私にならう者となってください
第一コリント4章6~21節

1.導入

みなさま、おはようございます。いよいよ12月に入り、クリスマスが待ち遠しくなってまいりました。この前、道を歩いていると子どもたちが「早くクリスマスにならないかな」と話しているのが耳に入りました。どうも、プレゼントを楽しみにしている様子でした。多くの子どもたちにとって、また私自身の子ども時代を振り返ってみてもそうなのですが、クリスマスは「サンタクロース」の日だと思われているのでしょう。クリスマスに子どもたちにプレゼントを配って歩くという不思議な老人はサンタクロースと呼ばれていますが、この名前は聖ニコラウスという教会教父の名前に由来すると言われています。サンタ・マリアとは聖母マリアのことであるように、「サンタ」とはラテン系の言語では「聖」という意味です。聖ニコラウスはサンタ・ニコラウスで、それが「サンタニコラース」、「サンタクロース」となったのです。この聖ニコラウスは古代教会の教会教父の一人です。教父とはもちろん恐ろしい方の「恐怖」ではなく、教える父と書く「教父」です。私たちプロテスタント教会では牧師や教師を「父」と呼ぶことはありませんが、古代教会では教師たちは「父」と呼ばれていました。今日でもローマ教皇は「パパ様」と呼ばれますし、カトリックの神父も「ファーザー・ウイリアム」などと、父と呼ばれます。カトリックの聖職者はみな独身なので子供はいないわけですが、信徒たちにとって神父は「父」のような存在だということです。そして今日の聖書箇所でも、パウロはコリント教会の人たちに対し、自分はあなたがたの父なのだ、と訴えかけています。ですから、今日の箇所はそのような親子の関係を念頭に置いて読む箇所なのです。

子どもは親の背中を見て育つと言われますが、子どもが常に親の生き方を真似して、親のように生きようとするわけではありません。かえって親に反発して、親とは正反対の生き方をしようとする場合があります。特に、子どもから見て親がかっこいいとは思えない、むしろ惨めで情けない存在に思える時には、子どもは親に反発し、「あんな風にはなりたくない」と思うのです。一例を挙げれば、近代心理学の祖と呼ばれるフロイトは、ユダヤ人だった父がキリスト教徒たちに侮辱されても黙って耐えているのを見て怒りを覚え、自分はああはなるまいと決意したと言われます。しかし彼自身も大人になるとユダヤ人への差別を様々な場面で経験します。ユダヤ人であるがゆえに教授になれず、アカデミックの世界の門を閉ざされ、そこで全く新しい分野としての精神分析学を切り開いたと言われています。

パウロとコリントの信徒たちとの関係にも、難しい面がありました。パウロが父、コリントの信徒たちが子どもだとするならば、コリントの信徒たちから見てパウロはお世辞にもかっこいい父親ではありませんでした。当時のギリシャ人の感覚から言えば、パウロはダサい父親だったのです。パウロがどんな容貌だったのか、詳しいことは分かりませんが、どうも小柄で風采の上がらない人物だったようです。彼の説教や演説は迫力不足でしたし、また人々を魅了する巧みな話術を駆使することもありませんでした。知恵を求めるコリントの人々にとって、パウロは父としては魅力的には映らなかったのです。また、パウロは持病を抱えていて、しばしば苦痛の中で必死に仕事をしていました。コリントの人たちからすれば、パウロは神のしもべなのだから神に病を癒してもらえばいいではないか、彼の病が癒えないのは、彼が実は何か大きな罪を隠し持っているのではないか、とあらぬ疑いをかける人すらいたのです。苦しみに遭い続ける神の人ヨブに対し、「あなたは神に対して隠れた罪があるのではないか」と問い詰めた友人がいましたが、パウロに対しても同じようなことを考える人がいたのです。このように、パウロとコリント教会の信徒たちとの親子関係はそんなに良好なものではありませんでした。今日の箇所からは、このような残念な状況に対するパウロの生々しい叫びが聞こえてくるようです。

パウロを小馬鹿にしていたコリントの信徒たちに対し、パウロはそれでも「私にならう者となってください」と訴えます。あなたがたは私を父とは認めないかもしれないが、しかし事実私はあなたがたの父なのだ、どうか私を見倣って、私のように生きてください、とコリントの人々に懇願しているのです。これはなかなか言えることではありません。私たちクリスチャンはしばしば、「私を見ないで、キリストを見てください」というようなことを言います。自分は普通の弱さや醜さを持った人間であり、自分がキリストの香りを放っているなどとはとても思えない、でも自分の生き方を見て人がキリスト教につまずいてしまうのは困ってしまう、だから私ではなくキリストを見てください、ということを言ってしまうのです。しかし、キリストを見ろといわれても、今の時代にイエス様が生きているわけではないので、人々はキリスト教とはどんなものかを知ろうとするならば、キリスト教徒である私たちの生き方を見るのです。ですから、「私を見ないで、キリストを見てください」というのは、厳しい言い方をするならば無責任な言い方と言わざるを得ないのです。私たちは自分がキリスト教徒であるということの責任を引き受けて歩まなければならないのです。周りからそのように見られるのを受け止めなければならないのです。そして、使徒パウロはまさにそのように歩んだ人でした。パウロはこの第一コリント11章1節でも「私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください」と書いています。パウロが自分のことを見ならうようにと勧めるのは、彼自身がキリストに見ならっているからなのです。ですから、キリストを見たいならば、私を見なさい、と言っているのです。このように言うことは大変勇気がいることですが、同時にそうでなければならない、とも思わされます。

たしかに人は、口先だけで行動が伴わない人が語る言葉には耳を傾けません。特に耳の痛いことを注意されても、その注意した本人が同じことをしていたり、あるいは普段から、だらしのない人であれば、その忠告はかえって逆効果になってしまうことがあります。先ほどの古代教会の教父たちについても、彼らの教えが彼らの生き方の中で実践されていない場合には、彼らは決して「父」と呼ばれて尊敬されることはなかったと言われています。イエス様も

なぜあなたは、兄弟の目のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。

と、注意をする人はまず我が身をしっかりとただすべきことを教えておられます。パウロはこの手紙の中でコリントの人たちに対して大変厳しいことを書いていますが、それがコリントの人たちに受け入れたのも、彼が素晴らしい神学者であり胸を打つ言葉を残しただけではなく、彼の生き方そのものが人々に大きな印象を与えたからでした。パウロはその生き方を通じてキリストの生きざま、キリストの香りを運んだのです。そのことを覚えつつ、今日のみ言葉を読んで参りたいと思います。

2.本文

さて、今日の6節から7節では、先週の説教箇所の続きの内容が語られています。パウロはコリントの人たちの高慢さを戒めています。前回もお話ししたように、当時のギリシャ・ローマ世界では知恵を持った人々が大いに尊敬されていました。「すべてのものは知恵ある者のものだ」ということわざがあったほどです。そしてコリント教会の人々は、だれが一番賢いのかと互いに競い合い、争っていたのです。そして自分たちのリーダー、パウロやアポロのことを採点し、だれが一番賢いのかと、そんなことまで論じあっていました。今の日本では、誰が一番賢いのかと競い合うことはないかもしれませんが、しかし他方では日本は学歴社会でもあり、少しでも高い学歴、少しでも名の通った学校にと、皆が競い合う社会でもあります。コリントの信徒たちも同じように、自分が少しでも知恵において他の人たちを上回りたいと願い、そして上回った場合にはそれを誇っていたのでした。コリント教会の人々はギリシャ人でしたから、当時のギリシャ・ローマ世界の文化の強い影響を受けていました。当時のストア派や犬儒派と呼ばれる哲学を奉じる人々は、「知恵ある者は王様だ」、というような格言を残しています。それに影響されたコリントの人々は、キリストの知恵を持っている自分たちも王様なのだ、と誇っていたのでしょう。

パウロはそんな奢れる彼らに対し、「書かれていることを超えない」ようにしなさい、私たちもそうしているようにあなたがたもそうすべきです、と教えます。書かれていること、とは聖書の言葉、特に旧約聖書の言葉のことです。パウロはこの手紙で、既に六つの旧約聖書からの引用をしていますが、例えば1章31節では「誇る者は主を誇れ」というみことばを引用しています。これはエレミヤ書9章22節からの引用です。エレミヤ書は今年の前半に学んできましたが、久しぶりに開いてみましょう。

主はこう仰せられる。
「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。
つわものは自分の強さを誇るな。
富む者は自分の富を誇るな。
誇る者は、ただ、これを誇れ。
悟りを得て、わたしを知っていることを。

つまり、主を知ること、それこそが人間の誇りなのです。箴言1章7節にも「主を恐れることは知識の初め」とありますが、主を知り、主を畏れること、これこそが人間の知恵であり誇りなのです。先にも言いましたように、パウロはここまで六つの旧約聖書を引用していますが、それらに共通するテーマとは、人間の知恵は神の前では愚かであること、そして本当の知恵は神にのみあるということでした。コリントの人々は「書かれていること」、つまりこのような旧約聖書の教えに聞き、それに従うことを学ぶべきでした。しかし彼らは主ではなく、自分自身を誇ってしまいました。互いに知恵や力を競い合い、そしてより強いもの、より知恵のあるもの、そうした人々をほめたたえるというのでは、世の中の人々と何ら変わりはありませんでした。しかし、パウロが示そうとした生き方とはそういうものではなく、キリストの生き方、十字架を背負う生き方、人に仕える生き方でした。パウロたちはその生き方を身をもって実践したのに対し、コリントの人たちはその反対でした。それでパウロは10節でこう言います。

私たちは弱いが、あなたがたは強いのです。あなたがたは栄誉を持っているが、私たちは卑しめられています。

これはパウロのコリントの人々に対する痛烈な皮肉なのですが、このようなことを書いたのは、コリントの人々に猛省を促すためでした。パウロは8節から9節にかけて、もっとものすごいことを書いています。コリントはローマ帝国の植民都市なので、そこにはローマの退役軍人がたくさんいました。ですからコリントの人たちはパウロが何を言おうとしているのか、すぐに理解したことでしょう。

当時のローマは地中海のあらゆるところで戦争をし、向かうところ敵なしでした。戦争で勝利したローマの将軍は、戦争が終わると帝都ローマに凱旋し、そこでローマの元老院やお歴々の前で勝利のパレードをします。そのパレードの一番最後には、征服された敗軍の将が見世物として引き出され、公衆の面前で辱めを受けながら歩かされ、彼らはパレードが終わるとローマの神々へのいけにえとして殺されたのでした。パウロは自分たち宣教師たちが、このパレードの最後に歩かされて見世物にされている敗軍の将のようだ、と語っているのです。6節で、「神は私たち使徒を、死罪に決まった者のように、行列のしんがりとして引き出されました」と書いてあるのはこういう意味です。ではコリントの信徒たちはといえば、あなたがたはその凱旋パレードを高みの見物と決め込んでいるローマのお歴々、王様たちだと言っているのです。パウロは彼らについて、「あなたがたは、もう満ち足りています。私たち抜きで、王さまになっています」と書いています。パウロはさらに辛らつに、あなたがたが本当に王様だったらよかったのに、そうすれば私たちも敗軍の将という惨めな立場から解放してもらえたのに、と付け加えます。

実際、パウロたちの伝道活動の姿は見世物にされる敗軍の将のようでした。世界の王、イエスの使者という栄光ある身分にしてはあまりにも情けない、苦しみの人生を送っていました。

今に至るまで、私たちは飢え、渇き、着る物もなく、虐待され、落ち着く先もありません。また、私たちは苦労して自分の手で働いています。はずかしめられるときにも祝福し、迫害されるときにも耐え忍び、ののしられるときには、慰めのことばをかけます。

パウロは行く先々でひどい扱いを受けたのですが、驚くべきことに、自分を侮辱する人々を祝福したというのです。このようなことは、当時のギリシャ・ローマの人たちにはまったく理解できないことでした。名誉を何よりも重んじる社会においては、侮辱を耐え忍ぶことは美徳でも何でもなく、臆病者のしるしだと見なされました。しかし、パウロはこのような生き方を全く恥じていません。なぜなら、この生き方こそ、まさに彼らが宣べ伝える世界の王、イエスの生涯そのものだったからです。イエスこそ、自分を呪う者を祝福した、初めての人、初めての王だったのです。パウロはこのようなイエスの生きざまを、自らのいきざまとして、コリントの人々に示してきました。自分の生き方を通じて、人々にキリスト・イエスを示そうとしたのです。それはおごり高ぶるコリント教会の人たちとは正反対の生き方でした。しかし、パウロはそのことをもちろん彼らに対する当てつけや恨みからではなく、むしろ愛をもって、しかも我が子に対する父の愛をもって書いています。パウロはいいます。

私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためでなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあってあなたがたを生んだのです。

父の親としての仕事とは、子どもにどう生きるべきか、その模範を示すことです。母親は無条件の愛で子どもを愛するのですが、父親の子どもへの愛情表現は、母親の愛と比べると、時にはとても厳しいものになります。人は成長するためには、時には厳しくしつけられることも必要だからです。父親の責任として、子どもに生きる道を示さなければなりません。それは口で言うだけでなく、自分の生き方そのもので道を示さなければならないのです。パウロもそのことをよくわかっていました。そしてパウロが示すべき生き方とは、キリストの歩み、キリストの生き方でした。キリストは確かに王でしたが、それは普通人々が王に対して抱くイメージとは正反対の王、人に仕え、人々のために自らの命さえ差し出す王、そういう王でした。コリントの人たちはこういう生き方にならう者として召されていたのですが、彼らが求めるものは、世の人々が求めるものと何も変らない、世の人が求める栄光でした。パウロはコリントで1年半過ごす間、キリストにある生き方を示したのですが、彼らにはそれが理解できていなかったのです。

そこでパウロは自分の若き同労者テモテをコリントの教会に派遣することを決意します。それはテモテを通じて、彼らにいくつかの教えそこなった重要な教理を教えるためではありませんでした。むしろパウロがテモテに期待したのは、テモテの生き方そのものを示すことでした。パウロは自分の右腕、片腕であるテモテに、父として自分の生き方を身をもって示し、教え込んでいました。ですからコリントの人々はテモテの生き方を見ることで、パウロの生きざまをも思い起こすことが出来ると考えたのです。そしてパウロの生きざまとはすなわちイエスの生きざまでした。ですからパウロは、「キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう」と書いています。

さて、パウロはここまでの議論の締めくくりとして、非常に厳しい言葉を残しています。パウロのこれまでの真剣で心のこもった忠告にもかかわらず、コリントの人々が内紛に明け暮れて、互いに謙遜になることなく競い合うのであれば、パウロは厳しい態度で彼らに接する、といいます。「私があなたがたのところへ行くことはあるまいと、思いあがっている人たちがいます」とパウロは書いています。パウロはこの時エペソにいましたが、エペソでの伝道に忙しいパウロは帰ってくることはあるまい、若いテモテなど適当にあしらっておけば十分だ、と考えている人がいるのをパウロは見抜いていました。しかし、パウロは必要があればすぐにでもあなたがたのところに帰るぞ、と警告しています。

しかし、主のみこころであれば、すぐにでもあなたがたのところへ行きます。そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力を見せてもらいましょう。

と書いています。パウロはただひたすら優しいパパではありません。責任のある父親なのです。子どもが道を外れ、忠告を聞かない場合には力をもって厳しく臨む、と警告しているのです。ここでパウロは「神の王国はことばにはなく、力にあるのです」と語ります。福音書には「神の王国」という言葉が100回も登場しますが、パウロの手紙にこの言葉が登場するのはまれです。しかし、少ないながらもとても大事な場面で使われます。ここでパウロが「神の王国はことばにはない」の「ことば」とは、もちろん神の言葉を指して言っているのではなく、コリントの人たちのおしゃべり、自分の知恵を誇示しようとする彼らのおしゃべりのことを指しています。神の王国とは神の支配であり、それは無駄話を黙らせるような力を持ったものなのです。パウロは最後にこう結んでいます。

あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところにむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。

ここでパウロが言っているのは、暴力か愛か、どちらかを選べ、という意味ではありません。むしろパウロが言わんとしているのは、あなたがたは私の父としての愛をどのように体験したいですか?愛のむちを通じてですか、あるいは父のやさしさを通じてですか?それを決めるのはあなた方次第ですよ、ということです。そして、これはさらに強い警告すら含んでいます。先にパウロは「だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます」とも書いています。空しいこの世の知恵を誇って教会に分裂をもたらす者には、神は力をもって臨むだろうということを、パウロは警告しているのです。

3.結論

まとめですが、今日の箇所からは多くのことを学びました。まずパウロの率直さに驚かされます。ローマ帝国の凱旋パレードのしんがりに連れ出された死刑囚に自分たちをなぞらえるというショッキングなことをパウロは書いていますが、パウロはコリントの人たち、自分の子どもたちの心ない仕打ちに心底傷ついていることを率直に述べています。それと同時に、パウロは彼らにとても大事なことを教えています。クリスチャンの生き方とは、かっこいいもの、栄光に満ちたもの、世の人々が憧れるようなものではない、ということです。むしろパウロの生きざま、そしてそのパウロが見倣ってる、いばらの冠を被った王の生き方が示すように、それは苦難に満ちたものなのです。なぜなら悪い世で正しく生きようとすること、悪意に対してですら善意をもって応えるような生き方をするのが楽であるはずがないからです。それでも、イエスに従う者たちは、自分たちの十字架を背負って、イエスのように歩むように召されているのです。それは、この世の栄光を求めるコリントの信徒たちには聞きたくないこと、避けて通りたいことだったかもしれません。それは私たちにも言えることかもしれません。

しかし、それでも私たちはイエスの生き方に倣うようにと召されているのです。それは自分のことばかりでなく、他人を思いやり、人の重荷を共に担っていく姿勢、これが十字架の道であり、真の知恵ある生き方です。私たちはそのように召されているのです。同時に、そのような生き方を拒むキリスト者には神の裁きがあることをもパウロは警告しています。こうした警告は耳の痛いものですが、だからと言って耳をふさいではならないのです。こうした様々なチャレンジを胸に、今週も主を待ち望むアドベントの期間を歩んでまいりましょう。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。私たちはいまアドベントの季節を歩んでいますが、今日再びパウロから、キリストに倣い、またパウロに倣う生き方をするようにと教えられました。パウロの父としての厳しくも慈愛に満ちた言葉から多くのことを教えられました。そしてイエスはまさにそのパウロに、そして私たちに、どのように生きるべきか、その道を示すためにお生まれになりました。このアドベントの季節、そのことを深く思いながら歩むことができますように。今週の私たちの歩みを強めてください。私たちの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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