1.導入
みなさま、おはようございます。いよいよ12月に入り、クリスマスが待ち遠しくなってまいりました。この前、道を歩いていると子どもたちが「早くクリスマスにならないかな」と話しているのが耳に入りました。どうも、プレゼントを楽しみにしている様子でした。多くの子どもたちにとって、また私自身の子ども時代を振り返ってみてもそうなのですが、クリスマスは「サンタクロース」の日だと思われているのでしょう。クリスマスに子どもたちにプレゼントを配って歩くという不思議な老人はサンタクロースと呼ばれていますが、この名前は聖ニコラウスという教会教父の名前に由来すると言われています。サンタ・マリアとは聖母マリアのことであるように、「サンタ」とはラテン系の言語では「聖」という意味です。聖ニコラウスはサンタ・ニコラウスで、それが「サンタニコラース」、「サンタクロース」となったのです。この聖ニコラウスは古代教会の教会教父の一人です。教父とはもちろん恐ろしい方の「恐怖」ではなく、教える父と書く「教父」です。私たちプロテスタント教会では牧師や教師を「父」と呼ぶことはありませんが、古代教会では教師たちは「父」と呼ばれていました。今日でもローマ教皇は「パパ様」と呼ばれますし、カトリックの神父も「ファーザー・ウイリアム」などと、父と呼ばれます。カトリックの聖職者はみな独身なので子供はいないわけですが、信徒たちにとって神父は「父」のような存在だということです。そして今日の聖書箇所でも、パウロはコリント教会の人たちに対し、自分はあなたがたの父なのだ、と訴えかけています。ですから、今日の箇所はそのような親子の関係を念頭に置いて読む箇所なのです。
“私にならう者となってください第一コリント4章6~21節” の続きを読む