サウルの葛藤
第一サムエル14章24~46節

1.序論

みなさま、おはようございます。今朝も、サムエル記を読み進めて参りましょう。さて、これまで何度かお話ししたように、私たちは今サウル王の没落物語を読んでいます。神に選ばれて一躍イスラエルの初代の王となったサウルですが、13章から15章まではそのサウルが如何にして王の位を失っていくのか、そのことを学んでいます。

サウルがどのように王としての身分を失っていくのか、その最初の出来事は、彼が預言者サムエルの課したテストに落第してしまったことでした。預言者サムエルは、王として順調なスタートを切ったサウルがこれからも主とサムエルに対して従順であり続けるかどうかを試すためのテストをしました。それは、ペリシテ軍の大軍に取り囲まれて四面楚歌のような状態になったサウルが、主に嘆願をしてくれるはずのサムエルを待ち続けるのか、それとも自分勝手な行動をするのか、見定めようとしたのです。約束の刻限になってもサムエルは現れず、それを見て兵士たちが軍から逃げ出すという切迫した状況になり、とうとうサウルはサムエルを待たずに自ら主に嘆願のためのいけにえを献げるという決断をしました。しかしその直後に到着したサムエルは、彼を待たなかったサウルに王失格の宣言をして、そのままサウルの陣営から立ち去ってしまいました。

予想もしなかった事態に呆然としたサウルですが、状況は相変わらず悪いままです。三千人いたイスラエル軍はとうとう六百人になってしまい、対するペリシテ軍は戦車部隊だけで三万もの大軍です。まさに絶体絶命のピンチに追い込まれたサウルですが、その危機を救ったのが彼の息子ヨナタンでした。なんとヨナタンはたった二人でのペリシテ軍への奇襲攻撃を敢行し、しかもそれが大成功となりました。ヨナタンの奇襲で大混乱に陥ったペリシテ軍は同士討ちをはじめて自滅し、その混乱を見たサウルは全軍でペリシテ軍に攻めかかり、その攻撃は大成功に終わりました。

そしてこの勝利の立役者は紛れもなくサウルの息子であるヨナタンなのですが、しかしそのヨナタンをサウルが処罰しなければならないという事態になってしまったのが今日の箇所です。一体どうしてそんな話になってしまったのかと言えば、それはサウルが全軍に下したある命令がその原因でした。総崩れとなったペリシテ軍を見て、サウルはこれを千載一遇のチャンスと考えて、ここでできるだけ大きな打撃をペリシテ軍に与えようとしました。そこでサウルは全軍に対し、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれる」という命令を下しました。現代の常識から考えると、非常に不合理な命令です。昔はマラソンをしている選手に水を飲んではいけないと指導するコーチが多かったと聞きますが、現代のスポーツ医学ではよいパフォーマンスをするためには給水は不可欠だとして、積極的にマラソン選手には給水をするように指導しています。サウルの「勝利するまで食べるな」というのは、戦前の日本の「欲しがりません、勝つまでは」のようなひどくアナクロな精神論や根性論のような響きがします。ただ、サウロは必ずしもそのような精神論でそういう命令を出したのではないようです。むしろ彼は、兵士たちが主に対して罪を犯してしまうような事態を避けたかったのだと思われます。どういうことかと言えば、兵士たちが略奪行為をしてしまうことを懸念したということです。これまで恐怖におびえてきた兵士たちにとって、突然目の前に幸運が訪れたのです。敵は着の身着のまま、食料や武器などを陣地に置いたまま逃げ出しました。サウル軍の兵士たちにとっては、逃げるペリシテ軍を追撃して下手をすれば返り討ちに遭うよりも、手つかずの戦利品を奪う方がよほど魅力的に思えたはずです。そうすると、ペリシテ軍に決定打を与えようというサウルの目論見は不可能になります。

それだけではありません。もっと重大な問題がありました。それは兵士たちが神に対して罪を犯してしまうという懸念でした。そのためには、当時の食肉がどういうことだったのかを理解する必要があります。私たちは今日、毎日の食卓に上ってくる肉がどのようなプロセスで出来上がって来るのかということをほとんど考えることはないでしょう。ブロイラーで育てられた家畜が屠殺され、食用肉とされるというのが一般的でしょう。しかし、古代においては家畜といえどもその命を取るということには厳粛な意味がありました。つまり、勝手に殺して食べてはいけなかったのです。家畜の命は神のものなので、その命を奪うということは神の所有物を奪ってしまうことになります。そこで動物は神に献げる、その命をお返しするということをします。これがいわゆる「いけにえ」などと呼ばれることがありますが、この言葉だとかなりニュアンスが違ってきてしまいます。いけにえというのは古代の宗教では神の怒りを宥めるとか、神々の食欲を満たすとか、そういう意味合いがありますが、イスラエルの宗教儀式において動物を屠るのはそういうためではなく、家畜の命は神のものであることを認めてそれを神にお返しするということなのです。神にお返しするという儀式の中で、屠られた家畜の肉の一部は人間側が食べてもよい、というのが律法の定めでした。ですから食用の肉は、神にお献げした動物の肉の一部だったのです。神はイスラエルの人々に、動物の血を飲むことを固く禁じていました。神殿で動物を屠る場合はその血は慎重に処理され、万が一にも人間がそれを口にするようなことがないようにしていました。これがイスラエルにおけるルール、決まりだったのです。

しかし、戦場ではそうはいきません。戦利品として奪った相手の軍の家畜をお腹の減った兵士たちが殺して食べるという場合、神に献げるための儀式もないし、また十分に血を抜かないで食べてしまい、動物の血を飲むという禁忌を犯してしまうことになります。これはイスラエルの神に対する重大な違反行為となります。サウルは、統制を失った兵士たちがこのようなことをすることがないように、勝利するまで食べ物を口にするな、という命令を出しました。しかし、こともあろうにサウルの子ヨナタンがこの命令を破っていたことが発覚したのです。自分の子どもだから助けたということになれば公平性は失われますが、だからといってわが子を手にかけるなどということができるのでしょうか。さらに言えばヨナタンは今回の勝利の最大の功労者なのです。サウルは大変なジレンマ、葛藤に直面することになります。そのことを考えながら、今日のテクストを読んで参りましょう。

2.本論

23節からお読みします。ヨナタンの活躍で打ち破られたペリシテ軍は敗走し、戦場はベテ・アデンというところに移りました。ただ、イスラエル軍の方も予定していなかった戦闘に駆り出されたので、腹ごしらえも何もしないで戦いに突入しました。最初は無我夢中でしたが、段々とお腹がすいてきました。苦しい思いをしながら、何か食べたいと兵士たちは思いましたが、そこにサウル王からの無情な命令が下りました。夕方まで、敵に打ち勝つまで何も食べてはならないというのです。しかもサウルは「食物を食べる者はのろわれる」と言っています。のろうのは誰かと言えばサウルではなく神です。のろいというのは契約の言葉で、食べるということは神との契約に違反したことになり、のろいを受けるというのです。ですから王様の命令すら超えた、神の命令という重さがそこにはあったのです。兵士たちもこのサウルの命令を重く受け取り、森の中に蜜がしたたっていたのにもかかわらず、誰もそれに手を付けようとはしませんでした。「誓いを恐れていた」とありますが、誓いとは契約の誓いのことで、契約を破ればのろわれるのです。兵たちはそののろいを恐れました。

しかし、サウルの命令を知らない人物がいました。王子ヨナタンです。ヨナタンはペリシテ人への奇襲についてもサウル王に相談せずに独断で動いており、サウル王の指揮命令系統とは外れたところで動いていました。ですから彼の所にはサウルの命令が届いていなかったのです。そのヨナタン、森の中に蜜バチの蜜がしたたっているのを見て、それを食べます。蜂蜜には100以上の栄養素が含まれているといわれる、究極の栄養食品です。それを食べたヨナタンは力を取り戻し、目が輝きました。しかし、サウルの命令を知っている兵は、恐る恐るそのことをヨナタンに告げます。兵士たちはサウルの命令を守って何も口にしていません、それでみんな疲れているのです、と兵士たちの状況についても報告しました。それを聞いたヨナタンは、知らなかったとはいえ父王の命令に逆らってしまった、のろわれてしまう、というように動揺することはありませんでした。それどころか「親父殿はなんと愚かな命令を出したのだ。そんなことをしなければ、ペリシテ軍にもっと致命的な打撃を加えることができたのに」と父サウル王のことを批判しています。ただこれは、サウルとヨナタンが不仲だった、ということではないでしょう。むしろヨナタンは王であるサウルに自由に意見できるような、気の置けない関係だったということだと思います。これからもヨナタンはサウルの命令に逆らって行動することがありますが、そういう時もサウルと喧嘩はしますが、それ以上に罰を与えられるということはありませんでした。サウルもヨナタンの事を認めていて、自由に行動させていたのでしょう。そういう安心感がヨナタンの方にもあるので、今回もサウルの命令を大胆に批判することができたのでしょう。

しかし、このヨナタンの行動は周囲の兵隊たちをも大胆にさせてしまいました。英雄ヨナタンが蜂蜜を食べてよいというのだから、俺たちも食べていいんだよな、とそう考えたのです。実際兵士たちは腹ペコでくたくたでしたから、何かのきっかけさえあれば、サウルの命令を無視する用意はできていたのです。兵士たちはヨナタンに倣って、森の中にある手ごろな蜂蜜を食べ始めました。そして、そこでとどまればよかったのですが、残念なことに歯止めが利かなくなってしまいました。戦場での緊張感や高揚感、それに極度の疲れが相まって、兵士たちはペリシテ軍が残した分捕りものに飛び掛かりました。早い者勝ちだとばかりに、競争で戦利品を奪い合ったのです。彼らは家畜をその場で屠り、十分な調理をしないままで、つまり血が付いた状態のままで食べ始めました。これは絶対にやってはいけないこと、主の怒りを引き起こす行為なのですが、興奮した兵士たちは暴走してしまったのです。

この兵士たちの暴走の件はさっそくサウル王に報告されました。サウルはまずいことになったと思い、夕方まで何も食べてはいけないという命令の期限が切れる夜になると、自ら主の祭壇を築き、家畜動物を主の前に屠り、その肉を兵士たちに分け与えることにしました。サウルは今まで主への献げものについてはサムエルにお願いしていましたので自分ではしたことがありませんでしたが、サムエルが立ち去ってしまったので初めて自分で祭壇を築き、主に献げものをするということをしたのです。こうして兵士たちに十分に食べさせ、それから再び明け方までペリシテ人の敗残兵を追撃するようにとの命令を下しました。

しかしそこで祭司がサウルに待ったをかけました。イスラエル軍は、動物の血を飲むという大変大きな罪を主の前に犯してしまっています。その罪の問題を不問にしたまま、さらに追撃をするというのは問題であるという、まっとうな見解を述べました。そこでサウルも我に返り、主にお伺いを立てることにしました。どのような方法で主にお伺いを立てたのか、というのは興味深い問題で、サムエル記ではこれからダビデが色々な方法を用いて主にお伺いを立てる場面が出て来ます。祭司の衣装であるエポデというものを使うので、私たちから見ると占いをしているように見えるかもしれませんが、当時はそれが主にお伺いを立てる正式な手段でした。その場合、サウルもそのような手段を用いたかどうかは分かりませんが、しかし問題はそれに対して主は何もお答えにならなかったということです。神の沈黙、というのがこれからのサウルを悩ませる問題になるのですが、これが最初のケースです。サウルや祭司たちは、この神の沈黙を神の怒りであると解釈しました。神は兵士たちが動物の血を飲むという禁忌を犯したことを怒っておられる、そのような状態のままでペリシテ軍を追撃しても、きっと負けてしまうだろうとそう考えました。それはかつて、あのモーセの後継者であるヨシュアがカナン征服のための戦争をしていた時に、アカンが聖絶のものを密かに隠し持ってしまったために、イスラエル軍が負けてしまったという故事を人々が覚えていたからでしょう。その時ヨシュアは、誰が禁忌を犯したのかを探り当て、禁を犯したアカンを石打の刑で殺し、そうして神の怒りを鎮めました。そこでサウルも全く同じことをしようとしました。誰が初めにサウルの命令を破ったのかを探り当てようとしたのです。その者は誰であれ、たとえ我が子ヨナタンであれ、死ななければならないという命令を下したのです。ここでサウルがヨナタンを持ち出したのは、まさかヨナタンではあるまいと信じていたからで、いわば自分の命令の重さを伝えるためのだしにしたようなものです。兵士たちはそれがヨナタンであることを知っていましたが、怖くて誰もそのことをサウルに言い出せません。何しろヨナタンはこの戦いに勝利をもたらした大英雄なのです。何とか神の御心がヨナタンを指し示すことがないようにと、祈るような気持だったことでしょう。

しかし、事態はサウルが全く予想もしなかった方向に向かっていきました。イスラエルの神は、さきほどまでは沈黙しておられましたが、この犯人捜しについては沈黙を破り、誰が罪を犯したのかをお示しになりました。そうして神が犯人候補として選んだのは、なんと王であるサウルとその王子ヨナタンでした。国のナンバーワンとナンバーツーが犯人候補として選ばれてしまったのです。サウルは驚愕し、いったい何ごとかと恐ろしくなったでしょうが、しかしそこは王としての体面もあります。みなが見ている前で「私かヨナタンか、選んでください」と神に願い出ます。すると、最後に選ばれたのはヨナタンでした。サウルもこれが何かの間違いであって欲しいと願いながらも、ヨナタンに「何をしたのか、私に告げなさい」と言いました。ヨナタンの方は、これまでは自分が間違ったことはしていないと考えていましたが、しかし厳粛な儀式をして神の御心を伺い、その結果自分が選ばれてしまったことで、初めて自分の行動の重さに気が付き、嘆きつつ言いました。「私は手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を、確かに味見しましたが、ああ、私は死ななければなりません」と絞り出すように言いました。

サウルも大変なジレンマに直面しました。自分の最も愛する我が子ヨナタン、今回も絶体絶命雄のピンチを救ってくれた我が子ヨナタン、そのヨナタンを殺すことなどできるはずがありません。しかし彼は皆の前で、何よりも主の前で誓っているのです。主への誓いを果たさないということはサウル王には許されないことでした。また、息子だけえこひいきしたということになれば、サウルの王としての資質が問われかねません。まさに断腸の思い、泣いて馬謖を斬るという思いで、サウルは改めて神に誓い、ヨナタンを処罰する命令を下しました。この一件から見ても、私はサウルが不信仰な人間ではないように思えます。確かに彼はいくつかの誤りを犯しています。短慮な行動もしています。しかし、神への誓いを果たすためにわが子さえ犠牲にするという彼の信仰は、わが子イサクを神に献げようとしたアブラハムの信仰にも匹敵するのではないでしょうか。サウルは不信仰な人物だという色眼鏡で見ることなくこのサウルの行動を見るならば、彼は本質的に神への深い信仰を持ちながら、運命に翻弄されて自滅していく悲劇の人物のように思えてくるのです。

しかし、このサウルのジレンマから彼を救ってくれたのは民からの声でした。兵士たちは口々に、ヨナタンの助命を願い出ます。人々は言います。ヨナタンには神がついておられた。だからあの無謀ともいえる奇襲が成功したのだ。ヨナタンは神に従い、神はヨナタンとともにおられました。ヨナタンは神の御心をなしとげました。そのヨナタンが死ぬようなことがあってはならない、と非常に大切なことをサウルに伝えました。サウルも自分の誓いに縛られて自縄自縛(じじょうじばく)の状態にありましたが、しかしより高い地点から神の御心を探れば、その誓いさえ意味をなさなくなるということに気が付いたのです。サウルは民の声に従い、ヨナタンの処刑を思いとどまりました。こうしてヨナタンは救われ、サウル自身も救われました。サウルはその後、さらにペリシテ軍を追撃することは断念し、引き揚げることにしました。ペリシテ軍も反撃しようとはせずに、自国に戻っていきました。

3.結論

まとめになります。今日はサウル王の迷走として理解されることの多い場面を学びました。サウルの出した愚かな命令のために全軍が苦しみ、しかもその愚かな命令を破った我が子ヨナタンを殺さなければならなくなり、しかし最後はヨナタン処刑の命令すら撤回するという、サウルの右往左往ぶり、朝令暮改という面ばかりが目立ち、サウルの愚かさがはっきりと示され、「こんな人なら王様を追われても仕方がないよな」と思わされる場面が続きました。

しかし、一つ一つのサウルの行動や命令を見て行くと、それは理に適った面もあり、またサウルが非常に神を畏れる人物であったことを窺わせる場面もあります。そう考えると、サウルは運命に翻弄された気の毒な人だという気さえしてきます。サウルも一所懸命やっているのですが、運命から見放されるとやることなすこと裏目に出る、ということの見本のような状態に陥ってしまったのです。

人間だれしもサウルのような状態に陥ることがあります。別に慢心しているわけではないのですが、好事魔多しというように、順調に物事が進んでいる時に思わぬトラブルに遭遇するということは誰にでも起こり得ることです。サウルはまさにそのような試練の中にいるのです。ですから私たちもサウルを断罪することなく、私がサウルの立場にいたらどのように行動するだろうか、とわが身の事として考えてみるのもよいでしょう。サウルの行動にはもちろん誤りもありました。その誤りを、自分も犯すかもしれない誤りだと考えれば、私たちもサウルの行動から教訓を得ることができるでしょう。「順境の時には喜び、逆境の日には反省せよ」(伝道者の書7:14)という言葉があります。私たちの人生にも、必ず逆境の時があります。その時私たちは狼狽して愚かな行動をしてしまうかもしれません。しかし、

そういう時は立ち止まり、そして主に信頼し、主に拠り頼んで歩んでいきましょう。絶望することがないようにしましょう。助けは思わぬところから来るからです。サウルも民の声に救われました。私たちが苦難に陥ったときも、神は助けを送ってくださるでしょう。お祈りします。

サウルをイスラエルの王に召された父なる神様、そのお名前を讃美します。今、サウルが逆境の中を歩んでいるところを学んでいます。私たちもいつまた彼と同じような状況に立たされるか分からないものですが、そのようなときにも主を信頼して歩むことができるように、力をお与えください。われらの救い主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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