イエス誕生の知らせ
ルカ福音書1章26~56節

1.導入

みなさま、クリスマスおめでとうございます。今年もいろいろ大変なことがありましたが、今日この良き日を皆さんと一緒に祝える幸いを感謝します。今日の説教箇所は、「受胎告知」と呼ばれる場面を描いたところです。これからイエスの母となる少女マリヤに、イエスの誕生の知らせが伝えられる場面です。かのナポレオン・ボナパルトは「子供の将来は母親が決める」という名言を残していますが、歴史に名を遺すような大人物には立派な母親がいるというのは確かに言えることだろうと思います。子どもが生まれてから最初に深い人間関係を築くというか、完全に依存するのが母親なわけですが、この母親が私たちの人格にどれほど深い影響を及ぼすのか、そのことをナポレオンは適切に言い表しています。

クリスマスというイエスの誕生日はクリスチャンであろうとなかろうと世界中の人々が祝う日であり、また私たちの使う西暦2021年とは、イエスが誕生してから2021年目ということですから、このイエスという人物の後世に残した影響力がいかに大きなものであるかということが伺えます。少なくとも知名度という意味では、イエスというユダヤ人は世界の歴史上もっとも有名な人物だと言うことはキリスト教徒ではなくても広く受け入れられている事実でしょう。そのイエスの母であるマリヤは、ナポレオンの言葉によればイエスの運命を決定づけた女性です。ですから、歴史上もっとも有名な母親と呼んでもよい女性であり、そしてマリヤを題材にした名画や彫刻、あるいは音楽はダビンチやミケランジェロ、またはモーツァルトのような天才たちによって創作されてきました。では、マリヤとはどんな女性だったのでしょうか。

マリヤがこの受胎告知を受けたとき、彼女は何歳だったでしょうか。マリヤの受胎告知の有名な絵画を見ると、マリヤは少女というより成人した大人の女性だという印象を受けるかもしれません。しかし、当時のユダヤ社会では女性が婚約するのは12歳頃で、実際に結婚するのはそれからだいたい1年後でした。ですから、マリヤは今の日本で言えば小学校6年生ぐらいで婚約して、中学1年生の頃には結婚していたということになります。実際、マリヤが天使たちからイエス懐妊の知らせを受けたときには13歳ぐらいだったでしょう。今の日本でいえば、まだまだ子どもですよね。そんな少女が、これから世界で一番有名になる人物、そういう運命の子を宿すことになる、しかもその父親は人間ではなく神様だという、そんな子を宿すということを告げられたのです。こんなことを告げられたショック、衝撃というのはちょっと想像もできないものではないでしょうか。しかも、マリヤは自分が特別な人間だとは全く思っていませんでした。彼女がマリー・アントワネットのような王女として生まれたのなら、自分の子どもが世界の王になるだろうと考えたかもしれませんが、マリヤは平凡な、というよりも社会の底辺に生きていたような人でした。彼女はガリラヤ地方という、首都エルサレムから見れば北のはずれのような地方に住んでいて、そのガリラヤの中でも誰も知らないような人口わずか数十人という小さなナザレという村に住んでいました。華やかな世界とは縁遠い、貧しい暮らしをしていたのです。自分の子どもが特別な子供になるなどとは、考えたこともなかったでしょう。そのような少女に告げられた驚くべき知らせ、それがイエス誕生の知らせでした。

2.本文

さて、では今日の聖書箇所を詳しく見ていきましょう。26節に、「ところで、その六か月目に」とあります。何から六か月かというと、イエスの道備えをする人物となるバプテスマのヨハネ誕生の知らせがゼカリヤという歳を取った祭司に与えられてから六か月ということです。このゼカリヤはガブリエルと呼ばれる天使からヨハネ誕生の知らせを聞いたのですが、しかし妻のエリザベツが子どもを産める年齢を過ぎていたので、これを信じませんでした。ゼカリヤも、100歳近い族長アブラハムとその妻サラがイサクという子どもを産んだ話はもちろん知っていましたが、まさかそのことが自分の身に起きるということが信じられなかったのです。

さて、このゼカリヤとマリヤに遣わされたガブリエルという天使は大変有名な天使です。他にも有名な天使はイスラエルの守護天使であるミカエルがいますが、このガブリエルは旧約聖書で預言者ダニエルに有名な預言を授けた天使です。ダニエルが生きていたバビロン・ペルシアの時代はイエスの時代よりも500年以上も前のことです。ですからこのガブリエルは500年以上も生きていることになります。文字通り不老不死の存在なのです。そしてこのガブリエルは500年以上も前に、預言者ダニエルに救世主の到来を告げています。その方が来れば、「そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、至聖所に油をそそぐ」(ダニエル9:24)だろうと言われます。このことはダニエル書9章に書かれていますが、その内容は大変難解でいろんな解釈があります。しかし、この人物は永遠の義をもたらし、罪を終わらせる方だということは分かります。500年以上前に預言者ダニエルにこの救世主到来を告げたガブリエルは、500年以上後の時代の小さな村の全く無名の少女マリヤに、あなたの子がその約束の救世主だと告げたのです。ガブリエルはマリヤにこう言いました、

ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。

さあ、こんなことを言われたマリヤはさぞびっくりしたと思います。「いと高き方」というのは神様のことですから、あなたの子どもは神様の子どもなのだと言われたのです。さらには、あなたの子は王様になる、しかもダビデ王の位に就くと言われたのです。このことにはマリヤもびっくりしたことでしょう。この時の正確な年数は分かりませんが、仮に紀元前4年とすると、ダビデ王朝はその600年近く前に滅んでいたからです。有名なバビロン捕囚の時、それは紀元前587年ですが、その時にダビデ王朝は断絶され、ダビデ家からの王様はそれ以降一人もいなかったのです。マリヤは自分のいいなずけのヨセフがダビデの子孫だということは知っていましたが、ダビデとは何しろ千年以上も前の伝説の王様です。ダビデは子だくさんでしたし、その子孫たちが千年間の間増え拡がったわけですから、この時代にはダビデの子孫などそれこそ星の数ほどいたことでしょう。ダビデの血筋と言っても、ごく普通の大工に過ぎなかったヨセフの子どもが六百年ぶりにダビデ家を再興させるのだと言われても、あまりのことにぴんと来なかったことでしょう。しかも、この時点ではマリヤとヨセフはいいなずけというだけで、結婚していなかったのです。ですから自分が妊娠などするはずがないではないですかと、こうマリヤは素朴な疑問をガブリエルに伝えました。しかし、このマリヤのもっともな疑問に、天使のガブリエルは丁寧に答えました。

聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類エリザベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。

聖霊があなたの上に臨む、という言葉は創世記の天地創造を思い起こさせます。天地創造の時にも、神の霊が地の上を覆い、創造の業を始められました。神はこの創造の業を、マリヤの上に起こすと宣言されたのです。現代科学においても、生命誕生は全くの謎であり、どのようにして地球上に生命が生まれたのか、そのプロセスは全く分からない、お手上げ状態といっていいものであり、まさに奇跡としか言いようがないことなのですが、その奇跡をマリヤの上に再び起こすのだと神は言っているのです。まだ男を知らないマリヤが子どもを産むということは、創造主である神にしかできないことです。ガブリエルは、そのような神の力を示す一例として、もう閉経していて子どもが生まれるはずがないエリザベツが今や妊娠六カ月になっているという事実を告げました。

このガブリエルの説明を聞いたマリヤの応答は注目に値します。聖書の中で、神の驚くべき約束を聞いた人々はなかなかそれが信じられませんでした。信仰の父と呼ばれるイスラエル民族の祖であるアブラハムは、100歳近い自分に子どもが与えられると聞いて、思わず笑いをこらえることができませんでした。その妻サラも、この神の約束を聞いても信じられず笑ってしまいました。つい最近では、バプテスマのヨハネの父となるゼカリヤ、彼は「神の御前に正しい人」であったと言われるような義人でしたが、その彼さえも、子どもが与えられるという神の約束が信じられず、神によって口がきけない状態にさせられてしまいました。このように並外れた信仰の持ち主たちでさえ信じられなかった神の約束を、この13歳になるかならないかの少女は素直に信じたのです。マリヤはこう言いました。

ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。

マリヤは自分のことを「主のはしため」と言っていますが、直訳すると「主の奴隷です」となります。パウロもよく自分のことをそう呼んでいますが、マリヤも自分が神に仕える者だと宣言し、その御心通りになりますようにと述べたのです。マリヤは、このことが自分の身に大きな問題を引き起こすこともよく理解していたことでしょう。まだ結婚もしていない自分が子どもを宿すということ、しかもそれが神の聖霊による奇跡などだということを人々が素直に信じるとは思えません。律法には、不貞を働いた者は石打にしなさいという規定があるので、いのちすら失うことにもなりかねません。神の御心を受け入れるとは、このような様々な問題や人々の無理解をも引き受けるということです。ですからマリヤのこの言葉は、神への深い信仰や従順だけではなく、自己犠牲をもいとわない大きな献身を表したものでもあります。さすがイエス様の母親になる人物、とても立派な態度だと感動すら覚えます。わずか13歳の少女がそこまで考えているのかとも思われるかもしれません。しかし、あの将棋の藤井聡太さんもわずか14歳でプロ棋士になり、デビュー以来29連勝という大記録を成し遂げています。その時の受け答えの実に立派なことに感動しましたが、マリヤも同じように、若くして実に立派な信仰を持っていました。そのような信仰の人にイエス様が育てられたことに、神の深い配慮を見ることができます。御使いガブリエルは、先に神のことばを信じなかったゼカリヤには裁きを下しましたが、今度のマリヤの言葉には深く満足したのでしょう。そのままこの場を離れています。

さて、マリヤはこれからどうしたでしょうか。いきなり自分が妊娠しましたと言っても、誰も信じてくれず、かえって村八分になってしまいます。そうすると彼女だけでなく、神様から授かった大事な子、イエスのいのちさえ危うくなります。そこで彼女は非常に賢明な行動を取りました。それは、この身に起こった奇跡を一番よく理解してくれる人、また同時に信仰の大先輩として自分を導いてくれる人、その人の所に身を寄せようというのです。それは、六か月前に同じく神の奇跡によって高齢の身でありながら子供を授かったゼカリヤの妻エリザベツのところでした。マリヤにとって、これ以上の理解者はいません。マリヤが住んでいたのはガリラヤ地方で、エリザベツはユダヤ地方でしたから、たどり着くまでには最低三日はかかります。マリヤは急いでエリザベツのところに向かいました。若い女性の一人旅は危険ですが、まだ若くて元気なこともあったのでしょう。マリヤはすぐさま旅立ちました。なかなか行動的な女性です。エリザベツはマリヤに会うと、聖霊に満たされ、何がマリヤの身に起こったのかすぐに理解しました。そしてそのことをマリヤに告げました。マリヤは本当にその言葉を聞いてうれしく思い、また安心したことでしょう。あのガブリエルの言葉は夢ではなかったのだ、本当に神様が私を選んでくださったのだという確信が生まれたことでしょう。そこでマリヤは有名な賛歌を歌います。このマリヤの歌は、彼女から千年以上も前に生きた有名な預言者サムエルの母ハンナの歌を思い起こさせます。預言者サムエルとは、ダビデを王様に任命した、非常に有名な預言者です。マリヤも小さい時からよく聖書を勉強していて、ハンナの歌も暗記していたのかもしれません。ハンナの歌にはこういう下りがあります。第一サムエル記の2章8節をお読みします。

主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人を、あくたから引き上げ、高貴な者とともに、すわらせ、彼らに栄光の位を継がせます。

主は強きをくじき、弱きを助ける方であるとハンナは告白しますが、マリヤもほぼ同じことを言っています。マリヤは、本当に誰も気に留めないような平凡な女の子でした。当時のユダヤの女性の名前の半分がマリヤかサロメだったと言われているので、名前も平凡、生まれも貧しい女性でした。そのような女性に神が目を留めてくださり、世界の運命を変えるような男の子を授けてくださる、その神様に感謝せずにはいられなかったのでしょう。しかし、マリヤはまだこの時知らなかったかもしれません。その子は確かに世界の王になられるかたでしたが、しかしその王は玉座の上に座ることなく、かえって人々のために十字架に架かる運命にあるということを。けれども、今はまだそれを知る時ではなかったのです。今のマリヤは、母となる喜びを、しかもダビデ王の位に就くだろうと約束された栄光に満ちたわが子の未来を夢見たのかもしれません。

けれども、実際のわが子イエスの生涯は、まだ幼かった母マリヤの夢見た生涯とは大きく異なっていました。マリヤには自分の子として成長していくイエスの考えていることがよく分からなかったのです。後に、家族を捨てて伝道の旅に出たイエスのことをマリヤやイエスの兄弟たちは頭がおかしくなってしまったと思い、呼び戻しに行ったことがありました。それでも、イエスがエルサレムに向かった時には、とうとう「父ダビデを王位をお与えになる」という神の約束が実現するのかと、期待したことでしょう。それが期待に反して、十字架で処刑されてしまった時には胸のつぶれるような思いをしたことでしょう。しかし、マリヤはその後、イエスがどんな人物であるのかを理解し、彼を信仰するようになります。教会に聖霊が降ったペンテコステの日、マリヤはエルサレムにいました。彼女はイエスの約束を信じ、もう故郷のガリラヤには戻らずにエルサレムで他の信徒たちと生活をしていたのです。このイエスの母マリヤの信仰の旅路は、非常に私たちの関心を惹きつけるものです。自分にとって一番身近な、自分の一部のような気がしていたわが子イエスを、どのようにして礼拝の対象として信じるようになったのか、その道のりには何が起きたのか、聖書は詳しくは述べていません。しかし、この救世主イエスは少女マリヤ「どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」というシンプルな、しかし力強い信仰によってこの世に生を受けることになった、このことをクリスマスの機会に今一度覚えたいと思います。

3.結論

まとめになります。今日は救世主イエスの誕生が、世界で最初に伝えられた人物のことを学びました。その人物とはイエスの母マリヤでした。彼女こそ、イエスの生みの母であるだけでなく、信仰の母となった人でした。彼女のまっすぐな神への信仰を、イエス様も確かに受け継がれたのです。マリヤの、神への信仰のためには犠牲をいとわないという態度は、確かにそのイエスによって受け継がれています。私たちも人生において、マリヤほどの大きな役割を与えられることはないでしょうが、しかし私たち一人ひとりにも神様は確かに何かの役割を期待しておられます。それは大きなことだったり小さなことだったりするでしょう。しかし事の大小は問題ではありません。問題は、私たちがそのことに忠実であるかどうかです。マリヤはイエスの母になるという役目を立派に果たしました。私たちもまた、このクリスマスに自らの役割に忠実でありたいという願いを新たにしたいと願うものです。お祈りします。

イエス・キリストを母マリヤを通じてこの世にお送りくださった父なる神様、そのお名前を讃美します。私たちも、この世に生かされている限り、神様から何らかの役割を与えられています。それに忠実に歩むことができますように。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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