イエスとペテロ
マルコ福音書14章43~72節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日の説教タイトルは「イエスとペテロ」です。今日の箇所の主役はもちろん主イエスですが、ペテロもそれに劣らないほどの存在感があります。それは前回のゲッセマネの祈りについても言えることでしたが、受難劇の主役はイエスだけではなくペテロなのではないかと思うほどです。それもそのはずで、「マルコ福音書」は福音書記者マルコが書いたものであるものの、彼は使徒ペテロの通訳をしていた人物なのです。マルコはペテロの通訳をしながら、彼の語るイエスの生涯を記憶し、その記憶に基づいてマルコ福音書を書き上げました。ですからマルコ福音書は、イエスについての証言を提供したペテロによる福音書でもあるのです。

しかし、そう考えますと、ペテロがここまで赤裸々に自分の失敗談を語っていることには驚かされます。ペテロがイエスのことを三回否認したことは、大祭司の女中たちも見ていたわけですが、彼女たちは彼がイエスの弟子だということは知っていても、それがペテロだということまでは知らなかったでしょう。ですから、ペテロが三度もイエスを否認したということは、ペテロ本人がそのことを告白しないことには、イエス以外は誰も知らなかったことかもしれません。しかし、マルコ福音書と、マルコを資料として書かれたマタイ・ルカの両福音書、そしてマルコ福音書に基づかない独自の視点で書かれた福音書であるヨハネ福音書にまでも、ペテロの何度の否認の記事があります。四つの福音書すべてに記録されているエピソードというのは、実は少ないのです。ということは、ペテロは自らの恥ずべき行動をいろいろな人に正直に話し、原始教会の中では誰もが知る有名な話になっていたということです。

これは本当にすごいことです。ペテロはイエスの十二弟子の筆頭であり、また初代教会を率いるリーダーでした。今でいうところの教団の理事長とか、カトリックでいえば教皇のような非常に高い地位にいた人です。世間では、普通高い地位にいる人は自分の失敗談を隠して、むしろ自分の人生を美化しようとするものです。それについて一つ印象深い話があります。人気作家だった司馬遼太郎さんのインタビューを聞いて知った話ですが、司馬さんはなぜ戦前の日本の軍部が己の力を過信してアメリカとの無謀な戦争に突入したのか、その原因についてとても興味深い話をしていました。それは日露戦争にまでさかのぼる話だというのです。アジアの新興国だった日本が大国ロシアに勝ったということは世界を驚かせ、また日本人に大きな勇気と自信を与えました。しかし、勝ったといっても、いくつかの会戦に勝利しただけで、ロシアとの全面戦争になれば日本に戦い抜く国力などとてもありませんでした。ロシアは国内問題を抱えていて革命騒ぎで対外戦争どころではなかったという事情もありました。日本はイギリスの援助や、アメリカの仲裁でかろうじて勝利という形で戦争を終えることができたのですが、本当に薄氷を踏むような勝利でした。しかし、ではその後に日露戦争の戦史を書くときになると、その歴史作家に日露戦争を戦った将軍たちがさまざまに口を出し、「俺のことはもっとよく描いてくれ」とか、「そんな失敗談は書かないでくれ」など、いろんな横やりが入り、その結果出来上がった日露戦争の戦史は日本軍がいかに強かったか、美談だらけの一種の提灯記事のようになってしまったとのことです。実際に日露戦争を戦った戦士たちは、本当はそんなに格好の良いものではなかったことを知っていましたが、問題はその戦争について文書でしか知ることのできない若い軍人たちでした。彼らは日露戦争史を読んで、「日本軍はなんて強いんだ。われらは世界最強の、無敵の軍隊なのだ」と勘違いしてしまい、その勘違いが無謀な戦線拡大、しまいにはアメリカとの戦争という愚行にまで行きついてしまったということなのです。歴史を正直に記録することの大切さを思い知らされるエピソードです。

その意味で、自分の失敗を包み隠さずに明かしたペテロという人物は、大変良いことを後世の教会のためにしてくれたと言えます。自らの失敗を隠さないということは、とても大切なリーダーの資質なのです。さらに言えば、ペテロがこの自らの恥ずかしい失敗談を皆にきちんと話した理由は、ペテロがこの出来事の中に福音の本質を見ていたからであろうと思われます。その福音の本質とは、「多く赦された者は、多く愛するようになる」ということです。ペテロは自らの体験を恥ずかしい失敗談としてではなく、イエスの愛と赦しの話として見ていたということです。ペテロはこの時にどん底に落ち込みました。あれだけ皆の前で大見得を切っておきながら、無残にも死の恐怖に負けてイエスを見捨て、あまつさえ呪いを込めて主イエスを知らないと言い切ってしまいました。しかし、そんな自分をイエスは赦した、その事実がペテロを変えたのです。ですからペテロは、この苦い経験すらも恵みの出来事として人々に宣べ伝えたのでした。そんなペテロの思いも考えながら、今日のみことばを見て参りましょう。

2.本論

ゲッセマネでの三度の祈りが終わったころ、イスカリオテのユダが祭司長の差し向けた人々を引き連れてやってきました。ゲッセマネはエルサレムの城壁の外にあり、人気の少ないところです。しかも時間は深夜です。騒ぎを起こさずにイエスを捕えるためには最高のタイミングと場所でした。イエスを捕えにやってきた人たちは、大祭司たちの僕や家来か、あるいは金で雇われた人々でした。彼らは大人数で武器をもって威嚇し、イエスの弟子たちが何もできないうちにイエスを捕えてしまおうとしたのです。もっとも、イスラエルの最高権力者である大祭司の僕がそこにいたといっても、これは正式な手続きを踏んだうえでの逮捕ではありません。今の日本でいえば、捜査令状のない拘束のようなものです。この時点では大祭司たちはイエスをどのような嫌疑で逮捕するかすら決めていなかったのです。彼らはイエスを殺すことを決めていて、その理由は後から考えればよいと考えていたのです。ですから正式な軍隊や兵士ではなく、大祭司直属の部下と彼らに先導された人たちにイエスを拉致させようとしたのです。彼らの狙いはイエスただ一人でした。イエスさえ捕まえれば、あとの弟子たちは烏合の衆となり、どうにでもなると考えていました。ですからユダに、イエスを見つけたら口づけをしろと命じていました。それを合図に、一斉にイエスに襲いかかろうとしたのです。

しかし、その時にイエスを捕えようとした大祭司の僕に、剣で襲い掛かった人がいました。それは誰かと言えば、シモン・ペテロです。マルコ福音書にはそのことが書かれていませんが、最後に書かれたヨハネ福音書にははっきりとそのことが書かれています。ちなみにペテロが剣で撃った大祭司の僕の名はマルコスでした。これもヨハネ福音書に書かれています。しかし、マルコ福音書はペテロの証言によって書かれた福音書です。マルコも、ここで剣を振るったイエスの弟子がペテロであることは重々承知しているはずです。では、なぜマルコはそう書かなかったのでしょうか?

その理由は、マルコ福音書が書かれた時期にあります。マルコが福音書を書いていたのは、まだエルサレムがローマによって滅ぼされる前でした。ですから大祭司たちやユダヤの権力者たちは未だに健在でした。それに対し、エルサレムにあるキリスト教会は脆弱で貧しく、ユダヤの権力者たちから正式に認められた組織ではありませんでした。そしてペテロはエルサレムの教会の柱の一人でした。そのペテロが大祭司の僕に切りつけたのです。今日でいえば、私たちの教団の理事長や幹部が内閣総理大臣のSPに切りつけたようなものです。そのような行為は国家権力に対するテロ行為だと認定されるでしょう。そんな話が明るみになれば、教団には破防法が適用されて閉鎖命令が出てもおかしくありません。今日の場合を例に挙げてみましたが、当時のペテロの行動はそのような危険な行動だったのです。ですから、マルコが福音書を書いた時に、大祭司の僕に切りつけたのがペテロだったなどと、口が裂けても書けなかったでしょう。それに対し、一番最後に書かれた福音書であるヨハネ福音書が書かれた頃には、エルサレムはとうの昔に滅んでいて、大祭司制度も存続していませんでした。原始教会が国家反逆罪でユダヤ当局から訴えられる危険はもはやなくなっていました。それでヨハネはペテロやマルコスのことを明記したのです。

しかし、イエスはそのペテロの暴力行為を決して容認しませんでした。マルコ福音書には書かれていませんが、マタイはその時にイエスが何と語ったか、その言葉を記録しています。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます」というイエスの言葉です。これがイエスの暴力に対する姿勢を要約した言葉です。イエスは、暴力で襲いかかる人に暴力で対抗することを認めませんでした。力には力で、というのではさらなる暴力を生み出すだけで、本当の解決にはならないことをご存じだったのです。ただ、誤解しないでいただきたいのは、イエスは身を守ること、護身まで禁止したわけではないということです。イエスも、暴漢に対して柔道のような護身術を用いて相手の攻撃を無力化することは禁じなかったでしょう。しかし、相手を殺すつもりで剣を振るうことはお認めにならなかったということです。そのような生ぬるいことではだめだ、真剣勝負の場合は相手に恐怖心を植えつけなければ勝てない、ということがよく言われますし、それはそうなのかもしれませんが、しかしイエスの道はそのような道ではないのです。相手を殺すくらいなら、自分は暴力を甘んじて受ける、そういう覚悟がイエスにはあったのです。

こうして暴力による反撃をイエスが禁止したのを見た弟子たちはどうしたでしょうか。みな、逃げ出してしまったのです。イエスが捕まるなら自分もご一緒します、という人は一人もいなかったのです。あれほど勇ましいことを言っていたのに、です。ここで弟子たちの心の中に何があったのか、それが明らかになってしまいました。ありていに言えば、彼らがイエスについてきたのはその崇高な理念に感銘を受けたからだとか、あるいはイエスを心から愛していたから、というのではなく、むしろ出世の糸口を求めてだったということです。強大なカリスマと力を持ったイエスについて行けば、自分たちも偉くなれる、そのような打算があったのです。ですからイエスがあっさり捕まって、目論見が外れるとイエスを見捨ててしまったのでした。しかし、ペテロだけは遠くからイエスを追いかけて、何が起きるのかを見届けようとしました。

さて、首尾よくイエスを拘束した大祭司たちは、それからイエスの罪状探しをしました。よく考えると、おかしなことです。普通に考えても、容疑がはっきりしてから人を捕まえるものです。容疑が何だか分からないのに人を捕らえてきて、それから罪状を捜し出そうとするなどというのは、昔も今も法に反することです。もっとも、大祭司たちにとってはイエスに罪があるかどうかは実はどうでもよかったのです。彼らが恐れたのは、イエスにあまりにも人気があったので、民衆が彼を担いで暴動を起こすことでした。暴動が起きてしまったら、大祭司たちは彼らのご主人様であるローマから監督不行き届きで首にされてしまいます。ですから彼らがイエスを捕まえて殺そうとしたのは、彼らなりの正義を通そうとしたのですらなく、単なる保身のためだったのです。しかし、彼らはどうしてもイエスを殺すための決め手になる証拠を見出すことができませんでした。イエスが神殿を壊すと言った、という証言もありました。しかし、あらゆる証言は二人または三人によって確証されなければなりません。この神殿破壊の証言に関しても、証人の間での証言が一致せずに証拠とはなりませんでした。実際、イエスは確かに神殿が壊れるとは預言しましたが、自分が壊すなどとは言っていなかったのです。

このように手詰まり感が広がる中、ついに彼らは決定的な言葉をイエスから引き出しました。最高権力者である大祭司本人が、イエスに最も核心を突く質問をしました。それは、「あなたはキリストなのか」という問いでした。ここで注意したいのは、キリストというのは私たちクリスチャンが用いるような意味、つまり神の名前のようなものではないということです。当時のユダヤ人にとってのキリストとは、油注がれた王、イスラエルの王という意味です。日本でいえば、総理大臣のような役職名です。ですから大祭司はイエスに「あなたはユダヤ人の王なのか」と聞いたのです。もしイエスがユダヤ人の王を自称したのなら、それでイエスを訴えるための嫌疑が固まります。なぜなら当時のユダヤはローマの植民地であり、ユダヤ人はローマの許しを得ずにユダヤの王を名乗ることは許されなかったからです。ヘロデ王もローマの元老院からユダヤの王として求められてユダヤ王になりました。ですからローマの許しなくイエスがユダヤ王を名乗れば、大祭司たちは反逆罪でイエスをローマ帝国に訴えることができるのです。

この問いに対し、イエスはマルコ福音書の中では初めて公にご自身がメシアであることを認めました。これは、マルコ福音書の全体を通じても、非常に重要なことです。メシアの秘密ということをこれまで何度かお話ししましたが、イエスはご自身がメシアであることをこれまでずっと隠し、悪霊たちや、ご自身の弟子がイエスをメシアであると正しく告白した際にも、そのことを誰にも言ってはならないと厳しく命じてこられました。その重大な秘密を、よりによってこの状況で明らかにしてしまうのか、と私たちは驚きを禁じえません。それを言ってしまえば、自分の罪が確定してしまうのです。なぜ黙秘しなかったのか、と考えてしまいます。しかしイエスは、今こそすべてを明らかにする時だ、と覚悟を決められたのです。たとえどんな結果になろうとも、今は真実を語らなければならない、そういうイエスの重い決意をここで見る思いがします。イエスは、たとえ彼らがその意味を理解できなくても、ご自身がメシアであることを今こそ公に言い表すべきだ、と考えられたのです。ローマを相手に勇ましく戦争を始めるものではなく、むしろそのローマの手でこれから恥辱の中で死んでいく私こそ、ユダヤの人々が待ち望んだメシアなのだ、とイエスは大胆に語ったのです。

しかもイエスは、自分がイスラエルの王であるメシアであるのみならず、もっと偉大な方であることを示唆しました。イエスはここで、旧約聖書の二つの預言を引用します。一つは有名なメシア預言で、詩篇110篇です。こうあります。

主は、私の主におおせられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」

これは、神がメシアに対し、すべての敵が征服されるまで神の右の座に坐っていなさい、と語っている場面です。神の右に坐るとは、神の力をすべて与えられているということです。ですからイエスはご自身のことを神からすべての権限が与えられた人物だと示唆しているのです。さらにイエスはもう一つ旧約聖書から引用しています。それが有名な「人の子が来る」という預言で、ダニエル書7章からの引用です。人の子と呼ばれる謎めいた人物が、父なる神の下に雲に乗ってやって来て、そこで世界の支配権を神から授かるという預言です。イエスはこの二つの預言を引用することで、自分は単なるイスラエルの王の一人ではなく、神から世界の支配権を託される特別な存在なのだ、と主張したのです。イエスがこのような大胆のことを語ったのを聞いて、大祭司は自分の衣を引き裂き、イエスが神を冒涜した、と叫びました。大祭司からすれば、メシアを自称するだけでも大罪なのに、自分は神から一切の権威と権限を与えられたとまで主張するのは赦されざることでした。そこにいたユダヤの権力者たちも、満場一致でイエスが死刑に当たることを認めました。ただ、ここでも彼らはイエスが宗教的な罪というより、政治的な罪を犯したとみていることに注意が必要です。イエスが世界の全権を神から渡されたのなら、ローマ帝国もイエスの支配の下に置かれるということになります。そんな主張をローマが認めるはずはないので、今こそ反逆罪でイエスをローマに引き渡す口実を得たと確信したのです。

ユダヤの権力者たちがイエスの罪を確定させたのを見て、そこにいた血の気の多い僕たちはイエスに非道なことをするようになります。イエスをなぐったり、つばを吐きかけるということまでしました。イエスはこうした侮辱にも黙って耐えておられました。その心中はいかばかりかと思います。

さて、そのようにイエスに対する不当な裁判が行われている中、ペテロは大祭司の家の庭に潜り込んで中の様子を知ろうとしていました。すると、大祭司の女中の一人がペテロをじっと見つめて、この人はイエスの仲間だ、と言いました。彼女はイエスの逮捕劇の時にゲッセマネの園に来ていたわけではないでしょうから、イエスが神殿で教えておられる時にその様子を見ていたのでしょう。イエスの近くにペテロがいたのを思い出し、あなたもイエスといっしょにいた人ですね、と言いました。ペテロは真っ青になりました。ここはまさに敵陣です。他に仲間は誰もいません。ここで捕まったらおしまいだと思い、とっさにイエスのことを否定します。すると他の女中も、ペテロがイエスと一緒にいたと証言します。ペテロは慌てて再び否定します。しかし、この時にペテロがいろいろと喋ってしまったことでかえって嫌疑を深めてしまいました。それはペテロがガリラヤ訛りでしゃべったからです。当時のユダヤ人は、ガリラヤ人だとすぐに分かったことでしょう。なにしろ、イエスという名前でさえ、ユダヤとガリラヤでは発音が違っていたのです。ですからペテロを見たことがない人たちでさえ、この人はイエスの仲間のガリラヤ人だと騒ぎだしたのです。話がどんどん大きくなってきたので、ペテロは死に物狂いでイエスを否定し、のろいをかけて、つまり神に誓ってイエスを知らないと言い張りました。すると、そこで鶏が二度目に鳴きました。もう夜が明けようとしていたのです。ここで初めてペテロは我に返り、自分が三度イエスを否認するとイエスが預言しておられたのかを思い出しました。あれほどイエスの前で自分はあなたを裏切らないと断言したのに、なんてことを、と思い彼は泣きだしてしまいました。

3.結論

まとめになります。今日はイエスの逮捕と、それに続く大祭司の館での不当な裁判、その時に起きたペテロの三度の否認の話を見て参りました。大変有名な、そして劇的な場面です。この緊迫した、悲劇的な状況の中で、イエスはついにご自身の身分を公の場で明かされます。イエスこそ約束のイスラエルのメシアであり、それだけでなく神から全世界の支配を託される「人の子」と呼ばれる世界の王であることを明言したのです。それがたとえ死罪という結果となろうとも、真実を語ることをイエスは選ばれました。それに対し、真実を語る機会を三度までも逃した人物がいました。シモン・ペテロです。死の危険があっても自らの正体を明かしたイエスに対し、自分の正体をひたすら隠そうとしたペテロは本当に惨めです。しかし、ペテロはその惨めな自分の姿を、後になって堂々と人々に語るようになりました。なぜなら自分の弱さ、自分も惨めさの中に神の恵み、神の赦しの愛が輝いていたからです。主イエスは、このペテロの惨めな裏切りをも赦し、受け止め、さらには立ち直る機会と力さえ与えてくださいました。ここに底知れない愛があります。私たちも、これまでも、これからも、自分の惨めさにほとほと嫌気がさす時があるかもしれません。でも、そんな時にも決して自分を諦めてはいけません。たとえ自分が自分を諦めても、イエスは決して私たちのことを諦めないからです。このような主を持つ幸いを思い、これからも主に喜ばれる歩みを心がけていきましょう。お祈りします。

シモン・ペテロを赦し、立ち直る機会と力を与えられたイエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今日は、苦難の中でも真実を語る主イエスと、迫害を恐れて主を否んだペテロについて学びました。私たちもペテロのような弱い者ですが、主がペテロを支えられたように、私たちをお支えくださいますように、お願いいたします。私たちの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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