サウルの蹉跌
第一サムエル13章1~14節

1.序論

みなさま、おはようございます。さて、サムエル記も13章まで来ましたが、これまで私たちはイスラエルの初代の王となったサウルの生涯を読んでまいりました。王を求めるイスラエルの人々の願いに押され、また神ご自身から選ばれて、王となっていく青年サウルのサクセスストーリーをこれまで学んできました。それに対して、この13章から15章まではサウル王の没落物語、サウルがなぜ王という立場を失っていったのか、その経緯を伝える内容になっています。

私たちはサウルについて、とかくこの没落物語のイメージが強くて、マイナスの印象を持ちやすいように思います。もちろん、サウルの悪いイメージの原因はそれだけではありません。サウルは後に、若きライバルであるダビデに嫉妬し、彼の命を故なく狙おうとします。そのしつこさが私たちのサウルに対する否定的な印象を生み出しているわけですが、そもそもサウルがダビデを自分の王位を脅かす存在として警戒したのも、預言者サムエルがサウルに対して王失格だと宣言し、「主はご自分の心にかなう者を求めるだろう」と預言したことが最も大きな原因でした。サムエルの預言した人物がダビデではないか、という疑念からサウルはダビデの命を狙うようになってしまったのです。ですから、やはり13章から15章までにかけてのエピソードが、サウルに対する否定的な評価の一番大きな要因だと言えます。

しかし、13章から15章までをよく読んでいくと、いくらかサウルに対して同情してしまうところもあります。サウルが王を退けられた一番の原因は「不従順」でした。サムエルがサウルに与えた指令に対し、サウルはそれをまったく拒否したわけではないものの、不徹底にしか実行しなかったのです。その不徹底さをサムエルは咎め、サウルに王失格の烙印を押しました。しかし、その不従順の内容そのものを見てみると、後に王となったダビデが犯した罪よりもずっと軽いのではないか、という思いを禁じ得ません。王となったダビデは、人妻であるバテ・シェバを力ずくで我がものとし、その犯行を隠すためにその夫であり、自分の忠実な部下であったウリヤを策略を持って殺します。ですからダビデは姦通罪、嘘、そして殺人罪というように罪に罪を重ねていきます。この件に関しては、ダビデはまさに最悪の王だと言われても仕方ありません。それに対して、ではサウルは何をしたかと言えば、たとえば今日の箇所でサウルのしたことは、サムエルの課したテスト、それはサウル王がサムエルに対して従順かどうかをテストするためのものですが、そのテストに落第してしまったということなのです。この時のサウルには、バテ・シェバ事件の時のダビデのような悪意はありませんでした。イスラエルのリーダーとして、非常事態に直面して苦渋の決断をしたのですが、それがサムエルの眼鏡にはかなわなかった、というのが今日の話の本質です。

私は率直に言って、今日の13章、また15章の記事を読むと、サウルよりもむしろサムエルの態度の方に疑問を感じることがあります。会社務めをしたことのある方は同じような経験をしたことがある方もおられると思いますが、上司の中には部下が独自の判断で行動することを非常に嫌う人がいます。このような上司は、部下は自分が命じたことをひたすら忠実に行えばよいのだと考え、部下が独自の判断で言われてもいないことを実行することを極度に問題視します。確かに組織には命令系統があり、それは重んじられるべきですが、しかしビジネスの現場では臨機応変の対応が求められる緊急の事態や不測の状況もあります。ですから、ある場合には独断専行と言われても、部下が自分の判断で行動せざるを得ない場合があるように思います。そういう部下の行動を良しとする上司と、自分に対する反抗と見なす上司がいます。サムエルは、後者に属する上司なのではないか、と私には思われるのです。自分の語った言葉は主のことば、主の命令であり、いかなる理由があってもそれに対する不従順は認められない、これがサムエルの一貫した立場です。しかし、それが本当に主の御心なのだろうか、ということを考えてしまうのです。私自身もこの点については確信があるわけではありません。しかし、このような疑問を抱きながらも、今日のみことばに向き合い、そこからメッセージをさせていただきます。

2.本論

さて、今日の場面は再びイスラエルとペリシテ人の対立を描いています。当時のイスラエルは周囲を敵に囲まれていたのですが、中でも最大の脅威は、西側のペリシテ人でした。彼らは強力な鉄製の武器を持ち、イスラエルの安全を脅かしていました。その脅威に対抗するというのが、イスラエルの人々が強い王を求めた理由の一つでした。実際、サウルはそうした人々の要望に応えて、強い軍隊を作り上げていきました。サウルは常備軍、つまりプロフェッショナルな軍隊を作ろうと、イスラエルの中から屈強な男性三千人を選び出しました。そのうちの二千人には、いわば近衛兵のように自らの周りを固めさせ、残りの千人は自分の息子であり後継者として育てようとしていたヨナタンに託します。ヨナタンは、今後ダビデの盟友となっていく、とても重要な人物ですが、彼は大変有能な武人でもあり、早くも頭角を現しています。ここでもヨナタンはペリシテ人の守備隊長を打つという武勲を上げます。そのために、イスラエルは大いに意気が上がりましたが、同時にペリシテ人は強い復讐の念に駆られます。ペリシテ人がイスラエルに雪辱を果たそうとしているという情報が伝わり、イスラエル軍は強い緊張に包まれている、それが今日の聖書箇所の状況です。

イスラエルは警戒態勢に入り、軍事的な要衝であるギルガルに集まっています。そこはサウルが主の前に王として宣言された、サウル個人にとっても思い入れの深いところでした。そのサウルたちのところに、ペリシテ人は大軍で押し寄せてきました。ペリシテ人は鉄製の武器と共に戦車部隊で有名でしたが、なんと戦車三万という大軍で押し寄せたのです。戦車というと、近代兵器の戦車を思い浮かべるかもしれませんが、もちろん古代にはそんなものはなく、当時の戦車は車輪のついた車の上に弓兵が載っていて、それを馬が引くという簡単なものでした。しかし、機動力のある戦車から弓が引かれるわけですから、大変な脅威でした。戦車だけでなく、ペリシテ軍には他にも機動力のある騎兵も六千いました。サウル軍は三千ほどですから、多勢に無勢です。イスラエルの民間の人々はペリシテ人の大軍に恐れをなして、ほら穴などに避難しましたが、サウルたち軍人はギルガルに踏みとどまっていました。

このように、圧倒的に不利な状況にあるサウルたちイスラエルの人々にとって、頼れるのはイスラエルの神だけです。この絶望的な状況を打開してくれるのは神だけなので、サウルたちは一刻も早く神にいけにえをささげ、神の助けを願い求めたいところでした。しかし、サウルはすぐにはそうすることができませんでした。なぜなら、かつてサムエルがサウルに対し、七日間ギルガルで待て、と命じていたことを覚えていたからです。第一サムエル記10章8節にはこうあります。

あなたが私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえをささげるために、あなたのところで下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私がなすべきことを教えます。

このようにサムエルが命じていたことをサウルは覚えていました。ですから、ペリシテ人の大軍を目の前にして、一刻も早く神にいけにえをささげたいのは山々なのですが、サウルはじっと我慢して七日間ひたすらサムエルがやって来るのを待っていました。サウルの下の軍人たちも、逃げ出したいのを我慢して、サウルと共に待っていました。しかし、約束の刻限になってもサムエルは現れませんでした。今のようにスマホや携帯があれば、サウルは直ちにサムエルに連絡をして、「どうしたのですか。事故でもあったのですか」と確認を取ることができますが、当時はそんなものはあるはずもありません。サムエルからの伝令もなく、サウルとしては何の手も打ちようがありません。どうしたんだ、と焦る気持ちを隠すことができませんでした。それを見て、部下の兵士たちも不安になって、サウルを見捨てて逃げ出す兵士も現れました。一人そういう行動を取ると、それは伝染病のように他の人々にも影響を与えていきます。一人、また一人と逃げ出す兵たちが現れました。

サウルはここで決断を迫られます。このままでは戦わずしてイスラエル軍が自滅してしまう。サムエルを待つべきだが、しかし約束の刻限まで七日間待ったのにサムエルは現れなかった。彼の身に何かあったのかもしれない。そうであるならば、自分はサムエルの代理として行動し、神に勝利の嘆願をすべきではないか、こう考えたのです。これをサウルの不信仰と呼ぶのは酷な気が致します。すくなくとも彼は約束通り七日間は待ち続けたのであり、遅刻をしたのはサムエルの方だからです。ともかくも、サウルはこう決断をして、全焼のささげものと和解のささげもののための家畜を引いてくるように命じました。そして、勝利を願うためにこれらのさささげものを屠り、いけにえをささげました。皆さんの中には、ささげものをささげられるのはレビ族の祭司だけであり、ベニヤミン族のサウルがそれをするのは律法違反ではないか、と思われる方もいると思います。しかし、同じくレビ族ではない、ユダ族のダビデも神にいけにえをささげていて(第二サムエル6:13)、それが咎められることはありませんでした。ですから当時は油注がれた王がいけにえをささげることは全く禁じられていた、というわけではなさそうです。ここでのサウルの行動の問題は、サムエルを待たなかったという一点にあるのです。

こうしてサウル王がいけにえをささげ終えると、まるでそこに図ったかのようにサムエルが現れます。遅れてやってきたサムエルですが、おそらく遅刻は意図的なものであるように思われます。なぜならサムエルは自分が遅刻したことについて一切弁明しようとせず、むしろこれがサウルに課された従順さを試すテストであり、そのテストに合格すればサウルの王朝は永遠に続くはずだった、というこのテストの隠された目的と報酬を後で明かしているからです。

サウルはサムエルの到着を待たずにいけにえをささげてしまい、その直後にサムエルが現れたことにばつの悪い思いをしたでしょうが、しかしサムエルが来たのを見て彼を迎えに行って挨拶をしました。サムエルが自分に何と言うか、気になっていましたが、そのサムエルから発せられた言葉は容赦のない叱責でした。「あなたは、なんということをしたのか」という言葉を聞いたサウルは、悪い予感が当たってしまったと思ったことでしょう。サムエルは自分のとっさの行動を評価せずに、怒っているということがすぐに分かったのです。しかし、サウルの側にも、自分は言いつけ通り不安の中で七日間も待ち続けたのだ、それに刻限に遅れたのはサムエルの方なのだから、そのことに一言あってもよいのではないか、という思いもあり、サムエルに対して反論してしまいました。すぐに言い訳をすると、相手の怒りに火を注ぐことになるかもしれませんが、サウルの方もどうしてもこれを言わないと気が済まないと思ったのでしょう。あなたが約束の刻限にも現れず、民はそれで不安になって逃げだすものも出てきた。自分はこの軍の総責任者として軍の士気に責任を負っている。だから、あなたの言いつけの事はもちろん覚えていたのだが、思い切ってあなたの代わりに神に誓願をしたのだと。

しかし、それを聞いたサムエルはその言い分を一蹴し、サウルにとっては青天の霹靂のような厳しい言葉を返しました。

あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。主は今、イスラエルにあなたの王国を永遠に確立されたであろうに。

このように、サウルには寝耳に水のことが語られました。サウルは試されていたのです。この緊急事態において、あくまでサムエルの与えた指示に忠実であったならば、あなたの王国は永遠のものとなったであろう、と。もしサウルがこのことを事前に知っていたのなら、何があってもいけにえなどささげなかったでしょう。つまりサウルはこのサムエルの意図を知らなかった、知らされていなかったのです。知っていたら、テストにはなりませんから。呆然とするサウルに、サムエルは畳みかけるようにこう宣告します。

今は、あなたの王国は立たない。主はご自分の心にかなう人を求め、主はその人をご自分の民の君主に任命しておられる。あなたが、主の命じられたことを守らなかったからだ。

まさに死刑宣告のようなサムエルの宣言でした。サウルとしては、「なぜ?」という思いだったでしょう。自分はイスラエルを守るために必死だったのだ、イスラエルにとって最善と思うことをしたし、それは神が喜ばれることだと思ったのだ。それなのに、その行動のために自分は王失格となり、神は新しい人を立てるという、どうしてこんなことになってしまったのか、茫然となってしまいました。

しかも、サウルはここで直ちに王位を追われたわけではありませんでした。既に神の前に王位を失ったにもかかわらず、これからも王として民を率いて外敵と命がけの戦いをしなければならないのです。サウルの立場になって考えれば、モチベーションを維持するのは非常に難しかったでしょう。そのために、サムエルの預言した新しい王と思われるダビデが登場した時に、彼を極度に警戒してしまい、ほとんど精神のバランスを失いかけたのも、分かる気がします。とにかく、サウルにとってはあまりにも突然の非情な宣告だったのです。

3.結論

まとめになります。今日は、今まで順風満帆に王の道を歩んできたサウルに訪れた突然の蹉跌、大変深刻な挫折について学びました。今日の箇所はとかくサウルの不信仰、不従順の典型例として語られることが多い箇所ですが、しかしサウルの立場に身を置いて考えるならば、どこか気の毒な思いがぬぐえない場面ではないでしょうか。彼は神にあからさまに逆らったのではなく、彼なりに神から与えられた召命、イスラエルの防衛という責務を果たそうとしたのです。また彼はサムエルの言葉を全く無視したわけでもありませんでした。ともかくも、言いつけ通りに七日間は待ったのです。それでもサムエルが来なかったので、緊急の場面で、いわばコンティンジェンシープランを実行したのです。むしろサムエルの方が、文字通りの命令遵守にこだわり過ぎているのではないか、とさえ思えてきます。聖書には神の戒め、掟が書かれていますが、それをひたすら字義通り、文字通りに実行しようとするとかえって神の御心から逸れた律法主義になってしまう、ということを私たちは主イエスの教えから教えられています。そう考えると、ここでのサムエルのサウルに対する評価はあまりにも性急であったのではないか、と思えるのです。

サムエルがここまで厳しいテストをサウルに課した理由は、サムエルが王制というものに対して非常に強い警戒感を持っていたことがあります。前回もお話ししましたように、サムエルは初めからイスラエルに王制が導入されることに賛成していませんでした。サムエルは、王制の危険な側面を何度もイスラエルの人々に警告しています。王が暴走して民を圧迫するようなことがないようにするために、サムエルは王に対して極めて高い基準、徹底した従順を求めたのだと思います。サウル王が果たしてそのような徹底した従順を示すのかどうか、サムエルは極限状態で彼をテストしました。このテストの厳しさは、サムエルの王制に対する懸念の裏返しだと言えるかもしれません。その結果は、今日お話しした通りの残念なものとなりました。

よく、どのご家庭でも長男の教育やしつけは厳しいと言われます。イスラエルの初代の王となったサウルに対する教育も、とても厳しいものとなりました。厳しすぎる、とさえ言えるかもしれません。また、サウルに対する従順の度合いのテストは、文字通りに命令を守るかどうかだったわけですが、それが妥当なのかどうか、考えさせられます。私たちクリスチャンにとっても、従順さは大切なものです。使徒パウロはローマ人への手紙の中で、彼の召命は異邦人を「信仰の従順」に導くことだと語っています。しかしパウロの場合、その従順さは必ずしもみことばへの文字通り、字義通りの従順というわけではありませんでした。むしろパウロは、字義通りにこだわることなく、その場その場で信仰者が判断をしていくことを求めていました。御霊に導かれた上で、自分の頭で考えて、その場その場で判断する、そのようなキリスト者の成熟をパウロは求めていました。パウロはローマ人への手紙の14章22節と23節でこう述べています。

あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ないことは、みな罪です。

ここでパウロは、何を食べてよいのか、いけないのかという日常生活に関わるものながら難しい問題について、クリスチャンが各自に判断するように求めています。確かにレビ記には、何を食べてよいのか、いけないのかについての教えがありますが、律法を知らない異邦人の間にキリスト教が広まる過程で、そうした食事規定を無理に異邦人信徒にも守らせようとすると、教会の中に分裂や混乱が生じてしまったのです。ですからパウロはこの問題について、非常に柔軟な原則を提言しました。自分で神のみ前に正しいと思ったならば、それをすべきであり、正しくないと思ったなら、その判断に従ってそうすべきではないということです。しかし、判断そのものは各人に委ねられており、各人はそれに従って歩みなさいとパウロは教えています。私たちも、聖書の時代とは大きく環境も文化も異なる時代に生きています。聖書の戒めを今の時代に無理に守ろうとすると、かえって混乱を生じさせてしまう場合もあります。ですから聖書の戒めを字義通りに行うことよりも、その戒めの本当の意図は何か、何を神は求めておられるのか、それをよく考えたうえで、愛に基づいて実行していく必要があります。これからも、常に御霊の導きを求めて、主の御前に正しいと思うことを行ってまいりましょう。お祈りします。

サウルをイスラエルの最初の王に召された神様、そのお名前を讃美します。私たちはこれからそのサウル王の失敗を学んでいきますが、それを単にサウル王の不信仰の問題として片づけるのではなく、そこからさらに深い意味や教訓を学ぶことができますように。また、私たちもとっさの判断を求められる場面がありますが、そのようなときに御霊の導きがありますように。われらの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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