弟子たちに告げなさい
マルコ福音書15章40~16章8節

1.序論

みなさま、おはようございます。私たちはマルコ福音書を昨年の5月1日から、今日を含めると43回にわたって読んで参りました。まるまる1年がかりで取り組んできたわけですが、今日はいよいよ最終回になります。ただし、マルコのエンディングは実は大きな問題をはらんでいます。といいますのも、みなさんもお気づきのように、16章9節以降は鍵かっこで括られていますよね。なぜそうなっているかといえば、16章9節以降はほぼ間違いなくマルコ福音書の原本、つまりマルコがこの福音書を書いたときには含まれていなかったからです。私たちの用いている新約聖書の文書には、一つとして原本が残されたものはありません。原本を人間の手で一文字ずつ転記した写本と呼ばれるものがあるのみですが、マルコ福音書の最も古い写本には9節以降は含まれていません。専門家の間では、マルコのオリジナルのテクストは8節で終わっているというのが定説になっています。では9節以降の文章は何なのかといえば、8節で終わるとそれはあまりにも唐突だということで、後の時代にマルコではない誰かが書き加えたのが9節以降だとされています。いきなりこういう話をされるとびっくりするかもしれませんが、新約聖書は印刷技術などない時代に書かれたものなので、こういうことがしばしばおこるのです。

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十字架での死
マルコ福音書15章21~40節

1.序論

みなさま、おはようございます。さて、今日はいよいよ主イエスが十字架上で絶命されるという重大な場面です。マルコ福音書の記述は、イエスが徹底的に孤独に追い込まれ、孤立無援、まさに四面楚歌の状況に陥ったことを強調しています。ルカ福音書には、イエスのことを嘆き悲しむ多くのユダヤの民衆が描かれていますが、マルコはそのようなイエスに好意的な群衆がいたことについて触れていません。また、ヨハネ福音書では「主に愛された弟子」と呼ばれるイエスの一番弟子や、イエスの母マリアが十字架のすぐ下でイエスを見守ったことになっていますが、マルコでは十字架から遠く離れたところから見守っていたガリラヤの女性たちのことしか書かれていません。また、ルカ福音書によれば、イエスの両脇で十字架に架かった二人の強盗のうちの一人はイエスに好意的で、イエスに自分を救ってくださいと願い、イエスもそれを受け入れるという微笑ましい情景が描かれていますが、マルコはそのような強盗がいたことを一切書いていません。むしろ、イエスはすべての人から拒絶され、捨てられたことを強調しています。イエスは十字架上で独りぼっちだったのです。

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十字架への道
マルコ福音書15章1~20節

1.序論

みなさま、おはようございます。1年以上続けてきましたマルコ福音書の説教も、いよいよ残すところ今回を含めて3回となりました。マルコ福音書では、淡々と物語が進行していくので、少し味気ないというか、物足りなく感じる面があるかもしれません。この受難劇におけるイエスの心の動きはどうなのか、またほかの人物たちは何を思って行動しているのか、そうしたことに現代の読者は関心があるのですが、マルコはほとんどそのような情報を与えてはくれません。しかし、この受難劇に登場する人物は、みな生身の人間であり、彼らの行動の背後には明確な意図があります。そのような意図は、現代に生きる私たちにも十分理解できるものなのです。

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イエスとペテロ
マルコ福音書14章43~72節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日の説教タイトルは「イエスとペテロ」です。今日の箇所の主役はもちろん主イエスですが、ペテロもそれに劣らないほどの存在感があります。それは前回のゲッセマネの祈りについても言えることでしたが、受難劇の主役はイエスだけではなくペテロなのではないかと思うほどです。それもそのはずで、「マルコ福音書」は福音書記者マルコが書いたものであるものの、彼は使徒ペテロの通訳をしていた人物なのです。マルコはペテロの通訳をしながら、彼の語るイエスの生涯を記憶し、その記憶に基づいてマルコ福音書を書き上げました。ですからマルコ福音書は、イエスについての証言を提供したペテロによる福音書でもあるのです。

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ゲッセマネの祈り
マルコ福音書14章27~42節

1.序論

みなさま、おはようございます。マルコ福音書に置いてイエスは一歩、一歩、十字架への道をたどっていますが、今日はその逮捕直前の数時間について学んでいきます。そして今日の聖書箇所は、福音書の中でも最もイエスの人間的な面を意識させられるような箇所です。いうまでもなく、イエス・キリストとは私たちクリスチャンにとっては信仰の対象です。人間というよりも、神としてイエスを見ています。ですからイエス様は私たち人間が普段悩んだり苦しんだりするようなこととは縁のない存在なのではないか、そう考えてしまうかもしれません。実際、四つの福音書の中で最後に書かれ、イエスの神としての側面を最も強調するヨハネ福音書には、イエスが悩んだり苦しんだりしたことを示唆する記述はありません。しかし、最古のマルコ福音書の今朝の箇所では、イエスは明らかに苦しんでいます。

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過越の食事
マルコ福音書14章12~26節

1.序論

みなさま、おはようございます。1年以上にわたって講解説教を続けてきましたマルコ福音書も、いよいよ山場といいますか、大詰めに近づいて参りました。今日の箇所は、イエスが逮捕されて十字架に架けられる前夜の、最後の晩餐についての記事です。イエスはご自分がこれから殺されることを予期していたのですが、弟子たちはそのことをイエスから繰り返し言われていたにもかかわらず、そんなことが起きるということが信じられないし、信じたくもないという思いでした。もしそんなことが起きるとしても、いったいどういうわけでイエスが殺されなければならないのか、その理由がまったく分かりませんでした。イエスはメシア、イスラエルの王なのだから、多くの問題を抱えたユダヤ民族のためにやるべきことがたくさんあるではないか、こんな大事な時にリーダーに死なれてしまったら、私たちはどうなってしまうのか、という思いを抱いていたのです。

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献身と裏切り
マルコ福音書14章1~11節

1.序論

みなさま、おはようございます。先週は、イエスがエルサレム当局者たちに下る決定的な裁き、つまりエルサレム神殿の崩壊を予告した場面を学びました。イエスとエルサレム当局者たちとの対立はもう後戻りできないところにまできました。エルサレム当局者たちもここで腹を固めました。このイエスという男を抹殺しなければならないという決意を固めたのです。ここまでは彼らも一応は対話を通じて、ある意味で穏便に事を進めようとしてきました。対話といっても、イエスを貶めようという意図がありありとした対話なので、決して友好的ではものなかったのですが、それでも逮捕とか、そういう実力行使は避けようとしてきました。それはエルサレムの当局者たちが平和主義者だったためではなく、民衆に人気があったイエスを皆の前で逮捕しようとすれば暴動が起きかねず、ひとたび暴動が起きれば大祭司たちはローマの総督から治安を維持できなかった責任を取らされて首にされる可能性が十分にあったからです。

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神殿崩壊の預言
マルコ福音書13章1~37節

1.序論

みなさま、おはようございます。マルコ福音書も、いよいよ重大な局面に入ってまいりました。今日お読みいただいたマルコ13章はオリーブ山の講話と呼ばれる大変有名な箇所ですが、同時に解釈が難しい、専門家や研究者の間でも意見が割れる、とても難解な箇所でもあります。ですからあらかじめお断りしておきますが、私が本日説教する内容が、この13章の唯一の正しい解釈である、ということはあり得ません。こういうと開き直っているように聞こえるかもしれませんが、これまで二千年もの間、世界中で主イエスを信じる熱心な方々が一生懸命に研究を重ねてきて、それでも結論に達していない問題について、自分が解決を持ち合わせているなどとは思わない方が良いという慎重さや謙虚さも大切ではないかと思うのです。

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尋問者たちとの対話
マルコ福音書12章18~44節

1.序論

みなさま、おはようございます。前回はわずか5節ながら、ユダヤの地を支配する世界帝国であるローマとの向き合い方という、大変重要なテーマについて学びました。それに対して本日の説教では、四つのテーマが次々と語られます。それらはいずれも大切なもので、一回一回説教の題材として取り上げてもよいほどですが、しかしマルコ福音書では物事は早いスピードで進行しているので、その緊迫感を伝える意味でも今日はまとめてお話ししたいと思います。

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神と皇帝
マルコ福音書12章13~17節

1.序論

みなさま、おはようございます。先週は幸いなイースター礼拝を献げることができて感謝でした。今日は再びマルコ福音書からお話しさせていただきます。今日の聖書箇所はわずか5節です。前回のマルコからの説教は24節でしたので、えらく短いとお感じになられたかもしれません。しかし、今日の箇所は極めて重要な箇所で、丁寧な説明を必要とします。また、聖書を研究する人々の間でも解釈が割れる難しい箇所でもあります。ですから今日はじっくりとこの5節についてお話ししたいと思います。

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