1.導入
みなさま、おはようございます。あっという間に2月も終わりとなりましたが、第一コリントからの説教も今回で第15回目になります。今日は9章の内容を読んでいきますが、これは前回の8章の話の続きとして読むべき箇所です。8章では、パウロは「偶像にささげた肉」の問題を取り扱っていて、その結びを次の言葉で締めくくっています。
あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。
パウロは、コリントの教会の兄弟姉妹をつまずかせないために、今度一切肉を食べないと書いています。ではなぜそんな決心をするに至ったのかといえば、当時の食料事情が背景にありました。当時コリントの市場で売っていた肉は、ギリシャ・ローマの神々のための神殿において、それらの神々に供物としてささげられた動物の肉の残りがほとんどでした。市場で売っている肉がそのような偶像にささげられた肉だということをよく知っているコリント教会の信徒が、その肉をパウロが購入して食べているのを目撃したとします。そしてこう考えてしまうのです。「えっ、パウロ先生は偶像礼拝に使われた肉を食べているのか。パウロ先生は、偶像礼拝を大した問題だと考えていないだろうか。それでは、自分も親類や友人との付き合いで、ギリシャの神々への礼拝やお祭りに参加してもいいのかな」と勘違いし、ズルズルとかつての偶像礼拝の世界に引き戻されてしまう、そういう事態を招きかねなかったのです。そこでパウロは、兄弟姉妹の信仰をぐらつかせるぐらいなら、そんなことになるくらいなら、自分は肉を食べる権利を放棄する、とパウロは宣言したのです。
しかし、パウロがこのようなことをすると困ってしまう人たちがいました。コリントの教会にはある程度財産があって、肉を十分に買う経済的な余裕のある信徒たちもいました。しかし、彼らの先生であるパウロが「私は今後、教会の皆さんの信仰のために肉を食べません」などと宣言してしまうと、自分たちだけ肉を食べることでどこか後ろめたい気分にさせられます。そこで、何を食べてはいけないとか飲んではいけないとか、そういうルールに縛られるのは律法主義的ではないか、パウロは律法からの自由を盛んに説いているのに新しいルールや掟を作って自分たちを縛ろうというのか、それはおかしいじゃないか、と言い出す人たちがいたのです。
パウロはこのような批判を意識して、自由について、またキリスト者の権利について9章で教えています。今日の箇所には「自由」と「権利」という言葉が繰り返し出てきますが、それはこのような理由からです。私たちの生きている時代は、パウロの時代と比べても、個人の自由や権利が手厚く保護されている時代だと言えます。パウロの時代と比べれば、人々の権利意識は格段に高いのです。日本国憲法12条にも、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあります。自由と権利は不断の努力によって保たれなければならないが、しかしそれを濫用してもいけない、と言われています。では、どうすると自由や権利の濫用になるのか、具体的に考えるとなかなか難しい問題です。特に現在のコロナ問題の中では私たちはいろいろな行動を制限されているわけですが、どこまでの制限が許されるのか、どこからが自由の侵害になるのか、それぞれ人によって感じ方は違うでしょう。パウロも、この難しい問題に取り組んでいますが、それがこの9章なのです。このことを念頭に置きながら、今日与えられた聖書箇所を読んで参りましょう。
2.本文
この9章でパウロが「自由」と「権利」というテーマを扱うために選んだ問題とは、伝道者であるパウロが自分の生活を献金によって支えてもらう権利、というなかなか重たいトピックでした。私たち今日の教会の牧師や宣教師も、皆様の献金によって生活が支えられていますが、私たちにはそうしてもらう権利があるのだ、などとはとても言えないし、そんな風に思っているわけでもありません。本当にありがたいことだ、というのが正直な気持ちです。しかし、パウロはここで私にはあなたがたからそうしてもらう権利があるけれど、その権利を行使する自由を自ら用いないのだ、ということをかなり大胆に論じています。こう言われてしまうと、コリントの人たちも恩着せがましく感じて、気分を害したかもしれません。実際、パウロとコリントの教会の人々の間には、献金をめぐってわだかまりがあったのでした。この問題は、第二コリント書簡で大きくクローズアップされる問題なのですが、そのことを少しだけ見てみましょう。第二コリント11章7-9節までをお読みします。
それとも、あなたがたを高めるために、自分を低くして報酬を受けずに神の福音をあなたがたに宣べ伝えたことが、私の罪だったのでしょうか。私は他の諸教会から奪い取って、あなたがたに仕えるための給料を得たのです。あなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。
パウロはコリントの教会からいわゆる教会謝儀を受け取らなかったのですが、どの教会からも謝儀を受け取らなかったのではなく、パウロが先に建て上げたマケドニアの教会、テサロニケ教会やピリピ教会からは、コリントでの生活費や活動費を支援してもらっていたのです。コリントの教会よりも、ピリピやテサロニケの教会の方が貧しかったにもかかわらず、です。コリントの教会の人たちの中には、このことに傷ついた人たちもいたでしょう。なんで他の教会からの献金は受け取るのに、私たちからは受け取ってくれないのか、と。この問題は尾を引いて、それがパウロとコリント教会との関係悪化の一因ともなったのですが、今日はそのことには触れません。しかし、今日の箇所からはパウロがコリント教会からの献金を受け取る権利と自由を放棄した理由の一端がうかがえるように思えます。
さて、パウロは1節から2節にかけて、自分の使徒性を擁護しています。パウロは自分のことを「使徒」と呼んでいますが、原始教会では誰もがそのことを認めていたわけではありません。というと驚かれるかもしれませんが、このことはパウロの手紙を理解する上での重要なポイントです。今日でこそ、パウロは使徒の中の使徒、新約聖書の約半分を書いたキリスト教の歴史上、最大の神学者であると広く認められていますが、パウロが活躍していた時代にはパウロにはそこまでの権威はありませんでした。むしろ、彼は他の使徒たちよりも一段低い存在として見られることの方が多かったのです。例えば、パウロの活躍を記録している「使徒の働き」では、14章4節という一つの例外を除いてパウロのことを「使徒」とは呼んでいないのです。ルカにとって、使徒とはイエスの地上における宣教の働きにいつも伴った人たち、つまりペテロのような12使徒を言うのであって、生前のイエスを知らないパウロのような働き手は、厳密には使徒とは呼ばれ得ないのです。この書簡の前半部分で学んだように、コリント教会の中には「ペテロ派」と呼ばれる分派がありましたが、彼らからすればパウロは使徒でもないのに、使徒のようにふるまって自分たちにああしろ、こうしろといろいろと指示してくる、けしからん、などと陰口をたたく人たちがいたのでしょう。しかしパウロは、使徒とは復活された主を目撃した者、また復活の主から宣教の働きに召された者が使徒だと信じていたので、まさに自分は使徒であると繰り返し主張します。2節でも、パウロはこう言います。
たとい私がほかの人々に対しては使徒でなくても、少なくともあなたがたに対しては使徒です。あなたがたは、主にあって、私が使徒であることの証印です。
初代教会の中ではパウロが使徒であることを認めない人たちがいるのをパウロも気付いていました。しかし、そのパウロが建てた教会であるコリント教会の信徒にとっては、まさにパウロは主イエスから派遣された使徒であるはずです。「もし私が使徒ではないならば、あなたがたの教会はキリストの使徒によって建てられた教会ではない、ということになってしまうではないか」、とパウロは問うているのです。しかし、このように言わなくてはならないこと自体、コリント教会の中にパウロの使徒職に疑問を持っていた人がいる証拠だとも言えます。ともかく、パウロは少なくともコリントの人たちに対しては、自分はれっきとした使徒であると主張し、使徒としての権利があるとも言います。権利とはギリシャのエクソーシアという言葉で、「権威」と訳すことも出来ますが、パウロには使徒職に伴う様々な権利があるはずなのです。パウロには飲み食いする権利がありますし、それだけでなく、飲み食いするための費用を信徒からの献金で支えられる権利を持っている、とパウロは主張します。ここで、他の使徒たち、12使徒のリーダーであるケファ、つまりペテロや、主イエスの実の兄弟であり、エルサレム教会の指導者であるヤコブも、自分だけでなくその妻の生活をも信徒たちの献金によって支えられている、という事実をパウロは指摘します。自分も彼らと同等の使徒なのだから、彼らと同じような権利を持っているのだ、ということです。しかし、なぜかパウロはコリントの人たちに対してはそのような権利を主張することを控えたのです。パウロとその同労者であるバルナバは、「生活のための資金を得るための仕事をしなくてもよい」という使徒の権利をすすんで制限し、自ら働いて生活費を稼いだり、ほかの教会から献金を受け取ったりしていました。パウロの場合はテント職人として働いていました。けれでも、このようなことは原則ではなく例外です。原則は、使徒は信者からの献金によって支えられる、ということなのを説明するために、パウロはいろいろな例を引きます。
いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。
戦場に赴く兵士は、戦いに専念するのであって、戦場ではどうやって日々の糧を得ようかなどと悩むことはありません。そんなことを戦場で考えていたら、厳しい戦争を生き抜くことはできないでしょうし、そんな兵士ばかりで組織されている軍隊も戦争で負けてしまうでしょう。ですから兵士たちは生活の心配をすることなく、戦場での働きに専念しなければならないのです。同じように、宣教地というある意味で戦場に赴く使徒たちも、どうやって福音を広めて信徒を獲得し、教会を建て上げるのかということに専念すべきであって、どうやって日々の糧を得ようかなどと悩むべきではない、ということになります。またパウロは次のように言います。
自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。
ぶどう畑も羊の群れも教会のことを指す譬えですが、農夫は自分が耕したぶどう畑からの収穫を食べるように、教会という農地を耕す宣教者は、教会が生み出す実りから食べることが出来るということです。羊の群れについても同じことです。このように、自分が建て上げた教会の信徒からの献金によって生活を支えられることは当然の権利なのだ、とパウロは説明します。しかし、私はその権利を用いない、ともパウロは言います。それが11節と12節です。
もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。もし、ほかの人々が、あなたがたに対する権利にあずかっているのなら、私たちはなおさらその権利を用いてよいはずではありませんか。それなのに、私たちはこの権利を用いませんでした。かえって、すべてのことについて耐え忍んでいます。それは、キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです。
ではなぜパウロは、少なくともコリント教会に対してはその権利を行使しないのか?それについてパウロは説明せず、ただ「キリストの福音に少しの妨げも与えまいとしてなのです」とだけ言っています。前回の場合でいえば、「肉を食べる」ことが福音の妨げになってしまうのと同様に、コリントの教会から献金を受け取ることが、福音の妨げになってしまうかもしれなかったので、自分は献金を受け取らない、とパウロは言っているように思えます。パウロはその理由をはっきりとは述べていませんが、何となくそのわけが分かるような気がします。コリント人への手紙を読めば誰でも気が付くように、コリントの教会はトラブルのデパートのような教会でした。信徒たちは様々な世俗の考え方に強く影響され、パウロの目に余るような言動を取っていました。彼らは、従順な信徒とはほど遠い人たちだったのです。さらには、当時のギリシャ世界では有数の港町だったコリントは大変裕福な都市だったので、コリント教会の中にも相当な資産家がいたようです。もしかするとパウロは、このようなトラブルメーカーの信徒から献金を受け取ることに警戒感を持っていたのかもしれません。彼らに経済的に深く頼る関係になると、彼らの起こすトラブルや問題についても意見しづらくなる、目をつぶらなくてはいけなくなる、と考えたのかもしれません。はっきりとしたことは分からないものの、そのようだった可能性はあるように思います。しかし、コリントの教会のある特定の人からの献金は受け取れない、という露骨な逆差別のようなことはできないので、コリントの教会では誰からであっても私は献金を受け取らない、というようなポリシーを定めたのかもしれません。しかし、パウロのこのような行動はコリントの真面目な信徒たちを傷つけてしまったようです。パウロの働きを支えたいという自分の善意が拒否されたように感じたり、自分も他のトラブルメーカーと一緒にされてしまうのか、と不満を持った人もいたでしょう。そのことがパウロとコリント教会の対立に発展していくことを思うと、お金の問題というのはつくづく難しいものだと思わされます。しかし、これまで読んできたようなコリント教会の数々の深刻な問題を考えれば、パウロがコリント教会から献金を受け取らないと決めたのは、仕方がなかったことのようにも思われます。献金を受け取らないという決断の背後にパウロのコリント教会への厳しい見方があると気が付いている人は当然コリント教会の中にもいたでしょうから、彼らの心境は複雑だったことは想像に難くありません。パウロもここで、そのような自らへの不満を意識しつつ書き進めているように思われます。パウロは自分が献金を受け取らないのは自分の誇りの問題、矜持の問題だ、と言っているのです。パウロは14節で再度、伝道者が献金によって生活を支えらえるのは当然の権利だ、ということを明らかにしようと、今度は主イエスの権威に訴えます。ここでの主イエスの指示とは、ルカ福音書10章7節にある言葉だと思われます。
その家に泊まっていて、出してくれる物を飲み食いしなさい。働く者が報酬を受けるのは、当然だからです。
このように、使徒たちが信者から生活を支えられるのは当然のことだと主イエスも言われました。にもかかわらず、パウロはその権利を用いようとはしません。
しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。
コリント教会から謝儀を受け取って誇りを奪われるくらいなら、死んだ方がましだとまで言うのです。何がパウロをそこまで言わせたのでしょうか。コリントの教会から献金を受け取らないことが誇りになる、というのはどういう理屈なのか、にわかには分かりづらいのですが、ここではコリント教会の特殊な事情を思い起こすべきでしょう。コリントの教会の人たちは、自分たちの知恵を競い合い、誇り合って、その結果教会は分裂してしまったのでした。それは、自分が他の一人も少しでも上に立ちたい、偉くなりたいという競争心が原因でした。しかし主イエスは、自らの権利を進んで放棄し、かえって人に仕える道を選ばれました。このような主イエスの生き方を示し、コリント教会の人々に反省を促すこと、それがこの手紙を書いたパウロの大きな目的でした。そこでパウロもイエスに倣って、自分の権利を進んで放棄しました。その具体的な行動が、肉を食べることを断念したり、謝儀を受け取る権利を行使しないことでした。そのように主イエスの生き方に倣い、主イエスの生き方を示すこと、それこそがパウロの誇りだったのです。
3.結論
さて、今日は「自由とは」というタイトルでお話しさせていただきました。現代社会は、人々が自分の権利や自由を声高に叫ぶ時代です。厳しい言い方をすれば、私たちは自分たちが果たすべき義務よりも権利の方に目が行きがちです。そのような時代にあって、使徒パウロの生き方は、キリスト者にとっての自由とは何か、という問題を改めて考えさせられるものです。自由とは自分のためだけにあるものではありません。少し考えれば、それは当たり前のことであるのが分かるでしょう。もし世界中の人たちが自分の欲望の命ずるままに自由に振舞ったら、私たちの生きる世界は自由な世界とは程遠い者になります。むしろ力の強い者だけが自分のしたい事ができるという、弱肉強食のジャングルのような世界になってしまうでしょう。自由を追求することで、かえって私たちの自由は制限されてしまうのです。今日の新自由主義経済にもそのことは当てはまるでしょう。自由に経済的利得を無制限に追い求めた結果、巨大な経済格差が生まれ、持たざる者は最低限の自由すら奪われるありさまです。しかし、キリスト者の自由とは、自分にとっての自由だけでなく他人の自由や利益のことをも同時に考える自由です。そのように自由を用いることで、教会は建て上げられていきます。主イエスも、自らの自由や権利を制限し、貧しい旅人のような生涯を過ごされました。その主の歩みを覚えるこのレントの季節に、主に倣って歩んだパウロの歩みについても覚えつつ、今週も歩んで参りましょう。お祈りします。 私たちの人生を導かれる神、そのお名前を賛美します。今朝は前回に続き、コリントの人々のために自分の権利を進んで捨てるパウロの生き方を学びました。それはパウロのコリント教会の人々への愛ゆえでした。私たちも、自分たちの自由や権利を用いる時に、それが人々の益になるのかどうか、それを考える心の広さを持つことができるように助けてください。私たちの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン