1.導入
みなさま、おはようございます。10月も最後の週になりました。秋も深まってきましたが、読書の秋ですので、物事を深く考えるのにもよい時期になってまいりました。さて、前回の説教ではコリント教会に生じた深刻な問題、仲間割れと派閥争いのことを学びました。コリントの教会の人たちは、コリント教会の創設者であるパウロ、そしてパウロが去った後に、いわば二代目宣教師としてコリントに来たアポロ、さらにはコリントの教会との直接の縁はないものの、イエスの一番弟子として初代教会の間では名高いペテロ、こうした人たちを自分たちのリーダーに担ぎ上げて、互いに争っていました。なぜ彼らがそのような派閥争いに血道をあげたのかといえば、それは自分たちが他の人たちよりも上になりたい、えらくなりたいという自己中心的な思いから来ていた、ということを学びました。パウロよりペテロの方が偉い、あるいはパウロよりアポロの方が賢いならば、自分はペテロにつきたい、あるいはアポロにつきたい、そうすれば自分はパウロ派の人たちよりも偉くなれる、そんな思いから彼らは相争っていたのです。
パウロはそんな彼らの自己中心性、自分を他の人より偉く見せたいという彼らの見栄や虚栄心、そうした問題を取り扱うために、彼らの関心を「十字架」へと向けさせます。パウロの教えの中心には常にイエスの「十字架」と「復活」があり、このコリント人への手紙でもその二つのテーマは繰り返し登場しますが、今日の箇所では特に十字架がクローズアップされます。今日お読みいただいた箇所の最初と真ん中、そして最後で、パウロは「私は十字架のキリストを宣べ伝える」と繰り返し語っています。まず18節に「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です」とあります。また、真ん中の23節では、「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょう」、そして最後の2章1-2節では「私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです」とあります。パウロは繰り返し十字架を、しかも人の知恵とは対極にある愚かさの象徴としての十字架を語ります。 なぜパウロはここまで十字架にこだわるのか、十字架を強調するのかといえば、それは、コリントの人々が求める社会的ステイタスの上昇、名誉や名声、あるいは知恵や知識と、「十字架」はまるで逆さまな価値観を体現しているからです。十字架は当時のローマ社会において「世の愚かな者、この世の取るに足らない者、無に等しい者」のシンボルでした。今の世の中でのステイタス・シンボルはベンツやレクサスでしょうが、貧しさや惨めさのシンボルとは何でしょうか。でも、紀元1世紀のローマ世界では、惨めさのシンボルは間違いなく十字架でした。社会的地位の向上を目指す人、この世で知恵者として人々からの尊敬を勝ち得たいと願うコリントの人が、社会の屑、愚かさの極みとして処刑されたユダヤ人を拝むと言うのは何とも奇妙な、滑稽なことなのです。コリントで人の上に立とうと分派争いをしていた人たちには、自分たちがしていることの矛盾に気が付いていなかったのです。パウロは「あなたたちは十字架で社会のクズ、それどころか反社会的勢力として処刑された方を拝んでいるのだ」というショッキングな事実を、改めてコリントの人々に突き付けたのです。
2.本文
パウロはイエスを全世界の王、万物の主であると宣べ伝えました。しかし同時に、その世界の王が、世界の屑として十字架で死んだことをも大胆に宣べ伝えました。よく考えれば、これはまったく奇妙なことでした。かつての帝国主義の時代に、日本や欧米の国々は多くの国々を植民地支配し、植民地の人々に差別的な扱いやむごい扱いをしてきました。たとえば、戦前・戦中の日本で、大日本帝国に反旗を翻したという罪状で殺された朝鮮か台湾の若者を、「あの若者は死から復活した、今や天皇陛下よりも偉い世界の王なのだ」と宣べ伝えた人がいたならば、その人は気が違っていると思われるか、あるいは天皇を侮辱する不届きものとして集団リンチに遭ったかもしれません。そのような宣言、そのような良い知らせ、そのような福音はまったく愚かなものだと笑われたことでしょう。「福音」という言葉はクリスチャンの間でいろんな意味で使われますが、「福音」の原語のギリシャ語はエバンゲリオンです。エバンゲリオンとは、ある人がローマ皇帝に即位したというニュース、喜ばしき知らせを伝えるために使われた言葉です。ですから「イエス・キリストのエバンゲリオン」とは、「イエス・キリストが王として即位したという喜ばしい知らせ」ということなのです。しかし、人が王として即位する場所として、おおよそもっとも考えづらい、最もふさわしくない場所は十字架を置いてほかにありません。今日でも、「ある人が電気椅子で世界の王として即位した」などと聞けば、悪い冗談か、あるいは気が違ったのかと思われるでしょう。しかし、まさにパウロはそのような福音、エバンゲリオンを宣べ伝えたのです。ローマの植民地であるユダヤの地で、虫けらのように十字架で死んだ惨めなユダヤ人の若者を主、世界の王だと宣べ伝えたのです。
十字架のことばは神の力だ、とパウロは言います。繰り返しますが、当時の人々にとって、十字架とは弱さ、無力さのシンボルでした。十字架に釘付けにされて、何もできない、汚いことを言って恐縮ですが、トイレにすら行くことも許されず、排せつ物を垂れ流す状態で木の上に何日間もぶら下げられる、それが十字架刑です。あまりの悲惨さに、人々は「十字架」という言葉そのものを公共の場では口にしようとはしなかったほどです。そんな惨めな姿の中に『神の力』がある、というのはなんという逆説でしょうか。そのような中で現わされる神とは、何という神でしょうか。それは、世の中の常識ある人には理解できないことでした。そこでパウロは言います。
わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。
この言葉は、実際にはイザヤ書からの引用です。そこで、引用元のイザヤ書29章13-14節を読んでみましょう。旧約聖書の1169頁です。
そこで主は仰せられた。
「この民は口先で近づき、
くちびるでわたしをあがめるが、
その心はわたしから遠く離れている。
彼らがわたしを恐れるのは、
人間の命令を教え込まれてのことにすぎない。
それゆえ、見よ、
わたしはこの民に再び不思議なこと、
驚き怪しむべきことをする。
この民の知恵ある者の知恵は滅び、
悟りある者の悟りは隠される。」
イザヤの時代、それはエレミヤの時代よりもさらに100年ほど前でしたが、南ユダ王国の人々は北の強国バビロンの一代前の覇権国家アッシリアの脅威におびえていました。賢者たちは現実的な判断から、アッシリアと仲良くしろといったり、あるいは南のエジプトと同盟を結べなど、様々なことをユダ王国の王様に助言しました。しかし、イザヤの預言は、ただイスラエルの神に信頼しろ、というものでした。現実的な人たちには「なんと浮世離れした、具体性のないアドバイスよ」と笑ったかもしれません。しかし、イザヤの忠告は正しかったのです。アッシリアと同盟を結べば、アッシリアの神とも同盟を結ぶことになります。エジプトと同盟を結べば、エジプトの神々とも同盟を結ぶことになります。同盟国のエジプトに対し、「私たちはあなたがたの軍事力は欲しいが、あなたの神はいらない」などという理屈は通らなかったからです。イザヤのアドバイスは、唯一の神への信仰に妥協してはならない、ということでした。たとえそれが非現実的に見えても、です。見えない神により頼む、というのはこの世の知恵からすれば頼りない、愚かに思えるものです。今日の私たちも、頼りにするものといえばお金か、あるいは力、軍事力でしょう。神を信じると言いつつも、心の奥底では神より金を信頼してしまう、ということは信仰者にもありうることなのです。このように、イザヤは目に見えるアッシリアやエジプトより、見えない神に信頼しなさいと訴えました。しかし、パウロの場合はさらに大胆です。目に見えるものとしては最も頼りない、最も惨めな十字架にこそ、神の力が現れる、というのです。十字架の福音、というのはこのように、常識はずれの福音だったのです。ローマ帝国によって、社会の中で最も無価値な者として処刑された人物を、ローマ皇帝よりも力ある神として拝める、というのは、ナンセンスであるだけでなく、政治的にも危険な行動でした。そのようなことはローマ皇帝への侮辱として受けとられかねないことだったからです。十字架に架かって死んだ神、などというのは智恵ある人にはナンセンスそのものでした。
しかしその弱き神にこそ力があるのです。その神の力は世の知者たちの知恵を滅ぼすのです。ところで、世の知者とは一体誰のことでしょうか?それはイエスを信じる前のパウロ、サウロと呼ばれ教会を熱心に迫害していた人物そのものでした。パウロはこの世的な意味での知恵や知識において抜きんでた人物でした。新約聖書には27の文書がありますが、そのうちの約半分の13の手紙はパウロのものとされています。イエスの12弟子の一人でもないパウロの手紙ばかりがなぜ新約聖書に収められているか?それは彼がギリシャ語、ヘブル語を自由に操るバイリンガルで、しかも旧約聖書については最高の教育を受けたエリートだったから、というのも厳然たる答えの一つなのです。当時のパレスチナでは読み書きができた人は5%ぐらいしかいなかったと言われています。イエスの弟子たちの多くも、字が読めなかった人も少なくなかったと思われます。ですから、手紙を書くにしても、字の書ける人に代筆をお願いしなければなりませんでした。パウロの場合は目が悪くて代筆を頼んだことがありましたが、しかし彼は字が書けないというようなコンプレックスはなかったのです。実際、パウロはその当時の最高の教育を受けた人でした。エルサレムの最高の教師ガマリエルの下で律法を学んだのです。今でいえば、東大を出て、それからアメリカのハーバード大学で博士になったようなピカピカの学歴エリートでした。そのようなパウロにとって、キリスト教はナンセンスそのもの、まったく悪臭漂うカルト宗教そのものでした。そんな怪しげなものがユダヤ人の間に広まると大変だ、ということで熱心にキリスト教を迫害したのです。しかし、その十字架で死んだ、失敗したメシアだと思っていた男が、実は世界の主であることを啓示によって示されました。その啓示体験によってパウロの世界観、物の見方は百八十度変わってしまいました。パウロの受けた最高の教育によっては、このイエスという人物が本物のメシアであるという真理にたどり着くことは出来なかったのでした。かえって、彼の受けた優れた教育は、神の教会の迫害という、最悪の行動に彼を駆り立ててしまったのです。しかし、パウロはイエスという人物の真の姿を知ることで、変えられたのです。このイエスという人物は、十字架の上という究極の状況においてですら、自分を殺そうとする敵のために祈ることができました。自分を憎む者すら愛することができたのです。今まで、ユダヤ民族の敵はすべて滅ぼすべきだという熱意に燃えていたパウロの前に、まったく想像もできなかったメシア像、敵を滅ぼすのではなく敵を愛するイスラエルの王、十字架に架けられた救世主の姿が示されました。そしてパウロは世界を全く新しい目で見るようになりました。その体験から生まれたパウロの新しい世界観がガラテヤ書6章15節で語られています。
この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
パウロは今まで自分が抱いていたこの世の知恵を、十字架にはりつけてしまったのです。そして神の知恵に目が開かれるようになりました。そしてこの神の知恵は、この世の強い者や賢い者たちに対してではなく、この世の基準では取るに足らない人たち、小さな人たちにこそ示されたのです。イエス様もこのことを、聖霊にあふれてこうお語りになりました。ルカ福音書10章の21節です。
ちょうどこのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。」
ここで「幼子たち」という言葉を聞くと、純粋無垢で素直な子供のことを指していると思われるかもしれません。しかし、新約聖書で「子どものような」という描写がある場合、その無垢な性格と言うよりも、社会的な地位を全く持たない、非常に低い身分、取るに足らない人物を描写するために「幼子のような」という表現が使われていることに注意が必要です。イエス様はここで、神は身分の高い賢者たちではなく、身分の低い、名もなき人々に救いをもたらされた、と感謝を述べておられるのです。パウロも同じことを言います。26節以降をお読みします。
兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足らない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。
神の選びは、私たちがその選びに相応しいからなされるわけではありません。むしろ、「なんで私が」という人こそが神によって選ばれるのです。紀元2世紀ごろ、キリスト教を批判する書を書いた人は、キリスト教とは騙されやすい、無学な人たちのための宗教だ、というようなことを書いて批判しましたが、エリートたちはプライドが高すぎて救いに入ることが出来なかったのでした。しかし、身分が高かろうが低かろうが、学問があろうがなかろうが、みな等しく救いが必要なのです。変なプライドのために、救いの必要性を認められない人の方がずっと惨めなのかもしれません。神の前に自分が立派なひとかどの人間だ、などと誇ることが出来る人は誰もいません。自分の胸に手を当てれば、誰でも分かることなのです。パウロは、神が無力な人たちを選んだのは、力ある者や知恵のある者に恥をかかせるためだったと書いています。自分を高くする者は神によって低くさせる、というのは聖書全体を通じての一貫したメッセージです。
そしてパウロは、30節でとても有名な一文を書いています。
しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、義と聖めと、贖いとなられました。
ここでパウロは四つの重要な言葉を列挙します。知恵、義、聖、そして贖いです。知恵とは、コリントの人々が切に願っていたものです。それは知恵のある者は社会的に尊敬され、名誉ある地位を占めることができたからです。パウロは本当の知恵は世の中の哲学にあるのではなく、キリストに、しかも謙遜の極みのようなキリストの生き方、十字架さえも厭わなかったキリストの中にこそあるのだ、と論じます。義という言葉も社会的ステイタスと関連します。義である、という言葉の意味はキリスト教では「神に受け入れられた立場」という意味になりますが、当時のギリシャ世界では「社会的に受け入れられた立場、ステイタス」というような意味を持っていました。キリストにある者は、たとえ社会の中では地位を持たない者でも、神の前では立派な立場、地位を持つ者となることが出来るのです。聖なる者、というのも社会的ステイタスに関連しています。聖なる者でなければ、聖なる空間、特に神殿に行くことは出来ません。当時のギリシャの人たちは、聖なる者と見なされて、聖なる空間である神殿を自由に闊歩したいと願っていました。神殿に入れる人は社会的に身分の高い人たちだったからです。キリストにある者は、ギリシャの神々の神殿ではなく、真の唯一の神、天地万物の創造者である神の神殿に自由に入ることが出来る聖徒となるのです。そして最後は贖いです。コリントの教会の人々の中には奴隷もいましたし、また自由の身であっても貧しさゆえに、生き方が制約されている人が少なくありませんでした。しかし、こうした人々もキリストに連なることで真の自由を得ることが出来ました。彼らは奴隷状態から贖われ、神に愛されている自分という、誇りを取り戻すことが出来たのです。それはそんな社会的ステイタスにも勝る、素晴らしい特権でした。
3.結論
コリントの人たちは、より高い社会的地位を目指して分派を作っていました。しかし、彼らが求めていたものは、社会の底辺にまで身を落とされた方、十字架で死なれたキリストの中にこそあるのです。彼らが求めていたものの全てはキリストにありました。そして、もし皆がキリストにあるならば、そこには分裂や分派はなく、愛と一致があるはずなのです。ですからパウロも、知恵の言葉を用いずに、十字架に付けられたイエス・キリストという、この世の目には愚かでも、真の神の言葉である福音を宣べ伝えたのです。3.結論
まとめですが、今日はパウロが宣べ伝えた十字架のことば、十字架のエバンゲリオンについて考えて参りました。当時のギリシャ・ローマ世界では、十字架とは社会的な地位、ステイタスを全て失った人のためのものでした。無に等しい者、社会の屑のためのものでした。コリントの人々は、その十字架に架けられた人物を主と仰ぎながら、他方では仲間内で争って少しでも高い社会的地位を求めていたのでした。これは何とも皮肉な、滑稽ですらある状態でした。しかし、その十字架の弱さの中にこそ神の力は現れるのです。他人の救いのために、自らすべてを捨てることさえ出来る、社会の底辺にすら自ら落ちることが出来る、このような在り方に神の限りない力が発揮されているのです。それは愛の力です。神は苦しんでいる人を見捨てることはできない神です。そのような人のために、自らの命を捨てることすらできる方なのです。その力は私たちを救い出し、また根本から私たちを作り変える力です。私たちは取るに足らないものですが、そのつまらない私たちを神は恵みによって聖なる者、義なる者とされたのです。その大いなる愛と恵みに感謝して、私たちもまた、憐み深い者、人の苦しみに共感できる者へと変えられたいと願うものです。お祈りします。
イエス・キリストにおいて、しかも十字架で苦しむイエス・キリストにおいて自らの真の姿を世界に現わされた父なる神、その御名を賛美します。あなたは愛のためなら、その栄光を捨てることも惜しまれない方です。そのような神を持つことのできる幸いに感謝します。私たちも薄情な者ではありますが、その神の姿を仰ぎつつ歩むことができますように。われらの救世主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン