飢饉とサウルの子孫
サムエル記下21:1-14
森田俊隆

* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日の聖書個所はサムエル記下21章ですが、サムエル記下では20章で歴史的記述は終わり、21章から最後の24章までは補遺と言い、付録のようなものです。22章は「ダビデの感謝の歌」、23章は「ダビデ最後の言葉」ですので具体的出来事について書かれているのは21章と24章です。更に21章は「飢饉とサウルの子孫」に関する本日の個所で、15節以降は「ペリシテ戦における武勲」と称し、武勲があったものの列挙のようなものですから、物語になっているのは、本日の21:1-14と24章の2か所だけです。実はこの2か所は話の構成が並行的になっており、キアスムス配列と言われています。

21:1-14は簡単に言えば、飢饉があって原因を探ると、サウルがギブオン人を殺したからなので、サウルの子孫を抹殺すれば、飢饉は終わる、というのでそのようにした、という話です。24章はダビデが人口調査という罪深いことをやったため、預言者ガドは三つの災厄のうち一つを選べ、とダビデに迫ります。ダビデは疫病を選びましたので、民が七万人死にます。ダビデは罪を悔いて、その徴(しるし)に立派な祭壇を作る、という話です。これら二つの構成をみると、①主に対する恥ずべき行為、②そのために起きる主の裁き、③その裁きを避けるための王の行為、の三段階構成が共通しているのです。24章ではダビデの人口調査指示が罪あることとされています。それが災い発生の原因です。21章ではサウルがギブオン人を殺したということが災いの原因とされていますが、ダビデの罪の指摘はありません。しかし、21章の話の背後には24章同様、ダビデの罪が隠されている、と解釈することは可能と思われます。そうすると、この二か所は話の構成上共通しているのみならず、内容的にも共通していることが底に流れている、ということができます。それは「ダビデの罪」です。

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サウル王の最後
サムエル記第一31:8-13、サムエル記第二1:17-21
森田俊隆

初代イスラエルの王サウルの最後の場面が今日のお話のテーマです。お読みいただいた最初のところが、サウル王の戦死直後に起きたことを述べており、あとの方の個所は、サウル王の死後、ダビデが、サウル王、その子ヨナタンを悼んで歌った詩の前半です。これらの個所にこだわらず、サムエル記上31章全体とサムエル記下1章全体を見ながら、「サウル王の最後」についてお話し致します。

まず、サムエル記上31章の最初です。31:1-2「ペリシテ人はイスラエルと戦った。そのとき、イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺し殺されて倒れた。/ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。」とあります。イスラエルとペリシテは年来の宿敵です。サウルに率いられるイスラエルはガリラヤ湖の南イズレエルに集結し、王アキシュを指導者とするペリシテはイスラエルの中西部アフェクの地に集結します。最終的な戦場はイスラエルの集結地のすぐ南となりました。戦いの推移については全く叙述なく、ただ、イスラエルの敗北のみが記されています。ペリシテ人はサウルの子3名を殺害します。長男ヨナタン、次男アビナダブ、三男マルキ・シェアです。ヨナタンはダビデの盟友であり、ダビデが次の王にふさわしいと考え、自分の王国継承権を譲っていました。サウルがダビデを殺そうとしていた時、常にダビデの助けとなり、父サウルを諫めていた人物です。ダビデ/ヨナタンの関係は友情の模範とされ、キリスト教の時代以降も長く称えられるものとなりました。この3名の戦死でサウル王朝は事実上、断絶となります。しかし、サウルには四男イシュ・ボセテがおり、サウルの番頭的存在の将軍アブネルの支持の下、ダビデの王朝の成立に最後の抵抗を致します。この話はサムエル記下で語られます。

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サウル王の遺棄
サムエル記第一15:10-23
森田俊隆

* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今月はサムエル記からです。サムエル記は上下2巻あります。上巻は預言者サムエルとイスラエル初代の王サウルの話です。下巻は王となったダビデの話です。中原キリスト教会では木曜会で山口先生がサムエル記からお話をされていますので、私のお話において、それも参考にさせていただいております。今日の聖書個所としてあげましたのはサムエル記第一15:10-23ですが、お話は15章全体を念頭にお話し、させていただきます。まず15章には何が書いてあるかを若干のコメントをしながら概略ご説明します。

15:1-3で預言者サムエルはアマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ、との主の命令をサウルに伝えます。15:3には「今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだも、ろばも殺せ。』」とあります。ヨシュア記、士師記を呼んだ方は驚かないかもしれませんが、このような知識のない方は驚きます。集団殺戮と何ら変わりません。アマレク人と言うのはユダヤの南のネゲブ砂漠の方に住んでいた人々です。聖書による血統ではイスラエルの始祖ヤコブの兄弟エサウの孫アマレクの子孫です。したがって、そんなに遠くない親類です。全滅させよ、という理由は出エジプトの時、イスラエルの民が南からカナンの地に上ってくるのを邪魔したから、というのです。この理由は調べると怪しいものです。一度は、アマレク人とカナン人がいっしょになってイスラエルを打ち破り、イスラエルがカナンの地に入るのをあきらめさせましたが、結局、モーセはヨシュアをたてて、アマレクを打ち破り、出エジプト記17:14では「アマレクの記憶を天の下から完全に消し去った」ことになっています。サムエルが言っていることは、常識的には何癖です。理由にもならないことを理由にした復讐です。

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サムエル記第一15:10-23
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