* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。
今日は四大士師のうち最初の二名の士師についてです。まず、デボラですが彼女は女預言者と呼ばれ軍事的指導者としてはバラクを指名しますので、デボラ/バラク両者一体で士師とみられます。もう一人はギデオンです。お話の中心はあとの方のギデオンです。最初にデボラ/バラクをみます。
4:1に「その後、イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行った。エフデは死んでいた。」といわれています。モアブの王の支配からイスラエルを解放したエフデは既になく、イスラエルは主の目の前に悪をおこなった」と言われています。おそらく、カナンの地の宗教に染まってヤハウェ信仰から離れていった、ことを指ししている、と考えられます。そこで、主なる神はイスラエルをカナン王ヤビンの手に渡したと言います。カナンのそもそもの由来は、ノアの子ハムの子、クシュ、ミツライム、プテの弟カナンの系譜ということになっています。クシュはエチオピア、ミツライムはエジプト、プテはリビアを指します。カナンはフェニキアからペリシテまで含む広義のカナンの地の住民のことです。イスラエルはノアの子の内セムの系譜であり、カナン人とは民族を異にします。その王ヤビンには将軍シセラが居ました。デボラ/バラクのように対(つい)で考えるとヤビン/シセラということになります。彼らは戦車900両を持っていたと言われていますので鉄の兵器を持っていたようです。そしてイスラエルを圧迫していました。まだ税金徴収の習慣はなかったので、時々、イスラエルの民の住むところに来て略奪をしていった、ということでしょう。
そこで、エフライム山地のなつめやし、の木の下で民を裁いていたラピドテの妻デボラが起こされます。唯一の女性士師です。ナフタリ族出身です。イスラエルの歴史では女性が統治者になるのは例外的です。日本には卑弥呼という巫女的な指導者が居りましたが、それとの比較でみると、デボラにはシャーマンや巫女を思わせる表現はありません。旧約聖書では、巫女のような存在を忌み嫌っているように思われます。新約聖書のコリント人への手紙でパウロは女性が教会の指導的立場に立つことを嫌っていたような表現がありますが、これは教会の中に巫女的な女性が入り込んでキリスト者を惑わすようなことがあったからではないか、と私は想像しています。パウロは旧約の伝統からしてこのような巫女的な行いを嫌悪していた、と思われます。なお、デボラと言う名前は「蜜蜂」の意味です。今、欧米社会ではこの「デボラ」という名前の女性が多数おります。これは士師デボラにあやかった名前です。ヨシュアの最初に占領した町エリコはなつめやしの町と呼ばれていますのでなつめやしの木の下に座っていた、というのは何らかの権威を担っていた、ということでしょう。デボラはナフタリの地からバラクを呼び寄せタボル山に進軍せよと言います。主の言葉の命令として伝えます。主なる神の命令ということで「聖戦」を宣言している、と言えるでしょう。そして、ナフタリとゼブルンから兵を募るように言います。ナフタリはデボラ、バラクの出身部族だから当然のこととして、ゼブルンはナフタリのすぐ南に嗣業地を得た部族です。おそらく通常、両部族は共同行動をとっていたのでしょう。ちなみに、バラクという名は「いなずま」という意味の言葉です。アメリカの大統領であったオバマ大統領の名前もバラクですがこちらの方は「祝福」の意味の言葉から来ていると思われ、別の言葉です。
ここでバラクはデボラに「デボラが一緒に行ってくれるなら私は行きます」と言います。デボラは一緒に行くが、このようなことを言ったので、戦いの勝利の栄光はバラクには与えられない、ということを告げます。具体的にはカナン王の将軍シセラは女の手に罹って死ぬことになり、カナン王を殺したことによる榮譽はバラクの功績にはならない、ということです。バラクのような自信のないことを言い、主なる神に全面的に信頼する、という態度を示さない人間は士師のひとりと数えられない、ということを意味します。むしろデボラが士師に数えられます。しかし、興味あることに、新約のへブル書ではデボラではなく、バラクが信仰の人として、名があげられています。デボラは女であるため、士師としてのデボラはバラクの名によって伝承されていった、と推測できます。
イスラエルの北西カルメル山のふもとを流れるキション川の上流の地でバラクとシセラが対決します。デボラはバラクに奇襲を命じます。デボラは「きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」と言います。これは、聖戦、即ち主なる神の戦い、の典型的表現です。ヨシュア記、士師記、サムエル記を通して、「主が戦われる」と言われる聖戦がどのようにして単なる人間の支配欲の戦いになっていくのかを見るのは難しい判断ですが、士師記のなかでデボラ/バラクの戦いは、まだ聖戦の色彩を明らかに持っています。聖戦は全人類の救いのために主なる神が選ばれた民イスラエルを純粋なヤハウェ信仰の共同体として形成するために、イスラエルの民に居場所を与え、周辺の民族に神がイスラエルを選んだことを証しする戦いです。イスラエルが自らの力によって戦いに臨もうとした時点で聖戦ではなくなります。単なる民族と民族の支配欲のための戦いとなります。
主がシセラの軍をかき乱した、と書かれています。何らかの理由でシセラ軍が混乱を起こし戦争どころでなくなった、ように思われます。シセラは逃げます。そして親密であったケニ人へベルの天幕に行きます。ケニ人へベルはモーセの義兄弟の子孫とされていますが、ケニ人自身は昔からカナンの地に住んでいた部族で、イスラエルには好意的であったようです。ケニ人はイスラエルに好意的でもヘベルはシセラに近しかったのだと思われます。イスラエルの民はカナンの地に住んでいて、その主たる民族から、のけもの扱いされていた部族を味方にしてカナン侵入を図ったはずですので、ケニ人もその一つだったのであろう、と想像します。なんと、そのヘベルの妻ヤエルはシセラをもてなし、安心して寝ているところを、鉄のくいをこめかみに打ち込み殺してしまいます。そして追ってきたバラクに死んだシセラを見せます。
イスラエルの歴史には戦争における奇襲攻撃がしばしば出てきます。卑怯だなどと言う意識はありません。主なる神が勝利を与える主な形、と言っても良いでしょう。これは弱き者に勝利を与える神の方法です。また、女による敵の要人の暗殺も時々あります。これはイスラエルの伝承に加えられ賞賛されます。暗殺を勧めているようで抵抗感が無きにしも非ず、ですが、これも弱き者に勝利を与える神の働きであり、奇襲攻撃に関することと同じ考え方が背後にあります。この考え方は新約に於いても生きており、むしろ新約において明確になっている、と言えるでしょう。そしてこの勝利の結果、イスラエルの勢力が強くなっていき、ついにカナンの王ヤビンを滅ぼした、とされています。デボラ/バラクの勢力に味方をする人々が増え、ついにはヤビンを滅ぼすにまで至った、と言われています。
この話のあとの5章はデボラとバラクの詩(うた)です。勝利をもたらしてくれた主なる神を称える歌です。非常に古い起源をもった歌と考えられています。「主をほめたたえよ。私は主に向かって歌う。イスラエルの神、主にほめ歌を歌う」と表現されています。詩編27:6に同様の表現があります。
もう一点この詩(うた)で注意すべきは各部族についてのべているところです。この戦闘に参加したのはエフライム、ベニヤミン、マキル(これはマナセの一部族)、イッサカル、ゼブルン、ナフタリ、の6部族です。更に、死海の南西にいる非イスラエルのアマレク人を祖先とする人々もこれに加わったと記されています。イスラエルの6部族が参加した、と言われています。他の士師の戦いは、イスラエル全体で戦ったかのごときに書かれていても、実のことろ、せいぜい数部族が参加したにすぎませんが、このデボラ/バラクの戦いにおいては6部族が参加しています。一応、「イスラエル民族の戦い」ということが言える唯一のものです。更に他民族の一部族が参加した、というのですから、かなりの協力が得られた戦いです。
しかし、参加したのは、エフライム以外は弱小部族です。また、ガド、マナセの大部分、ダン、アシェルが呼びかけに応じなかったことが語られています。更に重要なのは、ユダをはじめシメオン、ルベン、レビについては名前があげられていないことです。彼らは、参加していない、と考えられます。ユダ族が参加していない、というのは重大です。結局、イスラエル十二部族が一致して戦うなどあり得なかったのです。常備軍を既に持っていた他民族にまともにたたかって勝てる訳はなかったのです。主なる神に頼るしかなかった、というのが実態です。「主なる神が戦う」聖戦でしか勝利は得られなかった、ということです。
この歌の中に不思議な話がでてきます。シセラの母が彼の勝利を期待しつつも心配して彼の帰還を待っています。知恵のある姫君たちが「彼は分捕りものを分けるのに忙しく、帰りが遅れているのだ」というようなことを言い、母を慰めます。そして最後に主ヤハウェに、祈願する。という話です。シセラの母の愛情が伝わってくる詩(うた)です。もしかしたらシセラの部族もケニ人のように本来はイスラエルに好意的な部族だったのかもしれません。
次はギデオンです。ギデオン協会という聖書を学生に配る業(わざ)をしている団体がありますが、その名前のギデオンです。名前の意味は木を切る「伐採者」ということです。デボラのあとイスラエルはまた「主の目の前に悪を行った」と言われています。その結果、主のさばきとしてイスラエルはミデヤン人の支配下に入ります。ミデヤン人とはアラビア人のことです。死海の南でアカバ湾につながる地域に住む人々です。6:3で「イスラエル人が種(たね)を蒔くと、いつでもミデヤン人や、アマレク人や、東の人々が上って来て、イスラエル人を襲った」とあります。イスラエルは、そもそもはカナンの山地に入りましたがカナンの地における味方もあり漸次平地に進出していった、と考えられます。そして牧畜を主たる仕事としていましたが、徐々に農業も仕事とし、半牧半農の民になっていったと考えられます。その種がミデヤン人らにやられるというのです。彼らはいなごの大群のように襲ってきてそのらくだの数は数えきれないほどだった、と言われています。そしてイスラエルの民は主を叫び求めます。
そこで一人の預言者が主に遣わされます。そして出エジプトを思い起こさせつつ、エモリ人の神をおそれるようなことをした、と非難します。カナンの神々を礼拝した、という批判です。そこに主の使いが登場します。この主の使いというのはヘブル語で「mal-a:ku」、ギリシャ語訳で「angelos」即ち英語のangel、天使です。預言者は人間ですが、主の使いの方は天的存在です。主の使いは創世記より現れておりユダヤ教の歴史の中でその数が増え、キリスト教の歴史において更に増加します。
その主の使いがアビエゼル人の樫の木の下に座った時、その木の所有者ヨアシュの子ギデオンが酒船の中で小麦を打っていた、と言われています。アビエゼル人というのはマナセ族の系譜ではありますが女の子の流れで傍系です。また「酒船の中で小麦を打っていた」というのは小麦の収穫作業をミデアン人に隠れ、酒船でやっていた、ということで臆病さの現れです。そこで主の使いはギデオンに「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と宣言します。ギデオンは自信のなさをあからさまに言います。このところは預言者が自分はその役割は無理だ、というところに似ています。主の使いはギデオンを勇気づけるのですが、ギデオンは主の使いの徴(しるし)をもとめます。ギデオンが「やぎの肉と種を入れないパン」を持ってくると、主の使いは杖で「肉とパン」に触れました。すると、火が岩から燃え上がって肉とパンを焼き尽くしました。それが主の使いの徴(しるし)でした。これで主がギデオンと共にいてくださることが確認されました。ギデオンが自分のもてる最良のものをもって主の使いをもてなしたことが「よし」とされ、「安心しなさい、恐れるな」という主の言葉をいただくことになりました。
ギデオンは祭壇をつくり「主は平安」「主は平和」「主の平和」などと訳すことができる「アドナイ・シャローム」と名づけます。オフラという町です。ガリラヤ湖の少々南です。そして、僕10人をつれて、バアルの祭壇を壊し、アシェラ像を切り倒します。アシェラ像の木で全焼のいけにえ、をささげました。彼は町の人々などをおそれ、夜にこの祭儀をおこないました。ここでも臆病さが表れています。バアル崇拝、アシェラ崇拝が大変力を持っていた、ということでしょう。町の人々は朝になって、こんなことをしたのは誰だと大騒ぎになります。ヨアシュの子ギデオンがやったことがわかると、父ヨアシュを責めました。彼は、「バアルが神ならば、自分の祭壇が壊されたのだから、自分で争えばよい」と突き放します。そしてギデオンは「バアルは自分で争えばよい」という意味でエルバアルと称されることとなりました。士師の中でこれだけ強くバアル、アシェルという地場宗教を捨てヤハウェ信仰を表しているのはギデオンだけです。祭壇の破壊と建設という形態をとっています。
ミデヤン人の方は死海南東のアマレク人やヨルダン川東側の人々も糾合して、ヨルダン川を渡りイズレエルの谷というエスドラエロン平原に大軍が集結しました。これに対し、ギデオンはマナセ全域に呼びかけ、更にアシェル、ゼブルン、ナフタリに使者を送りました。彼らは合流してミデヤン連合軍に対峙します。しかし、ギデオン側の連合はマナセを除き北イスラエルの小部族だけであり、ミデヤン連合軍とは比較にならないほど小規模でした。
ここでギデオンは再度主の意思を確かめる行動に出ます。6:37には「今、私は打ち場に刈り取った一頭分の羊の毛を置きます。もしその羊の毛の上にだけ露が降りていて、土全体がかわいていたら、あなたがおことばのとおりに私の手でイスラエルを救われることが、私にわかります。」とあります。そのようになりました。最後にもう一度、「今度はこの羊の毛だけがかわいていて、土全体には露が降りるようにしてください。」と主に求めます。そしてそのようになります。対戦の準備完了、というところでしょうが、これは「主を試みる」ことで罪に陥る種(たね)が示されています。
ところがここで主から不思議な命令があります。戦いに臨む32千人の民は多すぎるので減らしなさい、というのです。「イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。」と説明がされています。まず10千人にへらします。さらに、水の飲み方によって300人にまで選別します。7:5-6には「主はギデオンに仰せられた。『犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。』そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。」とあります。この個所の解釈は難しいのですがおそらく手で立ったまま、水をすくって口に当てて水をのんだ者たちが300人であった、ということと思います。
このギデオンはわずか300人をつれて戦闘に臨みます。谷の上に陣取ります。そしてその夜、ギデオンは「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから。」との主の言葉を聞きます。奇襲です。圧倒的少数の味方、また、この主の言葉、よりして聖戦の条件を満たしています。聖戦は主なる神ヤハウェが戦うのですからこちらはそんなに多数の兵士は必要ない、という考え方が背後にあります。主なる神の戦われ方の一つに奇襲があります。宣戦布告をしてからでなければ戦争を始めてはならない、という考え方はイスラエルの聖戦にはありません。「主の言葉」が決定的です。それを民の指導者に伝えるのが預言者の使命ですから、預言者の力は実質的には強大です。この伝統は現在のイランにおいて生きている、と思われます。イスラム教シーア派の国家であるイランは嘗てホメイニ革命によってホメイニという預言者ムハンマドの言葉を解き明かし、為政者たる大統領に命令を発する、という「神聖国家」に、建前上は、なりました。このホメイニの職は最高指導者と呼ばれていますが、その源は旧約聖書の預言者の役割に通ずるものと思います。聖書に戻ります。ギデオンは若者プラとともにミデヤン軍がどうしているか様子をうかがいにいきます。そこで兵士たちが、夢を見た話をしていて、この軍はギデオンの剣に渡された、という意味だ、との話しているのを聞きます。
ギデオンは勝利の確信を得、300人を3隊にわけ、全員の手に角笛とからつぼをもたせそのつぼにたいまつをいれさせました。そしてギデオンは彼らに、敵のところで角笛を吹き鳴らし「主のためだ、ギデオンのためだ」と言わなければならない、と指示します。三隊が次々と角笛を吹き鳴らし、つぼを打ち砕き、「主の剣、ギデオンの剣だ」と叫びました。すると敵陣営の兵士は次々と逃げ出し、同士討ちがはじまりました。そして逃げ出したミデアン連合軍をギデオン軍は追撃しました。そこで再びナフタリ、アシェル、全マナセが呼び集められ追撃に参加します。そしてヨルダン川を占拠します。ミデヤン人の二人の首長オレブとゼエブを殺し、ギデオンのところに首を持ってきました。
そこにエフライム人がきて「あなたは、私たちに何ということをしたのですか。ミデヤン人と戦いに行ったとき、私たちに呼びかけなかったとは。」と言い、ギデオンを激しく責めた、と記されています。ギデオンはこれに対し、戦果としてギデオンの部族であるアビエゼルが得たぶどうより、エフライム人は二人の首長の首というもっと大きなものを得たのではないですか、と答え、エフライムの怒りをやわらげた、とあります。これは、創世記48章でヨセフが、マナセが長子であるにも拘わらず、エフライムを長子として祝福したというマナセとエフライムの両部族の反目が背後にある話です。
更にギデオンは追撃を続けます。ミデヤン人の王ゼバフとツァルムナです。ギデオンは、先に、二人の首長をつかまえ殺しましたが、次の目標は二人の王です。途中でヨルダン川中流のスコテの町に立ち寄り、同道の民ために、パンを所望します。するとスコテの司は「なぜ、あなたの軍団にパンを与えなければならないのか」と事実上拒否致します。ギデオンはこの二人の王をつかまえたのち、スコテの町を「荒野のいばらやとげで、踏みつけてやる」と宣言します。さらにベヌエルでも同じ経験をします。ベヌエルではギデオンは「私が無事に帰って来たら、このやぐらをたたきこわしてやる。」と啖呵を切ります。この両町はギルガルの地にあり、十二部族としてはガド族の地です。ガド族はこの戦いに参加しておりません。おそらくギデオンの軍勢の貧弱さに目標達成の見通しを見ることができなかったのでしょう。そして結局、ギデオンは二人の王をつかまえスコテの町に引き返してきます。そこで一人の若者からスコテの司と七十七人の長老たちの名を聞き出し、いばらやとげをとって思い知らせた、と書かれています。なにか痛めつけることで報復をしたのでしょう。ペヌエルについては「ペヌエルのやぐらをたたきこわして、町の人々を殺した」と書かれています。このような報復は主なる神が望んだこととは到底、考えられません。主ヤハウェへの信仰集団としてのイスラエルを確立するために必要なことであった、とも考えられません。また、異教の神の霊を封じ込め、働けなくするために必要だったとも思えません。このような理性を失った報復が聖戦を単なる人の支配のための戦争に変えてしまうのです。王や神官等の指導者を殺害することは、その部族・民族の霊に対する勝利の象徴の意味があり、聖戦の範囲内の出来事ですが一般の民に対する殺害は、これを超えるものです。むしろ人間の罪の凝縮と言えます。旧約聖書において霊と肉は一体のものとして考えられていますが、あくまで霊が優位をもっています。霊の戦いにおいて不要な肉の破壊は聖書の説くところではありません。それはむしろ神の被造物にたいする冒涜です。これは新約・旧約の両方に共通のイスラエル信仰です。
更に一つの物語が付加されています。ゼバフとツァルムナの両王の処分についてです。ギデオンは自分の兄弟、母の息子がタボル山で殺されたことを理由にして、この両王を殺すことにし、長男エテルにそれを実行するよう求めます。彼はまだ若かったので恐ろしくて、実行できませんでした。するとこの両王は「立って、あなた(ギデオン)が私たちに撃ちかかりなさい。人の勇気はそれぞれ違うのですから。」と言い、長男をかばうような発言をします。そしてギデオンがこれを行います。「ギデオンは立って、ゼバフとツァルムナを殺し、彼らのらくだの首に掛けてあった三日月形の飾りを取った。と言われています。このように王を殺すことはその部族の霊を殺す一つと考えられますのでまだ聖戦の範囲と考えられます。異教の霊・神を滅する、という「象徴行動」という見方もできると思います。長子エテルがこれを実行できなかったことはその後、弟アビメレクが問題を起こす伏線になっています。
その時、イスラエル人はギデオンに彼と彼の子孫がイスラエルを治めてくれるように願います。これをギデオンは断り、「主があなたがたを治めます」という主なる神のみがイスラエルの統治者・支配者であるという信仰告白を致します。この考え方は聖戦思想と同じことを表現しており、後のサムエルの、王制に対する否定的態度につながっていきます。しかし、ギデオンは士師としての役割とともに祭司の役割も兼ねるという誤りを犯します。ギデオンは戦いに勝利したのち、分捕りものの耳輪を差し出してくれ、と言います。ミデヤン人はアラビア系の人々で創世記におけるアブラハムの子イシュマエルの系譜の民族ですが、金の耳輪をつける習慣があったようです。それを集め、エポデという祭司の特別な衣装を作って、故郷のオフラの町で祭儀を主催したようです。「淫行を行った」と記されています。のちに、サウル王が、サムエルが現れないので、祭司の役割を一度行ったことが王権はく奪の原因となった話が出てきます。また中間期の時、マカベア朝のヨセフが王と大祭司を兼ねたことが大きな批判を起こしました。士師の役割は後に王の役割に継承されますから、この士師記の話は王権と神権の共有禁止乃至は更には現代にまで至る政治と宗教の分離の問題にまで通じています。人間がこの両方の権力・権威を持つということは必ず、主なる神のみが王である、というイスラエル信仰から外れていく契機となるのです。
しかし、このあと「この国はギデオンの時代、四十年の間、穏やかであった。ヨアシュの子エルバアルは帰って自分の家に住んだ。」と記されギデオン即ちエルバアルの士師物語は終結したように書かれています。しかし、大変な後日談があります。ギデオンにはなんと息子が七十人もいたのですがシェケムのそばめの子にアビメレクという名をつけました。「私の父は王である」という意味です。ギデオンは統治者、王になることを表面上拒否したのですが心のどこかでは他の民族のように王になろうという気持ちがあったのかもしれません。そしてギデオンが死に、イスラエル人は、またカナン神に戻ってしまいました。シェケムの町の神はバアル・ベリテといいます。
ギデオンの子アビメレクは自分の母の実家のあるシェケムに行き、ギデオン即ちエルバアルの息子七十人がイスラエルを治めるより、だれか一人が治める方が良いだろうから、と自分を王にしてくれと間接的に言います。シェケムの人間はアビメレクの言う方向に傾斜します。そしてアビメレクはバアル・ベリテの宮からとってきた銀七十シェケルを彼らに与え味方につけました。「わいろ」です。そして「ごろつき」を雇いました。ヘブル語では「無法者」の意味です。ギリシャ語訳では臆病者となっていますがおそらくヘブル語の意味合いから、やくざ者とでも訳すのが適当かもしれません。水滸伝のような盗賊集団かもしれません。そしてオフラという父の家に行き兄弟を皆殺しにしてしまいます。しかし、ヨタムという末の子は隠れて生き残りました。そしてシェケムの人々は石の柱のそばの樫の木のところでアビメレクを王としました。
これを聞いた末っ子のヨタムはシェケムの西のゲリジム山の頂上から声を張り上げました。「シェケムの者たちよ、私に聞け」で始まります。彼はオリーブの木、いちじくの木、ぶどうの木に「王になってください」と木々が頼んでも、婉曲に断る木々のたとえ話をします。これはギデオンが民に示した態度です。最後にすべての木々がいばらに「王になってください」と言いますが、いばらは「まことを持って王にするのなら、私の後ろに隠れなさい。そうしなければ、いばらから火が出て木々を焼き尽くすことになる」というたとえ話を言います。そして「まことと真心をもってアビメレクを王としたのか、エルバアルの家族を丁重に扱ったか」を問います。これはシェケムの人々を責めた言葉です。「まことと真心をもって行(おこ)なったのでなければシェケムと、そのそばにある町ベテ・ミロの者たちから火が出てアビメレクを食い尽くすことになる」と宣言します。ヨタムは逃げてベエルというヨルダン川上流西側の町に逃れます。
ところが神はシェケムとアビメレクの中を裂きます。「わざわいの霊」が送られます。こんどはエルバアルの七十人の子への残虐がアビメレクと彼を応援したシェケムの人々に臨みます。シェケムの町の人々はアビメレクを待ち伏せていました。そこにエベデの子ガアルとその身内の者がきます。彼はカナン人です。時期はぶどうの収穫の季節でしたが祭りの時ガアルはシェケムの人々を扇動しアビメレクに反抗するように仕向けます。アビメレクとは何者ぞ」と言い、その部下でシェケムの統治者であるゼブルに、どうして仕えなければならないのか、とシェケムの人々を扇動します。そして創世記からのシェケムの町の父であるハモルの系譜の人々に仕えることを勧めます。当時、アビメレクはアルマというずっと北の町にいました。ゼブルはアビメレクに危機的状況にあることを連絡します。このエベデの子ガアルという人物はヘブル人による支配を嫌って、古来からのカナン人によるシェケムの支配を再興しようとしたのだと考えられます。
アビメレクはゼブルの示唆に基づき、彼の民は4隊に分かれシェケムに向かいガアルを待ち伏せします。ガアルとゼブルのやり取りがあったのち、ガアルはゼブルの挑発にのりアビメレクにたたかいを挑みます。カナン人ガアルは敗北し、彼のクーデターは失敗します。アビメレクの部下ゼブルはガアルとその身内を追放します。アビメレクは町から出ようとする民を片っ端から殺します。民を殺し、町を破壊しました。そして、そこに塩をまいたと記されています。シェケムのやぐらの者たちとよばれるシェケムの中心人物たちは町の守護神エル・ベリテ、即ちバアル・ベリテの宮の地下室に逃れます。アビメレクは自分の部下とともに町のそばのツァルモン山にのぼり、斧をもって報復の様を見せ、皆に、このようにしなさい、と言います。部下たちはシェケムの町に行き、シェケムのやぐらの人たち約千人を焼き殺します。この殺人は単なる報復です。聖戦の一環とはとても言えません。このアビメレクの戦争は「主なる神の言葉によって開始され、圧倒的に小さな戦力で主なる神の奇跡的力により勝利を得、敵の霊を封じ込める聖なる象徴行為を行い、主なる神の栄光を示す」という聖戦からは程遠い、ものです。
更にアビメレクは北のテベツをも占領します。町の人々は町の堅固なやぐらの屋根にのがれます。アビメレクはこれに近づいて火で焼こうとしました。その時、ひとりの女がアビメレクの頭にひきうすの上石を投げつけアビメレクの頭蓋骨を打ち砕きます。アビメレクは急いで道具持ちの若者に自分を殺すよう指示します。それは女に殺されたと言われたくない、と言う理由です。一世を風靡したアビメレクのあっけない最後です。そして士師記の著者はアビメレクの子ども七十人を殺した悪への報いがこれだと言います。またエルバアルの子ヨタムの呪いがシェケムの人々に実現した、という説明です。
このアビメレク物語をどのように理解するかはいろいろな見方があるだろうと思います。ギデオンが多数の妻をもって多くの子どもを得たことを指して性的放縦の罪がアビメレク問題等を起こした、ところに、士師記のこの部分の教えることがある、という説があります。そして、それを、ソロモンの多数の妻の話とつなげています。確かに旧約聖書での罪の具体的表れを性的乱脈に見るという見方がみられますが、本当にその程度の王個人に関する話なのか、というのがこの見方に対する私の根本的疑問です。私はむしろ王制に関する問題を罪として指摘しているのだと理解しています。ギデオン自身が「主の支配」ということで一貫しきれなかったのです。「わが父は王である」というアビメレクの名前がその動揺を示しています。しかし、アビメレク王制は残虐政治であり、王政の消極面がはっきりと示されています。それでも後にイスラエルは王を求めるようになるのです。アビメレクの教訓は生きていないのです。
指導者の性的放縦はむしろイスラエル社会の罪の反映と考えるべきです。それは物質的繁栄を願う心が豊穣神信仰に向かい、それが性的放縦を生む、という構図です。ヤハウェ信仰は極めて倫理性の高い信仰ですから、物質的繁栄にはあまり価値を置きません。豊穣神信仰はヤハウェ信仰を引きずり下ろす力を持っています。それがカナン信仰を拒否すべきとする士師記のメッセージでもあるのです。しかし、事実として士師記に描かれているのは豊穣神信仰と妥協し純粋なヤハウェ信仰が失われていく歴史です。主の支配、むしろ主なる神のみの支配である神の国からの乖離です。その根本問題を明確に指摘しているのが主イエスの言動です。祈ります。
御在天の父なる神様、今日は、デボラ/バラクとギデオンの話から、イスラエル信仰における聖戦の考えや、王制に関する見方を学びました。聖戦としてはじめられた戦いが実に容易に「人による人の支配のための戦争」となっていく歴史を垣間見ました。また、主なる神の祝福の下で指名された王が、実に容易に、「民を支配する王」となり、神の国のあるべき姿から遠ざかっていくのか、を知ることができました。これらのことは私自身の他者との争い、他者との競争の場面においても同様です。私も、私たちをとりまく共同体も、常に自らを振り返り、悔い改めの心により主なる神に立ち返ることが必要です。私たちにへりくだりの心をお与えください。士師記の学びの中で、新しきイスラエルとしての私たちに主イエスの証人(あかしびと)として歩むべき道をお示しください。その道に歩む勇気をお与えください。主イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン