みなさま、ペンテコステおめでとうございます。そのように申し上げてからこう言うのも何なのですが、「ペンテコステ」というのはいったい何なのか、と尋ねられることがしばしばあります。ペンテコステはクリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大主日と言われますが、他の二つと比べてポピュラーであるかという意味では少し見劣りしてしまうのは否めないように思います。また、それが何を祝うものなのか、分かりにくいということもあるようです。
クリスマスはイエスの生誕を祝う日、いわば誕生日会であり、イースターはイエスが死者の中からよみがえったことを祝う日、つまり復活記念日です。第二の誕生日と言ってもよいかもしれません。どちらもイエスの新しい命を祝う日です。それに対して、ペンテコステはイエスについての記念日ではありません。教会の誕生日だというような説明もありますが、正確に言えばそれは少し違います。ペンテコステの前から教会はあったからです。教会に聖霊が与えられた日だ、というのが一般的な説明ですが、ではその前には聖霊は教会には存在しなかったのかというと、そういうわけでもありません。どうも「聖霊」という三位一体の神そのものが理解しにくいということがあるのです。そもそも「ペンテコステ」とはどういう意味かといいますと、これはギリシア語で50番目という意味です。ですから日本語訳にすると、「50番目記念日」ということになります。しかし、では何の50番目なのかという疑問が当然生まれます。
このことを理解するには、ユダヤ教のお祭りを理解する必要があります。ユダヤ教には、春に祝う「初穂の祭り」という収穫感謝のお祭りがあります。それはユダヤ人の主食である大麦の収穫を祝う日で、実のなった大麦の最初の一束を神様にお献げするのです。そして、それから50日後には、今度は小麦の収穫を感謝する祭が開かれます。ヘブライ語ではシャヴオットといいますが、ギリシア語では初穂の祭りから50日目ということでペンテコステと呼ぶのです。
このように、ペンテコステは初穂の祭りから50日目に行うのですが、実は主イエスが復活した日がこの初穂の祭りに当たります。ということは、ペンテコステはイースターから50日後に祝われる日ということになります。今年のイースターが3月31日でしたが、ペンテコステはそれからちょうど50日目なのです。使徒パウロも、第一コリント書簡の15章20節で、
しかし、今やキリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
と語っています。ここでパウロが「初穂」と言ったのは、初穂の祭りを意識してのことです。つまりイエスの復活が大麦の初穂に譬えられているということです。そしてペンテコステは、小麦の収穫を祝うものです。大麦がイエスならば、小麦はイエスの弟子たちのことです。しかし、これは弟子たちがイエスのように死者の中から復活したということではなく、むしろ弟子たちに聖霊が降り、彼らが大きな働きをするようになったことを指しています。つまり小麦の収穫は、イエスの弟子たちに聖霊が降ったことの譬えとして用いられているのです。このように、ペンテコステの意味を考える上で一番重要なのは、「聖霊」です。イエスの弟子たちに聖霊が降ったことは、イエスの復活と同じように非常に大きな意味のある出来事なのです。
では、いったい何のために弟子たちに聖霊が降ったのでしょうか?ペンテコステの日以前には、聖霊は全然存在しなかったのかといえば、そうではないのですが、要は聖霊の働きの強さが段違いに違ったのです。ペンテコステの日以降、聖霊は非常に大きな力で弟子たちを通じて働くようになりました。それは、イエスの弟子たちがイエスの働きを引き継ぐためです。主イエスご自身が、このことを約束されています。ヨハネ福音書14章12節に書かれています。そこをお読みします。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。
主イエスは、彼の弟子たちがご自身よりもさらに大きなわざを行うようになるだろう、と語っています。しかし、そんなことがあり得るのでしょうか?イエス様と同じようなわざを行うということ自体が信じがたいのに、それよりももっと大きなわざを行うというのは、いくら何でもあり得ないのではないか、と思われるでしょう。しかし、それを可能にするのが聖霊の働き、力なのです。ですから主イエスは続けてこう言われました。ヨハネ福音書14章の16節です。
わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
ここで主イエスが「助け主」と呼んだ方が聖霊です。ここで忘れてはいけないのは、イエス自身も聖霊を受けてから大きな働きをするようになったということです。イエスがバプテスマを受けたときに聖霊が鳩のように彼に降りました。それからイエスの偉大な働きが始まったのでした。そして、その同じ聖霊は今度はイエスの弟子たちに降りました。それは彼らがイエスの働きを引き継いで、イエスよりもさらに大きな働きをするためです。
このように聞くと、聖霊が降るというのは途方もなく大きなこと、特別なことのように思えるかもしれません。それはイエスの弟子たちにだけ起きた、一回限りの特別な出来事であると、そのように思われるかもしれません。
しかし使徒パウロは、イエスには直接会ったこともない異邦人たちが聖霊を受けて奇跡を行ったと報告しています。ガラテヤ書簡の3章5節にはこうあります。
とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、あなたがたが律法を行ったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
パウロはここで、イエスに会ったこともないし、旧約聖書の律法のことも何も知らない異邦人たちが、イエス・キリストの福音を聞くことで聖霊を受けて奇蹟を行ったと言っているのです。ですから、ペンテコステの日に起こった出来事はイエスに従ったユダヤ人の弟子たちだけではなく、イエスを直接には知らない異邦人たちの間でも起こったのです。しかし、そうはいってもこれも例外的な出来事で、教会が爆発的に地中海世界に広がった紀元一世紀という特殊な時代にのみ起こった、特別な出来事なのではないか、と思われるかもしれません。確かに、紀元二世紀以降の教会ではこのような異常なほどの聖霊体験は報告されていないし、むしろ聖霊の働きを強調するグループは異端として警戒されるようになっていきました。
ですから、ペンテコステの出来事は、紀元一世紀という特別な時代に起こった過去の不思議な出来事であり、現代に生きる私たちはそのような体験を求めるべきではないし、求めることもできないのだ、と考える人たちもいます。たしかに、イエスの死と復活、それに続く大きな聖霊体験が続いた紀元一世紀は特別な時代です。しかし、聖霊の働きが紀元一世紀に限定されていたかのように考えるのも、聖書的ではないのです。なぜならイエス・キリストが登場する前の各時代にも、聖霊は人々に何度も降って、歴史を動かしてきたからです。
一つ例を挙げましょう。私たちは今、サムエル記を学んでいますが、これはイエス・キリストから千年も前の時代の話です。しかしこの時代にも聖霊は降り、イスラエルの歴史を動かしていました。先週はサウル王が狂ったような凶行を行ったことを見ていきましたが、そのようにサウルがおかしくなってしまう前は、彼は立派に王として働いていた時期がありましたし、彼にそのような力を与えたのが聖霊でした。実際、サウルにも神の霊が降り、彼はそれによって新しい人に生まれ変わっています。その箇所を読んでみましょう。第一サムエル記10章6節にはこうあります。
主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言をして、あなたは新しい人に変えられます。
これは預言者サムエルがサウルに語った言葉です。そして10節、11節にはこの言葉が実現したことが書かれています。
彼らがそこ、ギブアに着くと、なんと、預言者の一団が彼らに出会い、神の霊が彼の上に激しく下った。それで彼も彼らの間で預言を始めた。以前からサウルを知っている者みなが、彼が預言者たちといっしょに預言をしているのを見た。民は互いに言った。「キシュの息子は、いったいどうしたことか。サウルもまた、預言者のひとりなのか。」
この記述は、新約聖書に書かれていても全く違和感がないでしょう。新約の時代には多くの人に聖霊が降りましたが、その同じ神の霊はサウルに、次いでダビデにも下り、彼らを通じてイスラエルの歴史を動かしていったのです。このように、聖霊の働きはイエスが活躍し、教会が誕生した紀元一世紀に限定されるものではありません。そしてサウルやダビデからさらに数百年も前にも、聖霊が大きな働きをした時期がありました。しかも、サウルやダビデのような王様や預言者などの特別な人たちだけでなく、一般の人々の間で聖霊が大きな働きをした時期があったのです。それが、今日お読みいただいた御言葉です。
この時、イスラエルの人たちはエジプトで奴隷として酷い扱いを受けていましたが、神はモーセを遣わし、イスラエルを奴隷状態から解放します。そして彼らをご自身の民とすべく契約を結びます。晴れて神の民となったイスラエルは、幕屋を建設するように神から命じられます。幕屋とは移動式の神殿であり、そこは神の住処であると同時にイスラエルの人々が神と出会い、また礼拝する場でもありました。ですから幕屋建設は今日でいえば教会堂の建設のような意味がありました。しかも、幕屋建設は建築のプロが行ったものではありませんでした。モーセに率いられたイスラエルの人たちは、みなエジプトでは奴隷として自分では望まない労働をさせられていたのです。建築や美術、装飾品作りが好きな人がいたとしても、そうしたことを学ぶ機会はありませんでした。そうした奴隷の人々が今や自由な身となったのです。神はこうした人たちを通じてご自身の住処である幕屋を造ることを望まれました。また、イスラエルの人々も、自ら望んでこの幕屋建設に加わりました。自分たちを奴隷の家から解放してくださった神に、感謝の気持ちを表すために幕屋建設に加わったのです。
幕屋建設のために様々な形で貢献することができました。まず幕屋建設のためにはいろいろな資材が必要でした。そのために人々は自らが持っていた装飾品や貴金属、より糸や亜麻布、動物の皮などを献げました。また、多くの女性たちがそうした糸を紡いでいきました。幕屋は、非常にカラフルな垂れ幕が用いられるので、多くの人の手が必要でしたが、自発的にその仕事を引き受けてくれる女性がたくさんいたのです。彼らの事は、こう書かれています。
イスラエル人は、男も女もみな、主がモーセを通して、こうせよと命じられたすべての仕事のために、心から進んでささげたのであって、彼らはそれを進んでささげるささげ物として主に持って来た。
また神は特に、ユダ族のベツァルエルという人物を選んで、彼に貴金属や宝石、木製製品の設計加工をさせるために、「神の霊を満たされた」とあります。つまりこの無名の人物に聖霊が豊かに注がれたのです。ダビデやサウルのように、国を動かすリーダーではなく、職人に聖霊が降ったのです。この事実は、聖霊の働きを考える上でとても大切なことです。
新約聖書の中で聖霊の働きを見ていくと、大きな奇蹟を行ったり、預言の賜物を与えたり、あるいは習ったこともない外国語で突然話せるようになったりすることなど、いわゆる超常的な出来事において聖霊が働いているという印象を受けるかもしれません。確かに聖霊の働きにはそのような非日常的というか、普通ではあり得ないような現象が多く含まれます。しかし、もっと普通の意味での聖霊の働きもあります。それが、幕屋の制作に加わり、様々な仕事を担った人々、職人や芸術家にインスピレーションを与えた聖霊の働きです。
そして、このことを考えると、当教会の礼拝堂のためにも聖霊が大きな働きをしてくださったことを改めて覚え、感謝せずにはいられません。私はこの教会に遣わされて今年で5年目になりますが、最初に来た時と、今の礼拝堂とはまったく別の教会かと思うほど変わっています。今では、どんな礼拝堂だったか思い出せないほどです。一番印象に残っているのは、内階段が出来たことです。今では信じられないことですが、ほんの数年前までは、非常階段のような外の階段を使っていたのです。傾斜がきつく、屋根もありませんので、雨が降ったらびしょぬれになって昇らなければなりません。高齢者にとっては、まさに命がけだったと思います。私が当教会に来てから、毎回役員会で話し合ったのはそのことでした。エレベーターを付けるというような話もありましたが、違法建築になるということで諦めました。非常階段の上に雨をしのぐための屋根を付けようというプランもありましたが、突風が吹けが吹き飛ばされてしまう恐れがあり、それも断念しました。そのようなときに、村山唯一兄弟が、まったく新しい発想で階段を作ることを提案されました。一階の、物置のようになっていた牧師館部分を壊して二階まで続く内階段を作るというのです。最初、その話を聞いた時、いったいどんなものになるのか想像もつきませんでした。唯一さんが色々スケッチを見せてくれたのですが、素人の私たちには分からないので、とにかく唯一さんを信じて任せてみようということになりました。唯一さんは、それこそ神の霊が下りて来たというようなことを話しておられたのですが、とても素晴らしいアイデアが浮かんだようでした。それから数カ月に及ぶ工事が始まりました。初めは唯一さんお一人で、途中から若い職人さんと二人で工事が始まりました。私はいったいどんな階段が出来上がるのかと、ワクワクしながら工事を見守っていましたが、出来上がった階段は私の想像をはるかに上回る、本当に素晴らしいものでした。とても上りやすいだけでなく、デザインも素敵で、何より新しい階段ができてから教会が非常に明るくなりました。その階段が出来上がって1年ほどで唯一兄弟は天に召されたのですが、そのことを思うとなおのことこの階段が如何に大きな唯一さんからの、また神様の贈り物だったかと思わずにはおられません。
そしてこの度、礼拝堂を大きく変える、素晴らしい贈り物が与えられました。奇しくも唯一さんと同じ誕生日の美濃部早苗姉妹が製作された二つのステンドグラスです。実は、この教会の講壇の左右の窓にステンドグラスを入れたいという話は以前からありました。私も二人の教会員の方からそのような提案を受けていました。しかし、そうはいってもステンドグラスを作ると言うのは雲をつかむような話で、誰に頼めばよいのか、また費用がどれほどかかるものなのか、まったくわからず、どうしていいのかさっぱり分かりませんでした。業者に頼むとしても、教会にふさわしいデザインをあまりキリスト教に詳しくない方にお願いするのもどうなのか、という思いもありました。そんな時に美濃部姉妹からステンドグラスを作りたいというお話を頂きました。しかも美濃部姉妹は全くの素人で、これから初めてレッスンを受けるというのです。ありがたいと思う反面、失礼ながら大丈夫なのだろうかという一抹の不安もありました。ステンドグラスの制作というのはとんでもなく難しいことのように思えたからです。しかし美濃部姉妹は一生懸命制作に励み、昨年のクリスマスには一つが完成するとのことでした。どんなものなのか、私たちもあまり中身を知らされていなかったので、期待と不安が入り混じった気持ちで待っていたのですが、その完成されたものは私の想像をはるかに上回る、それは見事なものでした。初めてステンドグラスを制作した人に、こんな見事なものが作れるものなのかと驚きました。しかもデザインそのものも美濃部姉妹がなさったというのですから、なお一層驚きました。そうなると、もう一面のステンドグラスには期待しかなかったのですが、それがついに完成し、このペンテコステの記念の日の前に、講壇の両側が見事なステンドグラスで飾られることになりました。もちろんこれは美濃部姉妹の精進と努力、及び指導してくださった先生方のご助力の賜物なのですが、その背後には偉大な聖霊の働きがあったと思わずにはおられません。この私たちの礼拝堂がこれほど大きく変わったのは、みなさんの祈りや献身、そして何よりも唯一兄や美濃部姉妹の上に働いてくださった聖霊の働きのおかげなのだと、あらためてこのペンテコステ礼拝の日にみなさんと確認し、また感謝したいという思いから、今日はメッセージをさせていただきました。この素晴らしい礼拝堂を活かして、これからもますます地域の方々ために主の業をなしていきたいと願うものです。お祈りします。
御霊なる神様、そのお名前を讃美します。このペンテコステの佳き日に、新しいステンドグラスを祝う幸いに感謝いたします。これからもますます当教会が、主の御心を行うことができるように、私たちにも続けて聖霊が働いてくださいますように。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン