* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。
今日のお話は、聖書の詩編からです。詩編は全部で150編あり、一巻、二巻、三巻に分かれていますが、内容的にはこの三つに整然と分類されている訳ではありません。このなかで、「ダビデの詩(うた)」としてイスラエル第二代の王ダビデがうたったものとされているものが多くを占めています。しかし、これらの詩編は、イスラエル信仰の基本を示したもの、と理解すべき文書であり、「ダビデの詩」としての理解に執着する必要性は全くありません。むしろ、作者ダビデに執着すると、ダビデが置かれていた歴史的状況の範囲での解釈に落ちる可能性あり、詩編の持つ意義を狭めてしまうことになりかねません。サウル王からの逃避行という初期ダビデが置かれていた困難な状況における詩という意味は心にとめるべきですが、その後のイスラエルの民、およびユダヤの民が経験した歴史上の困難は筆舌に尽くしがたいものであり、その歴史の下にこれら詩編を置いてみる方がイスラエル信仰の基本・根本が見えてきます。本日取り上げる、詩編第16編をはじめとする「ダビデのミクタム」もそのような詩です。私たち、新しきイスラエルも当然、このイスラエル信仰の基本・根本に忠実である者です。
“ダビデのミクタム詩篇16:1-11
森田俊隆” の続きを読む