王のための挽歌
エレミヤ書22章1~12節

1.導入

みなさま、おはようございます。エレミヤ書からの説教は今回で6日目になります。エレミヤ書をじっくりと読んで、エレミヤという人物について思い巡らす時に、彼の預言者としての歩みには大きく分けて前半と後半がある、ということが見えてきます。彼の預言者人生は40年にも及びますが、そのおおよそ半ばごろ、大きな出来事、衝撃的な出来事があり、それがエレミヤの人生にも深い影響を与えました。その出来事とは何かといえば、「王の死」です。王様、あるいは指導者の突然の死は、その国に甚大な影響を及ぼすことがあります。その指導者が優れた人物で、改革の先頭に立っているような場合、それはなおさらです。私たちの記憶に新しいところでは、アメリカのケネディ大統領のことを思い浮かべるかもしれません。彼は1963年に暗殺されましたが、その死はアメリカだけでなく、日本に住む人たちにも大変なショックを与えたと言われます。そのころちょうど太平洋横断テレビ放送が始まったのですが、アメリカから届けられた最初の放送が大統領の暗殺という、なんとも忘れがたい出来事になってしまったのでした。ケネディの暗殺がなければ、アメリカは泥沼のベトナム戦争に突入することはなかったと言われています。現在のアメリカの年間軍事予算は70兆円以上もあり、日本の一年間の税収よりも多いのですが、このような異様なアメリカの軍事国家化は、ケネディが仮に8年間大統領を務めていたら、あるいは阻止されたかもしれないし、世界の歴史は変わっていたかもしれません。このように、指導者の死は、その家族や近親者だけでなく、一国の運命、ひいては世界の運命にも影響を及ぼし得るものです。

そして預言者エレミヤも、また彼の生きた南ユダ王国も、指導者である王の突然の死によって大きな影響を受けました。エレミヤの預言者としての後半生は、この王の死によって始まった、あるいは始まることを余儀なくされた、と言ってもよいでしょう。今日はその王、ヨシヤ王のことを振り返りつつ、エレミヤの歩みを考えて参りましょう。

2.本文

エレミヤは紀元前627年から預言者として活動を始めますが、ヨシヤ王はその13年ほど前に南ユダ王国の王となっていました。しかも、なんと彼は8歳で王になったのです。8歳といえば、小学校の1年か2年です。どうしてそんな子供が王様になったのかといえば、これまた驚くべきことでありますが、彼の父王アモンが家来の人々によって暗殺されたからでした。彼は24歳という若さで暗殺されたのですが、ヨシヤがその時8歳だったということは、ヨシヤはアモンが16歳の時の子どもだということになります。ではなぜ、アモンは家臣から暗殺されなければならなかったのでしょうか。イスラエルの南ユダ王国の王たちについて学ぶことはあまりないかもしれませんが、エレミヤの背景として大事なので、ここで歴史を振り返ってきましょう。歴史の勉強のように感じるかもしれませんが、私の説教を聞いてくださっている皆さんは、聖書を理解する上で歴史的な背景を知ることはとても大切なことだということをご理解いただいていると思います。お手元の補助レジュメを参照しながら、私の話を聞いてくださると理解しやしやすいと思います。

まず、エレミヤの時代から70年ほど前、大預言者イザヤが活躍したころですが、その時ヒゼキヤという勇敢な王がいました。ヒゼキヤは当時の世界帝国アッシリアと対峙した王で、彼はアッシリアからの猛烈な圧力を受けながらも、かろうじて南ユダ王国の独立を保ちました。ヒゼキヤの時代、エルサレムは陥落しかかったのですが、神の奇跡的な助けによって難を逃れたのです。しかし彼の息子マナセにはそのような覇気はなく、ひたすらアッシリアに従属し、アッシリアのいう事なら何でも聞くという卑屈な態度で55年もの長きに渡って王国を支配しました。今で言えば、アメリカのいう事ならなんでも従うというような政治スタンスです。彼の宗教政策も、外国の神々を受け入れて周辺諸国と友好関係を築こうというものでした。その結果、エルサレムに偶像が溢れかえるようになり、唯一の神を礼拝するというイスラエルの精神は失われていきました。このマナセ王の55年にも及ぶ宗教政策に強い危機感を抱いた人たちがいました。マナセ王の死によってこのような偶像礼拝の時代がようやく終わり、新しい時代が始まることを期待していた敬虔なイスラエルの人たちは、その息子アモンが父親の政策をそのまま継続することに失望し、驚くべき非常手段に打って出ました。このアモン王を暗殺し、その8歳の息子にイスラエルの未来を託そうとしたのです。自分の父親を殺した家臣団に担がれて王となったヨシヤがどんな気持ちだったのか、想像するのも難しいですが、しかしヨシヤは彼らの期待通りに成長していきます。ヨシヤは20歳になった頃にイスラエルから偶像礼拝を一掃し、アブラハム・イサク・ヤコブの神礼拝を回復するために動き始めます。その翌年に、預言者エレミヤは神からの召命を受けています。このように、エレミヤの預言者としての活動は、ヨシヤ王によるイスラエル刷新運動と軌を一にしていたのです。エレミヤとヨシヤ王はほぼ同い年だったと考えられます。ですから、人々からの様々な迫害に遭いながらも預言者としての活動を続けたエレミヤにとって、同年代の王は心の支え、希望の星だったのです。

そして、エレミヤが預言者としての活動を始めた5年後に、大きな事件がありました。それが今日の招詞や交読文で読んでいただいた列王記下の22章の出来事です。主の宮、エルサレム神殿で「律法の書」が発見されたのです。この律法の書とは、今私たちの聖書に収められている申命記の基礎になった文書だと考えられています。この申命記の神学とはまさに「契約神学」です。契約神学とは、神との契約にイスラエルの民が忠実に歩むのなら、彼らは祝福され、契約を軽んじる、ないがしろにするならば彼らは呪われる、という非常に明快な構造を持っています。ヨシヤ王はこの「律法の書」の言葉を聞いて、自分の衣を裂き、また神の前で泣きました。契約に忠実でなかったイスラエルの罪が大きいことを認め、神の前に嘆き悲しんだのです。神はこのヨシヤの態度を良しとし、彼には祝福を約束しました。ヨシヤ王もまた、熱心に民を導き、イスラエルを正しい信仰へと連れ戻そうとしました。このヨシヤ王のことを、列王記は大絶賛しています。列王記下23章25節にはこうあります。

ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は、彼の先にはいなかった。彼の後にも、彼のような者は、ひとりも起こらなかった。

列王記では、褒められる王はあまりいません。しかし、ヨシヤは後にも先にもないほど、神とその律法に忠実だったと言われているのです。申命記の契約神学によれば、このように神に忠実な王は大いに祝福されるはずです。実際、ヨシヤ王は神からの大いなる祝福を受けているように見えました。彼の治世の間、南ユダ王国は徐々に失われた領土を回復していき、その版図は大きくなりました。それに伴い土木工事も増え、経済活動は活発化しました。そして紀元前612年には目の上のたんこぶであったアッシリアの首都ニネベは陥落しています。北からの脅威がなくなったヨシヤ王の南ユダ王国は今や盤石の状態にあるように思われました。ところがその三年後、不可解な出来事が起こりました。紀元前609年、ヨシヤ王が39歳の時、メギドの丘、ギリシャ語ではあの有名な「ハルマゲドン」と言うのですが、そこでエジプト軍と交戦し、戦死してしまったのです。なぜこんなに神様に忠実な王が死んでしまったのか、あるいはなぜ神がヨシヤ王を戦死するのに任せたのか、というのは当時の人々、特に申命記の契約神学を信じていた人には大いなる謎でした。なぜなら、ヨシヤ王ほど契約の祝福を受けるのに相応しい人はいなかったのに、まるで契約の呪いを受けるかのように彼が死んでしまったからです。

エレミヤ書には、エレミヤとヨシヤ王との個人的な交流についての記事はありませんが、エレミヤにとってヨシヤ王がどれほど大切な存在だったのかは想像に難くありません。エレミヤが多くの反対に遭いながらも預言者として活動できたのも、ヨシヤ王という後ろ盾があったからこそでした。ですから彼の死は、自国の偉大な王が死んだというだけではなく、エレミヤの世界観、あるいは彼が信じてきた神学そのものを揺さぶる出来事だったに違いありません。なぜならエレミヤは、神に逆らう王たちには裁きを告げる一方、神に従う王たちには祝福があることも宣べ伝えてきたからです。今日お読みいただいた聖書箇所の1節から9節までは、王たちに対する一般的な心得を記していますが、そこには主に従う王には祝福と平安があると書かれています。

主はこう仰せられる。公義と正義を行ない、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。在留異国人、みなしご、やもめを苦しめたり、いじめたりしてはならない。また罪のない者の血をこの所に流してはならない。もし、あなたがこのことばを忠実に行うなら、ダビデの王座に着いている王たちは、車や馬に乗り、彼らも、その家来、その民も、この家の門のうちにはいることができよう。

このように、イスラエルの民に対して、特にその中の社会的弱者に対して憐み深い善政を行うなら、そのような王は王の家に安んじて暮らすことができる、という約束の言葉をエレミヤは語っていました。そしてヨシヤは、まさにそのような善政を行っていた王だったのです。ではなぜその王が、外国の軍隊によって無残にも殺されなければならなかったのか、というのはエレミヤにも大きな謎でした。列王記の後に書かれたイスラエルの歴史書である歴代誌によれば、エレミヤは王の死を悼んで哀歌、あるいは挽歌を書いたと言われています。その哀悼の歌は残されてはいません。今日お読みいただいた箇所の10節には、しかしその同じエレミヤがヨシヤ王のために泣くな、嘆くな、と語った言葉が記されています。

死んだ者のために泣くな。
彼のために嘆くな。
去って行く者のために大いに泣け。
彼は二度と、
帰って、故郷を見ることがないからだ。

この言葉の意味は、「死んだ者」とはヨシヤ王のことですが、「去って行く者」とは彼の息子エホアハズ王のことです。彼はヨシヤが死んだ後に皆ユダ王国の王となりますが、即位してからわずか三か月後にエジプト軍に拉致され、彼は二度とイスラエルに帰ることなく、その地で死ぬことになります。ですからエレミヤはヨシヤ王のためではなく、その息子のエホアハズ王のために泣け、と語っているのです。このエレミヤの言葉は、主イエスの言葉を思い起こさせます。イエスは十字架の担ぎながらゴルゴダの丘まで歩んでいきますが、その姿を見た民衆は嘆き悲しみました。その彼らとイエスとの会話を見てみましょう。ルカ福音書23章27節以降です。

大勢の民衆やイエスのことを嘆き悲しむ女たちの群れが、イエスのあとについて行った。しかしイエスは、女たちのほうを向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。なぜなら人々が『不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は、幸いだ。』と言う日が来るのですから。そのとき、人々は山に向かって、『われわれの上に倒れかかってくれ。』と言い、丘に向かって、『われわれをおおってくれ。』と言い始めます。彼らが生木にこのようなことをするなら、枯れ木には、いったい、何が起こるでしょう。」

ここでいう「生木」とは義人、正しい人、イエス様のことです。義人でさえこんなひどい目に遭うのなら、枯れ木、つまり悪を行う人々、エルサレムの人々の上にはどんな悲惨なことが起こるのか、想像もつかない。だからあなたがたは私ではなく、自分自身のために泣きなさい、と主イエスは言われたのです。エレミヤも同じことを言おうとしました。ヨシヤ王ほどの正しい王様、善政を行った王にこんなひどいことが起きるのなら、悪い王たちにはどんな悲惨なことが起きるのか、想像もつかないということです。実際、ヨシヤ王の跡を継いだ息子たち、彼らはヨシヤ王には及びもつかない悪政を行う王たちだったのですが、彼らはみな悲惨な末路を遂げています。まず、先ほども言いましたがヨシヤ王の死後すぐ王位に就いたエホアハズ王はわずか三か月だけ王になりましたが、その後はエジプトに幽閉され、そこで死にました。エジプトはエホアハズに代えて、ヨシヤのもう一人の子どものエホヤキムを王にして、彼を自分の操り人情のように操って南ユダ王国を支配しようとしました。このエホヤキム王は、父ヨシヤとは似ても似つかぬ悪王になっていきます。父と兄が去ったことで、いわば棚から牡丹餅のような格好で王となったエホヤキムですが、彼は稀に見る悪政を行い、彼によってヨシヤ王の遺した霊的遺産は全て食い尽くされてしまったかのようです。ヨシヤ王がエジプトに敗れたため、南ユダ王国は金銀などのたくさんの貢をエジプトに納めなければならなくなり、国家の財政状況はひっ迫し、民は重税にあえぐことになります。そんな中、エホヤキムは自分のために贅沢な宮殿を建て、そこで派手な生活を送るのです。エレミヤはこう言います。

ああ。
不義によって自分の家を建て、
不正によって自分の高殿を建てる者。
隣人をただで働かせて報酬も払わず、
『私は自分のために、
広い家、ゆったりした高殿を建て、
それに窓を取りつけ、
杉の板でおおい、朱を塗ろう。』と言う者。

この不義を行う者とはエホヤキムのことです。彼は自分の隣人、つまりイスラエルの同胞をまるで奴隷のようにこき使い、自分の立派な宮殿を建てさせながら賃金も満足には払いませんでした。重税で苦しむイスラエルの民は、さらに大きな賦役を課せられたのです。エレミヤの糾弾の言葉は続きます。

あなたは杉の木で競って、
王になるのか。
あなたの父は飲み食いしたが、
公義と正義を行ったではないか。
そのとき、彼は幸福だった。
彼はしいたげられた人、
貧しい人の訴えをさばき、
そのとき、彼は幸福だった。
それが、わたしを知ることではなかったのか。

杉の木は、高級品のシンボルでした。今でいうキャビアとキャデラックのようなものでしょうか。彼は立派な御殿を造れば立派な王として認めてもらえると勘違いしたのでした。しかし、彼の父であるヨシヤはそうではなかった、とエレミヤは語ります。ヨシヤは質素な暮らしで満足し、むしろ民衆の負担を減らすことに心を砕いていました。彼は立派な建物よりも、正義と恵みの業を行うことに心を向けたのです。そうすることで、王も、民も幸せだったのです。そしてこれこそが、神を知るということなのだとエレミヤは訴えかけます。

このエホヤキム王の末路は哀れなものでした。彼は自分を王にしてくれたエジプトに仕えましたが、バビロンはそのエジプトを打ち破り、そして南ユダ王国にも攻め上ります。彼は、今度は三年間バビロンに仕えましたが、その後反逆をしたために、バビロンに攻められ、その時に命を落としました。しかし、その死を嘆く哀しむ民はいない、とエレミヤは預言します。

だれも、『ああ、悲しいかな。私の兄弟。
ああ、悲しいかな。私の姉妹。』
と言って彼をいたまず、
だれも、『ああ、悲しいかな、主よ。
ああ、悲しいかな。陛下よ。』
と言って彼をいたまない。

ヨシヤ王のためには多くの人が嘆き、挽歌を詠いました。しかし人望を失ったエホヤキムの死を嘆く民はいなかったのです。これは非常に残念な、憐れな末路です。

3.結論

今日は、エレミヤの預言者としての前半生を支えた名君、ヨシヤ王の生涯について見て参りました。彼は心を尽くして主に仕え、また民を主への信仰に立ち返らせようとしました。しかし、このような名君をもってしても、転落していく南ユダ王国を踏みとどまらせ、その霊性を立ち直らせることは出来ませんでした。その証拠に、彼の息子のエホヤキムの時代には南ユダ王国の霊的な状態は元の木阿弥、いやむしろ改革の前の状態よりもさらに悪くなってしまったのです。ヨシヤの改革は、イスラエルの人々の心を本当の意味では変えることはなかったのです。

この悲劇的な歴史の流れを見つめる中で、エレミヤの預言者としての自覚はさらに深まり、確固たるものとなっていきます。それまでは弱音や泣き言を吐くような人間的なもろさを見せたエレミヤでしたが、改革の旗手ヨシヤを失い、今やイスラエルには自分しか残されていない、と自らの使命の重さを自覚します。

そして、これまでエレミヤは、王様とは良い関係を持っていました。ヨシヤ王の宗教改革をエレミヤは支持し、ヨシヤ王も、エレミヤを守ってくれました。しかし、エレミヤはヨシヤの跡を継いだ彼の息子たち、悪い政治を行う王たちに、歯に衣着せぬ批判の言葉を浴びせます。彼らが神への信仰から離れ、また神のみ心である、貧しい人たちを助けるということをしなかったからです。しかし国の最高権力者を批判するのですから、当然彼らからの報復があります。エレミヤはこれまでも多くの反対に遭いましたが、今や国王からも目の敵にされていくのです。かつてエリヤがアハブ王と対決したように、エレミヤも王やその家臣団と対決するようになるのです。その結果、エレミヤの仕事は、ますます厳しい、命の危険を伴うものになっていくのです。かつてなら、そうした重い責任にしり込みしてしまったかもしれないエレミヤでしたが、今やその責務をしっかりと担う決意と力が備わっていたように思えます。それは、これから学んでいくエレミヤの働きから分かる事なのですが、一言で言えばエレミヤは変わったのです。しかも、良い方にです。彼はもうひるむことはありませんでした。

このエレミヤの変化、成長を見ることで、私たちも励まされます。私たちも召されたころは、立派な気概や心構えを持っていなかったかもしれません。しかし、神と共に歩むことで私たちは変われるのです。たとえ、肉体的には病や老いによって衰えようとも、その内面、精神、魂は成長しつづけることができるのです。むしろ、病や老いという現実を受け止めることで、内面は磨かれていくのかもしれません。エレミヤにとっても、心の支えだった王を失うことは大変つらいことでしたが、その辛い経験を通じて彼はさらに成長することができたのです。ですから、私たちも辛いことがあっても、神様を信じて前を向いて歩んで参りましょう。神は私たちがキリストの身の丈まで成長するのを望んでおられるからです。お祈りします。

「主はこう仰せられる。公義と正義を行い、かすめられている者を、しいたげる者の手から救い出せ。」弱きを助け、強きをくじかれる神よ。その御名を賛美します。この現実世界では、神の御心を行う立派な方が不慮の死を遂げたり、悪を行う者が栄えたりするという不可解な現実がありますが、しかし神は全てをご覧になり、すべてを治めておられます。たとえ、目の前の現実は不可解であっても、神を信じ、その召しに忠実に歩む力をお与えください。私たちの主、イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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