イスラエルにおける王権の根拠
列王記下9:1-6
森田俊隆

今日のお話のタイトルとしては「イスラエルにおける王権の根拠」とさせていただきました。列王記というのはイスラエルの王国が南北に分裂し、その後の王の変遷を記した文書です。北イスラエルは通常、イスラエル王国と言い、南イスラエルはユダ王国と言います。北王国についてはアッシリアにより、南王国は新バビロニアにより滅ぼされるまでが対象です。南北分裂がBC922年、南王国の滅亡BC587年ですから、300年強のイスラエルの歴史、ということになります。北王国では19代、南王国では20代の王の変遷があります。この歴史の中から見えてくる、イスラエルの王の正当性の根拠はどこにあるのか、と言うのが今日のお話です。

ドイツの社会学者でMaxWeberという有名な人がいます。彼は、政治権力の支配には「伝統的支配」、「カリスマ的支配」、「合理的支配」の3つがある、と言いました。ここに出てくる「カリスマ的支配」というのは何らかの形で神の力を得ることができた人間による政治的支配のことです。「カリスマ」はギリシャ語で「賜物」と日本語に訳されています。新約聖書のなかで17回、使われている言葉です。神より与えられた特別な能力、力のことを指しています。ほとんどがパウロの手紙での使用であり、福音書でこの言葉が登場するところはありません。旧約聖書のギリシャ語訳である七十人訳でもこの言葉はでてきません。従って、直接的に対応するヘブル語の言葉はありません。ギリシャ的素養のあるパウロの使用する言葉ということから、ギリシャ文化の中での言葉と考えられます。ギリシャの神々が有する特別な能力、力のことを指している、と理解してよいと思われます。

イスラエルの歴史を見ると、ある特定の人物に神が能力、力を与え、それを、預言者が当人に宣言し、その徴(しるし)として油を注ぐ、という場面が見られます。イスラエルの初代の王サウル、2代目の王ダビデのケースがそれです。その時、神から与えられる能力、力が「カリスマ」です。王権の正当性の根拠がこの「カリスマ」です。イスラエル信仰の基本は地上的な力の源泉はすべて主なる神にありますから、その主なる神から直接、能力、力を与えられた王、ということになります。これに対し、第三代ソロモン王は基本的にはダビデの子と言うことにその正当性の根拠があります。「ダビデ契約」と言われる、ダビデ家に与えられた神の祝福の約束が子々孫々に伝わっていく、ということです。これを「血による継承」ということができます。カリスマの場合は「カリスマによる継承」ということになります。モーセはもちろん「カリスマによる権威」を受けていますが、その政治的・軍事的後継者ヨシュアも「カリスマによる継承者」です。しかし、モーセの兄アロンが受けた祭司職は、その後、基本的には「血による継承」がされていきます。

この二つの王権継承方法という見地からイスラエルの列王記をみると、イスラエルの歴史は、この二つの継承方式の織り成すドラマという見方もできます。そして、政治権力者の権威の根拠としてみると、この二つの継承方法は今の社会にも当てはまるものです。もちろんこの2つの継承方式は絡み合っていますが、権威の発生根拠ということからすれば、いずれかに重点があります。日本社会のように政治的指導者が公然と「血による継承」で決定されている国は現代においてはまれな存在と言えます。日本では政治統治者の世界は「お上」の世界であり、一般庶民とは別の、天皇をはじめとする「殿上人」(てんじょうびと)の世界であり、そこでは「血による継承」は当然、という無意識が存在しているように思われます。

上下2巻の列王記の中から、王の継承方式がどうなっているのかをみるのが今日のテーマですが、極めて特徴的な南北による違いを最初に述べておきたい、と思います。南王国、即ちユダ王国は第6代王アハズヤの母アタルヤが王の急死に伴って女王の地位を得ましたが、この例外を除き、ずっと、息子によって王位が継承される結果になっています。「血による王権継承」というダビデ王朝がユダ王国において300年以上にわたって継続した、ということです。これに対し、北王国ではユダ王国的意味での「血による継承」はむしろ、一時的にしか続かず、大部分は、軍事的力や、社会的評判や、民衆における人気、と言うようなものを背景とした「カリスマによる継承」が中心をなしています。「我こそは」と思い実力もある者は反乱を起こし、王の地位を奪うのです。中国の王朝史に於いても王朝創立者はこの「カリスマ」が与えられて人物、とみることができます。「カリスマによる継承」と言っても、本当にカリスマが与えられているのかどうかは人間の目には見えませんし、世の中で広く受け入れられている預言者が居て、その人物が宣言するような場合でなければ「カリスマによる継承」はスムースにはいかないのです。権力欲、支配力崇拝は人間の罪の根本的なところにあります。そもそも、イスラエルの原初的信仰は王制に極めて懐疑的でしたが、それは「神による支配」が容易に「王による支配」に代わってしまう危険を知っているからです。王が文字通り神と人の僕にならなければ、この危険を回避することはできません。

そもそも「血による継承」というのは何の根拠があるものなのか、という疑問があります。なんだかよくわからないけれど、親子であれば親に与えられた能力とか力が子供にも伝わっていくものなのでしょうか。「血による継承」の正当性は、なにかしら親から子に伝えられているはずだ、ということに基づいています。科学的根拠はありませんがかなり広く存在している理解です。ダビデ契約の場合は子孫に及ぶというのが「神の約束」である、と言うのが根拠ですがそれは「血による継承」と同一のことなのかにも疑問なしとしません。とやかく、言わずにこの血にはなにやら説明できない遺伝子のようなものがあって、親子にはその継承がある、と広く世界中で信じられていることは驚くべきことです。

では、南北イスラエルにおいて「血による継承」「カリスマによる継承」の実態がどうであったのかを見てみます。最初は、南北王国が分裂する時の状況です。ソロモンの子は何人いたかわかりませんが、レハブアムと言う子が正当な後継者である、と思われていたようです。ところがソロモンが各種建設工事で人民を労働に駆り立てていたことから人々の評判が良くなかったため、北イスラエルの人々はレハブアムの王位継承を了承しませんでした。ソロモンの罪が、「血による継承」が一部にしか認められない結果を引き起こしたのです。またレハブアムにも問題がありました。北イスラエルの人々が、ソロモンのような、人民を苦境に追いやるようなことは止めにしてくれ、と頼んでいるのに、レハブアムは有識者の助言を聞かず、若くて物事をよくわかっていない若者の言うことを聞いて、更に苦役を重くする、というような馬鹿なことを宣言したのです。

北イスラエルはどうなったでしょうか。ソロモン生前のころから特に北イスラエルに存在した反ソロモンの感情を代表した反乱がいくつかありました。そのうち一つの反乱の指導者が、ソロモンの部下でエフライム人であったヤロブアムでした。ソロモンは有能なヤロブアムに統治のかなりのものをゆだねていたようです。ところが、ある時、アヒヤなる預言者が「あなたは北イスラエル10部族の王となる」と宣言します。それはソロモンが他民族への神信仰にふけっているからだ、というのです。

ヤラベアムが北王国の王に就任したところは「カリスマによる継承」の基本的形を踏襲しています。預言者アヒヤによる「王の宣言」があります。北イスラエルの指導者たちの王就任への承認があります。失敗したとはいえ内乱を指導した経歴、あの偉大な国エジプトへの亡命生活経験者であり、所謂「苦労してきた人」なのです。神の守りが彼にあった、ことは確実です。カリスマ的人物の要件は満たしているように思われます。一方的な預言者による「主なる神の言葉」の告知にとどまらず、国民的同意も存在した、と判断できます。指導的立場にある人々の推挙による最高指導者の指名というやり方は世界中で行われてきたやり方です。ローマ共和制における元老院による護民官の選出がこの形態でした。現代日本の政治をみると、指導的立場の人々が本当に良識のある人々か、はまるで別の問題のようです。

ヤラベアムの問題はこの王の継承方式にあるのではありません。エルサレムにおけるダビデ王朝の宗教祭儀と独立した国家祭儀の形式を別途作り始めたことです。私たちは主イエスのおっしゃられた「父なる神」の期待はいかなるものであったのか、人間の罪がそれをどれだけねじまげたのか、という見方から、列王記著者の評価を批判的に見る必要があります。このように見ようとするとヤラベアムの「血による継承」の拒否も無理からぬことだ、父なる神の許容範囲ではないか、と言う見方もできます。

北王国の信仰についてはその後も変遷がありますが、今現在でも「サマリヤ教団」と言う形で少数の集団ながら存続しています。聖書は基本的に「モーセ五書」だけで、内容も我々の持っている「モーセ五書」とは異なるようですが、逆に、むしろ古い表現が残されている、という面もあるようです。

次に見てみたい王権継承の物語は、エフーのところです。エフーが王になる前の四人の王はオムリ王朝と称せられる王朝でした。このオムリ王朝は南王国と連携しつつ周りの異民族を勢力下に入れていきました。オムリに続くアハブは南王国と婚姻関係を結ぶことにより連携しました。モアブのメシャの碑文からはオムリがモアブを支配下に入れたことも推測されています。モアブを勢力下に入れたということはアラビア方面との通商路「王の道」を抑えたことになり、貿易による膨大な利益を上げる端緒を作ったことを意味します。オムリ王朝は国力増大と言う意味では優秀であり、他民族からも一定の敬意を持たれていたようです。アッシリヤ文書においてはオムリ王朝の後のエフー王朝も含め「オムリの家」と呼ばれている、とのことです。

隆盛を誇ったオムリ王朝もアハブ、アハズヤが死んでからは周辺国に独立の動き在り、ヨラムは戦争に明け暮れる状況に陥ったようです。そしてアラム人との戦いで傷を負って、自国に戻ってきていました。そんなとき、預言者エリシャは預言者仲間を北王国の軍隊長エフーのところに送り、彼の頭の上に油を注ぎ「イスラエルの王とする」と言う主なる神の告知を伝えるように言います。そして「若い者」と言われている預言者の「ともがら」は、言われた通りに行います。これを聞いたエフーの家来たちは「エフーは王である」と叫んで歓呼します。そしてエフーはヨラム王に謀反を起こします。エフーとヨラムの間での禅問答のようなことがあってのち、エフーの矢がヨラムの心臓を射抜きました。ヨラムと手を組んで戦いをしていた南王国のアハズヤもここに、居ましたが、エフーは、彼をも殺せ、との命令を発し、結局アハズヤはメギドで死にます。エフーはヨラムの母、イゼベルを退治しに向かいます。彼女は、ティルスからきて政略結婚でアハブの妻となった女性でアハズヤ、ヨラムの母です。異教の神を祭る極悪女と列王記著者は見ています。エフーはイゼベルの側近たちに、門の上から突き落とせ、と命じると彼らはそのようにしました。彼女は死にました。エフーはアハブの七十人の子どもを始め、アハブの家に属する人々を皆殺しにしました。サマリヤに行き、そこでも同じようにアハブの家系に属する者は全員殺しました。

エフーの場合の王権継承方式をみるとこれは明らかに「カリスマによる継承」です。エリヤの後継者エリシャによる主の言葉の告知に基づいており、衰退傾向にあった北王国の状況を転換したいというこの国の指導者たちの声を背景にしている、と考えられます。戦争のために駆り出されるのはもう御免、という民衆の気分も背後にあったかもしれません。しかし、かれの行った皆殺しは主なる神の期待ではありません。アハブの家を断絶せよ、という声が、もしエリシャにより発せられていたのだとすれば、エリシャはかつてサムエルが犯した誤りをかれも犯している、と言わねばなりません。しかし、今回はそれが完全実行されたという意味で事態は更に悪い、といえます。後世の表現でいえば、預言者がサタンの声を主の声と誤解した、と言えるかもしれません。エフー王朝は苦難の幕開けでしたが、エフー王朝四代目のヤロブアムII世の時代に、失われた「王の道」を回復し、貿易を拡大し、国力を高め、北王国の最も繁栄した時代をもたらしました。しかし、それは、貧富の差を拡大し、庶民層の不満が高まる状態を作り出しました。イスラエルのヤハウェの下で全イスラエルは平等、という伝統的価値観が完全崩壊寸前になっていたのです。列王記著者からみればヤロブアムII世の治世などもっての他、であり、こっぴどい評価がされています。現代の資本主義社会の現状はこの時代のようなもので貧富の差の拡大は目に余る状況となっています。列王記著者の見方には問題が多々あるのは事実ですが、預言者の警告は今の世にも当たっている、ということも事実です。

最後に、「血による継承」の例として、ヨシヤの例を見ます。この王の時代に申命記が発見され、ヨシヤ王はこれに基づく宗教改革を行い、国家宗教としてのユダヤ教の基礎を作った王として名高い王です。日本のクリスチャン家庭における男の子には「義也」と称してこの名をつけているのが時々見られます。このヨシヤの二代前のマナセ王は列王記著者から背信者の代表のように悪口を言われています。その子アモンも親に輪をかけたような悪(わる)と見られています。マナセの治世は55年と列王記のなかで最長の治世ですから、そんなひどい話ばかりではなかったであろう、とは思いますが、北イスラエル同様、貧富の差が拡大していたこと、北王国を倒したアッシリヤからの圧力がいまだ現実のものとして存在したこと、から考えて、国内結束が何にも増して必要な時期でした。マナセの後継者アモンの時、アモンの家来たちは、「この王ではこの国はだめだ」として反乱を起こし、アモンを暗殺してしまいます。しかし、民衆は反乱を起こした家来たちを殺して、アモンの子ヨシヤを王に持ち上げます。彼らは、「血による継承」を重んじ、まだ子供であったヨシヤを王としたのです。そして反乱を起こした「家来」と呼ばれた人々を追放し、自分たちで王側近を形成し、ヨシヤが一人前になるのを待つ、と言う方策をとります。ユダ王国では「血による継承」の正当性が強く、皆に受け入れられていた、ということです。ヨシヤは8歳で王となりました。そして18年後、ヨシヤが26歳の時、申命記が発見され、大宗教改革が始まったという訳です。

しかし、このヨシヤ王の最後は悲劇的です。当時の国際情勢は、アッシリヤが弱体化しつつあり、新バビロニアが強大化しつつありました。エジプトでは内戦的状況が解消されエジプト人による第26王朝が作られ、そこのプサンメティコスI世はメソポタミアとその途上にあるカナンの地への進出を狙っていました。そして彼は、アッシリヤの勢力を支援するためにカナンの地に進出しました。おそらく、まずはカナンの地を勢力下に入れ、次にメソポタミアを狙う、という戦略であったと思います。何としてでもユダ王国の独立を確保したいヨシヤは無謀にもエジプト軍に戦いを挑みました。アッシリヤに近いヨシヤがアッシリヤを支援するために、出兵したとの解釈もありますが、ヨシヤはそんなことより自分の国の独立の方が重大事項であったはずです。その後の歴史をみれば、強国の緩い支配のもとにあっても事実上の独立国家を維持する、という道はあったはずですが、ヨシヤはそのような曖昧な態度はとりませんでした。宗教改革のやり方をみても、妥協的態度を採れなかったのだと思います。そこで、ヨシヤは戦死します。このあとは国家滅亡の道へまっしぐら、という結果になります。「血による継承」は形だけは維持されますが、独立国の実態は次々と消えていきます。

王権の継承の方式という角度から列王記を見てみました。現代社会の罪の現実を見るような気がします。主イエスの祈られた父なる神、即ち我々の父なる神でもありますが、その神の望まれること、期待されていることは何なのかは時に非常に判断が難しい、ということは事実です。しかし、今ここに復活の主が立たれたとすれば何とおっしゃるかな、ということを常に念頭に置きたい、と願う者です。祈ります。

(ご在天の父なる御神様、今日の礼拝の時を感謝いたします。今日は、列王記のなかから、イスラエルにおける王位の「血による継承」と「カリスマによる継承」の現実を見ました。多くの悲劇が展開されています。驚くことに、今の世界の現実も、ほとんど変わっていません。しかし、私たちキリスト者はそれが父なる神、主イエス・キリストの期待とはかけ離れていることを知っています。どうか私たちが、地の塩となり、世の光となった主イエスに従う者とならせてください。主の御名により祈ります。アーメン)

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