王と預言者
エレミヤ書38章14~28節

1.導入

みなさま、こんにちは。9月に入りました。エレミヤ書からのメッセージも、今日を含めて三回になります。さて、ここ一週間は安倍総理大臣の突然の辞意表明を受けて、次のリーダーは誰か、どう決めるのかについて世間の注目が集まっています。リーダーの資質は国の行方を左右するので、このことは大変重要なことです。特に国が危急存亡のときには、リーダーの決断一つで国の運命が決まってしまいます。私たち日本も、問題が山積している状態にあるので、本当にふさわしい人がリーダーになることを願わずにはおれません。

さて、今日はエレミヤの仕えた最後の王、そして実にユダ王国の最後の王となったゼデキヤの決断、いや決断というより彼の優柔不断について見てまいります。南ユダ王国はまさに危急存亡の際にいました。今や世界の覇者となったバビロンに攻め込まれ、18か月もの間首都エルサレムはバビロン軍に包囲されていました。エジプトから援軍が来たためにバビロンの包囲は一時的に解かれましたが、バビロンの王ネブカデレザルはエルサレム攻略をもちろん諦めてはいません。いつまたバビロンが攻めてくるか分からない、そういう状況にユダ王国は置かれていたのです。このバビロンの包囲が解かれた、つかの間の時間、この時が一国のリーダーたるゼデキヤ王に残された最後の時、決断をするための最後の機会でした。この時どう決断するかで、彼自身とその王国の命運が決まるのです。この時ゼデキヤ王は預言者エレミヤに助言を求めました。その顛末を今日は学んでいきます。

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エレミヤの祈り
エレミヤ書32章16~44節

1.導入

みなさま、おはようございます。さて、エレミヤの預言者としての人生も、いよいよ終盤に差し掛かってきました。前回は、ユダ王国の人々が奴隷解放の誓いを撤回したために、滅亡が避けられないものとなったというお話をしました。今日の箇所は、その滅亡の先にある希望についてです。

ではいつものように、これまでの経緯を振り返ってみたいと思います。ユダ王国最後の王であるゼデキヤは、北の超大国バビロンの後ろ盾でユダ王国の王となることができました。しかし、ゼデキヤは南の超大国エジプトとひそかに同盟を結ぶことで、バビロンの支配を脱しようとしました。このユダ王国の動きを知ったバビロンの王ネブカデレザルは自分の子飼いの王の背信に怒り、大軍をもってユダ王国に攻めてきました。バビロンは、南ユダ王国の主要都市をすべて滅ぼし、最後にエルサレムを包囲しました。いわゆる籠城攻めです。しかも、18か月間、1年半もの間包囲網を敷きました。ユダ王国は窮地に追い込まれ、神の憐みを乞うために今まで一度も守ったことのない神の戒め、つまり奴隷解放の戒めを実施します。しかし、ここで事態が急変します。南の大国エジプトがとうとう動き出し、エルサレム救出のために援軍を送ったという報が届きました。バビロンも強国エジプトからの軍を警戒し、いったんエルサレムの包囲網を解きます。すると、脅威が去ったと喜んだエルサレムの人々は奴隷解放の宣言を撤回し、解放奴隷を再び奴隷にしました。この恥ずべき行動は神の激しい怒りを引き起こし、神はバビロンを再び連れ戻してエルサレムを滅ぼすことをエレミヤに伝えました。これが前回までの話です。

つまり、今回の聖書箇所はエルサレムが一時的にバビロンの包囲から解かれ、人々がつかの間の平和、安堵感を味わっているという状況で起きた出来事でした。では、今日の箇所を詳しく見ていきましょう。

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偽りの解放
エレミヤ書34章8~22節

1.導入

みなさま、おはようございます。早いもので、エレミヤ書からの説教は今日で13回目になります。実は、エレミヤ書の連続説教を始める時、12回ぐらいを考えていると申し上げましたが、今日でそれを超えてしまったことになります。エレミヤ書の説教も後半にはなっていますが、もうしばらくエレミヤ書からのメッセージに耳を傾け続けたいと思っております。何度かお話ししましたが、エレミヤはユダ王国の5人の王の時代にまたがって預言者としての活動を続けました。5人というのは大変多いのですが、その5人目はユダ王国最後の王となるゼデキヤでした。今日を含めてこれから数回は、ゼデキヤとユダ王国がなぜ滅んでしまったのかを見ていきます。

さて、ゼデキヤは大国バビロンによって王にされた人物で、したがって当時のユダ王国はバビロンの属国でした。神の民であるユダ王国が異教徒のバビロニア帝国に服従すること自体が神のイスラエルに対する裁きだったのですが、ユダ王国はバビロンの属国として生き延びることが可能でした。エレミヤも、ゼデキヤ王に対しバビロンに仕えて生き延びなさい、バビロンに謀反を起こしてはならない、という助言を繰り返していました。ゼデキヤも、近隣諸国からの反バビロン連合への誘いに加わらないなど、当初は慎重な姿勢を示していましたが、しかしついに破滅への道、バビロンへの反逆の道を選んでしまうことになります。その原因は南の大国エジプトでした。ユダ王国は、いつも北の大国と南の大国との間を揺れ動いていました。アッシリアなどの北の大国に従ったり、あるいは南の大国エジプトについたり、ということを繰り返してきたのです。ゼデキヤがバビロンに謀反を起こそうという気になったのも、エジプトが後ろ盾になろうという働きかけを強めてきたからでした。エジプトは一度はバビロンに敗れたものの、勢いを盛り返してバビロンからパレスチナを奪い返そうとしていました。その動きに連動するように、ゼデキヤもバビロンに反旗を翻したのです。それがユダ王国の滅亡へとつながっていくのですが、その過程では様々なドラマがありました。今日はその中でも、一つの重要な出来事について考えてまいります。

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アカンの罪
ヨシュア記7:19-26
森田俊隆

* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日はヨシュア記のなかの物語の一つである「アカンの罪」からメッセージを得ます。このお話は、簡単に言えば、エリコにおける戦勝で奪ったものは、神に捧げるものとしなければならないのに、アカンという家族の長が自分のものとしました。その結果、アイの町との戦いに敗れたということです。そして犯人を見つけ、犯人の家族を石打ちの刑に処して罪を償わせた、ということです。そのあと8章でアイを攻めて勝利を売ることができました。また、新約聖書の使徒行伝4:32-5:11のアナニアとサッピラの話で、家を売って得たお金の一部を手元に置き、残りのみを教会に捧げるということをしたのに対し、神の怒りにより夫婦が死ぬ、という話がでてきます。これは、すべてを神に捧げたはずなのに、一部を自分のものとしたのは神のものを盗んだに等しい、ということから、このような罰が下されることとなった、というものです。「アカンの罪」も主なる神のものとされた聖絶のものを一部自分のものとしたことによって神の怒りを引き起こしイスラエルは、彼の家族全員を石打ちの刑と、焼き尽くすことにより償った、ということです。主なる神のものをちょろまかすのは旧約・新約通して大罪であり死を免れない、ということの話として伝えられてきました。しかし、今日は少々別の角度からこの物語を理解していきたい、と思います。

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ハナヌヤ
エレミヤ書28章1~17節

1.導入

みなさま、おはようございます。私たちの教会では、これまで旧約聖書の学びを熱心に続けています。この主日礼拝ではエレミヤ書、親子礼拝では創世記、祈祷会ではサムエル書を読み、森田役員のメッセージも旧約聖書からの講解です。私は以前奉仕していた教会でも、旧約ばかりを取り上げるので、「先生のご専門は旧約ですか?」と尋ねられることがよくありました。でも、私は新約学者の端くれでして、論文を書いたのはパウロについて、神学校でも新約学を教えています。ですから正直を申しますと、説教も新約聖書からの方がずっと準備しやすいのです。それでも、教会での説教で旧約聖書を大変重視しているのは、旧約聖書こそが新約聖書の土台だからです。家を建てる時は、まずしっかりとした土台を据えることが肝要です。土台もしっかりしないのに、いくら見栄えの良い上物を立てても、その家は固く立つことはないでしょう。新約聖書も同じことです。旧約聖書をよく知らずに、新約聖書ばかり読んでも、その内容を半分も理解できないでしょう。主イエス・キリストの宣教についても、旧約をよく知らずには十分には理解できないのです。理解できないどころか、それを誤解したり、曲解したりする恐れすらあります。なぜなら、旧約聖書という土台の代わりに、自分勝手な土台を据えてしまう恐れがあるからです。

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反バビロン連合
エレミヤ書27章2~22節

1.導入

みなさま、おはようございます。前回、今回と説教のタイトルに「バビロン」という名前が登場します。エレミヤにとっても、当時の南ユダ王国にとっても、バビロンというのは非常に大きな存在でした。私たち日本について考える場合にも、アメリカ、あるいは中国という大国の存在抜きに政治や経済、あるいは文化を考えるのは不可能なわけですが、南ユダ王国にとっても、北の大国バビロンは目の上のたん瘤、常にその存在を意識しないわけにはいかない存在でした。

しかもこのバビロン、あっという間に勢力を拡大した新興勢力でした。いわゆる成り上がり国家でした。バビロンはずっと北の大国アッシリアの植民地で、アッシリアから独立したのはエレミヤが預言者としての召命を受けた2年後のことでした。ですからエレミヤが預言者として活躍を始めたときには、バビロニア帝国は存在すらしていなかったのです。それが、またたく間にその力を拡大し、宗主国であったアッシリアの首都ニネベを攻め滅ぼすまでになります。わずか20年ほどで、メソポタミア地方の盟主にのし上がったのです。

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第一次バビロン捕囚
エレミヤ書24章1~10節

1.導入

みなさま、おはようございます。早いもので、エレミヤ書からのメッセージも今日で10回目になります。今後もあと2か月ほどは、エレミヤ書からメッセージをさせていただきますが、その際にお願いしたいのは、今日お手元にお配りした「補助レジュメⅡ」を、ぜひ毎週お持ちいただきたいということです。何度も言いますが、エレミヤ書の記述は年代順に並んでいません。エレミヤ書を読んでいると、時々迷路をさまよっているような気持になります。迷路を進んでいると、一度通ったはずの道にまた戻ってしまうということがありますが、エレミヤ書の場合でも、ある歴史上の出来事について読んだ後に、何章も読み進んでからまた戻ってきてしまうというようなことがあるのです。ですからエレミヤ書を読むうえでは、迷子にならないように、今自分がどこを歩いているのか、どの時代の出来事を読んでいるのかを確認していく必要があります。今日お渡ししたレジュメは、その意味でお役に立つことと思います。

私の今後の説教は、基本的にはこのレジュメの歴史の流れに沿ってお話ししますので、まずこのレジュメについて簡単にご説明したいと思います。先日お配りしたレジュメのⅠでは、エレミヤの40年間の預言者としての歩みをまとめましたが、今回はエレミヤの後半生、特にヨシヤ王が死んだ後のエレミヤの歩みをより詳しく書きました。ここには、ユダ王国16代の王ヨシヤの跡を継いだ4人の王の名が記されています。ヨシヤ王の三人の息子が17代、18代、そして20代目のユダ王国の王に次々と就任しました。19代目の王は、ヨシヤ王の孫、そして18代の王エホヤキムの息子でした。しかし、17代と19代の王は短命でそれぞれ3か月だけの王様でした。17代の王エホアハズは三か月後にエジプトに捕虜として連れていかれ、19代の王エホヤキンは三か月後にバビロンに連行されました。このたった三か月間だけ南ユダの19代目の王だったエホヤキンとその家来たちがバビロンに連行された出来事を「第一次バビロン捕囚」と呼びます。そして、その第一次バビロン捕囚が今日の説教のテーマになります。

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遊女ラハブ
ヨシュア記2:1-7
森田俊隆

本日はヨシュア記です。ヨシュア記はモーセの死後、ヨシュアに率いられ、カナンの地に侵入するイスラエルの民の物語です。クリスチャンにとって重要な問題を孕んでいる書物です。重要な問題と言うのは「戦争」と「聖絶」の問題です。ヨシュア記では神が戦争の先頭に立ち、また、戦いの勝利のあと、すべての命を完全に絶つこと、即ち「聖絶」を要求している、問題です。この社会倫理に関する根本問題は私自身、今一つ納得できる解釈を持っていませんが、その問題は、別の機会に譲ることとして、本日はイスラエルの民が最初に占領する町エリコにまつわる一つの話からです。

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偽りの預言
エレミヤ書23章23~32節

1.導入

みなさま、おはようございます。ここ数回の説教は、エレミヤ書の歴史的背景についてかなり詳しくお話しました。エレミヤが活躍した時代の状況や背景が皆さんもだんだんと掴めてきたことと思います。今日は歴史というよりも、聖書全体を通じての重要な神学的テーマである「預言」について、またその対極にある「偽りの預言」、「偽預言者」について、エレミヤ書から学んでまいりたいと思います。まず、預かる言葉と書く「預言」という文字そのものについて確認したいのですが、これは予め語ると書く「予言」、未来予告のことではないということです。「今から3年後に大戦争が起きる」ですとか、「今から1年以内に大地震が起きる」と語って、それが起きなかったらその人の予言は信用されなくなるでしょうが、だからといってその人が聖書のいう「偽預言者」かというと、直ちにそうはならないのです。つまり、聖書の言う偽預言者とは、未来の出来事を予告してそれが外れた人のことではないのです。

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書記バルク
エレミヤ書36章20~32節

1.導入

みなさま、おはようございます。エレミヤ書からの説教は8回目になりますが、前回からエレミヤの預言者としての後半生を学んでいます。今日は、このエレミヤの後期の活動を支えてくれた人物、彼の「相棒」とも呼ぶべき人物についてお話ししたいと思います。みなさんは、「相棒」というと、どんな人物を思いだすでしょうか?私はイギリスの推理小説、シャーロック・ホームズに登場するドクター・ワトソンを思い浮かべます。ホームズは架空の人物とはいえ、イギリス人のユニークさを体現したような非常に興味深い人物です。しかしこのホームズの大活躍も、彼の相棒にして伝記作家であるワトソン博士の働きなくしては私たちに伝わることはなかったでしょう。そしてホームズにとってのワトソンこそ、エレミヤにとってのバルクでした。エレミヤはホームズと違って歴史上の人物ですが、エレミヤは自伝を書き残したり、自分の預言を集めて預言集にしたりすることはありませんでした。エレミヤの預言者としての驚くべき働きが今日の私たちに伝えられているのも、この書記バルクの働きのお陰なのです。

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