1.導入
みなさま、おはようございます。おとといに元日礼拝をいたしましたが、主日礼拝としては今日が2021年の最初の礼拝となります。早いもので、第一コリントからの講解説教は今日で9回目になります。今年も、このパウロの書簡から私たち教会にとって大切なことを学んでまいりたいと思います。
さて、今日の説教のタイトルは「神の王国を相続するために」というものです。「神の王国」とは何か、ということは私も説教でたびたび取り上げていますし、非常に大きなテーマなのですが、しかし「神の王国を相続する」という言い回しに限って言えば、それは「永遠の命を受け継ぐ」ということと同じ意味だと言ってよいでしょう。主イエスもこの二つの言い回しを同じ意味で語っておられました。ここで注意したいのは、聖書の言う永遠の命とは、単に霊魂が不滅である、死んだ後もその人の霊は永遠に生き続けるということを言っているのではありません。実際、生きることが楽しいと思えない人が永遠に生き続けなければならないとすれば、それは耐え難い拷問と同じでしょう。聖書のいう永遠の命とは、元日の礼拝でも申し上げましたが、真の意味でシャロームを持つこと、つまり神との平和、人との平和な関係を永続的に持っていることです。天国に行っても、そこで嫌いな人がいて、でもその人と永遠に一緒に住まなければならない、ずっと毎日顔を突き合わせて暮らさなければならないとすれば、たとえそこがどんなにすばらしいところであっても、うれしさ半減でしょう。天の国、神の王国とはなによりも平和の王国です。シャロームの王国です。ですから、争いばかりして、人を憎む者、人を嫌う人はその王国には入れない、神の王国を受け継ぐことができないのです。
“神の王国を相続する第一コリント6章1~11節” の続きを読む