決別
第一サムエル14章47~15章35節

1.序論

みなさま、おはようございます。私たちは今までサムエル記の中でも特にサウル王の栄光と没落を描いている箇所を読み進めています。特に今読んでいるところ、13章から15章までは如何にしてイスラエルの最初の王であるサウルが王位を失っていくのか、その経緯を描いています。今日の聖書箇所はその中でも最終局面にあたります。今日の説教タイトルは「決別」ですが、誰と誰が決別したのかといえば、それは預言者サムエルとサウルとの決別です。そして私がなぜこのような説教題にしたのかといえば、それはサウルが王位を失った一番の原因はサムエルとサウルの不和にあると思われるからです。

サムエルという預言者は、士師の時代、つまりイスラエルが士師と呼ばれるカリスマ的リーダーに率いられてきた時代の最後の人物であり、サウルはイスラエルの王朝時代の最初の王です。つまりこの二人はイスラエルの歴史の大転換点の狭間に現れた二人であり、協力してイスラエルを新しい時代へと導くという責務を負った人物たちでした。しかし、残念なことにこの二人は性格的に相容れない部分があり、段々とこの二人の間の齟齬が大きくなり、ついには修復できないほどの亀裂が広がってしまい、二人は決別してしまいました。私のこれまでの説教を聞いてくだされば分かるように、私の見方ではサウルが一方的に悪くてサムエルが常に正しかったというのではなく、二人の個性というか考え方には本質的な違いがあり、その食い違いが段々と大きくなってついには決裂してしまった、というように思えるのです。

先ほど13章から15章まではサウルが王位を失っていく過程を描いていると申しましたが、具体的にはサウルは二度の過ちを犯し、そのためにサムエルから王失格の烙印を押されます。しかもその二つの失敗とは実はほとんど同じものなのです。その失敗の本質とは、サウルはサムエルが命じたことについて、文字通りに絶対服従したのではなく、彼なりの解釈を加えた上でサムエルの命令を実行してしまったことでした。サウル本人の気持ちとしては決してサムエルに逆らったわけではなく、むしろ現実に即して柔軟に命令を実行した、つまり合理的に行動したのだと考えていました。ですから二度の失敗のどちらの場合においても、サウルは自分が間違いを犯したことをサムエルに指摘されるまで気が付いていませんでした。しかし、そのようなサウルの態度はサムエルの逆鱗に触れてしまいました。しかもサムエルは、サウルの行動を自分の指示への不服従であるのみならず、神への反逆、不服従だと見なしました。つまりサムエルには命令への文字通りの服従を何よりも重視する原理主義的な傾向があり、サウルはより柔軟というか、現実主義者だったということです。聖書の解釈に関しても、ともかく字義通り、文字通りの解釈こそ最善だとする立場と、聖書の記述の文化的背景や状況を鑑みて柔軟に解釈しようという立場がありますが、サムエルが前者、サウルが後者だったという印象を受けます。この二人の個性の違いが、イスラエルの指導者二人の決別という不幸な結果をもたらしてしまった、ということです。そのような視点に立って、今日の箇所を読み進めて参りましょう。

2.本論

さて、14章の47節から52節までですが、これはサウルの王としての業績を短くまとめたものです。その評価は大変高いのです。サウルはイスラエルの主な周辺諸国とすべて戦い、イスラエルを守り、救い出したと言われています。サウルが王になる時に、「この者がどうしてわれわれを救えよう」と侮蔑したようなことを語ったイスラエルの人々の下馬評を覆し、立派に王としての職責を果たしてきました。サウルは「勇気を奮って、アマレク人を打ち、イスラエル人を略奪者の手から救い出した」と書かれていますが、しかしそのアマレク人を打ち倒したときに、サムエルとサウルの決別は決定的なものになってしまったのはなんとも皮肉なことです。52節には、サウル王の治世をまとめた一文があります。それによれば、

サウルの一生の間、ペリシテ人との激しい戦いがあった。サウルは勇気ある者や、力ある者を見つけると、その者をみな、召しかかえた。

このように、サウルの一生は戦いに彩られたものでした。サウルが戦場で命を落としたことも、ある意味で彼らしいエンディングだったと言えるでしょう。ではその立派な王が、如何にして王位を追われていくのか、その決定打となった出来事をこれから見て参りましょう。

さて、話はサムエルがサウルに神の命令を伝えることから始まります。前回のペリシテ人との戦いにおいて、サウルは遅刻をしたサムエルに代わって神へのささげ物を自ら行いました。それを見たサムエルは、サウルに対してあなたは王位を失うと宣言し、そのまま立ち去ってしまいました。しかし、この大きな出来事があった後も、サムエルとサウルとの関係は決定的に切れてしまったわけではなさそうです。むしろサムエルとしては、サウルにもう一度チャンスを与え、今度こそ自分の命令にサウルが従順に従うのか試してみようという目論見があったようです。そしてサムエルが与えた命令とは、聖書の中でも最もその理解が難しい「聖絶」命令でした。聖絶とは滅ぼし尽くすということで、現代風に言えば戦闘に参加している兵士だけでなく、民間人も、それも子供やお年寄り、女性という戦闘とは無関係な人たちや、あるいは家畜に至るまで滅ぼし尽くせという命令です。現在で言えばまさにジェノサイドとして厳しく非難されるべき行為なのですが、問題はそのような行為を神が命じたと聖書が記していることです。イエス・キリストによって示された愛の神が果たしてそんな命令を下すのか、というのは当然多くのクリスチャンが考えることです。クリスチャンだけでなく、旧約聖書のみを正典と考えるユダヤ人の間でも、「聖絶」については様々な意見があります。そもそも、聖絶の原語である「ヘーレム」というのが何を意味しているのか、いろいろな解釈があります。ただ、ここでサムエルが下した命令は非常に明確でした。それは文字通りの絶滅命令です。「子どもも乳飲み子も」殺せ、という徹底的なものです。また、家畜もすべて殺せというように、人間以外の生き物にも及ぶ命令でした。聖書の聖絶命令では、家畜や分捕り物は生け捕りにしてよい(申命記2:35;ヨシュア8:2)という場合が通常なので、家畜も皆殺しにせよというサムエルの命令は、むしろ例外的と言えるものです。

とはいえ、繰り返しますがこの「聖絶」というものは、旧約聖書の中でも最も見解が分かれるものです。私たちはイエス様を信じていますが、父なる神と子なるイエスは一つですから、「乳飲み子を殺せ」という命令はイエス様が下されたということになります。しかし、子どもを愛されたイエス様がそんな命令を下すだろうか、というのは誰もが思うことです。ですからこのサムエルの下した命令は、本当に三位一体の神が下された命令なのか、あるいはサムエル個人の考え方や信念が強く反映しているものなのか、ということを問うのは許されることだと思います。個人的な見解では、この聖絶命令はサムエル個人の解釈が強く反映しているものだと考えています。サムエルは「万軍の主はこう仰せられる」と言っていますが、彼は神の声を直接聞いたというよりも、「聖書」の言葉を引用したのではないか、ということです。私たちも、聖書の言葉や十戒などを引用して「神様がこう命じておられる」というような言い方をすると思いますが、サムエルもそうしたのだろうということです。もっとも、サムエルの時代には今のような形での聖書は完成しておらず、口頭で伝えられてきた聖なる伝承があったのみだと思われますが、その伝承の中には出エジプトの出来事が含まれていました。サムエルの時代から数百年前の出来事ですが、エジプトから脱出したばかりのイスラエル人の行く手をアマレク人が遮ったことがありました。その時に主はモーセに対し、「わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう」と語ったとされます(出エジプト17:14)。この主の言葉が何を意味するのか、文字通りにアマレク人の皆殺しなのか、あるいはアマレク人が独立した民族ではなくなり、他民族に吸収されて歴史の舞台から消え去るということなのか、どちらの意味にも取れるわけですが、サムエルはどうやらこの言い伝えを前者の意味、つまり神はアマレク人の皆殺しを命じていると解釈したようなのです。しかし、歴史が証明するところでは、アマレク人に対する民族皆殺しは起こらず、彼らは他の民族に吸収されて自然消滅のような形で自然の舞台から消えています。ですから神の御心はこのようなマイルドな形での民族消滅だったわけですが、サムエルはそう考えずに、神がアマレク人の殺戮を命じておられると信じ込んでしまった可能性があるということです。サムエルはそう固く信じて、乳飲み子や罪のない家畜を含めての絶滅命令をサウルに下しました。

サウルも、なんとかサムエルとの壊れた関係を修復したいと、必死だったのでしょう。彼はサムエルに言われてから大軍を招集しました。強敵のペリシテ人と戦った時には六千の兵でしたが、今度はなんと二十一万もの大軍団を組成しました。それだけこの戦いに賭けるサウルの心意気が伝わってきます。戦闘に際して、サウルは人道的な配慮もしています。それはアマレク人とは無関係な人たちが戦いに巻き込まれて被害に遭うことがないように、ケニ人の人々にあらかじめ避難勧告を出しています。そしてその後にサウルはアマレク人に戦いを挑み、王を生け捕りにし、民は皆殺しにし、家畜の良いものは生け捕りにしました。ここだけ読むと、サウルはサムエルの命令に不完全にしか従っていないように見えます。サムエルは区別なく皆殺しにせよと命じているからです。しかし、聖書をよく読めば、そうとも言い切れないのです。聖書の他の聖絶命令を見ると、なぜサウルがこのような行動をしたのか、その理由が見えてきます。モーセの後継者であるヨシュアはアイという町の住人を聖絶しました。しかしヨシュアはアイの王は生け捕りにして、また家畜は分捕り物として生かしておきました。サウル王もこの聖書の伝承を知っていて、サムエルの命令をこの伝承に照らして解釈した可能性があるのです。サウルも、イスラエルの偉大な祖先であるヨシュアのひそみに倣い、彼のように行動しようとした、ということです。ですからここではサムエルとサウルの聖書の読み方の違い、理解の違いのゆえに、サムエルの意図と、サウルの行動とのずれが生じてしまったということです。

そういう解釈はおかしいのではないか、なぜなら神はサムエルに対し、サウルが命令を守らなかったと怒っておられるではないか、という疑問も当然生まれると思います。11節の主のことばがそれです。しかし、この主のことばは本当に主がサムエルに語られた言葉なのか、あるいはサムエル自身が、主が怒っておられると感じたことを言葉にしたものなのか、簡単には決められないと思います。ここで主はサウルを王に任命したことを後悔していると語りますが、29節では主は後悔する方ではない、と語られているからです。神様は全知全能の方です。間違えてサウルを王にしてしまった、などと後悔するはずがないのではないかと。ですから11節のことばも主の言葉というより、サムエルの感情が強く投影された言葉であるということもあり得るのではないでしょうか。ともかくも、サムエルはサウルが自分の命令に従わなかったことに怒り心頭で、夜通し叫び続けました。

しかし、サウルの方はサウルの方で、自分は間違ったことなど何もしていない、それどころかサムエルの命令をやり切った、と信じていたのです。この恐ろしいほどのすれ違いが、サムエルとサウルの決別を決定的なものにしてしまいました。サウルは自分が主の命令を完遂したという高揚感に包まれて、なんとカルメル山に戦勝記念碑を立て、それから彼が王となった記念すべき地であるギルガルに凱旋していったのです。そこにサムエルが到着すると、サウルは大喜びで彼を出迎えました。きっと今度こそ褒めてもらえると考えたのでしょう。こうサムエルに呼びかけました。「主の祝福がありますように。私は主のことばを守りました。」しかし、サウルが見たのは苦虫を嚙み潰したようなサムエルの顔でした。サムエルは、なぜ羊や牛の声が聞こえるのか、とサウルに詰問しました。サウルはサムエルが何を怒っているのか、すぐには呑み込めませんでした。サウルは、聖絶において家畜を生け捕りにするという聖書的な前例があるので、自分もそれに従ったまでだ、と考えていたのでしょう。そのように説明しようとすると、サムエルに遮られます。サウルもただならぬ気配を感じ、そこで黙ってサムエルの言葉に耳を傾けます。サムエルは、主の言葉としてサウルが神に逆らったと断罪しました。しかしサウルは、自分は神に従ったと反論します。二人とも、それぞれ自分の信念に従って語っているので、まるで会話が噛み合っていませんでした。サムエルはもはや議論の余地はないとばかり、

まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。

との無情な宣告を下しました。ここでようやくサウルも事態の深刻さに気が付きました。自分は主のことばに逆らった、と告白しました。同時に自分が家畜動物を殺すのは惜しいと語る兵士たちに影響されてしまったことも認めました。サウルも軍団の長として、戦ってくれた部下たちの声を無視できなかったのです。罪を告白した上で、サムエルに赦しを乞いました。

どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝します。

しかしサムエルはサウルの悔い改めの言葉にも心を動かされませんでした。立ち去ろうとするサムエルに追いすがり、サウルはサムエルの上着のすそを掴みましたが、それは裂けてしまいました。サムエルは、このことがサウルの王国の運命を象徴している、つまりあなたの王国は引き裂かれるだろう、と不吉な予言をしました。

もうサムエルとの関係修復は絶望的だと考えたサウルは、最後の譲歩をサムエルに願いました。ここであなたと私が決裂したことを民の前で見せるのはまずい。せっかく勝利で沸き立っているイスラエルの民を不安に陥れてしまう。今回だけは私の面目を立てて、一緒に神を礼拝してください、と願い出ます。サムエルもそれを受け入れました。その返礼ということなのでしょうか、サウルはサムエルに一番の功績を譲ります。それはアマレクの王アガグを討ち果たすという功績です。サムエルはアマレクの王をずたずたに切り裂きました。なんとも残酷な記述で恐ろしくなりますが、サムエルはそれが主の御心だと信じていたのでしょう。

こうして運命のアマレク戦は終わりました。そしてこの戦争の結果、預言者サムエルとサウル王の決裂は決定的なものとなってしまいました。サムエルは二度とサウルに会おうとはしませんでした。最後に、主もサウルを王にしたことを悔やまれた、とありますが、これは主がサウルを王に任命したことそのものよりも、共にイスラエルを率いて行くべきサムエルとサウルの関係がどうにもならないほどに壊れてしまったことを嘆かれたのではないかと思います。この時点で神はサウル王の後継者を選ばなければならない、とのご決断を下されたのだろうと思います。

3.結論

まとめになります。今回はサウルが王位を失う決定的な局面、その中でも「聖絶」という非常に難しい問題を扱いました。旧約聖書の中でも戦争にまつわる問題、とりわけ聖絶の問題は最も理解が難しいテーマです。主イエスは暴力を否定し、悪に立ち向かう場合でも暴力を用いない方法、非暴力による抵抗の道を示されました。ですから暴力の極致ともいえる戦争を否定したのはいうまでもありません。しかし、旧約聖書には神が戦争を命じる場面が何度もあり、中でも非戦闘員や女子供も皆殺しにするように命じる神は、本当にイエス・キリストが宣べ伝えた神なのだろうか、という疑問が浮かんでくるのです。この問題はキリスト教が始まって以来の最大の難問なので、私が今日の短い説教でこの問題を論じ尽くすことなど到底できません。しかし、今日の箇所についてはある程度のことを語ることができるでしょう。それは、サムエルの下した聖絶命令は、必ずしも神がサムエルに直接下した命令と考えなくてもよいし、それはサムエル個人の聖書解釈による部分が大きいだろうということです。サムエルは、アマレク人がいなくなるだろうと告げた神のことばの意味を、アマレク人の直接の殺戮の命令と理解したということです。しかし神はそのような直接的で残酷な仕方ではなく、歴史の中でアマレク人が多民族に吸収され、消滅されていくということを考えられていた可能性の方が高いし、実際の歴史ではそのようになっているのです。ことばの解釈の難しさを改めて思わされるところです。

他方でサウルの方は、サムエルの命令に忠実に従おうとしましたが、現場での状況判断でいくらかの自由度が許されるのでは、と考えていました。またサウルには彼自身の聖書理解があり、特にイスラエルの英雄であるヨシュアが聖絶の際に王と家畜とを生け捕りにした故事を踏まえて、彼自身も同じように行動しようとしました。しかし、それらのことをサムエルは許されざる神への反逆と捉えました。けれども、もう少しサウルの立場に立って考えてあげることはできなかったのだろうか、サムエルは年長者でありサウルの後見人だったのだから、もう少し違う対応があり得たのではないか、という思いが消えません。ともかくも、この事件の後、イスラエルのリーダーである二人は永遠に決裂してしまいました。そしてその決裂がイスラエルの民には決して良いことではなかったのも確かです。

今日においても、どんな組織に置いてもリーダー同士の人間関係には難しいものがあります。特に個性の異なる二人の強いリーダーがいると、組織は不安定になり易いとは誰もが感じることでしょう。今回のサムエルとサウルの場合には、神の御心を探るための聖書の理解の仕方そのものが違っていたように思います。そしてそのようなことは今日の教会でも起こり得ることです。聖書の理解は一筋縄ではいかず、聖書のみことばの捉え方も様々だからです。そのような聖書理解の違いが不幸な決裂を招かないためにはどうすればよいのか、というのは難しい問題ですが、一つの処方箋は、私たちの聖書解釈は常に間違いを含む、欠けを含む、という謙虚さを持ち、自分の聖書解釈を絶対視しないことだろうと思います。聖書解釈だけでなく、自分のすべての言動には誤りが含まれているのだという謙虚な姿勢を持つことが、円満な人間関係には欠かせません。私たちもそのように謙虚な姿勢で歩めるように、主の導きを願いましょう。お祈りします。

サウルを王として召された神様、そのお名前を讃美します。あなたが召したサウルは、しかし残念ながら今後性格に変調をきたし、主から離れて行ってしまいます。そのようなことは私たち一人ひとりにも起こり得ることですが、どうか主が私たちをしっかりとつかまえてくださるよう、お願いいたします。私たちの平和の主、イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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