断食と祝宴
マルコ福音書2章18~22節

1.導入

みなさま、おはようございます。今日もマルコ福音書からイエスの伝道について考えてまいります。今日のテーマは「断食」です。皆さんは断食をしたことがあるでしょうか。近ごろは、「プチ断食」、つまり本格的な断食ではなく、一食だけ抜くことが健康や美容に良いということで、軽い断食に取り組んでおられる方も少なくないと聞きます。その一方、日本では宗教上の理由で断食をする、というケースはあまりないように思います。日本の伝統的な宗教である仏教では、修行中のお坊さんはともかく、檀家の信徒さんが日常生活の中で断食をするという話は聞いたことがありません。イスラム教では「ラマダン」という期間中に断食をしなければなりませんが、日本でイスラム教徒の人はほとんどいないので、私たちもテレビなどでしかそれを知ることはありません。では、キリスト教は、といえば、特にプロテスタント教会では「断食」を定期的に行っている教会というのはついぞ聞いたことがありません。「断食」というと、修行というイメージがあるからかもしれませんが、プロテスタント教会では修行らしきことはほぼ全くしないので、断食にもなじみがないのかもしれません。カトリック教会では断食をするようですが、プロテスタントはアンチ・カトリックということで始まったので、むしろ断食には否定的なのです。

しかし、イエスの時代のユダヤ教では「断食」は非常に大切な宗教行為でした。イエス自身も、断食に取り組んでいた時期があったのは間違いありません。今日の聖書箇所では、イエスやその弟子たちは断食をしないと批判されているので、なんだか矛盾することを言っているようですが、しかし皆さんもご存じのように、イエスは荒野での40日40夜の断食を決行しています。イエスの時代のユダヤ人たちが行っていた、個人的な宗教活動は三つありました。それは、「貧しい人への施し」、「祈り」、そして「断食」でした。祈りならばプロテスタント教会でも大切にされていますが、ユダヤ人は神への祈りと同じくらい断食に熱心に打ち込みました。では、ユダヤ人たちはどういう目的でそんなに熱心に断食に打ち込んだのでしょうか。それは、聖書がそう命じているためだ、と思われるかもしれません。ユダヤ人は聖書の民ですので、旧約聖書に書いてある戒めは何であれ、熱心に実践したのだ、と私たちは考えるからです。しかし、意外なことに、旧約聖書には断食をしなさい、という神の戒めはありません。「十戒」をはじめとするモーセの律法においては、いろいろな教えや戒めがあるのですが、そこには断食の規定はないのです。律法の中には、貧しい人を顧みなさい、貧しい人を助けなさいという教えがたくさんあるので、「貧しい人への施し」がユダヤ人の宗教生活の柱になるのはよく分かるのですが、断食をしなさいという教えはないのです。では、いったいどうして「断食」はユダヤ人の宗教生活における必要不可欠な柱の一つになっていったのでしょうか。

ユダヤ人が断食をするようになったきっかけ、それは今日交読文で読みかわしたゼカリヤ書に書いてあります。断食とは、ユダヤ民族にとっての民族的悲劇、国が滅んでしまった日を覚えて嘆き悲しむための活動でした。「臥薪嘗胆」ということわざがあります。わざとつらい思いをして屈辱を忘れないようにする、薪の上で寝たり、苦い胆をなめたりして復讐の炎を消さないようにする、という意味です。ゼカリヤ書によると、ユダヤ人の断食も臥薪嘗胆のようなものでした。ユダヤ人たちが断食を始めたのは、伝説の王ダビデが始めたダビデ王朝がバビロンによって滅ぼされ、聖都エルサレムとその神殿が灰燼に帰してしまった、それが第五の月に起きたのですが、その民族の悲劇を忘れずに再建を期す、という目的のために第五の月の断食が始められました。日本人に当てはめると、太平洋戦争が大敗北で終わったのが八月でしたから、八月になると原爆や敗戦を思い起こして断食をする、ということになると思います。もっとも、ユダヤ人の宗教観では、国が滅んでしまった一番の原因はバビロンではなく彼ら自身にありました。ユダヤ人が神の戒めを破り、神の怒りを買ってしまったのです。そこで神はバビロンを用いてイスラエルを滅ぼしたのだ、と信じていました。ですから断食の一番の目的は、バビロンへの復讐の思いを忘れないようにすることではなく、むしろ神の前に悔い改めて、これまでの罪を神に赦していただく、そして神から災いではなく、祝福を与えられることを期待する、それが断食の目的でした。

さて、断食が民族の悲劇を思い起こす日だとするならば、その民族の悲劇がもう終わった、もう過去の悲劇を思い出して嘆き悲しむ必要がない、そのような時が来たならば、もう断食はしなくてもよいのではないか、そういうふうに考えても不思議ではありません。先ほどのゼカリヤ書はまさにそういう問題を扱っています。エルサレムのソロモン神殿がバビロンによって破壊されたのが紀元前587年でしたが、それから約70年後、紀元前516年に神殿が再建されました。それは破壊された第一の神殿、ソロモン神殿に続く神殿という意味で第二神殿と呼ばれますが、この第二神殿が再建され、民族の悲劇は終わったので、そろそろ断食を止めてもよいのではないか、ということをあるユダヤ人グループが神の預言者であるゼカリヤに尋ねた、というのがゼカリヤ書7章のあらましでした。日本でも、敗戦の1945年から70年後といえば、2015年です。2015年に二十歳の人は、1995年生まれになります。1995年というと、阪神淡路大震災や、オウム真理教による地下鉄サリン事件など、恐ろしい出来事が続きましたが、しかしその年に生まれた人にとっては1945年の敗戦はあまりリアリティのない、過去の出来事に過ぎないでしょう。第二神殿が完成したころのユダヤ人にとっても、特に若い世代の人々には70年前のソロモン神殿の破壊は遠い記憶になっていたのです。

しかし、断食を続けるべきかという人々から問いに対する神の答えは、意外なものでした。神は、断食を続けなさいとか、やめていいとか、そういうことは言われませんでした。むしろ、あなたがたは何のために断食をしてきたのか、その理由を問いました。あなたがたは、自分たちに起きた悲劇を嘆き悲しむために断食をしてきた、「我々は何と不幸なのだ」という自己憐憫のために断食をしてきただけなのだ、と神は指摘します。しかし、不幸を嘆くよりも、なぜそのような不幸があなたがたを襲ったのか、なぜあなたがたが誇る立派な神殿が破壊されたのか、その本当の原因を考えなさい、というものでした。神殿が破壊されたのは、イスラエルの人々が社会的弱者を顧みずに虐げ、またお互いに悪いことばかりを考える、そういう罪深い社会を作り上げたからなのだ、と神は指摘します。そのような社会であったからこそ、自らの悪に押しつぶされるように自壊したのだと。だから、神殿という箱モノだけ立派なものを新しく造っても、真の問題は解決されない、あなたがたは弱い人々を助け、心の中で互いに悪を企むことなく真実と平和を追い求めなさい、それが本当の解決なのだと。そして、あなたがたがそのような社会を築くなら、その時こそイスラエルに再び祝福が訪れる、その時こそあなた方の断食は祝宴に変わるだろう、これがゼカリヤを通じて語られた神の言葉でした。

では、イスラエルの歴史の中で、断食はいつ祝宴に変わったのでしょうか?ゼカリヤがこの預言を語った後も、イスラエルの人たちは断食を止めることはなく、むしろ断食は宗教活動の中核としてユダヤ人の間にしっかりと根を下ろしていきます。そして実に、ゼカリヤの時代から500年経っても、断食が祝宴に変わることはありませんでした。それは祝宴ができるような状態にイスラエルがならなかったからでした。むしろ、イスラエルの状態は悪化していくようでした。ユダヤの地は、バビロンに征服された後もペルシア、ギリシア、エジプト、シリアと、次々と新しい侵略者たちによって支配され、イエスの時代には最も強力で残虐な支配者、ローマ帝国の支配下にありました。他方で、そのような外国人支配の中でも、ユダヤの人々は弱い人々を助け、平等な社会を築いていければよかったのですが、現実はむしろ逆で、ユダヤ人の中での貧富の格差はどんどん広がり、社会的な弱者は顧みられることなく、むしろ「罪人」と呼ばれて差別されるような有様でした。このような悲惨な状況を嘆き、神への信仰に熱心なユダヤ人ほどますます熱心に断食に打ち込むようになりました。彼らは神の憐みと赦しを求めて、断食を真剣に行っていました。今日のイエスと洗礼者ヨハネの弟子たち、またイエスとパリサイ派との対話は、このような背景でなされたものでした。

2.本文

さて、では今日の聖書箇所を詳しく見ていきましょう。これまでお話ししたように、マルコ福音書の1章は、イエスという全く無名の青年が突然現れて、その力ある言葉や業によって人々を驚かせ、人々はイエスを熱狂的に迎え入れる、そういう内容でした。それに対して2章は、「出る杭は打たれる」とばかりに、人々の注目を集めるイエスに対して当時の宗教リーダーたちが難癖をつけ始めるのですが、それに対してイエスが真っ向から反論するので彼らとの見解の相違が明らかになっていく、そのようにエスカレートしていく対立を描いています。今日の場面もそのような文脈の中で理解すべき箇所です。

ただ、今回はこれまでとは少し違った意味合いがあります。これまでは、律法学者やパリサイ派という、お馴染みのイエスの敵対者たちが難癖をつけてきたわけですが、今回はむしろイエスに友好的だと思われる人々がイエスに疑問を投げかけてきたからです。それはバプテスマのヨハネの弟子たちでした。バプテスマのヨハネは、イエスの先駆者であり、またイエスに洗礼を授けて彼を公生涯へと送り出した、いわば信頼できる先輩でした。そのヨハネの弟子たちですから、イエスに対しては警戒感よりもむしろ親しみを感じていたでしょう。そのバプテスマのヨハネの弟子たちが、彼らとは対立しているはずのパリサイ派と一緒になって、イエスにある疑問をぶつけたのです。それは、私たちは真面目に断食に励んでいるのに、なぜあなたがたはいつもパーティーばかり開いているのですか、すこし真剣さが足りないのではないですか?という疑問でした。

前回の箇所では、イエスは罪人として蔑まれていた取税人レビを弟子として迎え入れ、彼の新しい門出を祝うためにパーティーを催した、というところを学びました。こういう特別な機会にパーティーを開くことはいいとしても、イエスは他の場面でも断食よりもむしろパーティーを好んでいるように見える、イエスはバプテスマのヨハネのような、禁欲的な求道者というよりも、遊び人なのではないか、こう感じる人たちがいたのです。

パリサイ派や律法学者ならともかく、仲間であるはずのバプテスマのヨハネの弟子たちからも疑念を抱かれる中で、イエスはバプテスマのヨハネと自分との違いは何か、ということを説明する必要に迫られました。ヨハネは断食をしていたのに、そのヨハネを高く評価していたイエスはなぜ断食をしないのか、その理由です。イエスは単に、バプテスマのヨハネが始めた伝道を受け継いだのではなかったのです。イエスが始めた伝道は、バプテスマのヨハネの伝道とははっきりと異なる面がありました。イエスはそのことを説明しようとしました。

イエスとバプテスマのヨハネの関係を考える前に、バプテスマのヨハネとパリサイ派の関係について考えてみましょう。先ほどバプテスマのヨハネとパリサイ派とは対立していた、といいましたが、実際は彼らには共通した面がありました。それは、バプテスマのヨハネもパリサイ派も、今のイスラエルの状態が良いとは思っていない、改革が必要だ、と感じていた点でした。当時のユダヤ人は、外国のローマに支配され、重税や暴力に苦しんでいましたから、ローマと結託して利益をむさぼっている上級市民以外は、みなローマに不満を抱いていました。バプテスマのヨハネとパリサイ派も、そうした国民感情をよく分かっていました。同時に彼らは、こうした惨めな状況はまもなく終わるという期待も抱いていました。イスラエルの神がとうとうユダヤ人の救済のために立ち上がり、ローマを滅ぼしてくださる、という期待を共有していたのです。しかし、イスラエルの神が立ち上がった際に、すべてのユダヤ人を救ってくれるとは限りません。神の御心に沿わないような生き方をしている不信心なユダヤ人はその救いから漏れてしまうかもしれない、そうならないように清く正しく生きなさい、そう教えていたのがバプテスマのヨハネであり、パリサイ派だったのです。では彼らの教えは同じだったのかといえば、そうではありませんでした。パリサイ派にとって、神の救いに与るのは正しい人たちだけであり、罪人は除外されました。そして罪人とは、先週お話ししたように特定の職業についている人たち、特に遊女や取税人たちでした。しかし、バプテスマのヨハネにはそういう職業差別の意識はありませんでした。彼はすべてのユダヤ人に救いをもたらそうとしました。その意味ではイエスに非常に近かったのです。

しかし、バプテスマのヨハネとイエスの間には違いもありました。それは、ヨハネは神の救いの時は近いけれど、まだ始まっていない、だから早く神が救ってくださるように自分たちは熱心に断食をして神に願い求めなければならない、と考えていたのに対し、イエスはもう救いの時は始まっている、神はイスラエルの救済の業を始められた、と確信していました。ここは大事なポイントなので繰り返しますが、ヨハネは神の救いはまだ始まっていないと考えていたのに対し、イエスは救いはもう来ている、始まっていると教えたのです。イエス自身が行っている不思議な癒しの業、それは神の救いがすでにイスラエルに到来している証拠なのだ、というのがイエスの主張でした。ゼカリヤの預言した、神の祝福の時、断食が祝宴に変わる時はもうすでに来ているのです。神はもうイスラエルの民のところに来られている、だから私たちは断食ではなく宴会を催すべきだ、これがイエスの答えでした。そのことをイエスは、婚礼の宴会になぞらえてこう言われました。

花婿が自分たちといっしょにいる間、花婿につき添う友だちが断食できるでしょうか。花婿といっしょにいる時は、断食できないのです。

ここで「花婿」と呼ばれているのはもちろんイエスで、花婿に付き添う友人とは彼の弟子たちのことです。しかし、イエスはここで譬えで話しています。譬えというのは、いくつかの解釈の可能性があります。「花婿」とはイエスのことのみならず、他の意味でもあり得るということです。では、聖書で「花婿」とは多くの場合何を指す譬えでしょうか?それは「神」です。聖書では花婿は神、花嫁は神の民であるイスラエルを指して使われます。その代表例がホセア書です。ホセア書では、神は花婿、神の民であるイスラエルは花嫁に譬えられています。神は一度、不倫をしたイスラエル、それは他の神々に走ったイスラエルということですが、そのイスラエルを一度は離縁しますが、再びイスラエルを花嫁として迎え入れる、それがホセア書の内容です。神を一度は裏切ったイスラエルは正気を取り戻し、神のもとに戻るのです。ホセア書2章7節にはこうあります。

彼女は言う。『私は行って、初めの夫に戻ろう。あの時は、今よりも私は幸せだったから。』

神も、外国に滅ぼされたイスラエルを再び救い出すことを約束します。イエスはその約束が今実現している、神は一度は捨てられたイスラエルに花婿として帰って来られ、今やイスラエルを花嫁として迎えようとしている、そのための宴会が始まっているのだ、と語っているのです。つまり、この譬えの中の「花婿」とはイエスであり、同時に神でもあるのです。ということは、イエスとは神ご自身であるという、とても大胆な主張がこの譬えには隠されているということになります。

けれども、イエスの言葉を聞いたバプテスマのヨハネの弟子たちや、パリサイ派の人たちは、このイエスの大胆の主張には気が付きませんでした。イエスが譬えで語られたので、その譬えの背後にある真意には気が付かなかったのです。もし気が付いたなら、大騒ぎになったでしょう。人間の分際で、自分は神だと主張するのか、あなたは気がくるっているか、あるいはもし正気なら、あなたは神を冒涜しているのだ、と人々はイエスを罵ったはずです。しかし、幸いなことにこの時点で彼らはイエスの言っていることがよく分かりませんでした。

イエスはここで、さらに謎めいた言葉を続けます。

しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。

イエスは、これから自分を待ち受ける運命、十字架での死のことを示唆しています。イエスが自分の死について示唆した、これが最初の場面です。弟子たちはイエスが十字架で死なれた後、断食をするでしょうし、さらにはイエスが復活して天に昇られた後も、聖霊を受けることを願い求めて断食をするでしょう。しかし、この言葉はその時点では、それを聞いていた人たちの誰にも理解されなかったでしょう。イエスが自分を待ち受ける十字架という運命について弟子たちにはっきりと語るのは、まだ先のことだからです。

とにかく、イエスのここでの話のポイントは、新しい時代、祝福の時代はもうすでに始まっているということでした。断食という宗教行為は古い時代、イスラエルがいまだに神の怒りの下に置かれている時代には意味のあることでした。しかし、そうした時代はもはや、イエスの到来とともに終わったのです。預言者ゼカリヤを通じて、神はこう預言しました。ゼカリヤ書8章14-15節をお読みします。

万軍の主はこう仰せられる。「あなたがたの先祖がわたしを怒らせたとき、わたしはあなたがたにわざわい下そうと考えた。―万軍の主は仰せられる―そしてわたしは思い直さなかった。しかし、このごろ、私はエルサレムとユダの家とに幸いを下そうと考えている。恐れるな。

イエスは、神がイスラエルに幸いをもたらすというゼカリヤの預言、その約束は自らの伝道活動によって実現しつつある、だから今は断食ではなく祝宴なのだ、と語ったのです。新しい時代が来ているのに古い時代にいるかのように行動を続けることは、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなものだ、そんなことをしたらお酒も皮袋もどちらも駄目になってしまう、とイエスは続けて教えられました。このイエスの言葉をバプテスマのヨハネの弟子たちやパリサイ派の人々、あるいはイエスの弟子たちがどれだけ理解できたのかは分かりません。おそらく全然わかっていなかったものと思われます。イエスのやっていることは確かに驚くべきことだけれども、だからといってその業は、神がイスラエルに戻って来られたしるしなのだと言われても、そのあまりのスケールの大きさに人々はついていけなかったのです。

3.結論

まとめになります。今日は、イエスが自分の宣教活動の本質をどう見ていたのかという、非常に大切なところを学びました。イエスが断食をしないでパーティーばかりしていたのは、彼が辛いことが嫌いで楽しいことが好きだったからとか、そういう単純なものではありませんでした。むしろイエスの行動の一つ一つは考え抜かれた行動で、行動を通じて大切なメッセージを伝えようという、そういう象徴的な意味を持っていました。

ただ、断食について誤解しないでいただきたいのは、イエスは断食そのものの意義を否定したのではありません。むしろ、自らの霊性を強める必要性を感じたときにはイエスは断食を実践し続けていました。しかし、そうした個人的な霊性の問題とは別に、断食はイスラエル民族全体の状態を反映している面がありました。ユダヤ民族全体が怒れる神の前に悔い改める必要がある時に、その悔い改めの目に見える実践として断食がありました。しかしイエスは、神は今や怒ってはおられない、むしろあなたがたに祝福をもたらそうと、あなたがたのただ中にもう来られているのだ、というメッセージを携えていました。そして、そのことを端的に示そうとして断食を祝宴に変えたのです。とはいえ、イエスはガリラヤという田舎出身の、しかもナザレという聞いたこともないような村から突然現れた無名の青年でした。イエスの主張、つまり自分は神の業を行う者である、もっといえば神そのものなのだ、という示唆は、当時の人々には受け止めきれないようなきわめて大胆なものでした。

このように、イエスの主張とは、「私の登場によって、全く新しい祝福の時代が始まっている」というものでした。しかし、私たちは本当にそうなのかと疑うでしょう。イエスが登場した後のユダヤの歴史がどうなったかといえば、それから約40年後にエルサレムはローマによって滅ぼされ、神殿は破壊され、ユダヤ人は二千年間も国を失って離散してしまいました。ユダヤ人にとっては、祝福の時代が始まるどころか、むしろ苦難の時代が始まったのではないか、と。ある人はこう言うかもしれません、「ユダヤ人はキリストを殺したから不幸に見舞われたのだ。祝福の時代は、むしろ異邦人のためのもので、異邦人は今や祝福の時代を生きているのだ」と。確かにキリスト教は異邦人の間で爆発的に拡大しました。今やキリスト教の信徒数は20億人を超え、世界の人々の三人に一人はクリスチャンです。日本にいるとこのキリスト教の世界的な広がりは実感しづらいかもしれませんが、キリスト教はまさに世界宗教と呼ぶに足る、大宗教になりました。しかし、キリスト教が世界に広まったからといって、世界が平和になったかというと、けっしてそうではありません。むしろキリスト教国と呼ばれるアメリカやロシアのような大国は未だに戦争をし続けています。二千年前に生きたイエス・キリストは、異邦人に新しい祝福の時代をもたらしたのだ、といわれても、素直に認められないという人はたくさんおられると思います。

けれども、新しい時代が始まるということは、決して問題がすべてなくなるということではありません。新しい時代は新しいリーダーと共に始まります。新しいリーダーは、それまでのやり方を変えて、新風を吹き込むのです。イエスがそうでした。けれども、新しいリーダーが来たからと言って、組織は簡単には変わらないのも事実です。私たちの身になって考えても、私たちの務める企業や通う学校、あるいは国家が新しいリーダーを迎えたからといって、その組織が一夜にして劇的に変わるなどということはあり得ないでしょう。その新しいリーダーのヴィジョンを組織の人たち一人一人が理解しなければ、その組織や国が本当の意味で変わることはないのです。そして新しいリーダーであるイエスの指し示すヴィジョンは当時のユダヤ人にとっても、現代に生きるクリスチャンにとっても、簡単に理解できるものでも、簡単に実践できるものでもないのです。ですから私たちはイエスの教えを真剣に学ぶ必要があります。昔も今も、イエスの示す生き方、ヴィジョンを理解して受け入れる人も、拒否する人もいます。そうしたせめぎあいは続き、その亀裂はますます深まっています。教会の中ですら、そのような亀裂はあるのです。イエスが何を示したのか、戦争なのか、無抵抗主義なのか、中絶反対なのか、あるいは同性愛者を温かく受け入れる社会なのか、そうした問題について教会の中でも意見は割れています。そのような問題は、イエスという人を深く理解し、彼のヴィジョンを自らのヴィジョンとしない限り解消することはないでしょう。ですから私たちは福音書を読み、イエスを理解しようと願い、祈るのです。そのような知恵を神が私たちに与えてくださることを切に願います。ひと言お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。そのお名前を賛美いたします。今日はイエスが当時の重要な宗教的行為である断食を祝宴に変えた、その意味を学びました。イエスは本当に新しい時代、個人個人にとっては新しい生き方をもたらしてくださいました。しかし私たちは鈍いもので、その新しい時代が始まっていることが分からなかったり、またその新しい時代はどんなものなのかが理解できないものです。どうか私たちが主イエスの示されたヴィジョンを理解し、その導きの中を歩むことができるようにしてください。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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