テサロニケでのパウロ
第一テサロニケ2章1~16節

1.序論

みなさん、おはようございます。毎月の月末には新約聖書のパウロ書簡からメッセージをさせて頂くことにしていますが、先月は一度お休みがあったことで一週繰り上がって、今日パウロのテサロニケ教会への手紙からメッセージをさせていただきます。今回の箇所は、パウロがテサロニケで開拓伝道をしていた時期を回顧する、そのような場面です。この箇所からは、パウロがギリシアのマケドニア地方にあった都市であるテサロニケと、またテサロニケに来る前に伝道していた同じくギリシアの都市であるピリピにおいて、大きな反対や苦難に直面していたことが分かります。パウロの伝道に苦難はつきものなのですが、しかしどうしてパウロは行く先々でこんなに多くの反対や迫害に遭ったのでしょうか?その理由を改めて考えてみたいと思います。

まず、パウロが伝道に際して受けていた反対や反発は、主イエスが伝道で受けていた反対とは性質が異なるということに注意しましょう。主イエスは、同じ唯一の神を信じるユダヤの人々に伝道を行いました。イエス様もユダヤ人ですから、同じ仲間、同胞にメッセージを伝えたのです。イエスのメッセージは「神の国」、あるいは「神の支配」と言ったほうがよいでしょうか、その到来を告げ知らせるものでした。イエスは人々に、「もうすぐ神が、私たちの困難な状況を変えるために介入してくださる、神が新しい形で私たちを導いてくださる」ということを伝えました。このようなメッセージは現状に不満を抱くユダヤ人たちに大きな期待を抱かせるものでした。では、なぜそのユダヤ人たちがイエスに反発したのでしょか?それは、イエスの指し示す「新しい形」、「新しい道」が彼らの期待していたものとは大きく異なっていたからです。ユダヤ人たちは、分かりやすい単純明快な解決策を求めていました。それは、彼らを支配する外敵であるローマを追い払って、ユダヤ人たちが再び繁栄と栄光を取り戻すということでした。しかしイエスは、敵を憎むことよりも愛すること、武力によらずに善意によって悪意を乗り越える道を教えました。確かにこれはまったく「新しい道」なのですが、実行するのが非常に困難に感じられる道であることは想像に難くないでしょう。人々はイエスの語る理想についていけず、かえって反発するようになってしまったのです。

それに対し、パウロが語り掛けた聴衆はイスラエルの神を知らない異邦人であったということは、とても重要なポイントです。彼らはパウロの語る福音を理解するために、まず天地万物を造られた神がおられ、そのほかの神々はみな偶像に過ぎないということを知らなければなりませんでした。ユダヤ人に語り掛ける場合は、このことは共通認識ですから説明するまでもないのですが、異邦人にはまず唯一の創造主なる神の存在を知らしめなければならないのです。そのうえで、その創造主なる神が人類救済のためにイエスを遣わしたということを福音として伝えるわけです。このように、ユダヤ人の場合とは違って対異邦人伝道は二段階での説得が必要になります。

パウロがこのように、創造主なる神、そしてその神によるイエスの派遣という福音を異邦人に伝えたときに、それがどうして彼らの反発を招いたのでしょうか。別に新しい神や新しい宗教を伝えてはならないという法律がテサロニケにあったわけではありませんでした。それどころか、ギリシア人は新しい宗教や哲学に寛容で、というよりもむしろ新しがり屋で、そういうことを伝えてくれる人たちを歓迎する傾向すらありました。しかし、パウロの場合は強い反発を受けています。なぜだったのでしょうか?それは、パウロの伝える福音が新しい宗教だっただけではなく、新しいライフ・スタイル、新しい生き方を伝えるものだったからです。テサロニケの手紙のなかで、パウロがこのことに触れているのは後半の部分になりますが、大事な箇所なのであらかじめ読んでみましょう。4章3節以降です。

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、各自わきまえて、自分のからだを、清く、また尊く保ち、神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、また、このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしないことです。

ここでパウロは、「神を知らない異邦人のように情欲におぼれず」と言っています。ここで言われている異邦人は、札付きのだらしのない異邦人ということではなく、むしろ平均的なテサロニケ市民のことを言っています。つまりパウロの高い倫理基準から見れば、普通の異邦人は情欲におぼれている人々というようにしか見えなかったのです。パウロはテサロニケの信徒たちに、創造主なる神を信じ、その神が遣わしたイエスを信じるようにというメッセージを伝えました。しかしパウロの福音はそこで終わりではありませんでした。さらに異邦人信徒たちに、まことの神の民としてふさわしい聖なる生き方をすることを求めたのです。

テサロニケの信徒たちも、パウロの勧告に従いました。今までの行き方をがらりと変えて、まるで新しい人になったかのように歩み始めました。それ自体は素晴らしいことです。しかし、周囲の人たちは必ずしもそうは思いませんでした。今まで親しく付き合っていた仲間が、いきなり付き合いが悪くなった、と感じられたことでしょう。私もサラリーマン時代に、人並みの接待や付き合いをしていましたが、クリスチャンとして越えられない一線というものがあり、そういう場合には付き合いを断るようなこともありました。そういうことを、特に上司に対してするのはかなり勇気がいることですが、しかし今の時代はクリスチャンという生き方にもある程度理解があって、わりと鷹揚に受け入れてもらえました。しかし、パウロがテサロニケ伝道をしていた時代には、当時の人々はキリスト教なるものについて何の知識をも持っていませんでした。それどころか、「人の血と肉を食らう怪しげな儀式をしている」とか、「他人を兄弟姉妹と呼び合って乱交騒ぎをしている」などというよくない流言が飛び交っていました。それなのに、自分たちに対しては「自分たちは聖なる生活に召されている」などと言って、自分たちが何か低俗な人たちであるかのようにいう、そういう腹立たしい行動を取り始める人々、そのようにテサロニケの市民にはクリスチャンが見えたのです。また、テサロニケはローマ帝国の庇護の下で発展してきた都市なので、ローマ皇帝を讃える皇帝礼拝は市民にとっての大事な公式行事ですが、これも「偶像礼拝だ」と言って参加しないわけです。しかし、そんなことをすれば「こいつらはローマに対する不満分子ではないか」と当局者から目を付けられかねず、そんなことになれば商売にも支障がでてきます。

これらのことが相まって、人々のクリスチャンに対する目は厳しくなり、クリスチャンへの民衆のリンチのようなことすら起きかねないほど緊迫した状況になってきました。しかし、そのような厳しい状況になってもパウロは一切妥協せず、イエス・キリストの福音を大胆に宣べ伝えています。キリスト教に反感を持つ人たちは、「あのパウロというやつこそ諸悪の根源だ」と目の敵にするようになりました。そのような中で、パウロがどう行動したのか、というのが書かれているのが今日の箇所なのです。

2.本論

では、今日の聖書箇所を読んで参りましょう。まず2章1節です。パウロはここで、「私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした」と言っています。むだではない、ということは確かに収穫はあった、ということです。パウロはこの後、テサロニケでの迫害が厳しくなり逃れるようにして脱出しますが、それはここでの伝道が失敗だったとか、決してそういうことではなかったということです。現に、パウロが去った後もテサロニケの信徒たちは立派に信仰を守り抜いてきたのですから。

パウロはテサロニケに来る前での、ピリピでの伝道についても回顧します。パウロにとってヨーロッパ伝道の第一歩となったピリピでの伝道は、支援者も見つかり幸先の良いスタートになりましたが、段々とパウロの伝道が成功するにつれ反対も大きくなり、パウロははずかしめを受けたこともありました。また、むち打ちなど肉体的な苦痛に耐えたこともありました。私たち今日の伝道者は、キリスト教を宣べ伝えることで肉体的な苦痛を受けるという経験をほとんどしたことはありません。むちろん、江戸時代以降の宣教者や、明治時代以降の伝道者の中にはそうした体験をした人が数多くおられます。そういう意味では、私たちは大変恵まれた時代に生きていると言えます。むち打ちの痛みは卒倒しそうになるほどのものと言われていますので、一回でもそういう経験をすると、二度とそんな目に遭わないようにという恐怖心を抱いてしまうものですが、パウロはそんな目に遭いながらも大胆に福音伝道を続けたのです。これはものすごいことです。

さて、ピリピを離れ、テサロニケに来てからも、相変わらずパウロの苦闘は続きましたが、それでもパウロは大胆に神の福音を語りました。パウロは、自分たちの勧告は「迷い」から出たものではない、と言っています。ただこの言葉は「迷い」よりも「誤り」と訳した方が良いでしょう。パウロは、私のメッセージは誤りから生じたものではない、と言っているのです。誤りと、不純な心すなわち名声を求める気持ちから出たものでもない、と言っています。「だましごとでもない」とも重ねていいますが、これは「狡猾さから出たものでもない」というような意味合いです。パウロは、福音は誤りでも不純な心や狡猾な心から出たものでもない、といっているのです。なぜパウロがここで、こんな当たり前のことについて弁明のようなことを語るのかは分かりません。おそらくは、パウロがテサロニケを去った後、パウロの伝道の動機について誹謗中傷を言う人がいたのでしょう。4節でも、パウロの動機が純粋で神から出たものであり、人の歓心を買うためのものではないことは、人の心をお調べになる神がご存じだと語ります。5節では、自分たちの伝道は金銭目的のためでもない、ということを述べています。このパウロの主張は、テサロニケではなおさら説得力があったことでしょう。パウロは、テサロニケの信徒たちに負担をかけまいと、謝儀を受け取らず日夜働き、それでも足りない部分は先の伝道地であるピリピの信徒たちからの献金に頼っていました。当時の宗教家でも、あるいは人々に知識を教える哲学者でも、まったくの無給で人々に教えている人などいませんでした。ですからパウロの生きざまというのは、テサロニケの人々に強い印象を与えたのは間違いありません。だからといって、パウロは人々は「パウロ先生はすごい、あんなに献身的に、しかも無報酬で働くなんて、本当に聖人様だ」と褒められたい、名声を得たいからそんなに頑張っていたのでもない、ということを6節で語ります。このように、6節まではパウロは自分たちの宣教がだましごとではないし、金銭や名声のためでもないということを強く訴えているのです。

7節以降では、むしろパウロは母が子に接するように、また父が子に対してするように、愛情をこめてテサロニケの人々に接してきたことを思い起こさせます。人のために命すら与えるというような人はほとんどいないでしょうが、親子の場合だけは例外と言えるでしょう。特別な聖人君主ではなくても、子どものためなら自分の命も惜しくはない、という親はたくさんいます。しかしそれは親子という特別な関係だからこそできることです。パウロは、自分たちとテサロニケの人たちはそのような特別な紐帯で結びついていると語ります。単なる教師と教え子ではなく、親子のような深い情愛で結びついているのだと言うのです。そのような愛情があるからこそ、パウロは子どもにも等しいテサロニケの信徒たちのために一生懸命頑張ったのです。その当時の生活のことをパウロは率直に記しています。9節をお読みします。

兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

パウロはテント職人として働いていましたが、そういう肉体労働者が働く時間は昼だけでした。日没と共に仕事を終えていたのです。しかしパウロは、夜も働いていました。日本の童謡に、「母さんが夜なべして手袋編んでくれた」という歌がありますが、子どものためなら夜だって働くという親御さんは多いと思います。まさにパウロはそのような親心で働いていたのです。

親というのは子どものために一生懸命働くだけではありません。子どもに、人生の生き方の模範を示さなければなりません。子は親の背中を見て育つと言いますが、子どもの生き方は親の生き方から非常に大きな影響を受けます。パウロは子どもであるテサロニケの信徒たちに恥ずかしくない歩みをしてきた、あなたがたに道を示してきた、ということを大胆に10節で語ります。そのことは、テサロニケの信徒たちだけでなく、神も証ししてくださることなのだ、と言い切っています。パウロは父の権威をもってテサロニケの信徒たちに「ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧め」たのです。

13節では、パウロは再び感謝の言葉を述べます。それは、テサロニケの使徒たちがパウロの言葉を人間のことばとしてではなく、神の言葉として受け止めてくれたことに対してです。テサロニケの人々がパウロの言葉を神の言葉として聞いたということは、彼らがその言葉を厳粛に受け止め、それに従ったということも含まれています。ですからパウロはここで、自分たちの福音の言葉がテサロニケの人々の生き方や歩みを変えた、神の民にふさわしい人々に造り変えていった、そのことに感謝しているのです。

そして14節ですが、パウロはここでユダヤ人クリスチャンたちのことについて言及します。テサロニケの人々が同胞のギリシア人に苦しめられているように、ユダヤのユダヤ人クリスチャン、これは特にエルサレム教会のクリスチャンの事だと思われますが、彼らも同胞のユダヤ人から苦しめられているのです。ユダヤ社会の中では、イエスはユダヤの最高法院から正式に断罪された犯罪者です。そのイエスをメシアとして信じるユダヤ人クリスチャンたちは、周囲の人たちから白眼視され、村八分状態でした。テサロニケのクリスチャンたちも、彼らがガラリとライフ・スタイルを変えたことに周囲の人々が戸惑い、段々と彼らは仲間外れにされ、「そんな訳の分からない新しい宗教はやめておけ」というようなプレッシャーを受けるようになりました。パウロはそんな彼らの状態が、ユダヤ人クリスチャンたちに倣うものだと言っています。

しかし、15節から16節の内容は、かなりきつい言葉です。私たちはホロコーストという筆舌に尽くしがたい悲劇を経験してきましたので、反ユダヤ主義に非常に敏感になっています。新約聖書の中には、ユダヤ人に偏見を抱かせかねないような、慎重に扱わなければならない箇所がいくつかありますが、この15節と16節もその一つです。パウロが書いた手紙の中で、ユダヤ人に対してここまで厳しく語っている箇所はありません。ユダヤ人が「神に喜ばれず、すべての人の敵となっています」というのは、いくらなんでも言い過ぎではないか、と思わされますが、これは当時のパウロとユダヤ人たちとの関係が良くなかったことを反映しているものと思われます。というのも、パウロはかつて、ユダヤ人の代表としてクリスチャンを迫害していたのです。クリスチャンが「異邦人の救いのために語るのを妨げてきた」のは、かつてのパウロ自身なのです。そんなパウロがクリスチャンになったことをほかのユダヤ人たちが快く思うはずがありません。むしろ「裏切り者」としか思えなかったでしょう。パウロの方はパウロの方で、異邦人の救いのために働く自分たちに反対するユダヤ人のことを、かつての自分自身のことを見る思いがして、嫌悪感のようなものを抱いたとしても不思議ではありません。そうした複雑な思いがパウロをして、同胞のユダヤ人に対してここまで厳しい言葉を書かせたものと思われます。しかし、その同じパウロは後に書かれたローマ書簡の中で、ユダヤ人について「福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです」と語っています。このように、パウロのユダヤ人に対する態度や思いは複雑で、一言では語りつくせません。ですからこの箇所だけから、パウロのユダヤ人観をうんぬんするのは慎重であるべきでしょう。

3.結論

まとめになります。今日の箇所は、パウロがテサロニケで伝道していた時期を振り返る箇所でした。パウロは自らの伝道の目的が、名声を求めたり金銭を求めたりするような動機に基づくものではなく、神の召しに忠実なものであったことを強調しています。さらには、パウロはコリントの信徒たちのことを、自分の本物の子どものように想い、愛してきたと語ります。パウロがテサロニケで昼も夜も熱心に働いたのは、子どものために日夜懸命に働く親のような気持から出たことだ、とパウロは語ります。テサロニケの信徒たちにそのような深い情愛を持っていることをパウロは切々と語るのです。テサロニケの人たちも、パウロの言葉に感動したことでしょう。それだけでなく、子どもに正しい道を示すことが親の責任です。ですからパウロも、テサロニケの人々の模範となるように、立派にふるまってきました。同時にテサロニケの人たちにも、自分と同じように歩んでほしい、生きてほしいと訴えるのです。

今日の箇所からは、パウロがどれほど偉大な伝道者だったのかということを改めて思わされます。私自身も、パウロの爪の垢を煎じて飲まなければならないな、と身が引きしまる思いがします。同時に、テサロニケの信徒たちもパウロの思いをしっかりと受け止めて、パウロを喜ばせるような霊的成長を示しました。彼らはパウロがテサロニケを去った後も、信仰を捨てずにむしろ困難な状況を耐え抜きました。それは、パウロという身近な模範がいたためでしょう。このように、パウロとテサロニケの信徒たちとの関係は、一つの理想ともいえるほど良好なものでした。私はとてもパウロのような器ではありませんが、しかしこの教会のみなさんと、これからもより良い関係を築いていきたいと願っています。パウロのようにはなかなかできませんが、少しでも努力していきたいと思います。そして、ともに霊的に成長できれば本当に幸いです。そのような力を与えていただけるように、祈りましょう。

イエス・キリストの父なる神様。そのお名前を賛美いたします。今日はパウロのテサロニケにおける伝道の様子を学びました。私たちは小さな群れですが、パウロとテサロニケ教会のような素晴らしい関係をこれからも築くことができるように力をお与えください。我らの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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