士師記;付録
士師記18:27-31; 20:43-48
森田俊隆

* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

本日は士師記の最後で通常「士師記・付録」と称せられている箇所から、メッセージを受け取りたい、と思います。17章から21章までです。「付録」と言われるのは、士師記の一部に似つかわしくないからです。特別、士師と言われる人物が出てくるわけではなく、士師の時代にイスラエルに起きた出来事を二つ記述してあるだけです。一つは12部族の一つ「ダン族」がユダ族とベニヤミン族の間の地から、イスラエルの最北端のフーレ湖(ガリラヤ湖の更に北)の近くに移住するに際し起きた出来事です。偶像礼拝に関する出来事です。二つ目は「ベニヤミン族」に関することです。ベニヤミンにあるギブアの人々が、一人のレビ人のそばめにひどいことをしたことが契機で、イスラエル全体とベニヤミン族の内戦がおこり、ベニヤミン族は絶滅の寸前にまでいく、という話です。不道徳的な事柄が立て続けに起こり、士師記の時代のイスラエルの極めて堕落した社会を赤裸々に記述しています。

ダン族移住物語の最初の方17:6とベニヤミン内乱物語の最後21:25に共通の言葉があります。「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」という言葉です。士師記の著者がこの付録部分を書いた理由が推測できます。士師記の時代はイスラエルの「めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っ」た大混乱の時代であり、イスラエルには部族をまとめる権威ある王が必要である、ということです。いままでの士師に関するお話から推測できるように、例外はありますが、大部分の士師といわれる人物はイスラエルの十二部族をまとめた、などお世辞にも言えない状況であり、おそらく大混乱の時代であったろう、と推測されます。そのなかで、王をもとめる機運が強くなり、士師の時代の次に、サウル王、ダビデ王、ソロモン王の時代になるのです。

士師記著者の意図は王政正当化にあるにしても、我々は同一の見方をする必要はありません。むしろ、この偶像礼拝、不道徳の横行が士師記の時代です。ヨシュアの卓越した指導力によって「主の戦い」聖戦を遂行していった、とされているヨシュア記の時代も現実の歴史は、士師記・付録に示されたような実態であった、と推測すべきです。また、士師記の時代のあとは、サムエルが預言者として登場し、偶像礼拝を排し、ヤハウェ信仰を確立し、民の声に添い、サウル王を、そしてそのあとのダビデ王を任命する、という歴史も、一部の指導層の人々を除いては、やはり、士師記・付録のような状況が続いていた、と考える方が自然です。宗教のありかたは、長い歴史の中でしか変化していかないのですから、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記の申命記史書の時代の現実は民衆の中に根強く生き続けていた、自然神・豊穣神宗教との妥協の歴史である、と言えます。士師記・付録はその歴史の裏側にある、どろどろした、イスラエルの罪の現実をあからさまに記述している貴重な文書です。

私たち、新約の民は、この罪の現実を反面教師として信仰者のあるべき様を見ることができます。また、今のこの世との類似性が示されている聖書個所でもありますから、この世界で私たちがどうすることが求められているのかを考える材料とすることができます。士師記・付録の中に出てくる、あたかも信仰深いかのごとき言葉も真実のところは、信仰の衣を着た偽善の言葉と見るべきです。根本的なところで罪に根ざしているからです。深い悔い改めの心のないところでの信仰深い装いはむしろ欺瞞的で、サタンの罠、であることが多いということです。時に、見定めが非常に難しいこともあります。この士師記・付録の個所からの説教には、この装いをもって道徳訓を述べるようなものもあります。言葉の片りんをとらえて、これが「主の言葉」であるなどと言うべきではありません。むしろ罪の上塗りの罪、というほうが当たっていると思います。

ではこの二つの話の最初の、ダン族の北方移住の物語から見ていきます。17章は18章の前書き的物語です。17:1「エフライムの山地の出で、その名をミカという人がいた。」とあります。エフライムの山地とは後のサマリヤの地です。ミカと言う人物はミカ書のミカとは別人です。ミカは銀1,100枚を母親から盗みました。巨額な金額ですからお金持ちの父親の遺産であったのかもしれません。この銀1,100枚という表現はデリラがサムソンの秘密を聞き出す謝礼としてペリシテ人からもらった額と同じです。母は盗んだ者に対しのろいの叫びをあげました。これは呪術的な匂いののろいです。おそらく地場宗教に伝わっていた怨霊的のろいでしょう。これを知った、ミカは「まずい、このままでは神ののろいが私に向けられる」と思ったようで、母親に盗んだのは自分です、と告白しました。すると母親は「主が私の息子を祝福されますように。」と言いました。これは「のろい」の言葉の効力をなくすため祝福の祈りをしたということです。神に叫んだのろいは取り消すことは認められないので、これと反対の、神よりの祝福を祈り求めた、ということです。心からの悔い改め、主なる神に立ち返ることがなければ、神よりの祝福を願っても、主なる神の受け入れられることにはなりません。ご都合主義で神の力を利用するものです。

このあとがまたよくありません。ミカは銀を母に返しましたが、母はその一部を使って、彫像と鋳像を作りました。これは明白な十戒違反です。「あなたは、自分のために、刻んだ像を造ってはならない」と言われています。この慣習は古今東西の宗教に存在し、現代においても厳然としてあります。女の子のお遊び的なことに目くじら立てることもないのですが、宗教的シンボルとして使われているものには警戒が必要です。キリスト教においても、です。そしてミカは自分の家に宮を持っていて、祭司の着る者や持ちあるく物を作り、息子の一人を祭司にしました。これも大きな罪です。イスラエル信仰における祭儀は基本的に信仰共同体として行うもので、自分勝手に祭壇を設けたりすることは許されていませんでした。また祭司はレビ人に与えられた職務であり、モーセの兄アロンの子孫がこれを継承する、とされていました。士師記の時代はまだ一般の人たちに律法が浸透していたとは思われませんが、ヤハウェ信仰に立とうとするのであればこの程度のことはわきまえていて然るべきです。むしろ地場宗教のやりかたをそのまま継承してヤハウェ信仰と称していたのではないか、と思われます。

ここで17:7「ユダのベツレヘムの出の、ユダの氏族に属するひとりの若者がいた。彼はレビ人で、そこに滞在していた。」とあります。ユダ族でレビ人というのはおかしいです。レビ人はレビ族の人を指しているから、ユダ族でレビ族ということはありえないはずです。おそらくレビ族は祭司織を継承するよう神に命じられた部族ですから、ユダ族のレビ人、というのはユダ族の祭司ということでしょう。このあとに「滞在するところを見つけに」旅をしていた、と言われているところを見ると、当時、下級祭司は家もなく、放浪的生活をしていたと、想像されます。経済的には極貧の状態であったと思われます。民衆から尊ばれるような状態ではなかった、ということです。この祭司がミカの家に来て、ミカから家の祭司となってくれないか、と問われます。このレビ人は祭司就任を受け入れます。ミカはまともな祭司を得ることができて幸せである、と言います。これも祭司を私的に雇用するなど、イスラエル信仰に反します。祭司は神と信仰共同体に仕えるのであって特定の個人に仕える者ではないからです。このように罪の連続なのですが、この世的には信仰深く見られる一家族が成立しました。現代でもありますよね。本人に悪気はないのですが「心」が伴っていない宗教になってしまっています。

ここまでは前段の話です。ここでダン族がでてきます。彼らはユダとベミヤミンの間のところの地を嗣業地として与えられていましたが、その地に対する侵攻がうまくいかず、どこか移るところがないか、思案していました。イスラエルの民は現地で味方になってくれる部族を見つけ、彼らと共同してその地を制圧していきました。単独ではカナン人に勝てる訳はありません。イスラエルに味方してくれた部族はその地でのけ者にされていた人々であろう、と考えられます。その地の宗教的祭儀にも参加させてもらえず、その地のカナン人にとっては、ヤハウェ信仰と言う特異な信仰に帰依することにしたのだと考えられます。おそらく、ダン族は現地でパートナーを見つけることができなかったのでしょう。ダン族の町はツォルアとエシュタルという町で、エルサレムの西でペリシテ人の地にありました。

そして偵察隊を派遣します。北に行く途中、先ほどのミカの家に行って一夜を明かします。そこで例の祭司になったレビ人に会い、自分たちの移住地を探す旅がうまくいくかどうかを神に伺ってもらいます。この神は「主なる神」の神「elohi:m」です。するとその祭司は18:6「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主が認めておられます。」という言葉を得ます。この「主」は「主なる神」の主「ヤハウェ」です。しかし、この言葉は主なる神の言葉を預かったとは考えられません。この祭司は主なる神からの召命がそもそもないところに主の言葉が臨むはずはありません。この祭司のデマカセです。それでもこう言われると安心感を持つのは昔も今も同じです。そしてフーレ湖の近辺のライシュまで行きました。そこはシドン人の町でした。シドンというのはフェニキアの地中海に面した交易都市です。その町は「平穏で安心しきっていた」と言われています。一時隆盛を誇ったフェニキアもいまや影が見える状況になっていたのかもしれません。しかもライシュはシドンの町とは交流をたっており、ここを占領するのは容易なように見えました。そして故郷に戻り、この地を占領することを勧めます。これも大きな罪です。平穏に生活している異民族を占領することなど許されることではありません。主なる神は不要な戦いを勧めているはずはありません。単なる自分勝手を主の名によって正当化しているのです。昔も今もこのような勝手なことが横行しています。

そしてダン族の600人は武具をつけて北上します。ここで先ほどのミカの家に泊まります。前回、ミカの家を訪れた偵察の5人組は仲間をさそって、祭司の着物などの祭儀用具を奪うことをします。そしてあの祭司をやっていたレビ人にダン族全体の祭司になるように勧めます。このユダヤ人レビ人は「心が弾み」喜んでこの提案を受けます。彫像も持っていきます。そして彼らは出発します。気が付いたミカは家の者と共に、彼らを追いかけます。ミカは抗議します。これに対し、ダン族はミカに言います。18:25「あなたの声が私たちの中で聞こえないようにせよ。でなければ、気の荒い連中があなたがたに撃ちかかろう。あなたは、自分のいのちも、家族のいのちも失おう。」と言ったのです。自分たちが盗んでおきながら、ミカを脅迫しています。全くひどい話です。ミカの作った祭壇も問題ですが、それを盗んで、挙句は返せと言われると、脅迫するのです。こんなの主なる神の「良し」とされることでないことは明白です。ダン族は自分にのろい、を積んでいます。しかし、ミカは相手が強いのを見てすごすごと引き上げます。

そして目的の地ライシュにつくと、「平穏で安心しきっている民を襲い、剣の刃で彼らを打ち、火でその町を焼いた」と記されています。そして自分たち部族の名をつけ「ダン」という名の町にします。また、18:30「さて、ダン族は自分たちのために彫像を立てた。モーセの子ゲルショムの子ヨナタンとその子孫が、国の捕囚の日まで、ダン部族の祭司であった。」とあります。ライシュ・ダンの町でまた偶像を創ったのです。これはミカの作った偶像を作り直したものと考えられます。そしてあろうことかモーセの子孫を祭司にしたというのです。アッシリヤによる北イスラエル滅亡までの約300年間です。この「モーセ」と書いてあるところは「マナセ」と読める写本がありますが、祭司はレビ族アロンの系譜の人物とされていましたから、またここでも律法違反です。

このダンの町は「ダンからペエルシェバまで」と称せられるようにイスラエルの国の北の端となりました。また、分裂後の北イスラエルの初代の王ヤラベアムは南王国ユダのエルサレムに対抗し、ダンとベテルの2か所に国家祭壇を気づきました。しかし、このダン族の悪行はイスラエルの記憶の中に強く刻み付けられることになります。新約聖書黙示録にイスラエル十二部族の名が載せられていますが、ダンの名はありません。代わりにマナセの名が見えます。新約時代になってからの文書ですが「十二族長の遺訓」という文書がありますが、その「ダン」の個所の5:22には「お前たちが主を離れる時、すべての悪事に手を染め、異邦人の醜行を働き、無法者の女たちと淫姦し、—お前たちの主はサタンであり,悪と高慢の霊がレビの子らに主の前で罪を犯させようと共謀してあたるのを知っている。」とまで言われています。ミカという人物も親子そろって問題ですがダン族は偶像礼拝をして悪行に手を染めた部族として記憶されることになります。しかし、彼らがなしたことはよく考えると、今のこの世の中でも類似のことが時にはもっと大規模に行われていることを知るべきです。

第二の話はベニヤミン族の話ですが、ダン族以上にひどい話です。またエフライム山地の一人のレビ人、下級祭司から話は始まります。この人物はそばめとしてユダのベツレヘムからひとりの女をめとった、と言われています。ベツレヘムは主イエスのお生まれになったあの町です。「めとった」と訳されていますが原義は「とった」でありちゃんと妻として迎えたのではないのです。彼女は彼をきらって実家に帰った、と記されています。男の家でどんな目にあったのか分かりません。まともな妻として扱われたのではないことは明白です。そしてその男は彼女を連れ戻すために彼女の実家に赴きます。

そこで彼女の実家の父親は歓迎し、そのレビ人を引き留め、もてなします。三日間とどまりましたが次の日も引き留め、更に次の日も引き留め、食事を共にしたりします。私の想像ですが父親は娘をちゃんとした妻として遇してもらうため、彼をもてなしたのだと思います。この何日も宴会のようなことをしたのは父は結婚の宴席のつもりだったのではないでしょうか。このレビ人は心を入れ替えた風はありません。そして5日目に1匹の驢馬と彼女をつれて家を出て、エルサレムの近くまで来ます。当時はエブス人が住んでいる町だったのでエブスと呼ばれていました。この男は外国人の町には泊まりたくない、と言ってベニヤミン族の町ギブアに来て、そこに泊まろうとします。日は沈んでいます。泊めてくれる人が居ません。そこにエフライム山地の人でギブアに滞在していた老人が通りがかり、自分の家に泊めてくれることになりました。この老人の家にはわらも飼葉もあり、パンも酒もありました。そしてこの老人は「安心なさい。ただ、足りないものはみな、私に任せて。ただ広場では夜を過ごさないでください。」とまで言って同郷のよしみを示します。実はその後の結果からみるとこの老人と言う人物も怪しいところがあります。

老人の家で彼らが楽しんでいるとその町の「よこしまな者たち」が押し寄せてきて、戸をドンドンやりながら、この主人に「来た男を出せ。そいつを知りたい」と言います。「知りたい」とは性行為をしたい、ということです。所謂「男色」です。イスラエル信仰では絶対禁止事項ですがその地、ギブアの伝統的宗教では地位の高い者には、容認されていたことと思われます。同じような話が創世記19章にソドムでの話として出てきます。ギブアの町のベニヤミン族の人々は、レビ人を神殿男娼と扱い、自分たちの優越性を誇りたかったのでしょう。家の主人はなんと「いけない。兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでくれ。この人が私の家に入って後に、そんな恥ずべきことはしないでくれ。/ここに処女の私の娘と、あの人のそばめがいる。今、ふたりを連れ出すから、彼らをはずかしめて、あなたがたの好きなようにしなさい。あの人には、そのような恥ずべきことはしないでくれ。」 と言います。自分の娘とレビ人のそばめを差し出すから好きにしてくれ、というのです。神殿男娼の代わりに神殿娼婦を差し出す、というのです。どちらも、イスラエルの民には禁止事項です。そうしてあのレビ人は自分のそばめを外に放り出します。めちゃくちゃです。律法違反などと言う以前の話です。

ここでどうして、あのそばめが実家に逃げ帰ったのかがわかります。まともな人間として扱われていなかったのです。父親の歓待も無に帰しています。ベニヤミン族の人々は彼女を夜通し犯し、暴行し、夜明けの頃、彼女を離します。そして彼女は戸口に来て倒れ、こと切れていました。あのレビ人は出立しようとしてみるとそばめの女が「手を敷居にかけて、家の入口に倒れていました」。彼は彼女の死体をもって、エフライム山地の自分の家に帰りました。すると驚くなかれ、19:29「刀を取り、自分のそばめをつかんで、その死体を十二の部分に切り分けて、イスラエルの国中に送った。」と記されています。ベニヤミン族がやったこともひどい話ですが、このレビ人のやったことも言語に絶することです。レビ人は神により祭司職とされた人々です。弔いをする気配もありません。そばめはベツレヘムの出身ですからユダ族です。イスラエルの他部族に復讐を呼び掛けているのです。それはこの娘やその家族のためではありません。レビ人である自分の所有物に対し侮辱的なことをしたベニヤミン族をやっつけてくれ、ということです。こんなの主なる神の御心であるはずはありません。大罪に対し大罪の上塗りです。実は第一サムエル記11章に牛を切ってイスラエル12部族に送り、サウルとサムエルに従うよう呼び掛ける個所があります。戦争の開始宣言です。このレビ人も同様に宣戦布告の意味合いだったのでしょう。

このあとのイスラエルの行動は早いです。ダンからペエルシェバまでのイスラエル全域とヨルダン川東側のギルアデの地のイスラエル人はこぞってミツバの町に集まったと記されています。士師のなかでデボラの時はイスラエルの半分くらいの部族から参加がありましたが、この対ベニヤミン戦争の時ほどの集まり方は初めてです。ミツパはギブアとベテルの間にある町です。あちこちにミツパという町はあるので、この町はベニヤミンのミツパと言います。この町は後にサムエルがサウルを王に任命する時にイスラエルを呼び集めた町になります。そこになんと40万の剣を使う歩兵が集まったとされています。その民はあのレビ人に事の経緯を聞きます。そして民はみな、こぞって立ち上がり次のように言いました。20:8「私たちは、だれも自分の天幕に帰らない。だれも自分の家に戻らない。/今、私たちがギブアに対してしようとしていることはこうだ。くじを引いて、攻め上ろう。」とあります。そして団結し報復することを誓います。こぞってその町に集まってきました。ここで「こぞって」と訳されている言葉について、ちょっと申し上げます。20:2、20:8、20:11の三か所にでてきます。ヘブル語直訳では「ひとりの人のように」です。ギリシャ語もおなじです。要するに著者はイスラエルが一つになったことを強調したいのです。逆に言えば、一つにまとまるのが難しい民族だということです。現代においてもユダヤ人は議論ばかりして一つにまとまらない民族と言われています。しかし、特異な才能の人間が出てくる社会でもある、ということです。

しかし注意すべきことは、イスラエルはベニヤミンに対し20:13「今、ギブアにいるあのよこしまな者たちを渡せ。彼らを殺して、イスラエルから悪を除き去ろう。」と持ち掛けています。ベニヤミン族全体との対決を避け、かの悪行を行った者のみをイスラエルから除こうというのです。まともな提案です。士師記・付録で唯一まともなことを言っている箇所と言っても良いくらいです。しかし「ベニヤミン族は、自分たちの同族イスラエル人の言うことに聞き従おうとしなかった。」と言われています。ベニヤミン族はギブアに2万6千人の剣を使う者と700人をギブアの住民から集めました。合計26,700人です。 この中に左利きの精鋭700人が居た、と言われています。士師の中でも左利きのエフデという人物がいますが勇敢な人物です。彼らは一本の毛をねらって石を投げても外さない、と言われています。イスラエル側はベニヤミンを除き40万人です。人数からみれば圧倒的勢力です。イスラエルはベテルに集まり誰が最初に行くべきかを神にうかがったところ「ユダ」である、との返事をもらいました。この託宣は怪しいものです。ちゃんとした預言者を通しての言葉でもありません。ユダ族が後に最強部族となりますから、その“手前みそ”からのことからかもしれません。いずれにせよ、ベテルに陣取った40万のイスラエルとギブアに陣取った26千余のベニヤミンの対決です。

まず、ベニヤミンが戦端を開き、22千人のイスラエル兵士を殺したとあります。イスラエルが戦いに躊躇していると「攻め上れ」との神の託宣があったように書かれています。真偽のほどはかなり怪しい。イスラエルがけしかけますがベニヤミンの逆襲に合い、また18千人を失います。イスラエルはベテルに上って行き、泣き、断食をし、全焼のいけにえ、と和解のいけにえ、を主に捧げたとあります。少し、まともになってきました。そして今度はアロンの子エレアザルの子ピネハスが神に伺います。これは正当な血筋の祭司です。「攻め上れ、彼らをあなた方の手に渡す」という託宣を得ます。今度は、イスラエルはギブアに伏兵を忍ばせます。そして戦いをしかけベニヤミンをおびき出し、彼らが図に乗ってイスラエル人30人を殺したところで、ギブアの大路におびき出しました。そして全イスラエルの精鋭10千人がベニヤミンにおそいかかりました。その他各種戦闘があり、結局、イスラエルはベニヤミンのうち25.1千人を殺した、と書かれています。26.7千人中25.1千人が死んだという勘定です。残りは1.6千人のみです。

そして伏兵がギブアの町に突入しました。「町中を剣の刃で打ちまくった」と記されています。ベニヤミン族も戻ってきて、殺し合いとなりますが、今度はとてもかないません。結局600人しか残らず、彼らは荒野の方に逃げ、リモンの岩というところで4か月隠れていました。イスラエル人はベニヤミン族の町を片っ端から襲って、生けるものはすべて殺し、町々に火を放ったと書かれています。これはまともな戦争行為ではありません。報復戦争における部族皆殺し、所謂ジェノサイドです。1990年代のユーゴスラビア内戦の時のジェノサイドみたいなものです。これが仲間内での血みどろの戦いですから悲惨さも更なるものです。

これで終わりかとおもいきや残りの話があります。イスラエル人はミツパで集まった時、ベニヤミン族の人間には娘を嫁がせない、と誓約をしたとのことです。そしてベテルに来て激しく泣いた、と記されています。この誓約を守ると、イスラエルから一部族が消える結果になる、というのです。そんなんだったら、最初から馬鹿げた誓約などするな、と言いたくなりますが、そこは昔のイスラエルの話。そして彼らがやったことは祭壇を築いて、この戦いに参戦していなかった者を探す、ということをします。参戦しなかった者は必ず殺されなければならない、という誓約を、またします。恥の上塗りと言うか、何というか、という感じです。神の前に謙虚になって、告白的誓いをする、という意味での誓約ではないことは確かです。結局、参戦していなかったのはヤベシュ・ギルアデの住民だということが分かり、この町に12千人の勇者を送り、住民を女、子供を含めて皆殺しにしろとの指示をします。21:11ではこれを若干変形し「あなたがたは、こうしなければならない。男はみな、そして男と寝たことのある女はみな、聖絶しなければならない。」との指示が記されています。これは「聖絶」に値しない行為です。「聖絶」は「主が戦われる」と言う意味での「聖戦」の戦利品をイスラエルの罪の贖いの供え物即ち「全焼の生贄」とする行為です。ここで「聖絶」と言われているのは報復戦争における皆殺しのことです。主なる神への捧げものでも何でもありません。

そして、ヤベシュ・ギルアデの処女だけが残されるのですが、その400人をカナンのシロという町に連れてきて、先ほどのリモンの岩に逃れていた600人のベニヤミン族と和解し、彼らにこのヤベシュ・キルアデの処女をあげる、ということをしたのです。目的はベニヤミン一族を絶やさないようにするためです。このようなことが主なる神のみ旨であるはずはありません。輪をかけてひどいのは、ベニヤミンの男全部には処女の数が足りないので、このシロの町の祭りの時に足りない女を略奪させる、というものです。

それを正当化するために、いろいろ言っています。イスラエルの民はベニヤミン族との間が引き裂かれたことを悔やんでいた、とあります。イスラエルから一つの部族が消し去られることがあってならない、との決意が述べられています。かとは言っても誓約をしたので自分たちの娘を嫁がせることはできない、と言い、苦悩したかのごときに語られています。冗談じゃアない、自分勝手な理屈もいいとこだ、自分で種をまいておきながら、こんな理屈は許されない、とだれでも思うでしょう。

当時はおかしくなかったのでしょうが、毎年のシロの祭りではある種の乱交パーティが許されていることを知ります。シロの娘たちが踊りにでてきたら、隠れていたぶどう畑からでて、娘をとらえて、ベニヤミンの家に帰りなさい、と知恵を与えるのです。もし、彼らの親が文句を言って来たら、「私たちのために、彼らになさけをかけてやってください」と頼んであげます、と言うのです。付け足して言うことが振るっています。「もし、娘を与えなければ、あなた方は罪に定められるだろう」と言います。ベニヤミン族というイスラエル十二部族の一つが絶えて消えるのを放置した罪に定められる、というのです。ここには、宗教的装いで大罪悪をけしかけているイスラエルの罪を見ざるをえません。そして、ベニヤミンは娘を略奪し、自分の相続地に戻り、町々を再建し、そこに住んだ、と言っており、「めでたし、めでたし」かのごとく語っています。そしてイスラエル人も解散し、それぞれ自分の地に帰りました。そして最後の一節が、最初に申し上げた一節です。即ち、「そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。」という一節であり、王政を待ち望むような口調で終わります。

士師記のお話もここまでくると唖然とするしかありません。士師記の本文の英雄列伝風の話とは打って変わって、まるで主なる神の意思に反したようなことばかりです。私たちにとっては「このようなことにならないように」と言う意味で反面教師的な意味しかないように見えます。しかし、重要な点は次の二点。一つは、この士師記・付録に書かれていることがおそらく現実であったのだろう、ということです。申命記史家がきれいに歴史を構成して見せている裏には現実の世界としてこのような大罪の3乗、4乗のような話が隠れている、ということを念頭に置いておくべきだ、ということです。特にヨシュア記の記述や、ダビデ王朝における記述を理解しようとする時に重要です。大いなる想像力を必要とします。「善意のにせ預言者」は昔から今の今に至るまで実在します。もしかしたら、私たちが、その「善意のにせ預言者」になっている可能性もある、ということです。

もう一点は、ここに書かれている罪、悪はちょっと変形すると、現在ここ世の中で進行していることそのものである、ということです。むしろ、その罪、悪が更に大規模に組織的になっている、という意味では士師記・付録の時代より悪くいなっている、とさえ言えます。偶像礼拝はどうでしょう。テラフィムや彫像のようなものではないですが、現代のわれわれは、お金と国家と言う二つの偶像に振り回されています。宗教心を取り払ったため、むしろその偶像礼拝を止めるものが、なくなっているのが現代の社会です。また戦争についてみてみましょう。ベニヤミンへの復讐戦争をひどい、と言っておられるでしょうか。第一次大戦の後、国際連盟ができ、侵略戦争、報復戦争、制裁戦争、自衛戦争という4種の戦争のうち、侵略戦争、報復戦争はやめる、ということになりました。二次大戦後の国連では表面上は連盟と同じでも報復戦争が事実上復活することになってしまいました。更には集団的自衛権というかつては自衛権と認められなかったことを認めるようになってしまいました。ベニヤミンへの報復戦争どころの話ではありません。しかもロボット戦争により殺すという実感なしの人殺しまで生まれています。こう考えると、この士師記・付録の内容の残酷さは形を変え、もっとスマートな形での大量殺戮が生きている、と言えます。平和の主、イエス・キリストの弟子たちに与えられている課題の大きさを想わされます。祈ります。

ご在天の父なる御神様、今日の礼拝の時を感謝します。この教会ではコロナ禍のもとでも共同の礼拝の時を持つことができ本当に感謝いたします。これからも、主の導き、お守りを切に願います。本日は士師記の最後の付録の部分を見ました。主はイスラエルの罪の現実を赤裸々に見せることによって、私たちが信仰を堅くできるようにとの配慮だと思います。だれもが無意味だと思いつつも戦争がなくならないこの世の現実です。その種が私たちの心の底に潜んでいることに気づかざるを得ません。平和の君に従っていく私たちに、どうか知恵と力と、そして勇気をお与えください。主の御名により祈ります。アーメン

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