三人の証人・証言
申命記19:15-21
森田俊隆

先月は申命記の各種律法のなかから安息年における負債の免除の条項を採り上げました。本日は、裁きの時に於いて、証人が一人では罪に定めることはできず、複数人の証人を必要とする、ということが言われています。この規定は十戒のうちの第九戒申命記5:20「あなたの隣人に対して、偽証してはならない」を更に具体的に示したものです。十戒に違反して偽証していても一人であれば、それが偽証かどうかも分からない、ので、複数人の証言を求めています。いわば裁判の公正さを確保するための方法を律法として定めたもの、ということができます。「証人」「証言」は現代の裁判においても証拠の一つとされ、ここにおける偽証は極めて重大な問題を引き起こします。一般の社会においても「あの人が言っていることだから間違いないであろう」ということで信ずることも日常的にあります。考えてみると重大なことが気軽に決められていることもあります。

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申命記19:15-21
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負債の免除
申命記15:1-11
森田俊隆

*当日の説教ではこの原稿の一部を省略して話しています

今日は申命記の中でモーセが述べた律法のなかから一つを採り上げます。申命記の12章から26章は十戒以外の各種律法が述べられているところです。カソリックのフランシス会訳によると51項目の律法が述べられている、ということになっています。ユダヤ教の中では律法は整備されて結局最後は613個の戒めということになりました。先ほどお読みいただいたのはそのうちの一つで、安息年における「負債の免除」の部分です。簡単に言えば、7年目になったらすべての借金はなかったことにしなさい、というものです。私は銀行に勤めていましたが、そんなことをしていたら銀行業は成り立ちません。いくら昔のこととはいえ、この律法は守られたのでしょうか。信じられませんね。

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モーセの最後
申命記34章1-8節
森田俊隆

*当日の説教ではこの原稿の一部を省略して話しています

本日は申命記からです。申命記といえば、律法を思い出し、「あーあの、あーしろ、こーしろ、という規則が書かれた文書ですね」という声が帰ってきそうです。確かに申命記の中心部分と言えば、十戒を含め律法について書かれた部分でしょう。しかし、それがすべてではありません。

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申命記34章1-8節
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