四大士師以外の八士師
士師記3:7-11
森田俊隆

当日の説教では、この原稿の一部を省略して話しています。

今日は士師たちのいろいろな側面を見て、士師記の理解の基本を知っておきたい、と思います。士師記には12人の士師と呼ばれる人物が登場しますが、4大士師ということができる、デボラ、ギデオン、エフタ、サムソンについては次月以降のテーマとし、これら四名の士師を除く8人の士師を見るとともに、士師全体を見て、私たちが心に留めおくべきことを申し上げておきたい、と思います。 士師記はイスラエルの英雄列伝のようなところがあり、イスラエルの庶民には自らの歴史を記憶する上の必須項目でした。単に英雄について述べているにとどまらず、部族間のいろいろな問題等も記されています。ヨシュア記のようにイスラエルのカナンの地での戦いを申命記神学に立って極端に美化しているところもなく、真実味があります。個別の士師を見ていく中で、問題のテーマにつき、お話いたします。

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士師記の時代
士師記1:27-33
森田俊隆

説教者の希望により、説教原稿を改定しています。そのため、音声と以下の内容が一致しないことをご了承ください。

今日から数回、士師記を学びたいと思います。ヨシュア記、士師記は旧約聖書の難物です。聖書の言葉を文字通りに読んで、「納得」という訳にはいかないからです。その理由は、人間から見て、残虐に見えるような事柄が起こり、それが「神の命令」「神の計画」であると書かれているからです。

そのうち最たるものは新改訳聖書で「聖絶」と訳されている言葉についてです。聖なる破滅と書きます。この言葉が最も沢山出てくるのはヨシュア記です。ついで、申命記、サムエル記と続きます。ヨシュア記では戦争のあと、敗戦のカナンの人々を全員、殺すという意味で出てきます。主なる神の命令として出てくるのです。ヨシュア記の次の士師記ではわずか2か所にしかでてきませんが、そのあとのサムエル記になりますとこの意味での「聖絶」が復活したかの如く何度も登場します。ヨシュア記ではイスラエルの民はカナン人に連戦連勝で、その勝利のあと、対戦の相手を全員殺せと命じられています。士師記になると、イスラエルは周辺の民族との融和路線になり、そもそもすっきりと勝利した戦争は消えます。そのため「聖絶」の言葉も登場回数が減ります。はっきり言えば、カナンの民の方が強かったので、戦争を仕掛けるなどと言うことはほとんどできなかったのです。しかし、サムエル記にはいると周囲の民族との民族存続をかけた戦争に突入します。初代の王サウルはアマレク人を打ち破り、その民を「聖絶」しますが、その家畜は「聖絶」しなかったということから、王として不適格とされる事態に至ります。サウルは精神病のような状態になり、結局、ダビデが王位につくことになります。

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