エステル:ユダヤ民族のヒロイン
エステル記9:17-19
森田俊隆

* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。

本日はエステル記からのお話です。ヨシュア記以降イスラエルの歴史に関する文書が続きました。その最後のところに置かれているのがこのエステル記です。しかし、内容は歴史書ではなく、ペルシャの支配下にあった時代にユダヤ民族を滅亡から救った一人の女性の話です。そのため、ユダヤ人の聖書では「諸書」という分類に入れられ、聖書の後ろの方にあります。我々の聖書における文書の順番は基本的に、旧約聖書のギリシャ語訳の順序に従っています。おそらく、エステル記の内容はペルシャの時代の話ですので、ペルシャ時代の初期のことを記しているエズラ記、ネヘミヤ記のあとに置いたということでしょう。このギリシャ語訳エステル記は我々の聖書にあるヘブル語エステル記より長い文書になっています。「エステルの祈り」や「ペルシャ王の布告」などが載っており、ヘブル語エステル記を更に理解するのには役に立つ部分が付加されています。このギリシャ語訳エステル記はカソリックの聖書には含まれており、「外典」と呼ばれでいます。ヘブル語エステル記を概略見た後に付加部分も若干見てみたい、と思います。エステルはユダヤ民族を救った人物であり、それを記念したお祭りがあります。プリムの祭り、と言いますが、その個所が、お読みいただいた個所です。明るいお祭りで、御馳走を食べるお祭りで今もユダヤ人のなかで祝われています。ユダヤ暦の12月、太陽暦では2-3月です。この祭りの時、エステル記が読まれます。いわばエステルはユダヤ民族のヒロインと言える人物ですが、他のユダヤ民族のヒロインも概観し、これらの女性に見られるイスラエル信仰の基本についてお話したいと思います。

まず、ヘブル語聖書即ち我々の聖書のエステル記に添って、話の内容を理解しましょう。まず、最初に、「アハシュエロスの時代のこと--このアハシュエロスは、ホドからクシュまで百二十七州を治めていた-- 」と述べられています。このアハシュエロスはこの後の内容からしてBC486-465年在位のクセルクセスI世と推定されます。この王の時代はペルシャが強大になっていた時期で、インドからエチオピアまでを治めていた、と言われています。彼は更に西のギリシャへも勢力を伸ばそうとしていましたが、ギリシャもアテネ、スパルタ等の都市国家が力をつけてきており、両者の争い、が起きます。アハシュエロスの前の王の時代には、マラトンの戦いでギリシャ連合軍に負けます。これがマラソンの起源になった戦いです。また、自分の代になってから、再びギリシャと戦います。今度は海戦です。サラミスの海戦と言います。BC480年です。ここでも、ギリシャ連合軍に敗北します。両者の対立は今後も続くのですが、エステルの物語は治世の3年からスタートしておりますのでサラミス海戦の数年前の出来事、ということになります。

王は首都シュシャン(別名スサ)の宮殿で大宴会を催します。180日に及ぶ大宴会です。彼の結婚の宴と推察されます。王妃ワシュティも別途、婦人たちのための宴を催しました。王はあるとき、美人の妻を自慢したく、王冠をかぶらせて、宴会の席に来るように言います。タルグムと称するアラム語エステル記では裸踊りをせよと言ったと書かれているようです。ユダヤ人歴史家のヨセフスは、ペルシャでは結婚した直後の妻は、他人の前にでてはならないことになっていた、と言っています。理由は定かではありませんがワシュティは王の命令を拒否しました。王は知恵者を集め、どうすべきか諮問します。この集まりの出席者は、ペルシャ全体で、夫の言うことを妻が聞かなくなったら大変なので、ワシュティを王妃から罷免し、別の妃を迎えるべき、と言います。王の書簡がペルシャ全州に送られました。「男はみな、一家の主人になること」と書かれていました。女性の方は腹が立ってくるかもしれません。しかし、イラン、アフガニスタンのような国では今も、妻は一人前の人間として扱われていない現実があります。

新お妃さがしです。容姿の美しい未婚の娘を集めました。シュシャンの城に勤めているユダヤ人でモルデカイという人物がいました。彼は、バビロン捕囚の時に連れてこられたベニヤミン族の人物の孫でした。彼は、叔父の娘ハダサ、即ちペルシャ名エステルを養育していました。エステルは顔立ちの美しいおとめでした。モルデカイは従妹を子とした訳です。エステルも王宮に連れていかれ、女たちの管理官のもとにおかれました。いろいろなもてなしを受け、最も良い婦人部屋に移されました。1年間の各種準備をしたうえで、順に王のところに送られることになっていました。そこで王に気に入られなければ終わりです。エステルは物を欲しがるようなことはありませんでしたので、皆から好意を持たれていました。エステルが王のところに入って行くと、王は彼女を大変気に入り、ついに、王冠を彼女の頭に置き王妃としました。そして大宴会を催しました。モルデカイは王の門のところに座っていました。彼はたまたま、王殺害計画を聞いてしまいます。彼は、エステルに知らせ、エステルは王に伝えました。これにより、陰謀者は捕まり、木にかけられました。ユダヤ人歴史家ヨセフスは十字架刑にされた、と言っています。

この事件のあと王はアガク人のハマンを重んじ、宰相の地位にまでとりたてました。アガク人というのにはアマレク人の一部という説とマケドニア人の一部と言う解釈がありますが定かではありません。ユダヤ人に対する敵愾心が強かったようですから、ユダヤ人の宿敵アマレク人とみる方が自然です。そして王は、このハマンに皆がひざまずくように言いました。しかし、モルデカイはそうしませんでした。家来の告げ口によりこれを知ったハマンは腹を立てました。彼のみならず、ユダヤ人全体を根絶やしにしようと決意します。アハシュエロスの12年にくじをして、ユダヤ暦12月にユダヤ人絶滅作戦を決行することを決めました。そして費用は自分が出しますので、ユダヤ人絶滅の命令を出してほしい、と王に願います。王はこれを聞き入れます。ユダヤ暦12月13日がユダヤ人絶滅の決行日とされます。

これを知ったモルデカイはエステルの召使に、エステルが王のところに行って、自分の民族のために王に憐れみを求めるように、と伝えてくれるよう頼みました。しかし、ペルシャでは、召しがないにもかかわらず、王のところへ行くことは禁止されており、この禁を破った者は死刑と決まっていました。このためエステルは逡巡します。エステルが「できない」と伝えると、モルデカイは、ここでエステルが沈黙を守るならば、「別のところ」即ち主なる神から助けと救いがもたらされ、エステルの一族は滅びに至るだろう、と返答します。また妃に選ばれたのは、この時のため、であったのかもしれない、と言います。

ここで、神といわず「別のところ」と言っています。実はヘブル語エステル記には主なる神の表現が全くなくここにだけ「主なる神」を推測される言葉が使われます。またヘブル語エステル記には主なる神への祈りの個所もありません。それがギリシャ語訳ではしばしば出てきます。エステル記が当初は信仰と無関係な文書として書かれたことを示していると思われますが、エステル書の成り立ちは複雑な歴史が背後にあるようで、よくわかっていません。

エステルは決心をし、命をかけて王に会うことを求めよう、としました。エステルが王の見えるところまで行くと、なんと王は金の笏(しゃく)をエステルに差しのばし、エステルを招きました。王に会って、エステルは、王とハマンが自分の用意する宴に参加するよう願います。二人が予定通り参りました。そこでエステルは再び宴を催すので王とハマンがそろって出席するように願います。王とハマンは再び参ります。その宴の前日の夜、王は眠られず、王室の記録を召使に読ませていました。召使はモルデカイの申し立てによって王の命が救われた個所を読みました。そしてモルデカイに何の褒美も与えていないことを知ります。そこにハマンが入ってきたので、「王が栄誉を与えたいものにはどうしたらよかろう」と問います。ハマンはそれは自分のことに違いない、と推測し、そのような人には王服を着せ、町の広場でこの人物を王と同様に扱え、と命じます、と答えました。すると王は、ではモルデカイにそのようにしなさい、と命じます。ハマンは王の命令を実行せざるを得ません。そのようにします。

ハマンはこのことを彼の側近に知恵者や妻に話をしました、すると妻ゼレシュは「「あなたはモルデカイに負けかけておいでですが、このモルデカイが、ユダヤ民族のひとりであるなら、あなたはもう彼に勝つことはできません。きっと、あなたは彼に負けるでしょう。」 と言います。ヤハウェーがついているユダヤ人と争っても負けるに違いない、という意味です。ユダヤ人の敵対者の信仰告白みたいなもので注目に値します。それでもエステルの宴会には王と共に参加します。そこで、王はエステルに再び、「あなたは何を願っているのか。王妃エステル。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」と言います。遂に、エステルはハマンが企んでいたユダヤ人絶滅計画を非難し、「その迫害する者、その敵は、この悪いハマンです。」 で断言します。ハマンは、モルデカイ処刑のために用意していた柱にかけられ、処刑されました。

ハマンに代わってモルデカイがペルシャの宰相となります。エステルはユダヤ人絶滅の書簡を取り消してくれるように王に嘆願します。しかし、王の一度発した文書は取り消しはできないが、新しい命令を出すことはできる、ということなので、モルデカイは、王の書記官を招集し、王の名で詔書が書かれ全国に送りました。それは各国語で書かれ、ユダヤ人は彼らを襲う軍隊、民を「子供も女たちを含めて根絶やしにして良い、家財をかすめ奪って良い」という命令でした。ユダヤ人絶滅は実行しても、それに対するユダヤ人の報復も許す、ということです。これではユダヤ人絶滅を実行できるはずはありませんから実質的には前の命令を取り消したと同様になります。ユダヤ人絶滅計画の実行予定日であったユダヤ暦12月13日に復讐のための実行も行え、ということでした。皆、これは前の詔書の取り消しと理解しました。それにしても、絶滅計画に対する復讐は、逆の絶滅計画である、ということはどういうことか、と言う疑問があります。これらのことは、イスラエル信仰の許容することであるかどいうか、と言う疑問です。しかし、これは前の絶滅計画を実質的に取り消すことを意味したトリックじみたやりかたであり、ユダヤ人の報復を主なる神が進める、と言うことではないことに気づく必要があります。

実に、ユダヤ人の歴史は、繰り返し現れるユダヤ人絶滅の暴動・運動とそれからの逃亡の歴史です。これは政治権力からのユダヤ人追放令を受けての国民によるユダヤ人殺害、民衆の暴動がユダヤ人殺害にむかったもの、などがあります。東欧就中ポーランド、ウクライナ、ロシヤでのユダヤ人を標的にした暴動をポグロムと言いますが、それは残酷なものでした。キリスト教会は黙認という形でこれを事実上支援しました。この極致がナチスによるユダヤ人絶滅計画の実行でした。このとき600万人のユダヤ人が殺された、と言われています。ユダヤ人史全体を通して見れば、その被害者数は大変な数にのぼるでしょう。人類の歴史に於ける最大の汚点の一つと言ってもよいでしょう。絶滅計画に対する復讐などできる訳はありません。ただ殺されていきました。

エステル記の記述ではユダヤ人絶滅命令が事実上撤回され、それをユダヤ人が祝いました。絶滅計画実行予定日の翌日と翌々日、即ちユダヤ暦12月14日、15日を祭りの日、と定めました。絶滅実行計画の月をくじ、ヘブル語でプルをひいて決めたことからその複数形プリムから名をとって「プリムの祭り」としました。しかし、注意すべき、ことは、王はハマンの子らも柱にかけ処刑した、と書かれている点です。実際に行われたとは思えませんが、エステル記の伝承者、著者からすれば、常日頃のユダヤ人迫害、差別に対する、心での報復、復讐であった、と思われます。

この点は、ヨシュア記における「聖絶」の問題、復讐を祈り求める「復讐の詩編」の問題を併せ考えるとイスラエル信仰におけるこの復讐の意味が見えてきます。実のことを言うと、イスラエルの民はこのような復讐、報復などやれる力は全くなかったのです。そのため、復讐、報復を主なる神に祈り求めたのです。全能の主に祈り求めるしか方法はなかったのです。全能の主ですから、必ず、適切な方法で、これに答えてくれるに違いない、というのがイスラエル信仰です。絶望の中での唯一の希望です。この祈りと確信があるため、自分たちによる成功確率ゼロの復讐、報復を止めることができたのです。伝承における復讐、報復もこの祈りと同様です。これを大切な物語として自分たちの主なる神への希望の確信として大切にすることにより、自暴自棄な復讐、報復を抑えることができたのです。それは選びの民が生き永らえることを望む主なる神の意思でもあったのです。「報復、復讐は私が実行するのであなたたちはそれをしてはならない」というのが「復讐は主のなすこと」の意味です。そして、その希望は必ず答えられています。すべての権力の「栄枯盛衰」の歴史がその証(あかし)です。

エステルの物語を一通り見ましたが、実はユダヤ人の歴史に後を残した女性たちも多数います。このユダヤ人の歴史に於けるヒロインたちをまとめて見てみました。アブラハムの妻サラ、塩の柱になったロトの妻、イサクの妻レベカ、ヨセフを誘惑するボテファルの妻、モーセの姉である女預言者ミリヤム、エリコ占領の手引きをした遊女ラハブ、士師サムソンの恋人デリラ、王となったギデオンの子を殺した女、サムエルの母ハンナ、ダビデの伴侶アビガイル、ウリヤの妻バテ・シェバ、ソロモンの知恵を確かめに来たシェバの女王、子供を預言者エリヤによって再生してもらったツァレハテのやもめ、アハブ王の妻で悪女イゼベル、ユダ王国唯一の女帝アタルヤ、などです。更に3人の女性に注意をしたいと思います。外典の中に「ユディト書」というのと「ダニエル書補遺スザンナ」というのがあります。

まず「ユディト」です。この女性はペルシャの前のアッシリヤにより脅かされていたユダ王国の救済者です。シメオン人の子孫のユディトは美貌を利用して、敵軍の将ホロフェルネスに近づき、彼の首をとり、イスラエルの陣に戻り、敵軍に奇襲をかけるよう指示し、大混乱に落ちいった敵軍を壊滅させる、という話です。この物語もユダヤ人の大切な物語として伝承されます。外典に載せられているので、絶世の美女ユディトとして絵画の題材になっています。

スザンナは貞節物語です。ユダヤの不埒な二人の裁判官がスザンナという美女の人妻を誘惑して失敗し、逆にスザンナが若者と不貞を働いた、と告発し、スザンナは死刑判決を受けます。そこに知者として名の通っていたダニエルが二人の裁判官の偽証をあばき、この二人を偽証の罪で死刑にする、という話です。

エステルを含め、ユダヤ民族の歴史に於いて、ヒロインとされている女性は美人で計略を使って、ユダヤ民族を救う、という話です。ギリシャ語エステル記に載っているエステルの祈りの一部をお読みします。「主よ、思い起こしてください。/この私たちの苦しみの時/あなたご自身をお示しください。/神々を支配し、すべての主権を握る王よ/私に勇気をお与えください。獅子の前で、筋道立った言葉を私の口に与え/獅子の心を/私たちに戦いを挑む者への憎しみに変え/彼と彼に同意する者を葬り去ってください。御手をもって私たちをお救いください。/主よ、あなたのほかに誰もおりません。/独りきりの私を助けに来てください。/あなたはすべてを知っておられます。」という祈りです。ユディトの祈りから一部をお読みいたします。「あなたの力は人の数によるものではなく/あなたの主権は/強い者に左右されるものでもありません。/あなたは謙虚な者の神/小さな者の助け主/病める者の保護者/見捨てられた者の守り/希望を失った者の救い主。/そうです、そのとおりです。/わが先祖の神よ。/イスラエルが受け継いできたものの神よ。/天と地の主/水の創造主/すべての被造物の王よ/私の願いに耳を傾けてください。」とあります。弱き者、力なき者の希望をつなぐ相手は主なる神おひとりである、という全能のかみへの絶対的信頼の表現です。美貌を手段とした計略は創り上げられた物語でしょう。しかし、それは力なき民の希望の祈りである、ということに注目すべきです。女性は力なき者の代表であり、その力なき者を通してこそ主なる神は働かれるということです。選びの民イスラエルは力なき民であるがゆえに選びの民とされたのです。それがイスラエル信仰の根本です。新しきイスラエルとしての我々も選びの民です。同様に、主なる神の力のみを頼りとする者です。                                                                                   

ヒロインとしては、もう一人、ユダヤ人歴史家ヨセフスの「ユダヤ古代史」「ユダヤ戦史」に登場する女性アレクサンドラがいます。彼女はサドカイ派とパリサイ派の争いで、国をまとめていくのが非常にむずかしいなかで、夫のあとをまかされ、ハスモン王朝ユダ王国の女王となった人物です。夫のパリサイ派弾圧を転換しパリサイ派を取り立てた女王として有名です。彼女自身は融和を目的としていたでしょうがうまくいきませんでした。その晩年は両者の相克のなかで意志力を失い、決断をしない統治者となってしまいました。ヨセフスは女が柄にもなく女王などになったがゆえに悲劇的歴史をつくった、という評価をしておりますが、今までの話の文脈で見ると、やはり無力な女性の代表者として見る視点もありうる、と思います。

最後に、女性の祈りのなかでマリアの賛歌をちょっと見てみます。注意点は「主は、御腕をもって力強いわざをなし、 心の思いの高ぶっている者を追い散らし、権力ある者を王位から引き降ろされます。 低い者を高く引き上げ、       飢えた者を良いもので満ち足らせ、 富む者を何も持たせないで追い返されました。」という部分です。“権力者をひきずり降ろし、富む者を追放してください”というような祈りをするなどマリア様に似つかわしくない、と思われる方も多いと思いますが、実はこの祈りこそ、無力なイスラエルの信仰告白なのです。自分の力でやれるなら、神様にお祈りしなくてもやればよい、ということです。やる力がないから、唯一の頼りの主なる神に求めるのです。それはイスラエルの民の現実でもあるのです。この祈りは、預言者サムエルの母ハンナの祈りが反映していると言われています。その部分をお読みします。サムエル記上2:8です。「主は、弱い者をちりから起こし、 貧しい人を、あくたから引き上げ、 高貴な者とともに、すわらせ、 彼らに栄光の位を継がせます。まことに、地の柱は主のもの、 その上に主は世界を据えられました。」とあります。復讐、報復的イメージはありませんが、弱き者にこそ主なる神は働く、というイスラエル信仰の基本に忠実な祈りです。女性であるがゆえに、このイスラエル信仰に忠実足りえたのかもしれません。祈ります。

(ご在天の父なる御神様、今日の礼拝の時を感謝いたします。エステル記から学びました。無力な女性が奇跡的働きによりユダ民族を救った、という物語は、ユダ民族の迫害の歴史の中での希望でした。「絶望の下での希望」というイスラエル信仰の基本を見させられました。彼女たちはイスラエルの民の象徴だったのです。私たちの希望は、これに比すべくもありませんが、どのように実現するかは主に委ね、常に希望を祈り、述べ伝える我々でありますように。知恵と力とそして勇気をお与えください。主の御名により祈ります。アーメン)                                                                                          

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