心の思いが現れる
ルカ福音書2章1~39節

1.序論

みなさま、クリスマスおめでとうございます。今日の主日礼拝では、ルカ福音書のとても有名な箇所からメッセージをさせていただきます。今日は比較的長い箇所を取り上げていますが、その中でも羊飼いたちが飼い葉おけに寝かされている幼子イエスを訪ねる場面が大変よく知られています。ページェントなどで必ず取り上げられる、心温まる場面ですね。しかし今日は、その後に登場する人物にも目を向けたいと思います。それは、シメオンとアンナという二人の男女の老人ですが、その中でも特にシメオンという人物の言葉に注目して参ります。

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エマオの途上で
ルカ福音書24章13~32節

1.序論

みなさま、イースターおめでとうございます。キリスト教には三つの大きなお祝いの日があります。一つは誰でもご存じのクリスマスで、これはイエスの誕生を祝う日です。もう一つはペンテコステという日があり、これは今日のイースターから50日目の祝日です。ペンテコステの意味については、ペンテコステ礼拝の時にお話ししたいので、今日は三つのお祭りの中でも最も重要なイースター、復活祭についてのお話です。

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あなたは誰を隣人としますか?
ルカ福音書10章25~37節

1.導入

みなさま、おはようございます。今日は午後から教会総会がありますので、いつものパウロの第二コリント書簡からの講解説教をお休みして、福音書からメッセージをさせていただきます。今年の元日礼拝でも福音書からメッセージをしましたが、その理由は聖書全体の中でも四つの福音書は特別な重要性を持っているからです。使徒パウロは新約聖書の約半分の文書を書いた大変重要な人物で、彼の書簡からは教会について大切なことをたくさん学べます。しかしあえて言うならば、パウロ書簡を含めて考えても、聖書全体の中で最も大切なのはイエスの生涯について語る福音書であるのは間違いないことです。私たちの信仰は、常にイエスを見上げ、イエスに倣うことで形成されていきます。ですからこれからも特別な機会には福音書に帰り、福音書からメッセージをしていきます。

さて、いうまでもないことですが、福音書は一つだけでなく四つあります。その四つの内のマルコ、マタイ、ルカ福音書はお互いによく似ているので共観福音書と呼ばれます。しかし、よく似てはいますが、良く調べるとそれぞれに特徴があり、イエス様の描き方にも違いがあります。ルカ福音書の描くイエス像は、とりわけそのやさしさ、憐み深さが強調されています。イエス様のたとえ話の中でも最も有名なものは「良きサマリヤ人」と「放蕩息子の話」ですが、この二つはルカ福音書にのみ収録されています。これは注目すべきことです。この二つの譬えは、見捨てられた人、失われた人に対する神の強い愛を私たちに教えてくれますが、これはルカ福音書全体が大変強調している点でもあります。失われた人の救いという意味では、あのザアカイさんの話もルカ福音書にだけ収録されています。今日は、このように非常にルカ福音書らしい話である「良きサマリヤ人」の話をみなさんとじっくり読んでいきたいと思います。

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失われた人を求めて
ルカ福音書19章1~10節

1.導入

みなさま、新年おめでとうございます。私は昨年からずっと、パウロの手紙である第一、第二コリント書簡の連続説教をしてきました。しかし今日は今年最初の礼拝メッセージということで、パウロの自叙伝的色合いの濃い第二コリント書簡をいったんお休みし、新年にふさわしい箇所からメッセージをさせていただきたいと考えました。そこで今日は、ルカ福音書を通じて改めて主イエスの福音宣教について考えてまいりたいと思います。

今日の箇所は大変有名な箇所で、教会に長らく通っている方なら何度も読んだり聞いたりした箇所だと思います。ザアカイという人は、とても印象的な、インパクトの強い人なので、この話を一度聞いたらおそらく忘れることができない、そういう人物です。今日は、このザアカイさんだけでなく、その前に出て来る盲人の物乞い、マルコ福音書によればその物乞いの名はバルテマイですが、バルテマイとザアカイという対照的な二人、さらにはその前のルカ18章に登場する金持ちの青年、これらの人物たちを対比しながら、主イエスの伝道の目的を考えていきたいと思います。

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イエス誕生の知らせ
ルカ福音書1章26~56節

1.導入

みなさま、クリスマスおめでとうございます。今年もいろいろ大変なことがありましたが、今日この良き日を皆さんと一緒に祝える幸いを感謝します。今日の説教箇所は、「受胎告知」と呼ばれる場面を描いたところです。これからイエスの母となる少女マリヤに、イエスの誕生の知らせが伝えられる場面です。かのナポレオン・ボナパルトは「子供の将来は母親が決める」という名言を残していますが、歴史に名を遺すような大人物には立派な母親がいるというのは確かに言えることだろうと思います。子どもが生まれてから最初に深い人間関係を築くというか、完全に依存するのが母親なわけですが、この母親が私たちの人格にどれほど深い影響を及ぼすのか、そのことをナポレオンは適切に言い表しています。

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貧しい人たちのための王国
ルカ福音書6章20節
ワールド・ビジョン・ジャパン・デボーション

みなさん、おはようございます。今日みなさんとのデボーションに招かれたことを心より感謝いたします。また、みなさんの平素からの貴いお働きに心から敬意を表します。

さて、ワールド・ビジョン・ジャパンの10月からの1年間のテーマと聖句が「神の国をまず求めなさい」であるということをお聞きしました。そこで今日は、短い時間ではありますが、この年間テーマで言われている「神の国」とはどんなものなのかを考えてまいりたいと思います。「神の国」、あるいは「天の国」と言われることもありますが、この言葉はイエスの伝記である福音書に100回ほど、イエスの言葉として登場します。イエスの言葉として、こんなに多く使われている言葉は他にはありませんので、まさにイエスという人物、またその働きを理解する上でのキーワードだと言えます。けれども、イエスは神の国とはこれこれこういうものです、ということを事細かには説明しませんでした。むしろ、「神の国とはなになにのようなものです」、というように、たとえ話を用いて、どこかつかみどころのないものとして話すほうがずっと多かったのです。イエスの話は聞く人に、「神の国」とはどんなものなのか、自分自身で思いめぐらすように、また深く考えるようにと促していました。もっと言えば、イエスの地上での生涯そのものが、私たちに「神の国とは何なのか?」と鋭く問いかけるものでもありました。

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ルカ福音書6章20節
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