1.序論
みなさま、おはようございます。先週まで私たちは、一年以上かけてマルコ福音書を学んで参りました。イエス・キリストの生涯を描く四つの福音書は、いうまでもなく教会にとって最も大切な文書です。しかし、聖書には他にもたくさんの重要な文書があります。そして、そのうちの一つが旧約聖書に収められた「サムエル記」です。サムエル記は、ある意味ではダビデの伝記と呼べるかもしれません。ダビデは16章まで登場しませんが、しかしその後は間違いなくサムエル記の主人公として常に活躍します。ダビデは、モーセやアブラハムと並んで旧約聖書で最も有名な人物の一人です。その彼を歩みを描いているという意味で、サムエル記はとても重要な文書です。
しかし、サムエル記は単なるダビデ王の一代記ではありません。むしろ、ダビデが登場したこの時代が、イスラエルの長い歴史における一大転換点だった、という視点を持つ必要があります。というのは、この時代になるまではイスラエルは12部族による緩やかな連合国家であり、中央集権的な国家ではなかったのです。最初の王であるサウルが登場するまでは、イスラエルには王がいませんでした。むしろ、「王」という存在に強い警戒感を持っていたのがイスラエル民族の特徴だったとも言えます。なぜなら、イスラエルの国としての理念は、「神の下の平等」だからです。人は皆、神の下に平等であり、したがって人が人を支配するというような状況を許さない、人を支配するのは神だけである、というのがイスラエルの国としての在り方なのです。そのようなイスラエルに果たして王は必要なのか、という問いがこのサムエル記には一貫してなされているように思えます。確かにイスラエルはサウルという強力な王、次いでダビデという理想的な王を得ました。ダビデによって、弱小国家だったイスラエルは強大な国になっていき、周辺の国々を従えるまでになります。しかし、そのダビデも晩年には迷走し、イスラエル王国は大混乱に陥っていきます。このような王制の光と影をサムエル記は描いています。
またダビデ個人を見ても、信仰の人だったダビデも、王となるとその権力をかさに着て横暴な振舞をするようになります。そのようなダビデの振る舞いによって、神の下に人は平等であるというイスラエルの理念も脅かされていくのです。ダビデの生涯は、アブラハムのような信仰的に成熟していく人物の生涯として理解するのが困難です。むしろ、彼は若かったころの純粋さを失い、保身のためには献身的な部下さえ殺す、恐ろしい暴君になっていきます。信仰的には後退、堕落していったとさえ言えます。富と権力を持つことが、信仰の成長にはかえって妨げになる、ということをダビデの生涯は教えているように思えます。
このように、ダビデの生涯は単に信仰の英雄の生涯とは言えない複雑さを持っています。ダビデだけでなく、サムエル記に登場するほとんどの主要な人物には光と影があります。単純に善人とも悪人とも言えない、とても人間臭い人たちが登場します。だからこそ、私たちも彼らに共感することができるのかもしれません。身につまされることもいろいろあると思います。私はこのサムエル記の説教を通じて、人間のそうした複雑な面に光を当てることを重視していくつもりです。紋切型に、初代の王だったサウルは悪い王で、二代目のダビデは良い王だった、というような見方はしません。むしろサウルの良い点を公平に評価し、ダビデの悪い点からも目をそらさないようにしたいということです。歴史は勝者によって書かれる、という言葉が示す通り、サムエル記もサウル王朝が滅び、ダビデ王朝が勝ち残ったことを正当化しようという動機があるのは否定できないでしょう。しかし、歴史は勝者だけの視点で見られるほど単純ではないし、また一人一人の人間も複雑なのです。一人の人間の中に神と悪魔が同居しているということはあり得ることですし、ダビデのような人はまさにそれが当てはまります。彼の信仰者としての優れた面と、反面教師にすべき面とを、両方ともしっかり見ていこうということです。
このように、サムエル記に登場する人物は皆生身の人間で、素晴らしい面もあれば弱い面、醜い面をも併せ持っています。それでも、何人かの人は手放しで称賛すべき信仰を持っています。サムエル記の最初の登場人物は、まさにそのような人です。
2.本論
さて、今日の話の主人公は一人の女性です。その女性はハンナといい、彼はエルカナという男性の妻でした。ハンナという名前には恵まれた女性という意味合いがありますが、ハンナはとても恵まれた女性とは呼べない状態にありました。なぜなら彼女は子どもを授からなかったからです。それは彼女を苦しい立場にしていました。古代の世界では、一夫一婦制は守られない方が多く、豊かな男性は複数の妻を持つことがありました。そうなると、妻たちは夫からの愛を独占しようと反目し合います。そのことは、創世記のアブラハムの妻であるサラとハガル、あるいはヤコブの妻であるレアとラケルの例からも明らかです。そして妻たちの力関係において決定的なのは、子どもをどれだけ多く授かるか、ということでした。子どものない妻は、家族の中で大変肩身の狭い思いをしなければならなかったのです。
そのことがまさにハンナの身に起こりました。ハンナの夫エルカナは、ハンナに子どもがなかったけれども彼女を深く愛し、彼女が惨めな気持ちにならないようにと、いろいろと気遣っていました。それがエルカナのやさしさで、そのようなやさしさは一夫一婦制のもとでは本当に美しいものですが、しかし一夫多妻制ではそのようなやさしさはかえって仇になる、毒になるものです。なぜなら、一人の妻が寵愛を受ければ他の妻の嫉妬を呼び起こすからです。ハンナには子がありませんでしたが、もう一人の妻であるペニンナは子宝に恵まれていました。しかし、そのように子のないハンナが夫のエルカナからやさしくされているのが、ペニンナには面白くありません。いらいらさせるのです。どうしてそうなのか、もっと温かい心を持って同じ女性としてハンナの苦しみを理解してあげてもよいではないか、と思うかもしれません。しかし、そうはいかないのが人間なのです。特に自分の立場を脅かす、自分が得るべきものを奪ってしまう可能性がある人に対しては、なかなか人間は同情的にはなれません。ペニンナにとって、ハンナは自分に向けられるべき夫の愛情を奪う存在、そのようにしか見ることができませんでした。これはペニンナを非難できるようなことでもないと思います。むしろ一夫多妻制という制度が生んだ悲劇だと言えるでしょう。
ともかくも、エルカナの二人の妻であるハンナとペニンナは、良好な関係とは程遠い状態にありました。そして特に二人の仲が険悪になるのが、礼拝に行く時でした。当時、イスラエルにおける聖地はシロというところにありました。シロにはモーセ時代から続く幕屋の神殿がありました。私たちはイスラエルの聖地と言えば真っ先にエルサレムを思い起こしますが、ダビデ王が登場してエルサレムを首都に定める前は、シロというところにモーセの十戒を収めた契約の箱があり、そこが聖地でした。聖地シロに人々は、過越祭などの特別なお祭りがあるときには上っていって主を礼拝していたのです。神殿での儀式では、イスラエルの人々は牛や羊などを神様にお献げしますが、その肉の一部はイスラエルの人が食べました。典型的なのは過越祭の羊で、屠られた小羊の肉をイスラエルの人々は夕食で食べました。これは私たちでいうクリスマスの時のローストチキンのような感じで、一年で一番華やかでうれしい時でした。子どもたちも、おいしい肉が食べれるというので大喜びでした。そんな中で、一人だけ暗い顔をしている人がいました。それは子どものいないハンナでした。彼女はペニンナが子どもたちに囲まれて食事を取っているのを見ると、自分が惨めで仕方がなくなりました。どうして自分には子どもがいないのか、と思うと我知らず涙がこぼれてしまう、そんな状態でした。そうするとせっかくのご馳走ものどを通らないという有様でした。エルカナはそんなハンナを見かねて、「なぜ、泣くのか。どうして、食べないのか。どうして、ふさいでいるのか。あなたにとって、私は十人の息子以上の者ではないのか」と語りかけました。私がいれば、十人の息子がいるより良いでしょうという、「ご主人、ちょっと自惚れてませんか」、と現代なら言われてしまいそうなことをエルカナは言いました。すこし、のろけてますね。けれども、そんな夫の言葉も子どもがいなくて悲しんでいるハンナには、あまり慰めにはならなかったようです。
ハンナはしかし、強い信仰を持った女性でした。ただ悲しみに暮れるのではなく、その悲しみを神にぶつけることができたのです。彼女は激しく泣きながら、一人で主の宮、そのころはまだ石で造られた神殿ではなく幕屋だったのですが、そこで神に自分の思いをぶつけていました。しかし、彼女は一人だと思っていたのですが、実はそこには主の祭司、しかも祭司の長であるエリという人物も座っていたのでした。
ハンナはそこで主に、子どもを授けてください、そしてもし男の子を授けてくださるなら、私はその子を一生涯主に献げます、という誓願を立てていたのです。この祈りを読む度に、私はあることを思い出してしまいます。私自身のことをお話しするのをお許し願いたいのですが、今から8年前の2015年、私にとって忘れがたい思い出がありました。私は当時、スコットランドのセントアンドリュースにいました。7年間の学びを終えて、博士号を授与されることになり、その授与のセレモニーに参加するために両親がスコットランドに来てくれていた時のことです。その授与式の前夜、私たち親子三人は、私の馴染みのレストランで食事を取っていました。その時母が、これまで誰にも話したことはなかったのだけれども、と言ってあることを打ち明けてくれました。それは、母が二人目の子どもを妊娠した時の話でした。当時母は、最初の子どもが女の子だったので、二人目はぜひ男の子を、という期待を周囲の人たちから受けていて、気が変になりそうなほどのプレッシャーを感じていたそうです。それで神さまに、「どうか男の子をお授けください。男の子が生まれたら、その子は神様にお献げします」と祈ったそうです。そうして生まれたのが私なのですが、その話を聞いてなんだか妙に納得したことを覚えています。母は私に、献身しなさいとか、牧師になりなさいと言ったことは一度もありませんでした。私の父も牧師ではなく普通のサラリーマンでしたので、私も自分が牧師になるなどと考えたこともありませんでした。むしろ子どもの頃は、自分が一番なりたくない職業の一つが牧師でした。ちなみに学校の先生というのもなりたくない仕事の一つでした。人に教えるなんて、自分のガラでもないと思っていたのです。そういうわけで、30歳ぐらいになるまでは、牧師になるなど夢にも思わない猛烈サラリーマンとしての生活を送っていました。そんな自分がサラリーマンをやめて、聖書学を勉強するために渡英することになったわけですが、そのことを20歳の自分に話したとしても決して信じなかっただろうと思います。自分でもなぜこの道を進むようになったんだろうか、まるで見えざる手に導かれているようだ、と不思議な感覚を覚えたことが度々ありました。その疑問が、母の話を聞いて解けた気がしました。ああ、母は神様と私が生まれる前から約束をしていたんだ、だからその約束通りに私はこういう道に導かれたのだな、と思い、なんだか感動してしまいました。
というわけで、このハンナの祈りも私には他人事とは思えない、とても胸を打つ祈りなのです。しかし、そのようには思わない人がいました。それが彼女の様子を見ていた祭司エリでした。何とエリは、ハンナが主の礼拝の後の食事会で、お肉と一緒にぶどう酒を飲み過ぎてしまい、酔っぱらってフラフラと主の宮に迷い込み、そこでブツブツ独り言を言っているものと勘違いをしてしまったのです。これは、当時この主の宮で常日頃何が行われていたのかをうかがわせるものです。祭司エリの二人の息子たちはやくざな息子たちで、主にお献げするための肉を奪って自分たちで食べるという、とんでもないことをしでかすドラ息子たちでした。彼らは肉と一緒にお酒も飲んでいたのでしょう、しかも主の宮の中で。そうした息子たちのせいで、神の聖所は厳かな祈りの家とは程遠い、だらしのない空気が蔓延していました。エリは、ハンナも自分の息子たちと同じように主の宮の中で酔いつぶれているものと思い、見かねて注意をしたのです。このお寒い状況の神の聖所を立て直すために神から与えられるのがハンナの息子なのです。神は聖職者がまったくダメになってしまった時に、思わぬところから救いの手を差し伸べられるということです。
さて、エリからあらぬ疑いをかけられたハンナは、必死に誤解を解こうとします。「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです」と言いました。エリも、真剣なハンナのことばを聞いて、ハッと思いました。エリ自身も、不信仰な子どもたちのことで悩んでいて目が曇っていましたが、いま純粋な信仰に触れて、心を動かされたのです。そこでハンナに祝福のことばをかけました。「安心していきなさい。イスラエルの神が、あなたの願ったその願いをかなえてくださるように。」そしてこの祭司のことばは、ハンナには神の声として響きました。彼女は安心し、安心すると急にお腹もすいてきたので、戻って食事をしました。彼女の顔は、もはや以前のようではなかった、とあります。ハンナはとてもまっすぐな信仰を持った女性でした。神様にすべての思いを打ち明けて、祭司様から祝福の言葉もいただいた、もう十分だ、後はくよくよせず、神様にお委ねしよう、このような立派な信仰者としての態度がありました。
神も、そのようなハンナの信頼に応えてくださいました。その後、どうしても子どもを授からなかったハンナが懐妊しました。しかも生まれた子は、願ったとおりに男の子でした。彼女はその子を「サムエル」と名付けました。そして、その後のハンナの振舞は本当に立派でした。彼女の、男の子が生まれたら神にお献げしますという誓いは祈りの中でなされたものですので、それを知っているのはハンナだけでした。多くの人々の前で誓ったわけでも、契約書を交わしたわけでもありませんでした。ですから、その誓いを果たさなかったとしても、誰も咎める人はいなかったのです。しかし、ハンナはこの懐妊には神の力が働いていることが分かっていました。彼女は信仰の人でしたから、神への誓いは必ず果たさなければならない、と確信していました。せっかく生まれた念願の男の子です、しかもかわいい盛りの年頃です。どうしても手放したくない、というのが人情でしょう。しかし彼女は、この子は自分のものではなく、神のものだ、ということをよく理解していました。次に主の宮に行くときは、この子をずっと神にお献げする時だ、そう覚悟していたのです。だから、せめて乳離れするまではこの子を手もとに置いておきたい、そう彼女は願い、毎年行っている主の宮への巡礼をサムエルが乳離れするまでは行いませんでした。エルカナも、妻の覚悟を受け止めて、「あなたの良いと思うことをしなさい。ただ、主のおことばのとおりになるように」と語りました。
そして、とうとう別れの時が来ました。サムエルが乳離れしたのを見て、幼いサムエルを連れて、ハンナは主の宮のあるシロに向かいました。そこで彼女は、自分に祝福のことばを掛けてくれた祭司エリと再会します。そこでハンナはエリにこう言いました。「おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま、私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」こう言って、彼女はわが子サムエルをエリの手に託したのでした。
3.結論
まとめになります。今日は一人の信仰深い女性の物語を学びました。彼女は不妊の女で、その事実に苦しみ、神に救いを求めていました。その彼女の祈りに神が応えてくださったのです。彼女も、その神の恵みにしっかりと応答しました。子どもが生まれてからは、「あの時神様に祈ったことは、その場の思い付きだから」などと自分自身に言い訳をして、かわいい子どもを手放さない、ということが人間にはよくあります。それは、子どもは自分のものだ、という意識がどこかにあるからでしょう。しかしハンナは、子どもを授かったのは神の恵みなのだから、自分もその神の恵みを無にしてはいけない、この子は神のものなのだ、ということをよく理解していました。そして彼女は幼い子どもを祭司エリに託しました。これはなかなかできることではありません。本当に立派な信仰の女性だと思います。
このハンナの身に起こった出来事は非常に個人的なことでしたが、同時にイスラエル全体にも大きな影響を及ぼす出来事でした。ハンナは不妊の女でしたが、イスラエル全体も霊的な不毛状態、霊的な危機の中を歩んでいました。神の宮で祈るハンナを見て、祭司エリが酔っぱらっているのかと勘違いしたのは、実際に神の宮で酔っぱらっているということが常態化していたからでした。このように、嘆かわしい不敬虔がイスラエルに蔓延していました。その霊的状態を映し出すように、イスラエル民族は政治的にも危機の中にいました。強力な武器を持ったペリシテ人が台頭し、イスラエルを脅かしていたのです。このような危機の中にあって、心あるイスラエルの人々は熱心に神に祈っていました。どうかイスラエルを救う者を私たちに送ってください、と。そうした人々の祈りと、子どもを求めるハンナの熱心な祈りとがシンクロしたのでしょう。神はこの熱心に祈る不妊の女性の胎から、イスラエルを救う者を生み出すことを決められたのです。そして、彼女から生まれたサムエルは期待通りに大きな働きを担っていきます。彼は自らが士師としてイスラエルを導いただけでなく、イスラエルの初代の王サウル、二代目の王ダビデに油を注ぐという重要な役目を果たします。しかし、そのような彼の大きな働きの根底にあったのは、一人の心に悩みのある女性の祈りだったのです。私たちも、ハンナのように心の内を神の前に注ぎ出し、また願うだけでなく神から恵みを受けた時には、しっかりと神の恵みに応答する、神にお献げすべきものがあれば喜んでそうする、そのようなものでありたいと願うものです。お祈りします。
天の父なる神様、そのお名前を賛美します。今日から私たちはサムエル記を読み始めます。サムエルには様々な人々が登場します。そうした彼らの歩みから、主の民としてどのように生きるべきかを学ぶことができますように。今日はハンナの美しい物語を学びました。私たちもハンナのように、まっすぐな信仰を持って歩むことができるように、私たちを導いてください。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン