分の後任の牧師を決めていなかったことがあると言えるでしょう。私もこの教会に来て2年足らずですが、もし私が2年足らずで他の教会に移ってしまったら、皆さんもなんて短いのだろうと失望してしまうのではないかと思います。しかもコリント教会の場合は新規開拓した教会ですから、ある信徒からすると洗礼を受けて信仰に入って数カ月も経っていないのに牧師のパウロ先生が他の任地に行ってしまった、ということになってしまったでしょう。でも、いくらパウロが優れた教師でも、わずか数カ月でキリスト教のすべてを伝えるのは不可能だったはずです。ですからある信徒は、自分はパウロ先生から十分にお世話してもらえなかった、教えてもらえなかった、という感じを抱いてしまったかもしれません。こうして無牧となったコリント教会に、パウロとは関係のない他の宣教師や牧師が次々とやってきて、しかもそれらの新しい先生たちがパウロとはいくらか違ったことを教えたりするとなれば、その教会が混乱してしまうのはむしろ当然であったと言えるでしょう。その混乱を、パウロは第一コリントの手紙を送ることで鎮静化しようとしました。パウロはこの手紙を自分の片腕であるテモテに託しました。しかし、このパウロからの手紙、第一コリント書簡を、コリント教会の少なくとも一部の人は素直に受け入れることができませんでした。たった1年半しかコリントにいなかったパウロがなにを今頃偉そうに、しかも自分で来るのではなくて若造を送って来るとは、パウロはこの教会を何だと思っているのか、と反感を持った人もいたことでしょう。実際、この第一コリントの手紙はコリント教会に良い結果をもたらさなかったのです。テモテもいろいろ文句を言われ、そして意気消沈してしまい、それですぐにパウロのいるエペソへと引き返しました。パウロはテモテからこの状況を聞いて、コリントでの危機が想像以上に大きいことを理解し、3年ぶりにコリント教会へと急行しました。しかし、この訪問は最悪の結果となりました。一部の信徒がパウロを面と向かって非難し、あなたは使徒ではないとの暴言を浴びせるという事件が起こってしまったのです。それに対してパウロも怒り、また激しく落胆し、すぐコリント教会から立ち去ってしまいました。エペソに戻ったパウロは、そこで今日の説教タイトルとなった「悲しみの手紙」、あるいは「涙の手紙」を書いたのです。しかし、涙の手紙といっても、その内容は非常に厳しいものであったのは間違いありません。パウロはコリントの信徒たちを厳しく叱責し、自分に暴言を吐いた人に対する処罰を要求したものと思われます。説教の「悲しみの手紙」というのも、パウロが悲しんだというより、コリント教会の人たちの方が悲しんだという意味に捉えても間違いではありません。ともかくも、この悲しみの手紙をパウロは今度はテモテではなくテトスに託しました。そしてコリントから戻ったテトスと再会した後に書かれたのが今日の箇所なのです。さて、状況説明が長くなりましたが、これから今日の箇所を詳しく見て参りましょう。

2.本文

さて、今日の7章2節ですが、これは前回の説教でもお話ししたように、6章13節から続けて読むべき箇所です。6章14節から7章1節までは、その間に挟まれた独立した説教と考えた方が良いというのは前回お話しした通りです。そして6章13節までと7章2節以降の内容は、コリント教会への和解の呼びかけです。今まで説明したように、コリント教会と、パウロやテモテらの教師たちとの間には深刻な亀裂が生じていました。その亀裂を乗り越えて、和解をしようということです。パウロがこのように呼びかけた理由の一つは、コリントの人たちがテトスの携えていった「悲しみの手紙」を真剣に受け取り、パウロの期待通りに悔い改めをし、そしてその悔い改めを実践する形でパウロに暴言を吐いた人を処罰したからでした。パウロもそのことに満足し、もう暴言を吐いた人のことは責めないから、彼を赦してやりなさいと、2章の6節、7節で記しています。ですから、その件は水に流して和解をしよう、と呼びかけたのです。

しかし、和解を呼びかけた理由はそれだけではありませんでした。コリント教会のパウロへの反発は根深く、一人の人を処罰すればそれで終わりというわけにはいかなかったのです。その暴言を吐いた人も、個人的なパウロへの不満というだけでなく、コリント教会の他の人たちが抱いている気持ちを代弁したという思いがあったことでしょう。また、さらに厄介な問題として、エルサレム教会との太いパイプを誇る新しい宣教師たちの存在がありました。彼らはパウロのことをあまり快く思っていなかったのでしょう。彼らのパウロに対する見方がコリント教会の人々にも伝染し、パウロに対する不信感を増幅させていたのです。特に、パウロがコリント教会に強く望み、また促していること、それはエルサレム教会のための献金なのですが、その献金をめぐってパウロの意図に疑問を抱く人たちがいたのです。ありていに言えば、エルサレム教会への献金をパウロが自分の懐に入れているのではないかと疑念を抱く人たちがいたのです。そこでパウロは、「私たちは、だれにも不正をしたことがなく、だれをもそこなったことがなく、だれからも利をむさぼったことがありません」と強く無実を訴えているのです。こう書きながらも、パウロはこの弁明をコリント教会の人々への非難と受け取らないでほしいと懇願します。第一コリントの手紙が、コリント教会の人々からの大きな反発を招いたという反省もあったのでしょう。これまでのコリント教会とのやり取りの中で生じた不幸な行き違いをもはや繰り返したくない、というのがパウロの切実な願いでした。そこでパウロは、自分はあなたがたを心から信頼している、いやあなたがたのことを誇りとすら思っている、とコリント教会の人たちに寄り添うような内容を書き連ねています。

そして5章以降では、これまでのいきさつについて改めて詳しく説明しています。先にお話ししたように、コリント教会の人々に悔い改めを求める内容を記した「悲しみの手紙」をテトスに託して送り出したものの、その後のパウロは不安でいっぱいになりました。第一コリントの手紙を運んでいったテモテのように、テトスもコリントの人たちからひどい扱いを受けているのではないか、またこの「悲しみの手紙」が悔い改めよりもさらなる反発を招いてしまうのではないか、という様々な思いにとらわれ、パウロはエペソでじっと待っていることが出来なくなりました。なかなか戻ってこないテトスを待ちきれずに、パウロはエペソを出てトロアスへと北上します。そこでの開拓伝道は順調なスタートを切ったものの、ここでもテトスからの知らせがないことにしびれを切らし、パウロはそこでも短期間で伝道を打ち切って、さらに北上し、テサロニケ教会やピリピ教会のあるマケドニアに行きます。しかし、そこでもパウロの心には平安がありませんでした。5節にはこうあります、「マケドニアに着いたとき、私の身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみにあって、外には戦いがあり、うちには恐れがありました。」パウロにはテトスとの連絡がつかないとい不安に加え、マケドニア固有の問題もありました。パウロは数年前にマケドニアでピリピ、テサロニケ教会を次々と立ち上げましたが、テサロニケではあまりの迫害の激しさに伝道を続けることが出来ずに、逃げるようにしてアテネやコリントというギリシア南部の都市に向かったという過去がありました。数年ぶりに訪れたマケドニアでも事情は改善されておらず、かえって迫害は厳しくすらなっているようでした。コリントに加えてマケドニア教会における問題にも直面し、パウロの心は折れてしまいそうになりました。

しかし、その時についにテトスとの再会を果たすことが出来ました。テトスは、先のテモテとは違い、コリント教会の人たちから好意的に迎えられました。そしてコリントの人たちはパウロの「悲しみの手紙」を深刻に受け取り、そして行動を起こしました。パウロに暴言を吐いた人に対する処罰を断行したのです。それが書かれているのが11節です。

御覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。

そして12節では、パウロは自分がなぜ「悲しみの手紙」を送ったのか、その理由を説明します。それは「悪を行った人」、つまりパウロを面と向かって罵倒した人を非難するためでもなく、また「被害者」、つまりパウロの名誉の挽回のためでもなく、むしろ「私たちに対するあなたがたの熱心が、神の御前に明らかにされるため」、つまりコリント教会の人たちが神の教えにまっすぐに従っていることが示されるためだったのだ、と書いています。パウロはこの少し前に、悲しみには二種類あると書いています。一つは「神のみこころに添った悲しみ」で、もう一つは「世の悲しみ」です。神の御心に添った悲しみというのは、自分の行動が神の教えに従ったものではなかったことを認め、それを悲しむことです。そのような悲しみは悔い改めを生み、そしてそれは救いといのちをもたらします。「悲しみの手紙」を受け取ることで生じたコリント教会の人たちの悲しみはまさにそのような悲しみでした。しかし、「世の悲しみ」とは神の御心を考慮しない、自分のプライドが傷つけられたとか、自分が損をしたとか、自分中心の悲しみです。そういう悲しみはろくな結果をもたらさず、かえって死をもたらすとパウロは警告しています。

そして、コリント教会の人々はまさに神のみこころに添った悲しみをしたのです。こうしてパウロが「悲しみの手紙」を書き送った目的が達成されたことでパウロは大きな慰めを得ました。パウロだけでなく、彼の使者となったテトスも大きな慰めと励ましを得ました。おそらくパウロから使者の役目を仰せつかったテトスも内心では不安でいっぱいだったことでしょう。同僚のテモテも、また伝道チームのリーダーであるパウロ自身も、コリントの人たちから面罵されるという手荒い扱いを受けました。ですからテトスも内心大きな恐れを抱いていたことでしょう。そんなテトスを、パウロはコリントの人たちのことを褒めて、大丈夫だからと送り出しました。そのあたりの事情が書かれているのが14節です。

私はテトスに、あなたがたのことを少しばかり誇りましたが、そのことで恥をかかずに済みました。というのは、私たちがあなたがたに語ったことがすべて真実であったように、テトスに対して誇ったことも真実となったからです。

パウロがここで「テトスに対して誇ったこと」と言っているのは、テトスに「悲しみ手紙」を託す際に、「コリント教会の人たちは大丈夫だ。彼らはきっと悔い改めてくれるに違いない」と太鼓判を押したことでした。そして彼らが期待通りに悔い改めてくれたことで、パウロは恥をかかずに済んだのでした。そして、テトスからコリント教会のことを聞かされたパウロは、コリント教会の人たちへの信頼と愛情を新たにしたのでした。

3.結論

まとめになります。今日の箇所を読んで、パウロとコリント教会を襲った問題も、ハッピーエンドになったと一安心するかもしれません。しかし、第二コリントを読んでいけばわかるように、問題はここでは終わりませんでした。パウロとコリント教会との愛憎劇はますます複雑な様相を呈するようになります。ここからは個人的な感想になりますが、パウロはここで暴言を吐いた人を叱責するだけでなく、自分の非をも認めるべきだったのではないかと考えてしまいました。コリント教会がこんなに問題だらけになってしまった理由の少なくとも一つは、パウロはコリント教会のために十分な時間と労力を割くことができなかったことにあると思えるからです。パウロにはパウロの言い分があったでしょう。彼はキリストの再臨が近いと確信し、それまでに世界中に福音を伝えようという大志を抱いていました。ですから個々の教会にそんなに労力を惜しみなく注ぐことができなかったのです。しかし、他方でコリント教会は生まれたばかりの教会であり、手取り足取りの指導を必要としていました。それが十分に与えあれなかったことで、どこかぐれてしまったようなところがあります。パウロに暴言を吐いた人も、そういう寂しさをパウロにぶつけたとも言えます。ですから、真の和解のためにはパウロはコリント教会の人たちに悔い改めを求めるだけでなく、自分自身のことも反省する、そういう懐の広さが必要だったのではないかと、そうも思えるのです。

冒頭でも申しましたが、私たちの教会はお互いの信頼関係という意味では大変良い状態にある教会です。しかし、もし将来、その信頼にひびが入るようになる事態があるとしたら、その時は、誰かが一方的に悪いと決めつけることなく、互いに反省しあい、赦し合うことが必要ではないかと、そんなことを思わされました。お祈りします。

主イエス・キリストを通じてすべての被造物に和解をもたらされた父なる神よ、そのお名前を讃美します。今日はコリント教会で生じた牧師と信徒との対立を通じ、真の和解のためには何が必要なのかを、改めて考えさせられました。私たちの教会は幸いなことに教会内に強い信頼関係がありますが、今後もし問題が生じたときには、互いに自分の非を認め合って真の和解を実現することができますように。われらに和解をもたらしてくださったイエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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