最後の士師サムエル
第一サムエル7章1~17節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日はサムエル記の7章を読んでいただきましたが、サムエル記の1章から7章までは、ひとまとまりの物語だと言えます。それはサムエルを主人公とした物語です。8章以降は、イスラエルの初代の王となるサウルがストーリーの中心になりますが、それはそのままイスラエルが王制に移行していくという話でもあります。それに対してこの7章までは、イスラエルが「士師」と呼ばれるリーダーたちに率いられる最後の時代を過ごしているという、そういうことになります。

ここで、「士師」とは何か、ということを少し考えてみましょう。サムエル記の前の時代を描いている士師記には12人の士師たちが登場します。有名な士師としてはギデオンやデボラ、またサムソンなどがいます。「士師」のヘブル語での意味は「裁き人」なのですが、士師というのはイスラエルの各部族の人々の間で問題や争いが生じた際に、それを仲裁したり、裁きを執行したりする、共同体の世話人または裁判官のような人でした。しかし、イスラエルの人々が士師たちに頼ったのは世話人としての役割というよりも、外敵から攻められた時にイスラエルの人々を率いて戦ってくれる、軍事的リーダーとしての役割でした。ただそれは、彼らが軍事行動の天才だったからではありません。確かに怪力サムソンは百人力の偉大な戦士でしたが、ギデオンは平凡な男でした。彼の非凡さは、イスラエルの神への絶対的な信頼にあり、同時に人々の心を真の神に向けさせることができた点にありました。有名な話ですが、ギデオンは戦に臨むとき、わざわざ兵隊の数を少なくして、圧倒的少数で敵と対峙するようにしました。これは兵士を追い込んで背水の陣を引いた、ということではなく、人間の力ではなく神の力によって勝利できたということをイスラエルの人々に示すためでした。つまり士師の最も大切な役目とは、天才的な軍事戦略を立てることでも圧倒的な武力で敵を薙ぎ払うことでもなく、人々の信仰的な導き手になることでした。人々が真の神への信仰に立ち返ったときに、神はイスラエルに勝利を与えられる、これが士師記で繰り返されるパターンでした。

このように、イスラエルの士師たちと、周辺民族の王や指導者たちとの決定的な違いとは、第一に彼らが信仰のリーダーだったという点です。そしてもう一つ重要な違いがあります。それは、彼らの身分は世襲されなかったということです。これはものすごく大切な点です。ギデオンは、士師という立場を子どもたちに受け継がせたらどうか、と人々から頼まれてもそれを拒否しています。その箇所を読んでみましょう。士師記8章22節以降です。

そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたの子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。主があなたがたを治められます。」

このように、イスラエルの人々がギデオンに、世襲制を採用して代々私たちを治めてくれと頼んだのに対し、ギデオンはそれを受け入れませんでした。それは、「士師」という立場を世襲化・固定化してしまうと、イスラエルの基本的な理念、つまり「神の下に人はみな平等だ」という理念が脅かされてしまうためでした。これは、日本のことを考えればよく分かると思います。日本の与党議員の何と約四割が何らかの意味で世襲議員だと言われています。今の総理大臣もそうです。もちろん世襲議員の中には大変優秀な方もおられるので、何でもかんでも世襲が良くないということではありませんが、しかしかつての江戸時代の大名のように、国会議員の地位が二代、三代と受け継がれていくと、これは本人の努力を越えた一種の固定された身分のようになっていきます。生まれた時から高い地位が保証されている、銀のスプーンをくわえて生まれてくるような人たちがいるということです。これは格差社会を固定化する力になっています。しかし、イスラエルの社会はそうならないように、人が人を支配することがないように、という理念の下に建てられた神の共同体でした。士師という立場に就いた場合でも、その必要がなくなれば地位から降りる、そのような潔さがありました。もちろん、イスラエル社会には身分も世襲も全くなかったわけではありません。イスラエルには祭司制度があり、祭司の身分は世襲制でした。しかし、祭司の身分には政治権力は伴いませんでした。これは後にイエスの時代になると状況は大きく変わり、大祭司は政治や経済においてもイスラエルを支配する、そういう強大な権限を持つ立場になっていくのですが、士師の時代には祭司にはそんな大きな権限は与えられていませんでした。ですから、当時のイスラエル社会には特権階級のような人たちはいなかったのです。

しかし、そのような平等な社会であったイスラエルにも、とうとう王制が導入されます。王という特別な身分、しかもそれは世襲されていくのですが、そうした制度がイスラエルにも導入されて、そしてイスラエル社会はその性質を大きく変えていきます。そのような大きな変革が起きるまでの最後の時代、古き良き平等の理念を体現した士師の時代の最後の士師として、サムエルが活躍しているのが今日の聖書箇所です。そうしたことを頭に入れながら、今日のテクストを読んで参りましょう。

2.本論

さて、まず1節と2節ですが、ここでは前回までの騒動の中心にあった「主の箱」、「契約の箱」が一体どうなったのか、その顛末が記されています。契約の箱はイスラエルのべテ・シェメシュに戻されましたが、そこで契約の箱を覗き見た人がいたために、多くの民が主に打たれてしまうという事件が起きました。この悲劇に恐れをなしたイスラエル人は、キルヤテ・エアリムというあまり知られてない地に契約の箱を移すことにしました。なぜこの地が選ばれたのか、その理由は書かれていませんが、おそらくいろんな地の人々に打診したもののあちこちで断られ、最後に残ったのがこのキルヤテ・エアリムだったのだろうと思われます。かつてはイスラエルを勝利に導く切り札であるかのようにもてはやされた契約の箱が、このように誰も引き取り手がいないほどに迷惑がられるようになるとは誰が思ったでしょうか。イスラエルの人たちも、契約の箱は確かに噂通りの不思議な力を秘めているようだが、どうも自分たちではこれを使いこなせない、むしろ危険な存在だ、だからどこか人目に付かないところで眠っていただこう、とこのように考えたように思われます。それで、なんと二十年ものあいだ、契約の箱はキルヤテ・エアリムでひっそりと保管されることになりました。

イスラエルに勝利をもたらすのは契約の箱という「モノ」ではなかったわけです。では、何がイスラエルに勝利を与えてくれるのか、それが説明されているのが今日の箇所です。イスラエルがすべきこと、それは「心を主に向け、主にのみ仕える」ことでした。つまり、偶像を捨てて、イスラエルの神のみを礼拝する、そのようにしたということです。ただ、注意したいのは、今日の簡潔な記述を読むと、イスラエル人が偶像を捨てて真の神を礼拝するようになると、急に強くなって、これまで全然勝てなかったペリシテ人にいきなり勝ってしまったと、そのような印象を受けるかもしれません。しかし、これではマンガのような話であって、とても現実味がありません。確かに今日の聖書箇所では、イスラエル人が偶像を捨てて主にのみ仕えるようになったこととペリシテ人への勝利には明確な因果関係があることを明確に示そうとしています。ただ、それはある種の劇的な演出であって、事実がこのままその通りだったとは考える必要はないでしょう。

むしろ、ここでのポイントは「二十年」という月日です。2節にはこうあります。

その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。

とあります。契約の箱の一連の騒動があってから、二十年もの月日が流れたのです。そして、サムエルはその期間を無為に過ごしたわけではありませんでした。彼は、イスラエルの若きリーダーとして頭角を現し、前の祭司であるエリの時代に、霊的にはすっかり火の消えたような状態になっていたイスラエルの人々の心に火をともし、彼らの心を耕し続けてきたのです。

エリの時代のイスラエルの霊的状態はまったく不毛でした。聖地であるシロの幕屋での礼拝はなおざりで、祭司たちはそこに女性を連れ込んでふしだらな行動をする始末でした。人々の心は神から離れており、倫理や道徳も低迷した状態でした。そんな状況なので国力も衰え、ペリシテ人に国土をいいように蹂躙されてしまっていたのです。

サムエルは若き士師として、この低迷状態からイスラエルを引き上げようと奮闘してきたのです。今日の聖書箇所にはそうした事情は全く書かれていないので、ここは想像をたくましくするほかないのですが、サムエルが人々に働きかけ、彼らの心を変えていくプロセスは決して一朝一夕とはいかなかったことでしょう。二十年、というのは相当な年月です。当時の平均寿命は、今日のように80歳、90歳などという長さではなく40年生きればまあ長生きしたといえるぐらいでしたから、20年というのはまさに半生という長さです。サムエルは常に主に祈り、また熱心に人々に教え、少しずつ彼らの意識を変えていったのです。

イスラエルの人々はサムエルの指導の下で、生き方そのものを変えていきました。彼らは単にバアルやアシュタロテなどの偶像礼拝を止めただけではありません。イスラエルの主に仕えるというのは、礼拝だけではなく、モーセを通じて与えられた様々な神の掟や戒めに従って歩むということです。これが、イスラエルの宗教とその周辺の国々との宗教との決定的な違いでした。バアル礼拝者たちは、たしかに礼拝そのものは熱心に行います。カナン地方の人々が神々を礼拝するのは、その礼拝によって神々を動かし、自分たちが求めるもの、それは豊作だったり戦争の勝利だったりするわけですが、それらを得ようとするためでした。しかし、日常生活においてバアルの教えや戒めに従って歩むとか、そういうことは要求されていませんでした。バアルが人々に「正しく歩みなさい」、「社会の弱い人たちを助けなさい」などと命じたわけでもありません。神々は人間に倫理的な行動を要求しませんでした。そうした神々は人間からいろんなささげ物を受け取ればそれで満足すると信じられていたので、礼拝者は熱心にいろんな供物(くもつ)を神々に捧げますが、しかしそれ以上のことはしないのです。 

それに対し、イスラエルの神が求めているのは立派な礼拝よりも、むしろ日常生活において人々が神の御心に従って歩むことでした。いくら立派な礼拝をしたとしても、日常生活の歩みが伴っていなければ、神はむしろそのような礼拝を嫌われるのだ、ということが繰り返し聖書の中では語られています。そのことを端的に言い表しているのが次のイザヤ書の内容です。イザヤ書1章13節以降を、一部抜粋しながらお読みします。

もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙 ― それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日 ― 会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。[…] あなたが手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ。洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ。

このように、イスラエルの神が人々に求めているのは立派な、豪華な礼拝ではなく、日々の生活の中で正しいことを行い、また弱い立場の人を顧みることでした。サムエルも、そのような神の御心をよく分かっていました。ですから人々に偶像礼拝を止めるように訴えるだけでなく、神の掟に従って歩むこと、生き方そのものを変えるように求めました。そうした地道な努力が実を結んで、段々とイスラエルの人々の歩みも変わってきました。それだけでなく、社会そのものが変わっていったのです。人々はモーセの律法の従って歩むことで正義を重んじるようになり、また社会的な弱者に配慮するようになります。そうすると、社会の団結力は高まり、国力が底上げされていきます。イスラエル民族の力が高まると、外敵も容易には攻められなくなります。しばしば、社会の中で格差があまりにも大きくなると、その国は弱くなると言われます。格差が大きすぎると、一体感がなくなり、特に自分たちは搾取されている、公平に扱われてはいないと感じる人たちは、国のために戦うなんてばかばかしい、と思うようになります。金持ち連中の財産を守るために、何で俺たちが戦わなければならないのか、と感じるのです。また、格差社会の頂点にいる人も金持ち喧嘩せずで、戦いになど行きたくありません。戦争で死んでしまったら、せっかく大きな財産があるのに損だと考えるのです。こうして、誰も国のために真剣に戦おうとはしなくなります。それに対して、公正や神の下での平等という感覚が強い人々の間では、お互いを守るために戦おうという気持ちが強くなり、軍隊も粘り強い軍隊になっていきます。イスラエルではまさにそのようなことが起ったのです。

さて、ペリシテ人も、イスラエルの人々が変わってきた、強くなってきたといううわさを聞きつけて、あまり彼らが強力になる前にイスラエルを叩いてしまおうと再び戦を仕掛けてきました。そのことを聞いたイスラエルの人たちは、士師であるサムエルに対して主に叫んでくれ、と頼みます。これは、かつて契約の箱を持ち出して戦争に勝とうとしたイスラエル人の態度と比べると、大きな進歩があることが分かるのではないでしょうか。契約の箱ではなく、主にこそイスラエルの人々は頼るべきでした。サムエルも、人々の願いに応えました。「サムエルはイスラエルのために主に叫んだ」とあります。すると、不思議なことが起りました。ペリシテ人がイスラエルに攻めかかろうとするまさにその時に、大きな雷鳴がとどろき、おそらくペリシテ人の陣中に落雷があったのでしょう。ペリシテ人は恐ろしくなりました。二十年前の契約の箱による災いの記憶がまだ強く残っていたので、今度も再びイスラエルの神が自分たちに災いをもたらそうとしている、そのように感じたのでしょう。それですっかり意気消沈してしまい、戦意喪失して逃げ出しました。そのペリシテ人を、イスラエルは徹底的に打ち負かし、もう二度とイスラエルを侵略しようなどという気を起こさせなくしました。彼らはそれまで占領していた土地からも撤退しました。こうして、イスラエルの地には平和が戻ったのです。

3.結論

今日は、サムエルが士師として大きく成長し、イスラエルの人々の気持ちを一つにして、長年イスラエルを苦しめて来たペリシテ人を追い払うという話をしました。イスラエル人が神に立ち返り、外敵を追い払うというのは何とも爽快な話です。ただ、クリスチャンの方々の内には、「結局、武力でしか問題を解決できないのか。これがイエス様の教えた道だろうか」と感じる方もおられるかもしれません。こういう疑問は、とても大切なものだと思います。

聖書は、複雑な書物です。様々な時代の、いろいろな人々によって書かれました。それぞれの聖書記者たちの置かれている政治状況も、大きく異なっていました。神は、いずれ戦争という手段ではなく問題を解決する道を主イエス・キリストを通じて示そうとしておられます。しかし、サムエル記の時代はそれから千年も前の時代です。まだ人々の間に、戦争のない時代というヴィジョンは未だ燈っていませんでした。神も、そのような時代の人々の意識を踏まえて、彼らが理解できるような形で教訓を与えようとしたのです。すなわち、今回の場合は戦いのない世界という理想への道を示すよりも、神の戒めを人々が守ることで人々は大きく変われるし、それが救いにつながるのだという教訓でした。イスラエルの人たちは、士師サムエルに従って、神の戒めに従って歩むことでペリシテ人の脅威から解放されました。彼らを救ったのは、契約の箱という魔法のような道具の存在ではなく、むしろ地道に神の掟を守ることでした。このことは私たちにも大切な教訓を与えてくれます。私たちが主から祝福を受けるために大切なことは、なによりも神の戒めを守ることです。特にイエスが教えられた戒め、「互いに愛し合いなさい」という戒めを日々の生活において守ること、これこそが私たちに大いなる祝福を与えてくれるのです。そのことを思いつつ、今週も歩んで参りましょう。お祈りします。

主イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を讃美します。今日は、サムエルが人々に辛抱強く神の道を教え、それに応えたイスラエル人がペリシテ人から解放されるという話を学びました。私たちもまた、主に対して様々な願いを持つ者でありますが、その願いが実現される早道が主の教えに従って歩むことであるということを、今一度教えられました。どうかそのように歩むことができますように。われらの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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