パウロの勧め
第一テサロニケ5章12~28節

1.序論

みなさま、おはようございます。第一テサロニケ書簡からのメッセージは今日で七回目になりますが、最終回となります。毎月原則一度のメッセージでしたので、ゆっくりとこの書簡を学んで参りましたが、これまでの内容を思い返しつつ、このパウロにしては比較的短い書簡の締めくくりの部分を読んで参りましょう。

さて、前々回、前回の4章13節から5章の12節までは、パウロは終末論、つまりキリストの再臨とそれにまつわる問題について述べていました。前回の説教でもお話ししましたが、キリストの再臨というのは私たちにも分からないことの非常に多い、大変難しい問題です。そして、再臨をめぐるいろいろな問題が、過去二千年の教会の歴史の中でも繰り返し起きてきました。例えば中世ヨーロッパでは、紀元千年を迎える頃にキリストの再臨が近いという期待が人々の間で高まり、自分の仕事を捨ててエルサレムに巡礼に出かける人たちが急増し、社会全体がそわそわした雰囲気に包まれてしまいました。また、キリストの再臨がいつなのかを計算するという試みも何度もなされてきました。中でも有名なのは、宗教改革者のマルティン・ルターで、彼はヨハネ黙示録の独自の解釈から、キリストの再臨の時期は1739年頃であるとし、彼自身の生きている時代は反キリストであるローマ教皇が猛威を振るっている時代なのだという見解を残しています。互いをキリストの敵だと見なし合うプロテスタントとカトリックとの間の争いは悲惨なものとなり、宗教改革の百年後から始まった三十年戦争ではドイツの人口の三分の一が死に絶えたと言われています。まさに世の終わりを思わせるような惨劇が繰り広げられたのです。そして20世紀が終わるころ、日本でもオウム真理教がキリスト教の終末論を曲解してハルマゲドン、つまり世界最終戦争が近いと唱えて多くの優秀な若者を引き付けたことは未だに記憶に新しいことです。私も地下鉄サリン事件が起きた時には大手町で働いていましたので、あの時の動揺は忘れることができません。アメリカでも同じころ、ブランチダビデアン事件という凄惨な事件が起こり、アメリカ政府を相手にしたカルト教団の本部ビルは炎上し、80人以上の信徒が死にました。このように、キリストの再臨をめぐる期待は一歩間違えれば社会を危うくさせかねない危険性を秘めたものでもあります。

そして、この第一テサロニケ書簡は、そうした終末論を巡る問題を正面から扱った最初の書簡、元祖終末論書簡とも呼べるものです。パウロはギリシアのマケドニア地方にある大都市テサロニケを訪れ、十字架に架けられて死んだユダヤ人のイエスこそ世界の主、王であると宣言し、しかもそのイエスが天から戻られて地上に住む人々を裁く日は近いという福音を宣べ伝えました。テサロニケには、パウロの伝える福音を熱心に受け入れる人々と、彼のメッセージは社会に混乱をもたらすと危険視する人々の両方を生み出しました。さらには、パウロの伝えるメッセージを受け入れた人たちの間でさえ、パウロの言わんとすることを誤解したり、あるいはもうすぐ世界が終わるのだから仕事をしても仕方がないと、だらけた生活を送る人が現れるなど、様々な問題を生じさせました。こうした混乱を収めることが、パウロがこの書簡を書いた目的の一つでした。今日のこの結びの箇所においても、終末論は大切なテーマになっています。このことに注意を留めながら、今日の箇所を読み解いて参りましょう。

2.本論

ではまず12節と13節です。これまでお話ししてきたように、パウロは紀元49年にヨーロッパ伝道のためにギリシア北部のテサロニケの地にやってきて、そこで開拓伝道を始めました。ただ、伝道の道半ばで、あまりにも迫害や反対が大きくなり、命の危険を感じて逃げるようにテサロニケを後にしました。テサロニケ教会は設立から1年も経たないうちに、無牧の教会となってしまったのです。今日の日本の教会では高齢化が進み、無牧あるいは兼牧による教会が増えています。こういう教会に重荷を持つ役員の方々のご苦労は大変なものだと聞きますが、テサロニケの教会もパウロの離脱によりそのような無牧状態になってしまいました。しかし、それでも礼拝や集会を支えるべく、イエスを信じてから1年にも満たないような新米クリスチャンの人々が、教会の柱として牧師の代わりの務めを果たしてきたのです。もちろん牧師としての訓練も、聖書の十分な学びの期間もなかったので、彼らのミニストリーはパウロとは較べるべくもなかったでしょうが、彼らなりに一生懸命説教の準備をしたりして、教会を維持発展させるために粉骨砕身したのでした。パウロは彼らの苦労を思い、こうした指導者たちに深い尊敬を払うようにとテサロニケの信徒たちに勧めています。同時に、信徒たちの間で教会のリーダーシップを巡って主導権争いのようなことが生じないように、互いに平和を保つようにと勧めています。

そして14節ですが、「気ままな者を戒め」とありますが、気ままなという言葉のギリシア語は「義務を果たすのを怠っている者」、というような意味です。パウロの書簡の中でも、この言葉を用いているのはここだけなので、パウロはこの特殊な言葉である特定の人たちを念頭に置いていたと考えてよいでしょう。ではどんな人たちかといえば、パウロは第二コリント書簡で、ここで言われていると思われる人々について、次のように非常に具体的な指示を出しています。3章の11節から15節までをお読みします。

ところが、あなたがたの中には、何の仕事もせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。しかしあなたがたは、たゆむことなく善を行いなさい。兄弟たちよ。もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。

この仕事をしない人たちというのは、クリスチャンになったときから無職だった人というわけではなく、むしろクリスチャンになった後に働くのを辞めてしまった人だと思われます。どうしてそんな話になってしまうのかと言えば、ここで終末論が関係してきます。つまり、世界の終わりが近いのならば、真面目に働いて将来のためにお金を貯えるとか、そんなことをしている場合ではない、仕事を辞めて一人でも多くの人を救うために伝道に専念しようという、そのように考えて行動していた人たちです。ですから、必ずしも怠け者というわけではなく、ちょっと慌て者といいますか、落ち着きのない人たちのことだと思われます。パウロも、この点はとても気にしていました。5章2節で書いたように、キリストの再臨はいつかというのは誰にも分からないのだから、分からないことを根拠に軽はずみな行動をすることなく、落ち着いて自分の義務をしっかり果たすようにと勧めています。実際、パウロ自身も誰よりも熱心に伝道をしていましたが、その彼は日夜汗を流して働いていました。ですから伝道を言い訳にして仕事をしないというのは許されないと、パウロは厳しいことを言うことができたのです。

次に「小心な者を励まし」とありますが、小心というのは「気落ちした人」あるいは「落胆した人」と訳してもよいかと思います。どうして落胆してしまったのかといえば、理由はいくつか考えられますが、4章13節で仲間の信徒が死んでしまったことで「悲しみに沈んだ人たち」がいたとパウロは記しています。あるいは、パウロがいなくなった後の、テサロニケでの周囲の人々からの迫害のあまりの激しさに落ち込んでしまった人たちがいたものと思われます。そういう人たちを励ますようにとパウロは勧めています。人を励ますためには希望が必要ですが、その希望とはパウロがこの書簡で繰り返し語っているキリストの来臨です。キリストが来られるのは近いのだから、それまで忍耐強く待ちなさい、ということです。ただ、このような励ましは諸刃の剣でもあります。なぜならキリストの来臨がないと、むしろさらにがっかりしてしまうかもしれないからです。この問題がこの第一テサロニケ書簡に横たわる大きな問題なのです。

次の「弱い者」については、パウロはローマ書簡やコリント書簡で「弱い者」というのを独特な意味合いで用いているために、それがどういう意味なのかは慎重に判断する必要があります。ですがこの場合は素直に解釈したほうがよいでしょう。つまり文字通りに弱い人、病気などで弱っている人か、あるいは社会的に弱い立場に置かれている人、そういう人たちを助けなさい、ということです。これは当然のことですね。自然災害の多い私たち日本人にはおのずから助け合いの精神が根付いていると言われていますが、テサロニケの信徒たちも皆大なり小なり苦しんでいたので、助け合っていたのです。そして四番目に、パウロはすべての人に対して寛容でありなさいと勧めています。寛容であれ、とは「我慢強くありなさい」という意味にも取れます。人に対してすぐにイライラしたりすることなく、辛抱強く付き合いなさい、と教えているのです。これは実際にはなかなか難しいことですが、相手の立場になることで、辛抱強さを養うことができるのでしょう。

それからパウロは次の16節、17節、18節で三つのことするようにと教えます。それは「喜ぶこと」、「祈ること」、そして「感謝すること」の三つです。いつも喜びなさいというのはパウロの他の手紙、特にピリピ教会への手紙に繰り返し出てくる言葉です。いつもハッピーな状態にある人ならばそのように喜べるかもしれませんが、辛い現実を抱えている人にはいつも喜んでいるというのは不可能に思えるかもしれません。しかしパウロは、ピリピ教会への手紙において、自分自身がすぐにも死刑になるかもしれないという崖っぷちに立たされていたのにもかかわらず、いつも私は主にあって喜んでいる、と書き記しています。それはどんなに辛い状況においても、パウロは自分のために主の助けが与えられていることに目を向けて、そのことを感謝し、喜んでいたのです。絶望的な状況の中にも、神に希望を見いだして喜んでいたのです。ですからいつも喜ぶということと、すべての事に感謝する、というのはセットで考えるべき事柄です。そして、神に感謝を表すための方法とは祈ることです。ですから「喜びなさい」、「祈りなさい」、「感謝しなさい」というのは、実際のところ一つの事を指しているということができます。そして、そうすることが「キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられる」ことなのです。

そして19節です。「御霊を消してはいけません」という短い戒めの意味はいろいろに解釈できます。一つは、倫理的・道徳的によくないことをして、私たちを導いてくださる聖霊をがっかりさせてはいけないという解釈があり、このような解釈が古くからありました。しかし、おそらくここでの意味はそういうことではないでしょう。ではどういう意味かといえば、20節と併せて考えればその意味が見えてきます。20節には「預言をないがしろにしてはいけません」とありますが、直訳すれば預言を軽蔑してはいけない、あるいは預言を無視してはいけない、ということになります。ここで言われている「預言」とは、一般的な意味での預言の事ではなく、終末の預言、キリストの来臨に関する預言であろうと思われます。冒頭でもお話ししたように、キリスト教の二千年の歴史に置いて終末への期待や預言が繰り返し起こってきましたが、それらは教会に祝福よりも混乱をもたらしてきたということは否めません。キリスト教最初期の時代であるパウロの時代においても、世の終わりへの待望は非常に強く、また世の終わりに関することを預言する人も多かったのです。しかも、キリスト教最初期においては、預言の賜物は一部の特別な預言者だけではなく、すべての信徒、一般信徒たちにも与えられていました。テサロニケ教会でもそれは同じでした。パウロがいなくなった後、信徒たちだけの集会で、ある信徒が突然立ち上がり、「私は天におられるキリストから次のようなメッセージを授かった」というように語りだす人もいたのでしょう。こういう預言行為に対し、テサロニケの信徒たちは段々警戒するようになります。本当にキリストがあなたを通じて語っていると、どうして言えるのか、あなたは単に自分の願望を語っているだけではないのか、という反発や拒絶反応が起こったというのは十分に考えられます。終末の預言というのは、確かに一歩間違えればとんでもない事態を招きかねないものだからです。ですから、そのような自由な預言活動を禁じること、それが「御霊を消す」ことであり、「預言を軽蔑する」ことだということです。しかし、パウロはそのように一様に世の終わりに関する預言を禁じることがないように、むしろそれらの預言を見分けて、本当に良い預言については受け入れなさいと教えています。ではそうすれば預言の真偽を鑑定できるのか、という疑問が生まれます。その点については、パウロ自身の教えに照らしてあまりにも逸脱したものは退けるべきだけれど、パウロの教えと調和するものは受け入れるように、と指示したと考えられます。ですから22節の「悪を避けなさい」という教えも、悪いことをしないようにしなさいという一般的な教えではなく、悪い性質の預言を遠ざけるようにしなさい、という意味であろうと私は考えています。しかし、このパウロの勧告については、今の時代に当てはめるのは慎重であるべきでしょう。パウロの時代は聖霊の働きが強力で、どんな信徒にも聖霊の力が強く働く可能性のある時代でした。それに対して今の時代は、聖霊のそこまでの強力な働きは見られません。今の時代に世の終わりについて預言する人がいたなら、むしろ騙しごとである可能性の方が高いと私は考えています。ですから今の時代においては、終末預言はすべからく退ける方が霊的に安全だと言って良いでしょう。

そして23節以降は、祝祷、終祷です。キリストが来られた時に、あなたがたが万が一にも責められることがないように、キリストがあなたがたを完全な者として守ってくださるように、という祈りです。「キリスト者の完全」というのは私たちにはあまりなじみのない見方で、私たちのような欠けの多い者が完全なんかになれるんだろうか、というのは誰もが感じることかもしれません。ただ、完全というのは一つも間違いのない人間という意味ではありません。そんな人はどこにもいないからです。人の一生に譬えるならば、子供はまだ完全な大人にはなっていません。身長も、体の各機関も成長段階です。しかし、みないずれは完全な大人になります。完全と言っても、いまだに欠けだらけの大人ですが、子どもと比較すれば完全に成長した人間だということができます。キリスト者も同じです。私たちはみなキリストの身の丈にまで、つまり霊的に大人になるまで成長していきます。キリストの身の丈になったといっても、それはキリストと全く同じになるとか、キリストと同じ完全さを身に着けるということでもありません。しかし一人のキリスト者として十分に成熟したとは言えます。そのような段階にまで、あなたがたが健やかに成長できるようにと、パウロは祈っているのです。その祈りは私たちに対する祈りでもあります。

最後にパウロは、この手紙がすべての信徒たちの間で読まれるようにと指示して、手紙を締めくくっています。

3.結論

まとめになります。これまで七回にわたり、現存するパウロ書簡の中でも最も古いものとされる第一テサロニケ書簡を学んで参りました。この書簡はローマ書簡やコリント書簡のような長大な手紙と比べると短いものの、パウロのテサロニケ教会に向ける熱い思いが伝わってくる、大きな魅力を持った書簡でもあります。テサロニケ教会の特徴は、非常に若いということ、つまり設立されてから1年ぐらいしか経ていない若い教会であり、にもかかわらず大変な苦難や試練を経験した教会だということです。それはまず設立者であり牧会者であるパウロを失ってしまったこと、そしてパウロが去った後にテサロニケの人々からの批判や迫害の矢面に立つことになってしまったことです。普通に考えればとても耐えられないような状況、教会が空中分解してしまうような状況にあったテサロニケの人々ですが、その彼らを支えたのがキリストの来臨の希望でした。もうすぐキリストが天から戻られて私たちを救ってくださる、そのような希望が苦難の中にある彼らを支えたのです。しかし、そのような希望は諸刃の剣でした。そもそもキリストの来臨とは何なのか、その時に何が起きるのかがよく分かりませんでした。またその時期についても不明です。ですから期待と憶測が入り混じり、信徒たちは来臨について様々な預言の言葉を語りだし、それは教会内の混乱を益々深めてしまいました。このような困難な状況にある信徒たちを助けるために、パウロはこの手紙を送ったのです。パウロのポイントは明快です。キリストがいつ来るのかは誰にも分からないのだから、あれこれ憶測することはせずに、むしろ主がいつ戻って来られても恥ずかしくないように、しっかりとした地に足の着いた歩みを続けなさい、ということです。

私たちはパウロの時代から2千年も離れた時代にいますが、「終末」ということについては現実味を帯びた時代に生きています。アメリカの科学雑誌は、人類の歴史を60分にたとえると、終わりまでの時間があと90秒しかないと発表しました。どういう根拠でそう言えるのかよく分からないセンセーショナルな発表だという気がしなくもないですが、人類絶滅とまではいかなくても、私たちが困難な状況にあることは間違いありません。クリスチャンの中には、主の再臨を待望し、キリストがすべての問題を一挙に解決してくれることを望んでいる方もいます。しかし、パウロがキリストの再臨がもうすぐだと言った時から二千年も経っているのですから、再臨の時が今の時代からさらに二千年、あるいはもっと長い期間の後であっても何の不思議もありません。ですから私たちも、それがいつかと詮索することなしに、むしろいつキリストが戻られても恥ずかしくないように、日々自分に与えられた責任をしっかりと果たしていこうではないですか。そのような力を与えてくださるように、祈りましょう。

テサロニケの教会を守り導いてくださった神様、また今日では当教会を守り導いてくださる神様、そのお名前を讃美します。私たちはキリストの来臨を待ち望みつつ、しかし同時にそのことによって動揺することなく着実な歩みを続けたいと願っています。どうか私たちの歩みを導いてください。われらの平和の主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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