1.序論
みなさま、おはようございます。アドベント第三週になり、いよいよ次週はクリスマス礼拝となります。アドベント期間ということで、先週と今週はイザヤ書からメッセージを取り次がせていただきます。イザヤ書、なかでも40章から55章にかけての箇所は、第五の福音書と呼ばれるほど福音的なメッセージを含んでいるからです。
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みなさま、おはようございます。アドベント第三週になり、いよいよ次週はクリスマス礼拝となります。アドベント期間ということで、先週と今週はイザヤ書からメッセージを取り次がせていただきます。イザヤ書、なかでも40章から55章にかけての箇所は、第五の福音書と呼ばれるほど福音的なメッセージを含んでいるからです。
“主を求めよみなさま、おはようございます。クリスマスを待ち望むアドベントの第二週に入りました。私たちは、いつもはサムエル記、そして月末のみは新約聖書から使徒パウロのテサロニケ書簡を読み進めていますが、このアドベントという特別な期間に鑑み、今週と来週の二回はイザヤ書からの説教とさせていただきます。
“慰めよみなさま、おはようございます。今年に入ってから、毎月末は旧約聖書からメッセージをさせていただいています。今日はイザヤ書から、預言者イザヤの時代に活躍した名君だとされるヒゼキヤ王の信仰について見て参りたいと思います。
“ヒゼキヤ王の信仰* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。
今日は先月に続きイザヤ書からのお話です。イザヤ書に示されている王というのはどのような王なのかを見てみたいと思います。主イエスには、キリストとしての三つの職務がある、と言ったのは宗教改革者カルヴァンです。三つの職務と言っているのは「預言者、祭司、王」の三つです。預言者としての役割、祭司の役割はわかりやすいのですが「王」の役割は具体的にはイメージできません。主イエスの十字架上での死は世にいう「王」とは似ても似つかない、みじめなものであったからです。そのため、王であるのを示されたのは十字架によるのではなく、復活によるのである、とか、王の役割・職務が十全に示されるのは将来に予定されている主イエスの再臨、最後の審判の時、である、とか、正直なところ言い訳がましい説が言われます。王たる主イエスのいわば原型がイスラエルの歴史にあるとすれば、イザヤ書に示された王がその理解を助けるものになるのではないか、ということで、「イザヤ書における王」というものを見てみたい、と思うのです。
“イザヤ書における王* 当日の説教ではこのうちの一部を省略して話しています。
今日と来月はイザヤ書からお話させていただきたい、と思います。イザヤ書は言わずと知れた、聖書における最大の預言書です。66章ありますが、これがちょうど新旧約聖書の文書総数66と一致していて、イザヤ書を39章までと40章以降に分けると、それが旧約聖書と新約聖書の文書数にも一致します。実はイザヤ書は39章までと40章以降では成立年代が相違していることがほぼ明らかであり、39章までの著者を第一イザヤ、40章以降を第二、第三イザヤと称しています。39章までは預言者イザヤが預言を述べ伝えた時期の歴史に密着した話です。もちろん歴史叙述そのものではありませんが、預言者イザヤが当時の複雑な国際情勢にあって王やイスラエル特にユダ王国の民に向かっていかなる言葉を語ったかが記されています。それはイザヤが主なる神より預かった言葉でした。
“大国の狭間でのイスラエル信仰