悪霊を追い出す
マタイ福音書8章28~34節

みなさま、おはようございます。私たちはマタイ福音書を読み進めていますが、だんだんと重要なテーマが出てきます。マタイ福音書では、まずイエスの教えをまとめた「山上の垂訓」があり、次いでイエスのいくつかの重要な癒しの出来事があり、そして今回は悪霊払いです。悪霊払いがイエスの宣教活動における重要な柱の一つだったということは広く知られていますが、実はマタイ福音書では今回の箇所が最初の場面です。

ただ、悪霊払いと聞くと、なんだかおどろおどろしい感じがしますよね。アメリカ映画でずいぶん前ですが、「エクソシスト」という映画が大きな話題を呼び、その後もそれに類する映画がいくつも作られてきました。ローマ・カトリック教会には悪霊払いを主な任務とするエクソシストと呼ばれる聖職者が今でも現実に存在するのですが、そうしたエクソシストたちが人間にとりついた悪霊と戦うというのがそれらの映画の内容です。私はそういう映画が割と苦手で、まともに全部を通して見たことがないのですが、なんというかグロテスクな目をそむけたくなるような映像の映画です。こういうアメリカ映画がはやるのは、アメリカでは聖書が広く読まれていて、アメリカ国民の方々が福音書に出てくる悪霊払いの話に慣れ親しんでいるのが一つの理由なのではないかと思います。しかし、「悪霊」などというものは科学万能の現代人にとってはにわかに信じがたいものではないでしょうか。何か迷信じみた話で、悪霊が存在して人間に悪さをしているなどという話をまともに受け止めるのは難しいと考えるほうがむしろ普通なのではないでしょうか。そんな話は『鬼滅の刃』のような人気アニメと同じフィクションでしかなく、まともに考えられないと感じる人が多いということです。

しかし、福音書に出てくる悪霊という存在は、現代人にも理解できるものなのではないか、ということをここで少しお話ししたいと思います。皆さんはユングという名前を聞いたことがあるでしょうか。カール・グスタフ・ユングという人で、20世紀に活躍した有名なスイス人の精神科の医師です。精神科の医師と言いましたが、彼は心理学者としても世界的に有名で、あのフロイトのお弟子さんだった人です。フロイトやユングは心理学の中でも深層心理学という分野を確立した学者として有名です。私たちには「意識」というものがあり、意識なしには人間は人間とは言えないわけですが、「無意識」というものもありますよね。私たちは、しばしば無意識のうちに行動することがあります。夢遊病者が夜歩いているのはまさに無意識の行動です。そして無意識の状態とは意識が全くないということではなく、自分では気が付かない意識の領域があるということです。自分の心なのに、自分にはよく分からない、あるいは意識していない領域があるということです。こういう意識のことを「深層意識」とも呼びます。深い層にある意識、ということですね。そういう、いわば隠れた意識が私たちを動かすということがあるのです。深層意識の一つの例としてよく言われるのが、例えば子供の頃に非常に怖い出来事があった、あるいはとてもいやで思い出したくもない出来事があると、私たちはそれを思い出さないようにと意識の奥に閉じ込めて蓋をしてしまいます。起きたことを、なかったことのようにして自分の心の平安を保つのです。しかし、閉じ込められた意識や負の感情はそれで消えてしまうわけではありません。何かの拍子に、そうした閉じ込められた記憶が呼び起されて、私たちの精神に強い影響を及ぼし、私たちを思わぬ行動に走らせてしまうことがあります。フロイトやユングは、精神障害とされる症状のいくつかがそうした深層心理、深層意識に起因しているということを解き明かしたのです。そして患者を催眠状態にして、隠れた記憶を語らせたりしてその人の心の病の原因となっている過去のトラウマを見つけ出すというような治療行為を行っていきました。

このように、私たちが普段意識している心の領域の下にある無意識、あるいは深層意識を解明していくという研究が続けられたのですが、ユングはそのような知見にさらに新しい発見を加えました。私たちの意識は私個人の無意識だけでなく、集団の持つ無意識というものがあり、そうした集団の深層意識、集合意識ともつながっているのだ、という説を唱えたのです。どういうことかといえば、日本人一人一人は個人としての深層意識だけではなく、日本民族としての深層意識とつながっており、さらに言えば日本人とかインド人とかいう民族を超えた、全人類の集合無意識ともつながっているというのです。端的に言えば、無意識には私個人の無意識と集団としての無意識があり、私たちはそのどちらにも影響を受けているということです。なんだかとても壮大な話なのですが、ユングは実際に多くの精神病の患者を診断するうちにそのような結論に達しました。例えばある患者が、不思議なシンボルを見たと言ってそれを絵にかくのですが、その描かれたシンボルが実は古代の文書に書かれたシンボルとそっくりだというような事象がありました。そしてその患者は、まちがいなくその古代のシンボルを知りませんでした。なぜならそのシンボルはつい最近発見されたもので、世間には知られていないものだったからです。では、なぜ見たこともないシンボルを正確に描くことができたのかと言えば、それはその患者の深層意識が古代から伝わる人類の集合無意識とつながっているからだ、という説明が成り立つのです。なんだか科学というよりもオカルトのような話ですが、ユングは学者には珍しく超常現象に深い関心を寄せていた学者でした。

 さて、このユングの集合無意識がイエスの悪霊払いと何の関係があるのか、と思われるかもしれませんが、それがあるのです。この集合無意識も人間の心、それも多くの人間の心に根差したものですから、そこには愛のようなプラスの感情もあれば、負の感情、憎悪や破壊衝動のようなマイナスの感情もあります。そして人間が無意識のうちにそのような負の集合意識とつながってしまうと、その人の性格にも甚大な影響、しかも悪い影響を及ぼしてしまうのです。ユングは、その最悪のケースの一つがナチス・ドイツの時代のドイツ人の精神状態だったと論じています。少し長いですが、それを引用します。

ドイツ人を戦争へ追い立てたのには、政治的・社会的・経済的・歴史的なさまざまな理由があったことは、普通の殺人の場合と同様、言うまでもない。どんな人殺しにもそれなりの動機はあるので、さもなければ犯罪は起らないことになるだろう。だがひとたび事が起るとき、そこにはもうひとつ心的な要因がなければならない。そこで犯罪心理学というものが存在するのだ。ドイツは、ある集団精神状態に陥っていたために、必然的に犯罪へと走らなければならなかった。しかし、どんな精神状態もだしぬけに空から降ってくるわけはなく、かなり長いあいだにわたる潜在状態があるものであって、それを精神的劣等(コンプレックス)という。民族にはそれぞれの心理があるように、またそれぞれに固有の精神病理がある。それは多くの異常な特徴の集積から成っているが、なかでも際立っているのが、国民全体に蔓延した暗示性である。(『ユングの文明論』より引用)

つまりユングは、ナチス・ドイツ政権下のドイツ人は集団的な精神病に陥っていたのであり、深層無意識に圧倒されてしまったというのです。そして話は戻りますがイエスの悪霊払いの話です。この悪霊に憑かれた人たちも、集合的な深層意識によって振り回されていた可能性があるのです。それで長々とユングの話をしていたのです。

この悪霊払いの記事は、マルコ福音書の記事をマタイが用いたものです。マタイはマルコ福音書を資料として用いて福音書を書き、マルコの記事の九割以上はマタイで使われています。この記事もそうです。マルコ福音書5章1節から20節までの記事を短くしてマタイはここで用いています。しかし、詳しく比べるとマルコとマタイの記述には細かな違いがあります。まず、マルコでは悪霊に憑かれた人は一人ですが、マタイでは二人になっています。しかしこれはマタイの癖のようなもので、マルコ福音書ではイエスが一人の人を癒したとなっているのに対し、マタイでは二人を癒したと変えられているケースが複数例あります。マタイがなぜそうしたのか、学者の間でも意見が割れており、私にもその理由が分かりませんが、マタイはイエスの偉大さを強調したかったのかもしれません。また、マルコ福音書ではイエスが悪霊払いを行ったのは「ゲラサ人の地」となっていますが、マタイでは「ガダラ人の地」となっています。ゲラサもガダラもギリシア人の住むデカポリスと呼ばれる地域の町ですが、互いにかなり離れた場所にありました。ここもなぜマタイがこの地名に変えたのか、その理由は不明です。こういう細かな違いを除けば、マタイとマルコの話は全く同じです。イエスは悪霊に憑かれて墓場で暴れている人のところに行き、そこで悪霊と対決します。そこでマタイにはないマルコの記事によれば、悪霊はイエスに名前を聞かれて、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と答えています。この「レギオン」というのはローマの軍隊の名前で、数千名からなる精鋭部隊でした。ですから、この可哀そうな人物にとりついた悪霊は一人ではなく数千人にも及ぶということが示唆されているのです。この一人ではなく数千という数は、先ほどの集合無意識雄というものを連想させます。しかし、人類の集合無意識と悪霊とを結びつけるというのはあまりにも乱暴な意見ではないか、と思われるかもしれません。たしかに集合無意識は、悪霊のような悪一色のものではありません。そこには善の要素も悪の要素もあります。そのどちらが人間に影響を及ぼすのかは、その人間次第という面もあります。ここで再びユングの話を聞いてみましょう。少し難しい専門用語も出てきますが、そのままお読みします。

国家社会主義(これはナチスのことです)、これら集団心理学現象の一つであり、集合的無意識の噴出の一例であって、それについて当時私は、二十年近くも説いていた。集団心理学現象の駆動力は、元型的な性質のものである(「元型」とは人類の無意識が持つ、普遍的なイメージのことです)。元型というものはどれも、最高と最低、悪と善を併せ持っていて、だからこそ、およそ矛盾にみちた働きをするものである。したがって、それが肯定的な効果をもたらすか、否定的に動くか、あらかじめ決めることはできないのである。(『ユングの文明論』からの引用)

集合無意識は、無意識であるがゆえに、人にはコントロールできないのです。コントロールできないから、普通ではない、異常な行動になってしまうのです。集合意識の負の部分、悪の部分が人間行動に強い影響を及ぼしてしまうというのが、このレギオンにとりつかれた人の行動の一つの説明だと言えるでしょう。では、そのような病理を如何に克服できるのか。それについてユングはこう説明しています。

私は精神病医だから、無意識内容に圧倒されている患者にとって、意識と理解力を、つまり正常な人格の形成要素を、できるかぎり強化することがいかに大事であるかを知っている。それによって侵入してくる無意識内容を受け止め、意識に統合できるようになるからだ。無意識それ自体は、破壊的ではなく、アンビヴァレントなものであって、それが災禍を来たらすか、恩恵をもたらすかは、ひとえにそれを受け止める意識にかかっている。(『ユングの文明論』より引用)

つまり、集合無意識に振り回されないためには、健全な意識を強化すべきだということです。イエスが悪霊払いを行うというのは、その人の意識を高め、深層無意識の悪い影響に振り回されないような状態に戻してあげたのだ、という説明ができるのです。もちろん、それだけでこのイエスの悪霊払いを説明することはできません。悪霊はそれから豚の大群に乗り移り、その豚の大群が湖に駆け下りておぼれ死んだとありますが、人間の集合無意識が豚に乗り移ることはないからです。この点については、確かに説明はつきませんが、しかし悪霊払いの話はすべてがありのままの事実というわけではなく、劇的な演出ということもあるのかと思います。

では、このレギオンにとりつかれていた人を振り回していた負の集合無意識とは何でしょうか。それは、生活の苦しさや不安だったと思います。当時の村々の人々は、ローマ帝国から課される重税と、ローマの兵士が振るう暴力に苦しめられていました。そういう不満は、しかし表に出すことはできません。そういう感情を押し込めるわけです。不満を述べてローマに目を付けられたくないからです。しかし、人々の不満は深層心理の中にマグマのように沈殿していきます。そうした押し殺されてきたものの影響を一番受けてきたのがこのレギオンにとりつかれた人ではないか、ということです。その人に対してイエスは向き合い、彼を深層意識の悪い影響から救い出したのです。

まとめになります。今日は、マタイ福音書での最初の悪霊払いについて見て参りました。悪霊というと、なんだかおどろおどろしい、おとぎ話のようなもので、私たちの日常生活には関係ない、と思われるかもしれません。しかし、近代以降の心理学が明らかにしたように、私たちの精神や心に悪い影響を及ぼす集合無意識というものがあり、今回の「レギオン」と呼ばれる悪霊もそのようなものとして捉えることができるかもしれません。この集合無意識の影響を受けるのは一人だけであるとは限りません。むしろ、それが一人ではなく集団に影響を及ぼすようになると、ナチス・ドイツのような熱狂的な国民運動、あるいはアメリカに宣戦布告をするという、まさに自殺行為を選択した戦前の日本のようになってしまうということです。では、なぜナチス・ドイツが生まれてしまったのか。それは、第一次大戦後のドイツ人をいじめすぎたからです。ヴェルサイユ条約で、ドイツ系住民はバラバラにされ、チェコスロバキア・ポーランド・オーストリアで少数民族として扱われることになりました。また、敗戦国ドイツへの賠償金は、何と今日の価値で言えば200兆円という天文学的な額に及びました。工業基盤を失ったうえにその賠償を支払おうとして無理を重ねたドイツは二度のハイパーインフレーション、つまり1億円の価値が1円になってしまうという恐ろしい経験をしました。皆さんの貯金1億円が1円になってしまったら、どう思いますか?頭がおかしくなりますよね。そういう不満がドイツ人の深層意識を乗っ取ってしまい、その深層心理に振り回されたのが第一次大戦後のドイツだと言えます。

今日の世界にも不満が鬱積しています。アメリカでトランプという異形の大統領が生まれたのも、格差が大きくなりすぎて、没落した中産階級が多く生まれました。彼らの不満がトランプ政権を生み出したのです。日本についても同じです。対中国に対する強気な発言をする政治家が受けるのも、国民の不満を外に向けようとする力が働いている気がします。そして不満の源は生活の苦しさです。それを何とかしない限り、不満は人々の深層意識の中に蓄積していき、いつか爆発することになりかねません。私は格差を生み出しているのは行き過ぎたグローバリズムだと考えています。この説教ではあまり政治や経済の話をすることはしませんが、イエスの神の国の福音も、格差をなくして「神の下に平等」な社会を作り出そうというものだったことは強調してもよいと思います。悪霊払いの話から、大きなテーマになりましたが、このことをよく考えて、今の選挙でも日本人が適切な選択をするように祈るものです。

イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今日は悪霊払いの話から、格差の問題へと話が及びました。今日の日本にも多くの不満や不安がありますが、そのために私たちが愚かな行動に走らないように、どうかこの国を導いてください。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

ダウンロード