1.序論
みなさま、おはようございます。本日は2025年度の最初の礼拝になります。私が当教会に遣わされて五年が経ちました。この五年間、様々な困難もありましたが、皆で力を合わせて歩んでこられたことは、主の大いなる恵みでした。そして今日もサムエル記を読んで参りましょう。
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みなさま、おはようございます。本日は2025年度の最初の礼拝になります。私が当教会に遣わされて五年が経ちました。この五年間、様々な困難もありましたが、皆で力を合わせて歩んでこられたことは、主の大いなる恵みでした。そして今日もサムエル記を読んで参りましょう。
“ダビデの信仰みなさま、おはようございます。今日は2024年度の最後の礼拝です。私事になりますが、私が当教会に赴任したのが2020年の4月ですので、まるごと五年が経ったことになります。あっという間の五年間でしたが、同時に当教会には本当にいろんなことがありました。また、世界を見渡しても、2020年以降にはコロナのためのロックダウンや、ウクライナ、中東ガザでの紛争における悲惨なニュースが毎日のように飛び込んできて、心穏やかでは済まされない日々が続きました。そんな中でも、当教会がたゆまず歩んでこれたことについて、みなさまに、そして何よりも主に感謝いたします。
“自由の用い方みなさま、おはようございます。第一ペテロを読み始めて、今日は三度目の説教になります。前回は「聖なる者となりなさい」というみことばの意味を考えて参りました。聖なる者になるというのは神の子とされた特別な存在になることだ、ということを前回学んだのですが、ではその特別な者としてどう歩むべきなのかということを論じているのが今日の箇所です。
“生ける石みなさま、おはようございます。今日からいよいよサムエル記の後半の最大の山場に入ります。それは、ダビデ王家の第二王子であるアブシャロムが父であるダビデ王に対して反乱を起こすという大事件です。今日はそのいきさつを見て参ります。
“反乱みなさま、おはようございます。サムエル記もいよいよ終盤に入って参りました。これからのサムエル記は、ダビデ王朝の第三王子、いえ第一王子のアムノンが殺されているので今や第二王子になりますが、そのアブシャロムを中心に展開していきます。ダビデはライバルであったサウル王家を滅ぼし、周辺民族や国家も次々と征服し、今や盤石な権力を手に入れたはずだったのですが、なんと最大の敵は内側に、その家族の中から出て来たのです。ダビデにとっての最大のライバルはその息子となったのです。
“アブシャロム*今回の奨励は録音のみで、原稿はありませんが、ぜひ録音をお聞きください。
“自分を低くするということ-レビ(マタイ)とザアカイの回心からみなさま、おはようございます。前回から第一ペテロの説教を始めましたが、今回が二回目になります。前回はこの書簡の導入部分でした。挨拶のような内容です。しかし挨拶とはいえ、そこでは非常に大事なことが言われていました。それはどんなことかと言えば、ペテロは彼が手紙を書き送った人々が直面している困難は、彼らを浄化するための試練であり、その先には大きな報いが待っているのだ、ということでした。
“聖なるものみなさま、おはようございます。これまで毎月の月末はヤコブの手紙を学んで参りましたが、その講解説教も終わりましたので、これからはペテロの手紙第一を読み進めて参ります。今日は月末ではなく、第三週ですが、本書簡に親しむためにも、今月だけは二回連続して本書簡から説教させていただくことにしました。
“信仰と救いみなさま、おはようございます。前回の説教で、私は二つの問いを提起しました。それは、ダビデがバテ・シェバ事件のことを本当に悔い改めていたのかという問いと、神はダビデのすべての罪を赦したのか、また赦したとするならば、その赦しとはいかなるものなのか、ということです。どういうことかと言えば、例えばある生徒が学校の大事な掃除道具を壊してしまったとします。その際に先生は、「もういいよ。このことは一切忘れてあげる」というかもしれないし、あるいは「あなたのしたことは赦してあげます。ただし、その掃除道具が壊れてしまったせいで他の生徒さんたちが不自由しているので、あなたはこれから一週間放課後に残って教室の掃除をしてくださいね」というかもしれません。どちらも赦したことには違いはないですが、その中身はだいぶ違いますよね。
“惨劇と悲劇みなさま、おはようございます。第二サムエル記を読み進めて参りましたが、前回はサムエル記全体の中でも重大な分岐点となる箇所でした。それは、ダビデが途方もない罪を積み重ねていく場面でした。彼は自分のために命がけで戦っている兵士の妻を寝取ってしまい、その罪を隠すためその勇敢な兵士を戦場で謀略によって殺します。罪を隠すためにさらなる罪を重ねていく、そのような泥沼にはまっていくダビデの行状を見て参りました。
“ダビデは悔い改めたか