尋問者たちとの対話
マルコ福音書12章18~44節

1.序論

みなさま、おはようございます。前回はわずか5節ながら、ユダヤの地を支配する世界帝国であるローマとの向き合い方という、大変重要なテーマについて学びました。それに対して本日の説教では、四つのテーマが次々と語られます。それらはいずれも大切なもので、一回一回説教の題材として取り上げてもよいほどですが、しかしマルコ福音書では物事は早いスピードで進行しているので、その緊迫感を伝える意味でも今日はまとめてお話ししたいと思います。

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神と皇帝
マルコ福音書12章13~17節

1.序論

みなさま、おはようございます。先週は幸いなイースター礼拝を献げることができて感謝でした。今日は再びマルコ福音書からお話しさせていただきます。今日の聖書箇所はわずか5節です。前回のマルコからの説教は24節でしたので、えらく短いとお感じになられたかもしれません。しかし、今日の箇所は極めて重要な箇所で、丁寧な説明を必要とします。また、聖書を研究する人々の間でも解釈が割れる難しい箇所でもあります。ですから今日はじっくりとこの5節についてお話ししたいと思います。

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エマオの途上で
ルカ福音書24章13~32節

1.序論

みなさま、イースターおめでとうございます。キリスト教には三つの大きなお祝いの日があります。一つは誰でもご存じのクリスマスで、これはイエスの誕生を祝う日です。もう一つはペンテコステという日があり、これは今日のイースターから50日目の祝日です。ペンテコステの意味については、ペンテコステ礼拝の時にお話ししたいので、今日は三つのお祭りの中でも最も重要なイースター、復活祭についてのお話です。

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ユダヤ当局者たちとの対決
マルコ福音書11章22節~12章12節

1.序論

みなさま、おはようございます。来週はいよいよ復活主日で、今日は棕櫚の主日ですが、私たちが読み進めてきたマルコ福音書も、いよいよクライマックスに近づいて参りました。今日の箇所は、特にイエスの「預言者」としての働きに注目すべきところです。イエスが預言者であるということ、預言者としてのイエスの働きはとても重要ですが、ここで聖書のいう「預言者」の意味を改めて考えてみたいと思います。

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ヤコブの祈り
創世記31章51節~32章32節

1.序論

みなさま、おはようございます。今年になってから、毎月の月末には旧約聖書からメッセージをさせていただいております。今回で三回目になりますが、今日は創世記から、それも族長ヤコブについてお話しさせていただきます。聖書の神は「アブラハム、イサク、ヤコブの神」としてご自身をモーセやイスラエルの人々に自己紹介されました。それだけこの三人は、イスラエルの人たちにとって特別な存在です。アブラハムは今からだいたい4千年も前の人物とされていて、もともとカルデヤと呼ばれる地、そこはバビロニア帝国が生まれた地ですが、そのカルデヤの住民でしたが、神に召し出されて高齢になってからカナンの地に移り住みました。アブラハムはイスラエル民族のルーツ、開祖とされる人物ですが、イスラエル人だけでなく、アラブ人の祖先でもあります。ですからユダヤ教やキリスト教だけでなく、イスラム教にとってもアブラハムは極めて重要な人物なのです。そのアブラハムの子がイサク、孫がヤコブです。

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いちじくの木
マルコ福音書11章1~21節

1.序論

みなさま、おはようございます。今私たちはレント、受難節と呼ばれる季節を歩んでいますが、それはイエスの苦難の日々を覚える季節です。今日の聖書箇所は、イエスのエルサレムでの最後の一週間、苦難の一週間の始まりの箇所で、マルコ福音書における第三幕の始まりの箇所でもあります。第三幕といいましたが、マルコの第一幕はガリラヤ編で、イエスのガリラヤ地方における宣教活動を描いている場面です。第二幕は、ペテロがイエスこそ待望の救世主、メシアであると告白したところから始まる、イエスと弟子たちのエルサレムへの旅を描いています。その旅の目的の一つは、弟子たちの霊的な盲目を癒し、神の国の価値観を彼らに教えることにあった、ということを前回まで詳しく学んで参りました。そして、最終章である第三幕となるのですが、その舞台は聖都エルサレムです。

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神の国の権力者
マルコ福音書10章32~52節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日の説教タイトルは「神の国の権力者」ですが、このタイトルを聞いて少し違和感を持たれたかもしれません。といいますのも、「権力者」という言葉の生々しさ、俗っぽさが、「神の国」という聖なるもの、清らかなイメージとそぐわないと感じられるからです。しかし、あえてこのようなタイトルにしました。といいますのも、イエスの弟子たちがイエスに従ってきた動機がかなり俗っぽいものだった、端的に言えば出世のためだったということが、今回の彼らとイエスとの会話で露骨なほど明らかになるからです。イエスの弟子たちは無欲な人たちではありませんでした。むしろ私たちと全く同じような、俗人でした。彼らはずばり、「権力者」になりたかったのです。ですから私たちも、自分自身が聖人にはほど遠い、人並みの欲得で動く人間だと痛感することがあったとしても、がっかりする必要はありません。そんな私たちのことを、イエス様は私たち以上によくご存じです。それでも主は私たちを選んで、召してくださったのです。

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神の国に入るためには(2)
マルコ福音書10章17~31節

1.序論

みなさま、おはようございます。前回から、神の国、神が支配される王国に入るためにはどのような生き方が求められるのか、どのような人間であるべきなのか、という大切なテーマについてイエスが教えている場面を学んでいます。神の国とは天国と言い換えてもよいですが、それは私たちの究極の希望ですので、そこに入るためにはどうすればよいのか、というのはクリスチャンであれば誰もが大変気になるテーマであろうと思います。

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民族主義的預言者ヨナ
ヨナ書3章1節~4章11節

1.序論

みなさま、おはようございます。今年から、毎月の月末は連続講解説教中のマルコ福音書から離れて、旧約聖書からメッセージをさせていただくことにしました。今回は二回目になりますが、今朝はヨナ書からお話しさせていただきます。ヨナの話は旧約聖書の中でも特に有名ではないでしょうか。ヨナが三日三晩をクジラのお腹の中で過ごすという、おとぎ話かファンタジーに出てきそうな話ですが、クリスチャンでなくても一度は聞いたことがあるというお話かもしれません。しかし、今日の説教題は「民族主義的預言者ヨナ」です。このタイトルから、どんな説教を想像されるでしょうか?みなさんも、ヨナ書を民族主義、ナショナリズムという観点から読まれたことはないかもしれません。

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神の国に入るためには
マルコ福音書9章42~10章16節

1.序論

みなさま、おはようございます。私たちはマルコ福音書を読み進めていますが、以前私はマルコ福音書の主題、メインテーマは「神の王国」である、ということを申し上げました。日本の聖書訳では「神の国」と訳されることが多いのですが、「神が王である」という大事なポイントを見失わない限りは「王」という言葉の含まれない「神の国」でもよいと思います。ですから私も説教で「神の国」と言ったり「神の王国」と言ったりしますが、あまりそうした違いは気にしないでください。ともかくも、「神の王国」こそイエスの宣教の中核、あるいはイエスの意図を理解するカギなのですが、その言葉が特にこの10章では繰り返しイエスの言葉の中に現れます。その意味で、今回そして次回学んでいく10章のイエスの教えは大変重要なものです。

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