遊女ラハブ
ヨシュア記2:1-7
森田俊隆

本日はヨシュア記です。ヨシュア記はモーセの死後、ヨシュアに率いられ、カナンの地に侵入するイスラエルの民の物語です。クリスチャンにとって重要な問題を孕んでいる書物です。重要な問題と言うのは「戦争」と「聖絶」の問題です。ヨシュア記では神が戦争の先頭に立ち、また、戦いの勝利のあと、すべての命を完全に絶つこと、即ち「聖絶」を要求している、問題です。この社会倫理に関する根本問題は私自身、今一つ納得できる解釈を持っていませんが、その問題は、別の機会に譲ることとして、本日はイスラエルの民が最初に占領する町エリコにまつわる一つの話からです。

“遊女ラハブ
ヨシュア記2:1-7
森田俊隆
” の
続きを読む

偽りの預言
エレミヤ書23章23~32節

1.導入

みなさま、おはようございます。ここ数回の説教は、エレミヤ書の歴史的背景についてかなり詳しくお話しました。エレミヤが活躍した時代の状況や背景が皆さんもだんだんと掴めてきたことと思います。今日は歴史というよりも、聖書全体を通じての重要な神学的テーマである「預言」について、またその対極にある「偽りの預言」、「偽預言者」について、エレミヤ書から学んでまいりたいと思います。まず、預かる言葉と書く「預言」という文字そのものについて確認したいのですが、これは予め語ると書く「予言」、未来予告のことではないということです。「今から3年後に大戦争が起きる」ですとか、「今から1年以内に大地震が起きる」と語って、それが起きなかったらその人の予言は信用されなくなるでしょうが、だからといってその人が聖書のいう「偽預言者」かというと、直ちにそうはならないのです。つまり、聖書の言う偽預言者とは、未来の出来事を予告してそれが外れた人のことではないのです。

“偽りの預言
エレミヤ書23章23~32節” の
続きを読む

書記バルク
エレミヤ書36章20~32節

1.導入

みなさま、おはようございます。エレミヤ書からの説教は8回目になりますが、前回からエレミヤの預言者としての後半生を学んでいます。今日は、このエレミヤの後期の活動を支えてくれた人物、彼の「相棒」とも呼ぶべき人物についてお話ししたいと思います。みなさんは、「相棒」というと、どんな人物を思いだすでしょうか?私はイギリスの推理小説、シャーロック・ホームズに登場するドクター・ワトソンを思い浮かべます。ホームズは架空の人物とはいえ、イギリス人のユニークさを体現したような非常に興味深い人物です。しかしこのホームズの大活躍も、彼の相棒にして伝記作家であるワトソン博士の働きなくしては私たちに伝わることはなかったでしょう。そしてホームズにとってのワトソンこそ、エレミヤにとってのバルクでした。エレミヤはホームズと違って歴史上の人物ですが、エレミヤは自伝を書き残したり、自分の預言を集めて預言集にしたりすることはありませんでした。エレミヤの預言者としての驚くべき働きが今日の私たちに伝えられているのも、この書記バルクの働きのお陰なのです。

“書記バルク
エレミヤ書36章20~32節” の
続きを読む

神殿での説教
エレミヤ書7章1~15節

1.導入

みなさま、おはようございます。エレミヤ書からの連続説教は今日で7回目になりますが、今日の箇所はエレミヤの預言者としての40年の歩みの後半生の幕開けと呼ぶべきものです。エレミヤはだいたい20歳ぐらいから預言者としての活動を始めますが、それから19年後、エレミヤが40歳になる少し前に、衝撃的な出来事が起きました。それが前回の説教でお話ししたヨシヤ王の死です。ヨシヤ王は、南ユダ王国の歴史の中でもっとも神に忠実だったといわれる王で、偶像で満ち溢れていた南ユダ王国から偶像礼拝を一掃し、唯一の神への信仰に人々を立ち返らせるために力を注いだ人物でした。エレミヤも、この王の改革の働きに賛同し、預言者として人々に偶像礼拝から離れるように訴えました。多くの反対に遭い、孤立しがちだったエレミヤにとって、この同年代の王は心の支えだったことでしょう。ヨシヤ王にとっても、自分の改革を支持してくれる若き預言者は心強い存在だったでしょう。

“神殿での説教
エレミヤ書7章1~15節” の
続きを読む

三人の証人・証言
申命記19:15-21
森田俊隆

先月は申命記の各種律法のなかから安息年における負債の免除の条項を採り上げました。本日は、裁きの時に於いて、証人が一人では罪に定めることはできず、複数人の証人を必要とする、ということが言われています。この規定は十戒のうちの第九戒申命記5:20「あなたの隣人に対して、偽証してはならない」を更に具体的に示したものです。十戒に違反して偽証していても一人であれば、それが偽証かどうかも分からない、ので、複数人の証言を求めています。いわば裁判の公正さを確保するための方法を律法として定めたもの、ということができます。「証人」「証言」は現代の裁判においても証拠の一つとされ、ここにおける偽証は極めて重大な問題を引き起こします。一般の社会においても「あの人が言っていることだから間違いないであろう」ということで信ずることも日常的にあります。考えてみると重大なことが気軽に決められていることもあります。

“三人の証人・証言
申命記19:15-21
森田俊隆
” の
続きを読む

王のための挽歌
エレミヤ書22章1~12節

1.導入

みなさま、おはようございます。エレミヤ書からの説教は今回で6日目になります。エレミヤ書をじっくりと読んで、エレミヤという人物について思い巡らす時に、彼の預言者としての歩みには大きく分けて前半と後半がある、ということが見えてきます。彼の預言者人生は40年にも及びますが、そのおおよそ半ばごろ、大きな出来事、衝撃的な出来事があり、それがエレミヤの人生にも深い影響を与えました。その出来事とは何かといえば、「王の死」です。王様、あるいは指導者の突然の死は、その国に甚大な影響を及ぼすことがあります。その指導者が優れた人物で、改革の先頭に立っているような場合、それはなおさらです。私たちの記憶に新しいところでは、アメリカのケネディ大統領のことを思い浮かべるかもしれません。彼は1963年に暗殺されましたが、その死はアメリカだけでなく、日本に住む人たちにも大変なショックを与えたと言われます。そのころちょうど太平洋横断テレビ放送が始まったのですが、アメリカから届けられた最初の放送が大統領の暗殺という、なんとも忘れがたい出来事になってしまったのでした。ケネディの暗殺がなければ、アメリカは泥沼のベトナム戦争に突入することはなかったと言われています。現在のアメリカの年間軍事予算は70兆円以上もあり、日本の一年間の税収よりも多いのですが、このような異様なアメリカの軍事国家化は、ケネディが仮に8年間大統領を務めていたら、あるいは阻止されたかもしれないし、世界の歴史は変わっていたかもしれません。このように、指導者の死は、その家族や近親者だけでなく、一国の運命、ひいては世界の運命にも影響を及ぼし得るものです。

“王のための挽歌
エレミヤ書22章1~12節” の
続きを読む

召命、再び
エレミヤ書15章15~21節

1.導入

みなさま、おはようございます。先週は幸いなペンテコステ主日礼拝を献げることができましたが、今日から再びエレミヤ書から学んでまいります。今日の説教タイトルは「召命、再び」です。エレミヤ書からの最初の説教が「エレミヤの召命」でしたが、一度神に召されたエレミヤが、再度その召しを新たにされる、というのが今日のメッセージの内容です。では、なぜ召しを新たにされる必要があったのかといえば、それはエレミヤが一度自らの召命を見失ってしまう、神の召しに背を向けてしまうという、そういう状態に落ち込んでしまったからです。どうしてエレミヤはそのような状態に落ち込んでしまったのか、また神はどのようにしてエレミヤを再びその使命へと呼び戻したのか、そのことを考えて参りたいと思います。

“召命、再び
エレミヤ書15章15~21節” の
続きを読む

聖霊に従って歩むとは?
ガラテヤ書簡5章13-25節

1.導入

みなさま、おはようございます。そしてペンテコステおめでとうございます。今日は、ペンテコステ主日ということで、エレミヤの連続説教をお休みして、「聖霊」をメッセージの中心に据えてお話ししたいと思います。

ここで皆さんと少し考えてみたいのですが、私たちは祈りの生活のなかで、どれくらい「聖霊」を意識しているでしょうか。祈る時に私たちは「天におられる父よ」と呼びかけ、私たちのこころは父なる神に向けられています。また、「イエス様、助けてください」、「イエス様、お願いします」と、主イエスに直接呼びかけることも多いですし、また祈りの締めくくりでは「イエス・キリストの聖名によって祈ります」と、父なる神への祈りも、仲保者であるキリストを通して祈っています。しかし、「私たちのうちにおられる聖霊様」ですとか、「聖霊様を通じて祈ります」とはほとんど言わないのではないでしょうか。でも、実際には私たちの祈りにおいて、聖霊ほど大事な方はいないとすら言えます。例えば使徒パウロは次のように言っています。ローマ書8章26節をお読みします。

“聖霊に従って歩むとは?
ガラテヤ書簡5章13-25節” の
続きを読む

屠り場に引かれる羊
エレミヤ章11章18節-12章6節

1.導入

みなさま、おはようございます。この2か月の間、私たちの関心を占め続けてきたコロナウイルス問題も、ようやく収束が見えてきたように思います。もちろん現段階で油断することはできませんが、だんだんと普通の生活が戻ってきています。しかし、そうなってくると、私たち日本に暮らす者がどうしても向き合わなければならない現実が頭をもたげてきます。それは地震です。地震の脅威については、それこそ予言のように常に言われ続けてきました。東海大地震、首都直下型地震、南海トラフ大地震、そして最近では北海道で地震に対する注意が喚起されています。まさに日本は地震列島であり、地震は日本に暮らす者が避けて通れない宿命だといえるでしょう。

“屠り場に引かれる羊
エレミヤ章11章18節-12章6節” の
続きを読む

負債の免除
申命記15:1-11
森田俊隆

*当日の説教ではこの原稿の一部を省略して話しています

今日は申命記の中でモーセが述べた律法のなかから一つを採り上げます。申命記の12章から26章は十戒以外の各種律法が述べられているところです。カソリックのフランシス会訳によると51項目の律法が述べられている、ということになっています。ユダヤ教の中では律法は整備されて結局最後は613個の戒めということになりました。先ほどお読みいただいたのはそのうちの一つで、安息年における「負債の免除」の部分です。簡単に言えば、7年目になったらすべての借金はなかったことにしなさい、というものです。私は銀行に勤めていましたが、そんなことをしていたら銀行業は成り立ちません。いくら昔のこととはいえ、この律法は守られたのでしょうか。信じられませんね。

“負債の免除
申命記15:1-11
森田俊隆
” の
続きを読む