1.導入
みなさま、おはようございます。11月に入りました。今日の主日は多くのプロテスタント教会では召天者記念礼拝が行われていますが、当教会では次週に行いますので、今日は通常の聖餐礼拝とさせていただきます。さて、コリント書簡からの説教は今日で四回目になりますが、今日の箇所は、先週の説教箇所の続きですので、少しこれまでの流れを振り返ってみましょう。コリントの教会には大きな問題が生じていましたが、その問題とは、分派争いでした。コリントの人たちは「パウロ派」「アポロ派」「ペテロ派」などの派閥を作って、互いに競っていました。彼らの関心の一つは、優れた「知恵」を得ることでした。ギリシャ文明において知恵は非常に高く評価されました。そこでコリントの人たちは、パウロやアポロ、あるいはペテロの中で誰が知恵において優れているのか、ということをとても気にしていました。できれば一番「知恵」の優れたリーダーに付きたい、そうすれば自分も知恵において優れた存在になれると、そう考えたわけです。そういうわけで、先週の聖書箇所にも「知恵」という言葉が何度か登場しましたが、今日の聖書箇所ではまさに「知恵」が中心的なテーマとなっています。パウロは今日の箇所で、ソフィア、これはギリシャ語の知恵という意味ですが、それは一体何であるのかを論じています。パウロは先に、「ギリシャ人たちは知恵を求める」と書いていますが、コリントで主を信じるようになったギリシャ人のクリスチャンたちは、クリスチャンになる前も、またクリスチャンになってからも、相変わらず知恵を求めていました。当時のギリシャでは、高い知恵を獲得することで、この人は優れた人だ、と社会的に尊敬されたからです。コリントの教会の人たちの中には、キリスト教の先生にも、他のギリシャの哲学の先生のように自分たちに優れた知恵を教えてくれることを期待していました。
“世の知恵と神の知恵第一コリント2章3~16節” の続きを読む