十字架への道
マルコ福音書15章1~20節

1.序論

みなさま、おはようございます。1年以上続けてきましたマルコ福音書の説教も、いよいよ残すところ今回を含めて3回となりました。マルコ福音書では、淡々と物語が進行していくので、少し味気ないというか、物足りなく感じる面があるかもしれません。この受難劇におけるイエスの心の動きはどうなのか、またほかの人物たちは何を思って行動しているのか、そうしたことに現代の読者は関心があるのですが、マルコはほとんどそのような情報を与えてはくれません。しかし、この受難劇に登場する人物は、みな生身の人間であり、彼らの行動の背後には明確な意図があります。そのような意図は、現代に生きる私たちにも十分理解できるものなのです。

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ネヘミヤの改革(2)
ネヘミヤ記13章1~31節

1.序論

みなさま、おはようございます。1カ月前の説教では、バビロン捕囚からユダヤの人々が祖国に帰還した後の混乱の時代、富む者がますます富み、貧しい者はますます貧しくなるという格差社会になっていたユダヤ社会を改革するために奮闘したユダヤの総督ネヘミヤについて学びました。ネヘミヤは、聖書が理想として掲げる、神の前にすべての人が平等な社会の実現のために尽力しますが、彼が偉かったのは、自らが身を切る改革を行ったことです。率先垂範という言葉がありますが、まず範を垂れる、つまり模範を示したのです。ネヘミヤは貧しい人たちに貸したお金や穀物について、返済をすべて免除してあげて、さらには総督として自らの報酬を12年間も貧しい人々に寄付したのです。その彼の姿を見て、これまで貧しい人々の困窮を顧みなかったユダヤの大金持ちたちも、ネヘミヤと全く同じようにはできないものの、今までの在り方を改め、具体的には元本返済までは免除しないものの本来取るべきではない利息については返還した、ということを学びました。

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イエスとペテロ
マルコ福音書14章43~72節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日の説教タイトルは「イエスとペテロ」です。今日の箇所の主役はもちろん主イエスですが、ペテロもそれに劣らないほどの存在感があります。それは前回のゲッセマネの祈りについても言えることでしたが、受難劇の主役はイエスだけではなくペテロなのではないかと思うほどです。それもそのはずで、「マルコ福音書」は福音書記者マルコが書いたものであるものの、彼は使徒ペテロの通訳をしていた人物なのです。マルコはペテロの通訳をしながら、彼の語るイエスの生涯を記憶し、その記憶に基づいてマルコ福音書を書き上げました。ですからマルコ福音書は、イエスについての証言を提供したペテロによる福音書でもあるのです。

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ゲッセマネの祈り
マルコ福音書14章27~42節

1.序論

みなさま、おはようございます。マルコ福音書に置いてイエスは一歩、一歩、十字架への道をたどっていますが、今日はその逮捕直前の数時間について学んでいきます。そして今日の聖書箇所は、福音書の中でも最もイエスの人間的な面を意識させられるような箇所です。いうまでもなく、イエス・キリストとは私たちクリスチャンにとっては信仰の対象です。人間というよりも、神としてイエスを見ています。ですからイエス様は私たち人間が普段悩んだり苦しんだりするようなこととは縁のない存在なのではないか、そう考えてしまうかもしれません。実際、四つの福音書の中で最後に書かれ、イエスの神としての側面を最も強調するヨハネ福音書には、イエスが悩んだり苦しんだりしたことを示唆する記述はありません。しかし、最古のマルコ福音書の今朝の箇所では、イエスは明らかに苦しんでいます。

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過越の食事
マルコ福音書14章12~26節

1.序論

みなさま、おはようございます。1年以上にわたって講解説教を続けてきましたマルコ福音書も、いよいよ山場といいますか、大詰めに近づいて参りました。今日の箇所は、イエスが逮捕されて十字架に架けられる前夜の、最後の晩餐についての記事です。イエスはご自分がこれから殺されることを予期していたのですが、弟子たちはそのことをイエスから繰り返し言われていたにもかかわらず、そんなことが起きるということが信じられないし、信じたくもないという思いでした。もしそんなことが起きるとしても、いったいどういうわけでイエスが殺されなければならないのか、その理由がまったく分かりませんでした。イエスはメシア、イスラエルの王なのだから、多くの問題を抱えたユダヤ民族のためにやるべきことがたくさんあるではないか、こんな大事な時にリーダーに死なれてしまったら、私たちはどうなってしまうのか、という思いを抱いていたのです。

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真理をあかしする聖霊
ヨハネ福音書15章26節~16章15節

1.序論

みなさま、ペンテコステおめでとうございます。ペンテコステは、クリスマス、イースターと並ぶキリスト教の三大主日の一つです。クリスマスとイースターはそれぞれイエス・キリストの誕生と復活を祝う日ですが、ペンテコステはイエスではなく聖霊に係わる日です。しかし、イエスは歴史上の人物なのでイメージが持ちやすいですが、聖霊はその名の通り「霊」ですので、どうもとらえどころがないと多くの方が感じられていると思います。そこで、今日の聖書テクストを詳しく見ていく前に、聖霊について少しお話しさせていただきたいと思います。

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ネヘミヤの改革(1)
ネヘミヤ記5章1~19節

1.序論

みなさま、おはようございます。今年から、毎月月末は旧約聖書からメッセージをさせていただいておりますが、今月は翌週がペンテコステ礼拝なので、第三週に旧約聖書からのメッセージをさせていただきます。本日取り上げるのはネヘミヤ記ですが、ネヘミヤはよくエズラとセットで、エズラ・ネヘミヤ記と呼ばれることがあります。この二人の人物の共通点は、いずれもペルシア帝国の統治下で活躍をしたユダヤ人だということです。このペルシア時代の状況を知ることがネヘミヤの働きを知る上で重要なので、まずはその話をさせて頂きたいと思います。

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献身と裏切り
マルコ福音書14章1~11節

1.序論

みなさま、おはようございます。先週は、イエスがエルサレム当局者たちに下る決定的な裁き、つまりエルサレム神殿の崩壊を予告した場面を学びました。イエスとエルサレム当局者たちとの対立はもう後戻りできないところにまできました。エルサレム当局者たちもここで腹を固めました。このイエスという男を抹殺しなければならないという決意を固めたのです。ここまでは彼らも一応は対話を通じて、ある意味で穏便に事を進めようとしてきました。対話といっても、イエスを貶めようという意図がありありとした対話なので、決して友好的ではものなかったのですが、それでも逮捕とか、そういう実力行使は避けようとしてきました。それはエルサレムの当局者たちが平和主義者だったためではなく、民衆に人気があったイエスを皆の前で逮捕しようとすれば暴動が起きかねず、ひとたび暴動が起きれば大祭司たちはローマの総督から治安を維持できなかった責任を取らされて首にされる可能性が十分にあったからです。

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神殿崩壊の預言
マルコ福音書13章1~37節

1.序論

みなさま、おはようございます。マルコ福音書も、いよいよ重大な局面に入ってまいりました。今日お読みいただいたマルコ13章はオリーブ山の講話と呼ばれる大変有名な箇所ですが、同時に解釈が難しい、専門家や研究者の間でも意見が割れる、とても難解な箇所でもあります。ですからあらかじめお断りしておきますが、私が本日説教する内容が、この13章の唯一の正しい解釈である、ということはあり得ません。こういうと開き直っているように聞こえるかもしれませんが、これまで二千年もの間、世界中で主イエスを信じる熱心な方々が一生懸命に研究を重ねてきて、それでも結論に達していない問題について、自分が解決を持ち合わせているなどとは思わない方が良いという慎重さや謙虚さも大切ではないかと思うのです。

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ヒゼキヤ王の信仰
イザヤ書38章1節~39章8節

1.序論

みなさま、おはようございます。今年に入ってから、毎月末は旧約聖書からメッセージをさせていただいています。今日はイザヤ書から、預言者イザヤの時代に活躍した名君だとされるヒゼキヤ王の信仰について見て参りたいと思います。

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