1.導入
みなさま、おはようございます。今日も再び、第二コリントのみことばから学んでまいりましょう。今日の聖書箇所はとても重たい内容です。それは、牧師と信徒との対立という事情がこの手紙の背景にあるからです。コリント教会は深刻な問題を抱えていて、それが今日の箇所の重要な背景となっています。私たちの教会は、規模からすれば小さな教会ですが、とても仲が良く、互いに信頼し合っている教会です。私も皆さんのことを信頼していますし、皆さんも私のようなものを信頼してくださっています。ですから、このパウロの手紙が送られたコリント教会の状況とはずいぶん事情が違うのだろうと思います。しかし、残念ながら牧師と信徒の関係がうまくいっていない教会というのも少なからず存在するというのが現実です。そういう状況に置かれた時に、私たちはつい犯人捜しをしてしまいます。あの信徒が悪いからとか、あの役員が悪いからとか、あるいはあの牧師が悪いからとか、そういう犯人捜しをついしてしまうのです。みんなにいくらか問題があるというより、問題の所在をある人に集中させてしまうのです。このコリント教会の手紙に関して言えば、普通は牧師のパウロが100%正しく、コリント教会の信徒が100%悪い、という読み方をしてしまいます。キリスト教におけるパウロ先生の絶大な権威を考えればそれが当たり前なのかもしれません。しかし、ある共同体に深刻な亀裂が生じた際に、どちらか一方が100%正しくて、他方が100%悪いというような状況は現実にはあり得ないのではないでしょうか。コリント教会がこんなに大きな問題を抱えてしまったことに、牧師であるパウロにも少なからず責任があるというのが公平な見方ではないかとも思うのです。このコリント教会への第二の手紙からは、パウロの立場や視点しか知ることが出来ませんが、叱責されているコリント教会の側の立場になって考えるということも必要なことではないかということです。今日の説教では、なるべく複眼的なというか、いろんな角度からコリント教会の現実を考え、学んでいきたいと願っています。
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