1.導入
みなさま、おはようございます。先週は幸いなクリスマス主日を共に祝うことができたことを心から感謝します。そして今日はいよいよ2021年最後の主日礼拝になります。早いものですね。今年の最初の主日礼拝は第一コリント6章からでした。そして最後のメッセージが第二コリント6章からになります。まさに、コリント教会と共に歩んだ1年だったといえるでしょう。
今日の説教題は「パウロの弁明」です。弁明、という言葉はちょっと固い響きのある言葉ですね。日常会話ではあまり使いません。「弁明の機会を与える」というような言い方はよく聞きます。つまり弁明というのは、非難に対して釈明をするという、そういう意味です。でも、そもそもパウロのような偉大な人物が自己弁護などする必要があったのでしょうか。ここで私たちは頭を切り替えないといけません。今日、パウロと言えば押しも押されもせぬ大使徒ですが、この手紙を書いた当時のパウロについて、評価は定まっていなかったのです。むしろ彼に対しては疑問の声を上げる人が少なくなかったのです。これまでの説教でも何度かお話ししましたが、この第二コリント書簡そのものが、パウロの釈明の書として読むべきものです。ではパウロがどんな非難を向けられていたのか、それを三つ挙げましょう。
“パウロの弁明第二コリント6章3~13節” の続きを読む