1.序論
みなさま、おはようございます。本日は当教会では召天者記念礼拝で、先に天に召された信仰の兄弟姉妹のことを覚える日です。そして今日の聖書箇所は、親しい兄弟姉妹と死別して悲しんでいるテサロニケの信徒たちを慰め、励ますために使徒パウロが書き送った箇所です。ですから召天者記念礼拝にふさわしい聖書箇所だと言えるでしょう。
“眠った人々について第一テサロニケ4章13~18節” の続きを読む
みなさま、おはようございます。本日は当教会では召天者記念礼拝で、先に天に召された信仰の兄弟姉妹のことを覚える日です。そして今日の聖書箇所は、親しい兄弟姉妹と死別して悲しんでいるテサロニケの信徒たちを慰め、励ますために使徒パウロが書き送った箇所です。ですから召天者記念礼拝にふさわしい聖書箇所だと言えるでしょう。
“眠った人々についてみなさま、おはようございます。私たちはこれまで、毎週旧約聖書のサムエル記を読み、月末の最終週のみ新約聖書のパウロのテサロニケ書簡を読んでいます。今日は第三週ですが、なぜ今日がサムエル記ではなくテサロニケ書簡なのか、と疑問に思われたかもしれません。それは、来週の主日礼拝が当教会では召天者記念礼拝であり、その聖書箇所として第一テサロニケの4章13節以下が相応しいので、今日はちょうどその前の箇所を取り上げようと考えた次第です。
“キリスト者としての生き方みなさま、おはようございます。今、私たちはイスラエルの初代の王となるサウルがいかに神から選ばれ、また人々から受け入れられていくのかを学んでいます。イスラエルに初めて王制が導入される、その歴史的瞬間について学んでいるのです。前回は、預言者サムエルから王としての油注ぎを受けたサウルが、三つのしるしを与えられるところを学びました。三つのしるしとは、それぞれ「王」、「祭司」、「預言者」に対応したもので、サウルにはこの三職が与えられることを暗示したものでした。つまりサウルは人々を統治する王であるだけでなく、人々と神との関係を仲立ちする祭司としての役割、また神の御心を告げる預言者としての役割をも与えられるのです。その証拠として、サウルには圧倒的な聖霊の注ぎが与えられました。こうしてサウルはまったく新しい人へと変えられました。
“サウル、王として宣言されるみなさま、おはようございます。サムエル記の学びは、前回からサウル王の話に入りました。前回の説教でもお話ししましたが、一般的にクリスチャンの間では、サウル王のイメージは正直に申し上げてよくないと思います。以前、改革者の神学者が書いた本を読みましたが、その本ではサウル王は永遠の滅びに定められているに違いない、というようなことが書かれていました。どうも、ダビデ王の命をしつこく狙う嫉妬深い王様、というイメージが定着しているようです。
“サウル、油を注がれるみなさま、おはようございます。今日は、パウロという有名なキリスト教の伝道者がテサロニケというギリシアの都市にある教会に向けて書いた手紙の一節を読んでいます。パウロという人は、もともとはキリスト教に反対し、教会を攻撃して破壊しようとしていた、かなり過激な人でした。それが、復活したイエス・キリストと出会うという神秘的な体験をした後に一変し、最も熱心なキリスト教の伝道者になりました。パウロはまだキリスト教が伝わっていない地域に福音を届けることに強い情熱をもっていました。そしてヨーロッパのギリシアにはまだ福音が伝わっていなかったので、いち早くそこへむかって伝道をしたのがパウロでした。パウロはまず、ギリシアの北部のマケドニア地方に向かい、まずピリピという都市、そしてマケドニア地方の中核都市であるテサロニケに向かいました。今日お読みいただいた箇所は、パウロがそのテサロニケを去った後、テサロニケの信徒たちに書き送った手紙の一部です。
“テモテからの知らせ*今回の説教には音声はありません
今日開きましたのは、主イエス・キリストがお語りくださった天の御国のたとえです。主イエスは天の御国を宝にたとえてお話なさいました。高価な宝、夢にまで見るほどの宝です。皆さんそれぞれ、人生最大の宝は何でしょう。もっとも高価な買い物は何だったでしょう。値段も問題でしょうけど、それをほしいと思って努力したり貯金したりずっと思い続けてやっと手に入れた、あるいは、その素晴らしさにあまりに魅了されて、前後の見境もなく衝動買いしてしまった、というような経験や思い出のある物は何でしょうか。主イエスがお語りくださったのは、そんな宝を手に入れた二人の人のお話です。
“宝はここに(間島 直之師)みなさま、おはようございます。サムエル記からの説教も早いもので、今日で9回目になります。前回の箇所では、イスラエルの人々が王を立てたいとサムエルに願い出ました。それまではイスラエルには王はいませんでした。なぜならイスラエルを王として導くのは神ご自身だったからです。しかし、人々は見えない神よりも、目に見える人間の王を求めました。勇敢で強いリーダーシップを持った王を立てて、彼によって外敵から守ってもらおうとしたのです。しかし神は王という存在の危険性をイスラエルの人々に指摘しました。王があなたがたのために戦うよりもむしろ、あなたがたが王のために戦わなければならなくなると。戦いだけではなく、王は日常生活のいろんな場面で、人々の権利や自由を侵害するだろうとも警告しました。
“青年サウルみなさま、おはようございます。今日もサムエル記から学んで参りましょう。さて、前回の箇所でもお話ししましたように、サムエル記の1章から7章まではひとまとまりの話になっています。これはサムエルを主人公とする話で、サムエルは士師としてイスラエルを一つにまとめる働きをしていました。
“王を求める民みなさん、おはようございます。毎月の月末には新約聖書のパウロ書簡からメッセージをさせて頂くことにしていますが、先月は一度お休みがあったことで一週繰り上がって、今日パウロのテサロニケ教会への手紙からメッセージをさせていただきます。今回の箇所は、パウロがテサロニケで開拓伝道をしていた時期を回顧する、そのような場面です。この箇所からは、パウロがギリシアのマケドニア地方にあった都市であるテサロニケと、またテサロニケに来る前に伝道していた同じくギリシアの都市であるピリピにおいて、大きな反対や苦難に直面していたことが分かります。パウロの伝道に苦難はつきものなのですが、しかしどうしてパウロは行く先々でこんなに多くの反対や迫害に遭ったのでしょうか?その理由を改めて考えてみたいと思います。
“テサロニケでのパウロみなさま、おはようございます。今日はサムエル記の7章を読んでいただきましたが、サムエル記の1章から7章までは、ひとまとまりの物語だと言えます。それはサムエルを主人公とした物語です。8章以降は、イスラエルの初代の王となるサウルがストーリーの中心になりますが、それはそのままイスラエルが王制に移行していくという話でもあります。それに対してこの7章までは、イスラエルが「士師」と呼ばれるリーダーたちに率いられる最後の時代を過ごしているという、そういうことになります。
“最後の士師サムエル