1.導入
みなさま、おはようございます。先週は召天者記念礼拝でしたが、先週読んだ第二コリントの聖書箇所も、人間の生死の問題を考えさせられる、非常に大切な箇所でした。今日はその箇所の続きになっています。先週の箇所も、今日のところも、パウロは人間を肉体と霊から成る存在として語っています。人間は肉体だけでできているのではない、ということです。これは、今の世の中の一般的な考え方とは異なっています。現代人の多くは、人間は死んだらそれで終わりだと考えます。つまり、肉体に死が訪れると、その人は消滅し、後には何も残らないのだ、ということです。このような見方は唯物論の影響を強く受けています。私たちが心とか精神とか呼ぶものは、物質、つまり脳細胞が生み出したものにすぎないので、脳の活動が停止すれば心や意識、精神といったものも消えてなくなると考えるのです。たしかに精神や心は目では見えないし、実験で観察できるものでもありません。唯物論に立てば、心とか意識は物質が生み出したかりそめのものなのだということになります。しかし、キリスト教や他の宗教、そして一部の科学者でさえ、脳の活動が停止しても、人間の意識、より正確には「霊」は存続すると信じています。20世紀になって盛んに研究されるようになった、いわゆる臨死体験の豊富なデータからも、このことは裏付けられると思います。
“いつも心強く第二コリント5章1~10節” の続きを読む