王を求める民
第一サムエル8章1~22節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日もサムエル記から学んで参りましょう。さて、前回の箇所でもお話ししましたように、サムエル記の1章から7章まではひとまとまりの話になっています。これはサムエルを主人公とする話で、サムエルは士師としてイスラエルを一つにまとめる働きをしていました。

それに対して、今日の8章からは新しい話になります。それはイスラエルに初めて統一王国が誕生する、そのような大きな変化の時代を描いています。イスラエルはこれまで、ずっと王制を拒否してきました。それは、イスラエルには「神のみが王である」という理念があったからです。士師のギデオンが民衆から自分たちを治めてくれ、支配者になってくれと頼まれた時に、ギデオンは「私はあなたがたを治めません。主があなたがたを治められます」と語りました。神が王であるというのはどういうことかといえば、それは「王である神の下にイスラエル人は皆平等である」という意味合いがあります。王というのは特別な身分です。多くの国々では、王は神々の子孫だと信じられていて、平民とは明確に出自や身分が違うと信じられてきました。そのような存在がイスラエルの民の中に出現すると、「神の下に人は皆平等である」というイスラエルの理念が崩れてしまう可能性があります。ですからイスラエルは、周辺の国々が強力な王制の下に国力を増大させている時にも、そのような流れに背を向けるように王という存在を持とうとはしませんでした。あくまで十二部族が平等に、互いに助け合うという平等な協力体制を維持してきたのです。しかし、一時的に危機は去ったとはいえ、ペリシテ人などの強力な隣国の存在がある中で、人々はより大きな安心を持ちたいと願うようになります。王の下に強力な常備軍を編成して、外国の脅威から自分たちを守ってほしいという願いがくすぶっていたのです。むろん、これまでもイスラエルを守ってきたのは神なのですが、神という目に見えない存在よりも、王というある意味で分かりやすい、そういう存在を求めてしまうのです。ここにも目に見えるものを求めてしまうという、信仰の問題があります。今日の箇所は、イスラエルの歴史的転換点ともいえる王制がどのようにして生まれることになったのか、そのきっかけを描いています。そのことを頭に入れながら、今日のみことばを読んで参りましょう。

2.本論

さて、8章1節ですが、ここには非常に重要なことが書かれています。「サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとした。」前回の箇所では、サムエルの壮年期、最も脂がのった時期の活躍を見たのですが、その時イスラエルは宿敵のペリシテ人の撃退に成功しています。今回はそのサムエルが老いた、と書かれています。人間だれしも老いますが、問題はその時にサムエルが取った行動です。彼は自分の息子たちをさばきつかさにしたのです。さばきつかさとは、すなわち「士師」のことです。サムエルは士師という地位を、世襲制にしてしまったのです。これは、イスラエルの歴史において、決して小さなことではありませんでした。士師という身分は、世襲によって固定されたものではなく、必要な時に、一時的に立てられる地位だったのです。そして歴代の士師たちは、その立場を自分の子どもたちに継がせようとはしませんでした。歴代の士師たちは、その地位を世襲化することを拒否してきたのです。前回の説教でもお話ししましたが、士師ギデオンはまさしくそうしました。その箇所をもう一度お読みします。

そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたの子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。主があなたがたを治められます。」

このように、ギデオンは自分の士師という地位が子や孫に受け継がれるのを拒否しました。この地位は、あくまでかりそめのもので、一つの身分として固定されてしまうことを拒んだのです。しかし、なんと最後の士師であったサムエルは、自らこのイスラエルの慣例を破ってしまったのです。サムエルは、ある意味で自らの王朝を始めようとしているとさえ言えます。これは、後にサムエルが王制に反対したことを考えるならば、なんとも言えない皮肉があるように思えます。

しかも、悪いことにそのサムエルの息子たちというのがとんでもないろくでなしでした。その箇所をお読みします。

長男の名はヨエル、次男の名はアビヤである。彼らはベエル・シェバで、さばきつかさであった。この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、わいろを取り、さばきを曲げていた。

こうあります。ここにはなんとも言えない皮肉があります。というのも、サムエルは育ての親である祭司エリと全く同じ失敗を繰り返しているからです。サムエルが養子となったエリの家では、エリの二人の息子であるホフニとピネハスがごろつきで、祭司にあるまじき行動というか、ほとんど犯罪行為のようなことをして人々の顰蹙を買っていました。その二人のダメ息子に代わって、サムエルが祭司の役目を引き受けることになったのです。しかしそのサムエルも子育てに失敗し、神の裁きを受けたエリの二人の息子と同じようなことをしている息子たちの父親になってしまったのです。サムエルはイスラエルの人々をよく教えて指導し、彼らを真の神に立ち返らせるという立派な仕事をしたのですが、自分の子どもたちを教えることには失敗してしまったのです。子は親を見て育つと言いますが、立派な親に立派な子どもがいるのが理想なのですが、なかなかそうもいかないのです。むしろ立派な親に反発し、子どもがぐれてしまう、ということもしばしばあるのです。サムエル記には、このように父親の失敗の話が繰り返し出てきます。その最たるものがダビデ王の話なのですが、その話はいずれその時が来た時に考えたいと思います。

このように、サムエルの息子たちは立派な息子とは呼べない人々だったのですが、さらに驚かされるのはそのダメ息子たちにサムエルは自らの士師としての立場を継がせたことです。先ほども言いましたが、本来士師という立場は世襲されるべきものではありません。それなのに、サムエルは自分の問題だらけの息子たちに彼の地位を継がせてしまったのです。ここに、サムエルの耄碌というか、問題を認めることができます。正常な判断ができていないという意味で、確かにサムエルは老いたのです。実際、これから後のサムエルの行動には首をかしげざるを得ないような部分がままあるのですが、この彼の子どもたちの扱いからは、サムエルにはどこか問題があったのではないか、と思わざるを得ない部分があります。

このように、イスラエルのリーダーであるサムエルに異変と思えるようなことがあった時に、イスラエルの歴史を変えてしまうような重大な出来事が起きました。イスラエルの長老たちが、ある申し出をサムエルにしたのです。彼らは言いました。

今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。

別の士師ではなく、王を立てて欲しいというのです。これは、イスラエルの長老たちがサムエルの息子たちに失望していたということもありますが、それだけではない、もっと根本的な問題をはらんだ要望でした。彼らの願いのポイントは「ほかのすべての国民のように」というところにあります。彼らは、イスラエルの民という、神との契約を結んだ特別な状態よりも、ほかの普通の国民のようになりたい、と願ったのです。ほかのすべての国民には、神の下に人は皆平等であるというような高邁な理念はありませんでした。しかし、イスラエルの長老たちの目には、ほかのすべての国民のほうがうまくいっている、彼らの方が栄えている、強大になっている、とそのように映ったのです。だから、私たちも彼らのようになりたい、彼らが王を持つなら、我らも王を持ちたいと、そのように願ったのです。そして、その強力な王に自分たちを守ってもらいたいと、そう願いました。ここには、不信仰の表れとしかいいようがない面があります。なぜなら彼らは自らの「神の契約の民」という特別な立場を軽んじて、隣の芝生は青いとばかりに真の神を知らない人々のようになりたいと願ったからです。もしイスラエルが王を戴けば、これまでとは国の在り方も、神との関係も大きく変わらざるを得ないでしょう。しかし彼らはそれでも王を求めたのです。

この要請は、サムエルの気に入りませんでした。しかし、では一体何がサムエルの気に入らなかったのか、ということを考えてもよいと思います。サムエルは、イスラエルの人たちが「ほかのすべての国民」のようになりたい、他の国が王を持つように自分たちも王を持ちたい、と願ったことについて怒ったのでしょうか。確かにそのような面はあるでしょう。今までのイスラエルの伝統には「王」は存在しませんでした。なぜなら神こそがイスラエルの王だからです。その尊い伝統を壊そうとする長老たちに対してサムエルが怒ったと言うのは分かります。しかし、皮肉なことにサムエル自体が自分の子たちを士師にすることで、王のように振舞っていたのです。しかも、その息子たちがろくでもない人たちでした。長老たちもはっきりと「あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません」と苦言を呈しています。うがった見方かもしれませんが、サムエルの一番気に障ったのは、この痛い所を突かれたためかもしれません。ともかくも、サムエルは長老たちの要請を聞いて、なんともおだやかではない気持ちにさせられました。そこで彼は神にその思いをぶつけ、祈りました。

神はサムエルに応えられました。その神のことばが、サムエルの心中を鋭く洞察しています。神はこう言われました。「それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから」と言っています。ここから分かるのは、サムエルは長老たちの言葉を聞いて、彼らが神を退けたというより、自分の事を拒否したと感じたということです。サムエルも、愚かな人ではないので、自分の息子たちの行状を知っていたのでしょう。しかし子供かわいさのあまり目が曇り、彼らの行状を見過ごしていました。そんな自分を、イスラエルの民が拒絶した、とそのように受け止めたのでしょう。

しかし神は、サムエルではなく神ご自身をイスラエルの民が拒絶したのだと、ズバリと指摘します。イスラエルの王は、神お一人です。詩篇でも、「主は王であられる」(詩篇93:1)と告白されています。しかし、神は見えません。その見えない神が本当にわたしたちを守っておられるのだろうか、とイスラエルは常に不安を抱き、偶像の形で表された他の神々に走ろうとしてきました。そして今度は目に見える王、もっと分かりやすい存在である人間の王を求めているのです。これはまさにイスラエルが神を拒絶したことに他ならないのだ、と神はサムエルに告げます。

しかし、神は不思議なことに、ここでは不信仰なイスラエルの民を責めることはしません。むしろサムエルに、彼らの求めに応じるようにと告げるのです。人間の王を求めることは神を退けることなのに、なぜ神はイスラエルの民の要求を飲んだのでしょうか?ここには二つの理由があると思われます。まず、神はイスラエルの民が強情なので、一度言い出したことはひっこめないだろうということを見抜いていただろうということです。このことは、これまでのイスラエルの民の歩みを見ればわかることです。

しかし、そこにはもっと深い神の御心があったように思われます。それは神がイスラエルの民に、王制というものを経験させようと思われていたのではないか、ということです。その後のイスラエルの歴史を見ればわかるように、王制というものはイスラエルの民を決して幸福にはしませんでした。むしろ横暴な王や、不敬虔な王が次々と現れてイスラエルの民を苦しめます。しばしば理想的な王として思い描かれるダビデやソロモンでさえ、例外ではありませんでした。このように、王という存在はイスラエルの歴史にとって祝福というよりも呪いのようなものとなっていくわけです。賢明な親は、子どもが子ども自身にとって良くないものを求める場合、それを与えようとはしません。しかし、そうすると子どもは望んだものが与えられないと親に憤ったり、すねたりすることもあります。また別の親は、それが子どもにとって必ずしも良いものではないと知りつつも、あえてそれを欲しがる子どもに与えるということをします。それは、子どもが自らそれを経験し、学習しないことには、子どもにとっての真の成長がないということを知っているからです。子どもが与えられたものを道いて、たとえ失敗をしようとも、そこから子どもが何かを学んでくれればそれでよい、と考えるのです。これは人間という存在が、人から言われただけでなく、実際に経験しないことには本当に学ぶことができないという真理から来ていることです。神がイスラエルの民に譲歩するような形で、王を立てることを許したのは、そのような神の親心からではないかと思うのです。

しかし神は、賢明な親のように、子どもに警告や注意を与えることを怠りませんでした。神はサムエルを通じ、人間の王というものがどんな存在なのかを知らせました。王は、あなたがたの息子たちを兵士として徴収し、戦場に送るだろうと警告します。人々は王に自分たちを守ってほしいと願いますが、結局彼らを守ってくれるのは王というより彼らの息子自身だということです。しかも彼らは、王の意のままに、望まない戦場に向かうことすら要求されるでしょう。戦場だけではありません。国内においても、戦争の準備のための様々な労役に男も女も駆り出されるだろうと神は警告します。また、イスラエルの伝統には「古い地境を移してはならない」という教えがあるように、イスラエルの各人に神から与えられた土地を奪ってはならないという原則があるのですが、王はそれすらも勝手に破るだろうと神は警告します。実際、サムエル記やその後の列王記を読めば、そのような王たちの横暴なふるまいの数々を見ることができます。これは一体どういうことなのか、それを一言で言えば「あなたたがたは王の奴隷となる」ということです。これほどイスラエルの民にとって皮肉なことはありません。なぜなら、そもそものイスラエル民族の成り立ちは奴隷解放だからです。彼らはエジプトで奴隷でした。その彼らを神はモーセを通じて救出し、奴隷状態から解放したのです。ですからイスラエル民族の目標は、二度と人間の奴隷とはならずに、神のみに仕えるということなのです。

けれどもイスラエルの民は、この民族の理念、目的を過去に何度も忘れてしまいました。実際、出エジプトを果たしたその直後から、明日の食事の保証がない自由の身分より、衣食住が保証されていたエジプトでの奴隷生活の方がましだったとつぶやいて、神を怒らせました。そのイスラエルの民が今王を求めていますが、それが意味するのは自ら奴隷状態に戻るということなのです。まさに愚かな要求なのですが、神はここではイスラエルに自ら経験によって学んでもらうために、その要求を受け入れようとしているのです。

さて、サムエルは神からイスラエルに与えられた王についての警告をもらさずイスラエルの民に伝えました。しかし彼らの心は動きませんでした。むしろ、より強情になってサムエルにこう伝えます。

いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。

このように、王を理想化し、何としても王が必要だといって聞き入れません。サムエルがこのことを主に伝えると、主は彼らの要求通り、一人の王を立てるようにとサムエルに命じます。そしてサムエルは長老たちをそれぞれの町に帰らせました。

3.結論

まとめになります。今日は、サムエルが老いてしまい、そのサムエルが出来の悪い息子たちに士師の地位を継がせたということから始まった、イスラエルに王制が導入されるいきさつを学びました。イスラエルに王制が導入されるというのは、まさにイスラエル民族の性格を変えてしまうほどの一大事だったのですが、民はそのことに気が付いておらず、ともかく自分たちも周囲の国々に負けないような強い国になりたい、そのためには王が必要だという思いに取りつかれていて、そのことをサムエルに強く訴え出ました。サムエルも息子たちという脛に傷がありましたので、民の要求を突っぱねることも出来ずに、神にその思いをぶつけます。すると神は、王を求める民の心が悪いものであることを認識しながらも、彼らの要求通りに王を立てることを了承します。しかし、王制がどれほどの破滅的な結果をイスラエルにもたらすのかを警告することも忘れませんでした。

これらの出来事から、私たちは何を学び取ることができるでしょうか。教会の歴史を振り返ると、教会はいつも「ほかのすべての国民のように」なりたいと願ってきたことが分かるのではないでしょうか。絶対王政の時代には、強力な教皇権のもとに絶対君主的な教会が出来上がり、民主主義の時代になると民主主義的な教会がもてはやされるようになり、世の中がどんどんリベラルになっていくと、教会もどんどんリベラルになっていきました。このように、世の中の動きや流れに順応して教会が変わっていくことが悪いといっているわけではありません。それはむしろ必要であるということも言えるでしょう。しかし、教会が常に世の中の流れに迎合してしまうことに問題がある場合もあります。今回のイスラエルへの王制導入の一件はまさにその典型でしょう。私たちは世の中の良い制度や考え方を柔軟に教会に取り入れついつも、決して譲ってはいけない部分もあることを念頭に置くべきなのです。イスラエルが王制を導入したことでどんな問題が生じたのか、そのことを他山の石とすべく、これからもサムエル記を読み進めてまいりたいと願うものです。お祈りします。

イスラエルを導いてこられた父なる神よ。そのお名前を賛美します。イスラエルは王を求めました。それは神の目には良いものではありませんでしたが、神はあえてそれをお認めになり、イスラエルが自らその問題を学ぶことをよしとされました。私たちも、周囲の社会から大きな影響を受け、それが教会形成にいろいろな形で反映されますが、どうか神の御心に沿った形でそれらのことを行えるように、私たちを導いてください。我らの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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