パウロの誇り
第二コリント12章1~13節

1.導入

みなさま、おはようございます。今日は2021年度の最後の主日礼拝となります。当教会のカレンダーは1月始まりですが、多くの学校や企業では4月がスタートになります。第二コリントからの説教も今日を含めてあと三回になりますが、今日の箇所はある意味で第二コリントのクライマックスとも呼ぶべき箇所なので、年度を締めくくるのにふさわしい聖書箇所が与えられたと思っています。

さて、今日の箇所も前回からの続きになります。これまでの話を簡単にまとめますと、パウロはギリシアの南部のコリントという大きな港町で1年半開拓伝道をし、そこに教会を建て上げました。パウロは開拓した教会が軌道に乗ると、すぐ他の都市に行って新たに開拓伝道を始めるというやり方をしていたので、コリントも1年半で切り上げて、次に小アジアのエペソに腰を落ち着けて伝道をしていました。パウロが去った後のコリント教会は牧師のいない教会、無牧の教会になりましたが、そこには後からいろいろな教師たちがやってきました。そして今コリント教会で牧師をしているのはユダヤ人の教師たちでした。彼らは、初めてコリント教会に来た時に、コリント教会の人たちに自分たちを教師として認めてもらおうとして、いろいろと自分たちのことをアピールしました。コリント教会としても、教師は誰でもいいという訳にはいかないので、新しい教師を受け入れるかどうかの判断材料が必要だったのです。彼らにとって、自分たちが旧約聖書の時代に神に選ばれた唯一の民であるユダヤ人であるということは大きなセールスポイントの一つでした。ユダヤ人として子どものころから聖書に親しんでいる彼らは、ギリシア人のクリスチャンたちよりも聖書のことをずっとよく知っていたからです。ユダヤ人とギリシア人とでは、聖書知識ではまさに大人と子供の差があったのです。また、彼らはこれまでどのような地域で伝道活動をしてきたのか、どれだけの人にバプテスマを授けたのかなど、自分たちのこれまでの実績も披歴しました。さらに彼らは自分たちの特殊な霊的体験、不思議な幻を見たという体験などについても語り、自分たちがいかに優れた霊性の持ち主であるかもアピールしました。このように彼らはコリントの人々の信頼を勝ち取ろうと必死の努力をし、その甲斐あってコリント教会に教師として受け入れてもらいました。これだけならば、彼らのしていることは理解できるというか、問題はないわけですが、しかし彼らは一つの大きな過ちを犯しました。それは、彼らは自分たちのことをコリント教会の創設者であるパウロと比較して、自分たちの方がパウロよりも優れている、優秀だということを仄めかしたのです。しかも一部のコリント教会の人たちは、彼らの言うことを真に受けて、パウロから心が離れていったり、あまつさえパウロを軽く見る人さえ現れました。パウロは、このように自らの出自や実績をアピールしたり、他人と比較して誇ることなどということは全く愚かなことだと考えていましたが、しかしコリントの信徒たちの心が自分から離れかねない状況に危機感を抱きました。パウロは今コリントにいないので、彼らに直接語りかけることができません。そこで、いわば強いられる格好で、手紙の中でユダヤ人宣教師たちとの自慢合戦、「愚かな誇り合戦」に参戦することにしたのです。

しかし、そこはパウロのことですから、単に彼らが誇るのと同じような事柄について、自分の方がもっとすごいんだぞ、と誇ったわけではありませんでした。特に、伝道実績については、パウロは自らの卓越した実績については何も語りませんでした。パウロはコリント教会以外にも、ピリピやテサロニケ、エペソなどに立派な教会を短期間で次々と建て上げたわけで、伝道者としての力量はまさに折り紙つきだったわけですが、そうしたことについては一切自慢せず、ただこれまでの伝道に伴う様々な苦難について誇りました。それも「俺はこんなに頑張ったんだぞ、こんなに苦労して伝道してきたのだ」と自慢したいわけではなく、その苦難はイエス様の苦難に倣っていることのしるしだと言いたかったのです。自分の生き方はイエス様の生き方に倣ったものだ、だから自分は本物だと言える、そういうことです。パウロの言い方を借りれば、「イエスの死をこの身に帯びたこと」、それこそがパウロの誇りでした。パウロはさらに進んで、この自らの苦難や試練、そして何よりも自分の弱さの中に神の恵みが現わされてきたこと、そのことこそを自分は誇るのだ、と語っています。今日の12章からの内容は、パウロによる「愚かな自慢合戦」の後半部分です。このような文脈を考えながら、今日の箇所を詳しく読んで参りましょう。

2.本文

では、さっそく12章1節から読んでいきましょう。パウロはまず、「無益なことですが、誇るのもやむをえないことです」と書き出しています。人間、意味がないと思ってもやらなければならない時があるということです。パウロは、自慢合戦など無意味だが、あなたがたのためにあえてそれをすると宣言しています。次いで「私は主の幻と啓示のことを話しましょう」と切り出します。第一コリント書簡でも学びましたが、コリント教会の人たちは天使の言葉と言われる異言語りに夢中になっていました。「異言」というのは、通常の言語ではない、見知らぬ言葉で突然語りだすことです。その言葉は天国で語られる言葉だとも信じられていました。コリントの人たちは神から特別な、天上的なことについての啓示を受けることを何よりも重視していましたので、異言語りを重視したのです。パウロのライバル宣教師たちは、コリント教会の人たちのこうした傾向を知って、彼らに自分たちのことをアピールしようとして「私たちは主から素晴らしい幻や啓示を受けた」と誇ったのです。そこでパウロも、彼らに負けていないことを示すために、自分も確かに神からの天の啓示を受けたのだということを言わなければならなくなったのです。しかし同時に、パウロは自分のそうした霊的体験について語ることに躊躇も覚えていました。そこで、まるで他人の話をするかのように、「私はキリストにあるひとりの人を知っています」と話し出しました。しかし、これは明らかにパウロ本人の経験のことです。ではなぜパウロは自分の霊的な体験について語るときに、まるで他人の話のように話したのでしょうか?一つには、そうしたことを自慢げに話すライバル宣教師たちへの批判がありました。このような体験をすることができるのは、自分の霊性が優れているからとか、そういうことではなくて、ひたすら神様の恵みだからです。一つ例を挙げましょう。20世紀後半になって、いわゆる臨死体験に注目が集まるようになりました。臨死体験とは、医学的に死亡宣告を受けた人がその後に蘇生するという非常に稀なケースにおいて、その人が死んでいる間に体験した様々な不思議な出来事のことです。その人は死んでいたのですから、その間のことは覚えているはずがないのにもかかわらず、はっきりと覚えている、そういう不思議な現象なのですが、それについての本格的な研究、医学的な考察がアメリカで始められました。これらの体験のすべてが本物だとは言えないでしょうが、しかし中には本当に霊の世界を垣間見たとしか思えないような証言もあります。しかし、そういう霊的な体験をした人は、もともと霊的に優れていたからとか、霊的な感受性が高いからとかいうことではありませんでした。むしろ神とか霊とか、そういうものを全く信じていなかった人が、思いもよらずにそういう体験をしているからです。そして、その体験をした後に、急に人格が変わってしまって霊的な事柄に強い関心を抱くようになった人も少なくありません。クリスチャンになった人もいます。ですから、不思議な霊的体験というのはその人の霊性に関係なく、神がご自身の判断で特定の人に与えるものであり、したがって人に誇るようなものではないのです。

また、キリスト教の歴史の中で聖人と呼ばれるような人で、こういう不思議な経験をした人も歴史上に何人かいますが、彼らは一様に自分たちの体験を語ることに慎重です。例えば20世紀のインドの聖者、パウロの再来とまで呼ばれたキリスト教宣教師のサンダー・シングという人がいます。彼には癒しの賜物が与えられ、奇跡的に病気を癒したことがありました。現代人にはにわかに信じがたいことですが、本当に使徒の時代に起きたような癒しの奇跡が起こったようなのです。しかし彼は二度と癒しの業を行おうとはしませんでした。それは、彼の行う奇跡が人々の関心をイエス様よりも、奇跡を行う自分の方に向けてしまう危険を感じたからでした。サンダー・シングは使徒パウロのように、生きたまま天上界に連れていかれるという経験をしていますが、彼はこの体験も人には語ろうとはせず、死期が近いと悟ったときに人々の霊的な益のためにと、ようやく自らの経験を書き残しています。彼がこの体験について語ろうとしなかったのは、無防備のままで霊的体験を持つことは非常に危険なことであり、人々に無責任な形で霊界への関心を抱かせたくなかったからだと語っています。パウロも同じような懸念を持っていたように思います。さて、2節に戻りましょう。彼は「十四年前の」霊的経験を語ります。パウロがこの手紙を書いていたのは紀元55年だと思われますが、そこから14年前とはだいたい紀元40年過ぎのことです。パウロが復活の主と邂逅して回心したのが30年の半ばだとすると、パウロがこの不思議な霊的体験をしたのは、クリスチャンになって数年後のことだということになります。パウロは肉体を離れて、いわゆる幽体離脱という状態だったのか、あるいは肉体のままか、いずれにせよ生きたままで「第三の天にまで引き上げられました。」第三の天ということは、第一の天と第二の天もあるわけですが、パウロの時代のユダヤ人は天国には階層があると信じていて、神様はその最上階におられると信じられていました。ですから第三の天とは最上階、神のおられる最も高き天のことです。パウロはその第三天のことを「パラダイス」とも呼んでいます。パウロはそこで、「人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いた」と言っています。パウロが自らの霊的体験を語ることに慎重だった原因の一つがここにあります。パウロはそこで見聞きしたことを、人の言葉では表現できなかったのです。第一コリント書簡でも学んだように、パウロはそれがいくら霊的に価値が高くても、他の人が理解できない言葉は教会形成にとっては無意味だと言っています。パウロは「教会では、異言で一万語話すよりは、ほかの人を教えるために、私の知性を用いて五つのことばを話したいのです」(第一コリント14:19)と言っていますが、それと同じ理由でパウロはこの第三天での経験を教会では語らなかったのです。パウロは、天上に引き上げられるという経験そのものは誇るべきものだが、そのような体験を与えてくださった神をこそ誇るべきなのであって、その人自身には誇るべきものはない、そのように言いたいのです。しかし6節では、もし私がこの不思議な天上での体験を誇りたいと思っても、それで私は愚か者だということにはならない、なぜなら私は真実を語っているからだ、と続けています。それでもやはり、パウロはそれを誇るのを控えると言っています。それは、パウロの話を聞いた人が、パウロが示そうとするイエス、それは弱さの中を歩まれた地上のイエスですが、そのイエス様よりも天上での素晴らしい啓示の方に心を奪われてしまう危険を感じたからでした。天国の希望を抱くこと自体には何も悪いことはありませんが、私たちは今地上で生かされている以上、ここでなすべき務めがあるのです。そして、その務めは地上のイエスの生き方に倣うことで全うされます。その先にこそ天国の希望があるのであり、地上での苦難をすっ飛ばしていきなり天国に行きたいというわけにはいかないのです。

次いでパウロは自分の「弱さ」について誇るということの意味を示すために、自分自身の体験を語ります。それはパウロ自身の「肉体のとげ」の話です。それが具体的には何を指すのかは謎ですが、パウロは肉体に持病を抱えていたようです。しかも、相当な苦痛を伴う病だったと思われます。そのことをパウロは「私を打つための、サタンの使い」だと言っています。これはヨブ記の中で、サタンが神に、ヨブが神を敬うのは彼が幸せだからで、彼が不幸になれば神を呪うに決まっています、だからヨブを苦しめさせてくださいと願い出るのですが、それが許されてサタンがヨブを死ぬよりつらい苦痛で苦しめるという場面がありますが、それと同じようなものだと思われます。パウロは初め、なぜ自分がそんなに苦しめられなければならないのか、理解できなかったでしょう。しかし、だんだんとそれが、先ほど語った第三の天での体験、そのあまりのすばらしさに、自分が高慢になることがないために神がサタンを遣わしてこの苦しみを与えたのだと信じるようになりました。それでも、そのあまりの苦しさのために、パウロはその痛みを取り去ってくださいと主イエスに三度祈っています。これはゲッセマネの園で、神に十字架という死の杯を取り去ってくださいと三度願った主イエスの祈りを思い起こさせます。しかし、主イエスはパウロからこの痛みを取り去ることはなさらずに、代わりに次の言葉をパウロに送りました。「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」この言葉は、主イエスだからこそ言えることばだと思います。普通に考えれば、神様に病気を治してくださいと祈って、いや、あなたの病気は治らないけれど、しかしその病の苦しみの中にこそ私の力が現れる、などと言われればがっかりするか、さもなくば怒ってしまいそうなものです。しかし、主イエスこそがまさに弱さの中を生き、その弱さの中に神の力を現したお方だったのです。私たちと同じように苦しまれた主イエスがおっしゃられることだからこそ、説得力があるのです。パウロはこの手紙の少し先で、イエスについてこう書いています、「確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。」イエス・キリストの最大の奇跡は、無力で惨めな十字架の死を通じて実現しました。死を打ち破るという復活の力、神の力は、イエスの弱さを通じて現わされたのです。だからパウロは言います、「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」そしてパウロは続けてこう言っています。「なぜなら、私が弱いときこそ、私は強いからです。」パウロのこの言葉には、パウロの外見は弱々しく、その話しぶりはなっていないという中傷や批判に対する答えが込められているように思えます。そのような貧弱な自分をも神は用いて、大きな働きを成し遂げておられる。この私の弱さに神の力が輝き出る、それこそが私の誇りなのだとパウロは高らかに宣言します。

そしていよいよこの愚かな自慢合戦を締めくくる時がきます。11節でパウロはこう言っています、「私は愚か者になりました。あなたがたが無理にそうしたのです。」この意味は、私は自分で自分を自慢する愚か者にはなりたくなかったのに、あなたがたが無理やり私をそうさせたのだ、というパウロの口惜しさがにじみ出た言葉です。あなたがたが、ライバルのユダヤ人宣教師たちの私への批判に耳を貸さずに、私を擁護してくれたなら、あなた方自身が私の推薦状になってくれたなら、私はこんな愚かな自慢合戦などに参加しなくて済んだのに、というパウロの思いが込められています。私はたとえ神の前には取るに足らないものだとしても、それでもあの宣教師たちにはいかなる面でも劣ってなどいなかったし、あなたがたがそれを認めてさえいてくれれば、私はそれを証明する必要もなかったのだ、ということです。あなたがたも、私が使徒としての働きをしてきたのを見てきたではないですか、私があなたがたの間で行った力ある業、つまり奇跡を目撃したではないですか、とパウロは12節で言います。しかしパウロがここで強調したのは、奇跡を行ったこと、奇跡そのものよりも、むしろ「忍耐を尽くして」という、忍耐の方でした。そしてこの忍耐こそが、彼が使徒であることの証明なのです。奇跡というのは、聖書によれば神でなくても、サタンの僕でも人々が驚くようなことをすることができるのです。ですから、奇跡はその人が神の人であることの究極的な証明にはなりません。しかし、キリストに倣う忍耐をパウロが身をもって示す時、彼が本物の使徒であることがおのずから証明されます。そしてこの誇り合戦の最後の言葉が13節なのですが、パウロはここで一つだけコリント教会の人たちにお詫びを言っています。それは、パウロがコリント教会から謝儀を受け取らなかったことでした。他のマケドニアの教会、ピリピやテサロニケからは謝儀を受け取ったのに、コリントの人たちには私を経済的に支えるという恵みの機会を奪ってしまった、それがあなたがたを他の諸教会より劣ったものにしてしまったのなら、それについてはお詫びする、とパウロは述べています。確かに、ピリピからは喜んで献金を受け取ったのに、どうしてコリント教会からは受け取らないのか、パウロも説明が出来ませんでした。そのことをパウロは詫びたのです。逆に言えば、他のことでは何一つあなたがたに迷惑をかけたり、恵みの機会を奪ったりはしなかったのだ、そのことを忘れないでほしい、というパウロの思いもここには込められているのです。

3.結論

まとめになります。前回から二回にわたって、パウロがライバル宣教師たちと「愚かな自慢合戦」を繰り広げているのを見てきました。パウロは相手の土俵に乗るように見せながら、実際には相手とは同じ土俵で戦うようなことはしませんでした。パウロにとっての誇りとは、自分自身の出自や経歴などではなく、主がパウロの人生にしてくださったこと、その恵み、その力なのでした。そして神の恵み、神の力は、パウロが弱い時にこそ、より一層輝き出でるのです。だからこそ、パウロは自分の弱さを誇ることができたのでした。

私たちの生きる時代は、自己アピールが求められる時代です。学校において、職場において、家庭において、私たちは自分が有能であることを示さなければならないというプレッシャーに常に晒されています。ですから別にそうしたいとは思わなくても、自己アピール、聞き方によっては自慢話にしか聞こえないことも言わなければならないことがあります。入学試験や入社試験など、自己アピールをしなければならない機会は人生に何度も訪れます。しかし、そのこと自体には悪いことは何もありません。私たちはこの世で生きている以上、この世のルールには従わなければならない場面がたくさんあるからです。それでも、そうはいっても私たちは弱い存在です。もう自分にはアピールできるものが何もない、そういう状態にまでなることがあります。それは不運な事故やアクシデントのためかもしれないし、年齢や病気のためかもしれません。そんな時には、もう希望はないのか、と言えば、決してそんなことはありません。むしろ、自分がどん底にいると思うような時にこそ、神の力が現れる、働いてくれるのです。そして、そのような神の力を受け止めるために私たちに必要なのは信仰です。今、神がこの私の近くにおられる、私を支えてくださっているという信頼です。反対に、一番悪いのは自暴自棄になってしまうことです。もう自分はダメだ、自分には何の価値もない、そう思ってしまうことです。なぜなら私たちの価値を決めるのは他人ではなく、自分自身ですらなく、神だからです。その神に信頼し、新しい2022年度も歩んで参りましょう。お祈りします。

イエス・キリストの父なる神様。前回、今回とパウロの「愚かな誇り合戦」について学びました。そしてその先に、パウロがたどり着いた確信、すなわち「私が弱い時こそ、私は強いからです」という境地があることを学びました。私たちは強さを求められる時代に生きていますが、しかし本当の強さは私たちの内にはなく、主にあることを知り、また神の強さは私たちの弱さの内に現れることを教えられたことを感謝します。私たちの多くは病や悩みを抱える者ですが、どうかその中に主の恵みと強さを輝かせてください。われらの救い主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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