ユダヤ当局者たちとの対決
マルコ福音書11章22節~12章12節

1.序論

みなさま、おはようございます。来週はいよいよ復活主日で、今日は棕櫚の主日ですが、私たちが読み進めてきたマルコ福音書も、いよいよクライマックスに近づいて参りました。今日の箇所は、特にイエスの「預言者」としての働きに注目すべきところです。イエスが預言者であるということ、預言者としてのイエスの働きはとても重要ですが、ここで聖書のいう「預言者」の意味を改めて考えてみたいと思います。

“ユダヤ当局者たちとの対決
マルコ福音書11章22節~12章12節” の
続きを読む

ハナヌヤ
エレミヤ書28章1~17節

1.導入

みなさま、おはようございます。私たちの教会では、これまで旧約聖書の学びを熱心に続けています。この主日礼拝ではエレミヤ書、親子礼拝では創世記、祈祷会ではサムエル書を読み、森田役員のメッセージも旧約聖書からの講解です。私は以前奉仕していた教会でも、旧約ばかりを取り上げるので、「先生のご専門は旧約ですか?」と尋ねられることがよくありました。でも、私は新約学者の端くれでして、論文を書いたのはパウロについて、神学校でも新約学を教えています。ですから正直を申しますと、説教も新約聖書からの方がずっと準備しやすいのです。それでも、教会での説教で旧約聖書を大変重視しているのは、旧約聖書こそが新約聖書の土台だからです。家を建てる時は、まずしっかりとした土台を据えることが肝要です。土台もしっかりしないのに、いくら見栄えの良い上物を立てても、その家は固く立つことはないでしょう。新約聖書も同じことです。旧約聖書をよく知らずに、新約聖書ばかり読んでも、その内容を半分も理解できないでしょう。主イエス・キリストの宣教についても、旧約をよく知らずには十分には理解できないのです。理解できないどころか、それを誤解したり、曲解したりする恐れすらあります。なぜなら、旧約聖書という土台の代わりに、自分勝手な土台を据えてしまう恐れがあるからです。

“ハナヌヤ
エレミヤ書28章1~17節” の
続きを読む

偽りの預言
エレミヤ書23章23~32節

1.導入

みなさま、おはようございます。ここ数回の説教は、エレミヤ書の歴史的背景についてかなり詳しくお話しました。エレミヤが活躍した時代の状況や背景が皆さんもだんだんと掴めてきたことと思います。今日は歴史というよりも、聖書全体を通じての重要な神学的テーマである「預言」について、またその対極にある「偽りの預言」、「偽預言者」について、エレミヤ書から学んでまいりたいと思います。まず、預かる言葉と書く「預言」という文字そのものについて確認したいのですが、これは予め語ると書く「予言」、未来予告のことではないということです。「今から3年後に大戦争が起きる」ですとか、「今から1年以内に大地震が起きる」と語って、それが起きなかったらその人の予言は信用されなくなるでしょうが、だからといってその人が聖書のいう「偽預言者」かというと、直ちにそうはならないのです。つまり、聖書の言う偽預言者とは、未来の出来事を予告してそれが外れた人のことではないのです。

“偽りの預言
エレミヤ書23章23~32節” の
続きを読む

嘲られる預言者
エレミヤ書17章5~18節

1.導入

みなさま、おはようございます。エレミヤ書からの説教は今日で三回目になりますが、第一回は1章から、第二回は2章からだったのに、今日はいきなり17章にまで飛んでしまうのか、と驚かれたかもしれません。そこで、この点について少しお話させていただきたいと思います。エレミヤ書は、預言者エレミヤの40年にも及ぶ活動を記録していますが、エレミヤ書は年代順に書かれているのではありません。例えばエレミヤ書の7章には、エレミヤがだいたい40歳のころの有名な『神殿での説教』が収録されていますが、その話の続きはいきなり26章にまで飛んでしまうのです。そして7章と26章の間には、いろいろな場面の様々な預言が含まれています。どうしてそうなのかと言えば、エレミヤ書とは、エレミヤが自分で書いたものではないからです。エレミヤが死んだ後に、彼のお弟子さんたちが師匠の預言の言葉を集めて、それを一つの書にまとめたのです。そしてお弟子さんたちはエレミヤの言葉を年代順には並べませんでした。エレミヤの若いころの言葉と、様々な経験を経て熟練の預言者となった時の言葉とを、一緒にしている場合が多いのです。ですからエレミヤ書を深く理解するためには、エレミヤのそれぞれの言葉がどんな状況において語られたのかを知る必要があるのです。

“嘲られる預言者
エレミヤ書17章5~18節” の
続きを読む