新しい契約
エレミヤ書31章23~40節

1.導入

みなさま、おはようございます。半年間かけて、エレミヤ書に取り組んでまいりましたが、今日はその最終回になります。前回は、エレミヤの人生の終わりがどのようなものだったかを学びました。20歳そこそこの青年時代からすべてを神に献げ尽くした人物の生涯の終わりとしては、それはあまりにも悲劇的なものでした。このような義人の苦しみ、神に心から仕えた人の受けた苦難の意味をどう考えるのか、というのは聖書における一つの重大なテーマです。神に仕える人は神に守られるべきではないか、なぜ神は僕を見捨てたもうたのか、という問いは、実にイエス・キリストの十字架にまで続く大きな問いなのです。しかし今日は、エレミヤの生涯の軌跡を追うよりも、そのような苦難の人生を経てエレミヤの思想がどのように深められていったのかを考えてまいりたいと思います。エレミヤという偉大な預言者の思想、あるいは神学の深まりの軌跡を考えていこうということです。

“新しい契約
エレミヤ書31章23~40節” の
続きを読む

士師記の時代
士師記1:27-33
森田俊隆

説教者の希望により、説教原稿を改定しています。そのため、音声と以下の内容が一致しないことをご了承ください。

今日から数回、士師記を学びたいと思います。ヨシュア記、士師記は旧約聖書の難物です。聖書の言葉を文字通りに読んで、「納得」という訳にはいかないからです。その理由は、人間から見て、残虐に見えるような事柄が起こり、それが「神の命令」「神の計画」であると書かれているからです。

そのうち最たるものは新改訳聖書で「聖絶」と訳されている言葉についてです。聖なる破滅と書きます。この言葉が最も沢山出てくるのはヨシュア記です。ついで、申命記、サムエル記と続きます。ヨシュア記では戦争のあと、敗戦のカナンの人々を全員、殺すという意味で出てきます。主なる神の命令として出てくるのです。ヨシュア記の次の士師記ではわずか2か所にしかでてきませんが、そのあとのサムエル記になりますとこの意味での「聖絶」が復活したかの如く何度も登場します。ヨシュア記ではイスラエルの民はカナン人に連戦連勝で、その勝利のあと、対戦の相手を全員殺せと命じられています。士師記になると、イスラエルは周辺の民族との融和路線になり、そもそもすっきりと勝利した戦争は消えます。そのため「聖絶」の言葉も登場回数が減ります。はっきり言えば、カナンの民の方が強かったので、戦争を仕掛けるなどと言うことはほとんどできなかったのです。しかし、サムエル記にはいると周囲の民族との民族存続をかけた戦争に突入します。初代の王サウルはアマレク人を打ち破り、その民を「聖絶」しますが、その家畜は「聖絶」しなかったということから、王として不適格とされる事態に至ります。サウルは精神病のような状態になり、結局、ダビデが王位につくことになります。

“士師記の時代
士師記1:27-33
森田俊隆
” の
続きを読む

エレミヤのその後
エレミヤ書42章1~22節

1.導入

みなさま、おはようございます。エレミヤ書からの連続説教も今日で16回目、残すところあと2回となりました。今日のメッセージは、エレミヤの人生の最後の日々、エルサレムが陥落し、ユダ王国に遣わされた預言者としての使命を終えた後の人生の最晩年について学んでまいりたいと思います。エルサレムが陥落した時、エレミヤはもう60歳になっていました。今日では人生100年時代と呼ばれるようになりましたが、当時は60歳というともう現役を退く年でした。過酷な預言者人生を送ったエレミヤですので、せめて余生は平穏な人生を送りたかったでしょうが、そうはいかなかったのです。彼の人生は、その終わりまで苦難に満ちたものでした。

さて前回は、エルサレムが滅びる直前に行われた、エレミヤとユダ王国最後の王ゼデキヤの密談の場面を見ました。エレミヤは、もうすぐバビロンがエルサレムを滅ぼすために戻ってくる、それまでの間に早くバビロンに降伏して生き延びなさいと強く勧めます。その言葉を受け入れたゼデキヤ王ですが、結局徹底抗戦を叫ぶ部下たちを恐れて決断できず、エルサレムはとうとうバビロンによって攻め滅ぼされました。その顛末は、本日交読文でお読みした通りです。バビロンの王ネブカデレザルは、エルサレムが陥落するとき、部下に命じて囚われの身だったエレミヤを保護させました。なぜバビロンの王がイスラエルの預言者を保護したのか、その詳しい理由は書かれていません。おそらく、早い段階でバビロンに投降していた親バビロン派のユダヤ人たちが、バビロンの王にエレミヤのことを伝えていたのでしょう。エレミヤは、イスラエルの神はバビロンの王を覇者に定めたと預言していましたら、そのことを聞いたバビロンの王も悪い思いはしなかったのでしょう。エレミヤを助け出すことにしたのです。

“エレミヤのその後
エレミヤ書42章1~22節” の
続きを読む

王と預言者
エレミヤ書38章14~28節

1.導入

みなさま、こんにちは。9月に入りました。エレミヤ書からのメッセージも、今日を含めて三回になります。さて、ここ一週間は安倍総理大臣の突然の辞意表明を受けて、次のリーダーは誰か、どう決めるのかについて世間の注目が集まっています。リーダーの資質は国の行方を左右するので、このことは大変重要なことです。特に国が危急存亡のときには、リーダーの決断一つで国の運命が決まってしまいます。私たち日本も、問題が山積している状態にあるので、本当にふさわしい人がリーダーになることを願わずにはおれません。

さて、今日はエレミヤの仕えた最後の王、そして実にユダ王国の最後の王となったゼデキヤの決断、いや決断というより彼の優柔不断について見てまいります。南ユダ王国はまさに危急存亡の際にいました。今や世界の覇者となったバビロンに攻め込まれ、18か月もの間首都エルサレムはバビロン軍に包囲されていました。エジプトから援軍が来たためにバビロンの包囲は一時的に解かれましたが、バビロンの王ネブカデレザルはエルサレム攻略をもちろん諦めてはいません。いつまたバビロンが攻めてくるか分からない、そういう状況にユダ王国は置かれていたのです。このバビロンの包囲が解かれた、つかの間の時間、この時が一国のリーダーたるゼデキヤ王に残された最後の時、決断をするための最後の機会でした。この時どう決断するかで、彼自身とその王国の命運が決まるのです。この時ゼデキヤ王は預言者エレミヤに助言を求めました。その顛末を今日は学んでいきます。

“王と預言者
エレミヤ書38章14~28節” の
続きを読む

エレミヤの祈り
エレミヤ書32章16~44節

1.導入

みなさま、おはようございます。さて、エレミヤの預言者としての人生も、いよいよ終盤に差し掛かってきました。前回は、ユダ王国の人々が奴隷解放の誓いを撤回したために、滅亡が避けられないものとなったというお話をしました。今日の箇所は、その滅亡の先にある希望についてです。

ではいつものように、これまでの経緯を振り返ってみたいと思います。ユダ王国最後の王であるゼデキヤは、北の超大国バビロンの後ろ盾でユダ王国の王となることができました。しかし、ゼデキヤは南の超大国エジプトとひそかに同盟を結ぶことで、バビロンの支配を脱しようとしました。このユダ王国の動きを知ったバビロンの王ネブカデレザルは自分の子飼いの王の背信に怒り、大軍をもってユダ王国に攻めてきました。バビロンは、南ユダ王国の主要都市をすべて滅ぼし、最後にエルサレムを包囲しました。いわゆる籠城攻めです。しかも、18か月間、1年半もの間包囲網を敷きました。ユダ王国は窮地に追い込まれ、神の憐みを乞うために今まで一度も守ったことのない神の戒め、つまり奴隷解放の戒めを実施します。しかし、ここで事態が急変します。南の大国エジプトがとうとう動き出し、エルサレム救出のために援軍を送ったという報が届きました。バビロンも強国エジプトからの軍を警戒し、いったんエルサレムの包囲網を解きます。すると、脅威が去ったと喜んだエルサレムの人々は奴隷解放の宣言を撤回し、解放奴隷を再び奴隷にしました。この恥ずべき行動は神の激しい怒りを引き起こし、神はバビロンを再び連れ戻してエルサレムを滅ぼすことをエレミヤに伝えました。これが前回までの話です。

つまり、今回の聖書箇所はエルサレムが一時的にバビロンの包囲から解かれ、人々がつかの間の平和、安堵感を味わっているという状況で起きた出来事でした。では、今日の箇所を詳しく見ていきましょう。

“エレミヤの祈り
エレミヤ書32章16~44節” の
続きを読む

偽りの解放
エレミヤ書34章8~22節

1.導入

みなさま、おはようございます。早いもので、エレミヤ書からの説教は今日で13回目になります。実は、エレミヤ書の連続説教を始める時、12回ぐらいを考えていると申し上げましたが、今日でそれを超えてしまったことになります。エレミヤ書の説教も後半にはなっていますが、もうしばらくエレミヤ書からのメッセージに耳を傾け続けたいと思っております。何度かお話ししましたが、エレミヤはユダ王国の5人の王の時代にまたがって預言者としての活動を続けました。5人というのは大変多いのですが、その5人目はユダ王国最後の王となるゼデキヤでした。今日を含めてこれから数回は、ゼデキヤとユダ王国がなぜ滅んでしまったのかを見ていきます。

さて、ゼデキヤは大国バビロンによって王にされた人物で、したがって当時のユダ王国はバビロンの属国でした。神の民であるユダ王国が異教徒のバビロニア帝国に服従すること自体が神のイスラエルに対する裁きだったのですが、ユダ王国はバビロンの属国として生き延びることが可能でした。エレミヤも、ゼデキヤ王に対しバビロンに仕えて生き延びなさい、バビロンに謀反を起こしてはならない、という助言を繰り返していました。ゼデキヤも、近隣諸国からの反バビロン連合への誘いに加わらないなど、当初は慎重な姿勢を示していましたが、しかしついに破滅への道、バビロンへの反逆の道を選んでしまうことになります。その原因は南の大国エジプトでした。ユダ王国は、いつも北の大国と南の大国との間を揺れ動いていました。アッシリアなどの北の大国に従ったり、あるいは南の大国エジプトについたり、ということを繰り返してきたのです。ゼデキヤがバビロンに謀反を起こそうという気になったのも、エジプトが後ろ盾になろうという働きかけを強めてきたからでした。エジプトは一度はバビロンに敗れたものの、勢いを盛り返してバビロンからパレスチナを奪い返そうとしていました。その動きに連動するように、ゼデキヤもバビロンに反旗を翻したのです。それがユダ王国の滅亡へとつながっていくのですが、その過程では様々なドラマがありました。今日はその中でも、一つの重要な出来事について考えてまいります。

“偽りの解放
エレミヤ書34章8~22節” の
続きを読む

アカンの罪
ヨシュア記7:19-26
森田俊隆

* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

今日はヨシュア記のなかの物語の一つである「アカンの罪」からメッセージを得ます。このお話は、簡単に言えば、エリコにおける戦勝で奪ったものは、神に捧げるものとしなければならないのに、アカンという家族の長が自分のものとしました。その結果、アイの町との戦いに敗れたということです。そして犯人を見つけ、犯人の家族を石打ちの刑に処して罪を償わせた、ということです。そのあと8章でアイを攻めて勝利を売ることができました。また、新約聖書の使徒行伝4:32-5:11のアナニアとサッピラの話で、家を売って得たお金の一部を手元に置き、残りのみを教会に捧げるということをしたのに対し、神の怒りにより夫婦が死ぬ、という話がでてきます。これは、すべてを神に捧げたはずなのに、一部を自分のものとしたのは神のものを盗んだに等しい、ということから、このような罰が下されることとなった、というものです。「アカンの罪」も主なる神のものとされた聖絶のものを一部自分のものとしたことによって神の怒りを引き起こしイスラエルは、彼の家族全員を石打ちの刑と、焼き尽くすことにより償った、ということです。主なる神のものをちょろまかすのは旧約・新約通して大罪であり死を免れない、ということの話として伝えられてきました。しかし、今日は少々別の角度からこの物語を理解していきたい、と思います。

“アカンの罪
ヨシュア記7:19-26
森田俊隆
” の
続きを読む

ハナヌヤ
エレミヤ書28章1~17節

1.導入

みなさま、おはようございます。私たちの教会では、これまで旧約聖書の学びを熱心に続けています。この主日礼拝ではエレミヤ書、親子礼拝では創世記、祈祷会ではサムエル書を読み、森田役員のメッセージも旧約聖書からの講解です。私は以前奉仕していた教会でも、旧約ばかりを取り上げるので、「先生のご専門は旧約ですか?」と尋ねられることがよくありました。でも、私は新約学者の端くれでして、論文を書いたのはパウロについて、神学校でも新約学を教えています。ですから正直を申しますと、説教も新約聖書からの方がずっと準備しやすいのです。それでも、教会での説教で旧約聖書を大変重視しているのは、旧約聖書こそが新約聖書の土台だからです。家を建てる時は、まずしっかりとした土台を据えることが肝要です。土台もしっかりしないのに、いくら見栄えの良い上物を立てても、その家は固く立つことはないでしょう。新約聖書も同じことです。旧約聖書をよく知らずに、新約聖書ばかり読んでも、その内容を半分も理解できないでしょう。主イエス・キリストの宣教についても、旧約をよく知らずには十分には理解できないのです。理解できないどころか、それを誤解したり、曲解したりする恐れすらあります。なぜなら、旧約聖書という土台の代わりに、自分勝手な土台を据えてしまう恐れがあるからです。

“ハナヌヤ
エレミヤ書28章1~17節” の
続きを読む

反バビロン連合
エレミヤ書27章2~22節

1.導入

みなさま、おはようございます。前回、今回と説教のタイトルに「バビロン」という名前が登場します。エレミヤにとっても、当時の南ユダ王国にとっても、バビロンというのは非常に大きな存在でした。私たち日本について考える場合にも、アメリカ、あるいは中国という大国の存在抜きに政治や経済、あるいは文化を考えるのは不可能なわけですが、南ユダ王国にとっても、北の大国バビロンは目の上のたん瘤、常にその存在を意識しないわけにはいかない存在でした。

しかもこのバビロン、あっという間に勢力を拡大した新興勢力でした。いわゆる成り上がり国家でした。バビロンはずっと北の大国アッシリアの植民地で、アッシリアから独立したのはエレミヤが預言者としての召命を受けた2年後のことでした。ですからエレミヤが預言者として活躍を始めたときには、バビロニア帝国は存在すらしていなかったのです。それが、またたく間にその力を拡大し、宗主国であったアッシリアの首都ニネベを攻め滅ぼすまでになります。わずか20年ほどで、メソポタミア地方の盟主にのし上がったのです。

“反バビロン連合
エレミヤ書27章2~22節” の
続きを読む

第一次バビロン捕囚
エレミヤ書24章1~10節

1.導入

みなさま、おはようございます。早いもので、エレミヤ書からのメッセージも今日で10回目になります。今後もあと2か月ほどは、エレミヤ書からメッセージをさせていただきますが、その際にお願いしたいのは、今日お手元にお配りした「補助レジュメⅡ」を、ぜひ毎週お持ちいただきたいということです。何度も言いますが、エレミヤ書の記述は年代順に並んでいません。エレミヤ書を読んでいると、時々迷路をさまよっているような気持になります。迷路を進んでいると、一度通ったはずの道にまた戻ってしまうということがありますが、エレミヤ書の場合でも、ある歴史上の出来事について読んだ後に、何章も読み進んでからまた戻ってきてしまうというようなことがあるのです。ですからエレミヤ書を読むうえでは、迷子にならないように、今自分がどこを歩いているのか、どの時代の出来事を読んでいるのかを確認していく必要があります。今日お渡ししたレジュメは、その意味でお役に立つことと思います。

私の今後の説教は、基本的にはこのレジュメの歴史の流れに沿ってお話ししますので、まずこのレジュメについて簡単にご説明したいと思います。先日お配りしたレジュメのⅠでは、エレミヤの40年間の預言者としての歩みをまとめましたが、今回はエレミヤの後半生、特にヨシヤ王が死んだ後のエレミヤの歩みをより詳しく書きました。ここには、ユダ王国16代の王ヨシヤの跡を継いだ4人の王の名が記されています。ヨシヤ王の三人の息子が17代、18代、そして20代目のユダ王国の王に次々と就任しました。19代目の王は、ヨシヤ王の孫、そして18代の王エホヤキムの息子でした。しかし、17代と19代の王は短命でそれぞれ3か月だけの王様でした。17代の王エホアハズは三か月後にエジプトに捕虜として連れていかれ、19代の王エホヤキンは三か月後にバビロンに連行されました。このたった三か月間だけ南ユダの19代目の王だったエホヤキンとその家来たちがバビロンに連行された出来事を「第一次バビロン捕囚」と呼びます。そして、その第一次バビロン捕囚が今日の説教のテーマになります。

“第一次バビロン捕囚
エレミヤ書24章1~10節” の
続きを読む