反乱
第二サムエル15章1~37節

1.序論

みなさま、おはようございます。今日からいよいよサムエル記の後半の最大の山場に入ります。それは、ダビデ王家の第二王子であるアブシャロムが父であるダビデ王に対して反乱を起こすという大事件です。今日はそのいきさつを見て参ります。

この説教の準備として、いくつかの注解書を読みました。すると、どの注解書を読んでも、アブシャロムが反乱を起こしたのは彼の「野心」のゆえだ、というように解説していました。アブシャロムは王になりたいという野心に突き動かされて反乱を起こしたのだと。しかし、本当にそうなのでしょうか。アブシャロムが王になりたいと願っていたとして、彼にはそうなるための手段がいくつもありました。何しろ彼は第二王子で、王位継承権者でした。ライバルはすぐ上の兄のキルアブだけです。彼は才媛のアビガイルの息子でしたが、アビガイルは非常に頭の良い女性でしたから、キルアブも優れた人物だったと思われます。ただ、彼は王になる野心はなかったようです。サムエル記の中でも、彼に言及している箇所はほとんどなく、影の薄い人物です。おそらく彼は利口な人で、王位継承権争いにかかわるとろくなことはないと、そういう争いから一貫して距離を置いていたと思われます。キルアブがそのような人物だったとするならば、アブシャロムが王になるための強力なライバルにはならなかったでしょう。アブシャロムには兄殺しという過去がありますので、普通ならば王になる可能性はそれでなくなるのですが、前回見たようにダビデは実質的に彼の罪を赦しています。ですから、彼は待っていれば機が熟して王になる可能性が最も高い人物なのです。

そう考えると、アブシャロムの最終的な目的が王になるということならば、彼は反乱、クーデターなど起こす必要はなかったのです。クーデターというのは非常に危険な手段です。伸るか反るか、一か八かのばくちです。日本の有名なクーデターは二・二六事件ですが、失敗しています。アブシャロムがダビデ王から命を狙われていて、その危険を回避するために反乱を起こしたというのなら分かりますが、そのようなことは全くなかったのです。そう考えると、アブシャロムが反乱を起こしたのは王になりたいという野心のためではなかったということになります。では、なぜ彼はこのような強硬手段に訴えたのでしょうか?

それは「復讐」です。アブシャロムは5年前に自分の兄であり、第一王子であったアムノンを殺害していますが、それはアムノンがアブシャロムの王になるという野心のための障害だったからではありません。アブシャロムは王になりたかったから、王位継承権第一位の人物を殺したわけではなかったのです。つまりクーデターではなかったということです。ではなぜそうしたのか?それは「復讐」です。アムノンはアブシャロムが非常に大切にしていた妹タマルを強姦し、タマルはそのショックで閉じこもりになってしまいました。アブシャロムが妹タマルをどれほど深く愛していたのかは、彼が自分の娘にタマルという名を付けたことからも分かります。妹をそんな悲惨な状況に追い込んだアムノンは、第一王子として何のお咎めもなく、のうのうと生きています。そしていずれは王になろうとしていうのです。アブシャロムはそれがどうしても許せませんでした。そこで、二年間も待って、仇討をすることにしました。彼はすぐにも復讐したいと思ったでしょうが、しかし当然アムノンも警戒しているので、相手が油断するのを待って二年も自重したのです。

さて、先ほど「仇討」という言葉を使いましたが、仇討と聞いて思い浮かべるのが赤穂浪士でしょう。大石内蔵助率いる四十七人が吉良上野介に仇討をした話です。しかし、実は大石が復讐したかったのは、吉良だけではなく、同時に片手落ちの裁定を下した江戸幕府そのものだったという話があります。喧嘩両成敗という武士の定めがあったのに、浅野内匠頭は即日切腹、吉良はお咎めなしというのはおかしいではないか、ということです。ですから大石たちの仇討の背景には江戸幕府への異議申し立てがあったのです。アムノンを暗殺したアブシャロムにも、同じような思いがあったでしょう。アブシャロムは妹を辱めたアムノンに激しく怒っていますが、娘のために何もしなかった父親に怒り、また王でありながら正義を行わなかったダビデに激しく怒っていたのです。ではダビデはなぜ正義を行わなかったのか?それは保身のためでした。アムノンの強姦の罪を裁くなら、同じく強姦を犯した自分の罪も蒸し返されてしまうからです。それでも、アブシャロムにも父王への期待があったものと思われます。アブシャロムはダビデに対して逆らったり、危害を与えるようなことは、この五年間一切ありませんでした。その間、アブシャロムはダビデが何をするのかをじっと見ていたのです。もしかすると、ダビデは王として正義を回復するために行動してくれるのではないかという期待があったのです。しかし、ダビデは何もしませんでした。本当に、何もしなかったのです。これはアブシャロムを心底失望させました。そして彼はついに行動を起こすのです。

2.本論

それでは、今日のテクストを見て参りましょう。アブシャロムは実質的にアムノン殺害の罪について不問に付されることになりました。アブシャロムには行動の自由が与えられたわけですが、彼が始めに行ったのが私兵団を作ることでした。戦車と馬、それに五十人の兵士でした。ボディーガードにしては、かなり大規模な私兵です。アブシャロムはすでにこの時点で来るべきダビデとの対決を決意したのでしょう。

これまで申し上げたように、アブシャロムはすでにダビデを見切っています。ダビデは王としては相応しくない、ダビデは王位から追放されるべきだと考えています。ここで強調したいのは、アブシャロムの動機は自分が王になりたいというより、ダビデを王位から追い出したいということだったということです。アブシャロムはアムノンに裁きを下しました。そして今度はダビデに裁きを下そうとしていたということです。

しかし、アブシャロムは慎重な人間でもあります。アムノン暗殺にも二年間の時間をかけました。今度はさらに強大な相手、ダビデです。彼は少しずつ自分のシンパを増やそうとしました。彼が特に標的にしたのは、「ダビデは裁き人として正しいだろうか?」という疑問を抱いている人たちでした。そもそも、アブシャロムがダビデに不満をいだくようになったのは、アムノンがタマルを強姦した罪を裁かなかったことでした。この大きな罪を放置したダビデには、裁判官、裁き人になる資格はないのではないか、というのがアブシャロムの疑念だったのです。

また当時は、多くの人が争いの仲裁を求めて王であるダビデに訴えをしていましたが、当然ダビデの仲裁に不満を持つ人もいます。ダビデに自分に有利な裁定を下して欲しかったのに、そうではなかった、がっかりしたという人たちがいたわけです。そうした人たちにアブシャロムは近づいていきました。ダビデが裁き人として正しくないとアブシャロムが言うと、それには説得力がありました。なぜなら人々はタマル事件のことを知っており、アブシャロムがダビデの裁き人としての資格に疑問を呈するのを理解できたからです。こうしてアブシャロムは段々と自分に味方する人、シンパシーを感じる人を増やしていきました。アムノン暗殺にはアブシャロムは二年かけましたが、ダビデに反旗を翻す準備をするのには二倍の四年をかけました。ここからも、アブシャロムという人が目的を達するためには非常にしっかりと準備をする人物だったことが分かります。

そして四年が経った後、アブシャロムはダビデにヘブロンに行くことを願い出ました。ヘブロンは、ダビデがエルサレムに首都を移転するまでは、ダビデが王として治めていた重要な地です。エルサレムにはまだ神殿が建っていないので、ヘブロンは未だに宗教の中心地であったのでしょう。アブシャロムは亡命先のゲシュルから帰国できたことを感謝するためにヘブロンに行きたいとダビデに願いました。ダビデは何の疑いも抱かず、アブシャロムの願いを聞き入れます。しかし、アブシャロムはそこで重大な行動を取ります。アブシャロムはイスラエルの王になると宣言したのです。ヘブロンは、エルサレムに王都が移る前に七年間も王都だったので、首都機能はすべて揃っています。有力者も多く残っていたことでしょう。また、アブシャロムはエルサレムからヘブロンに行くにあたって、二百人の有力者を連れて行きました。彼らはアブシャロムの行動について何も知らなかったので、ある意味で人質のような形になりました。アブシャロムを支持するならば良し、そうでなければ軟禁されてしまったものと思われます。

アブシャロムはさらに、軍師を呼び寄せます。軍師とは、三国志の諸葛孔明のような、すごく頭の良い人です。その軍師の名はアヒトフェルです。この人物は今後非常に重要な役割を果たすことになります。この人物について、16章23節にはこう書いてあります、「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。」つまりアヒトフェルは神のごとく知恵のある人だったということです。そして、より重要なのは、彼はあのバテ・シェバの祖父、おじいさんだということです。そのような人がダビデに対する反乱軍に加わったのです。しかし、今やバテ・シェバはダビデの妻です。ダビデと彼女との間に生まれたソロモンは、王位継承権を持つ者であり、アブシャロムとはライバルだということになります。アヒトフェルが自分の子孫であるソロモンをイスラエルの王にすることができれば、アヒトフェルの一門は大変栄えることになります。ではなぜ、アヒトフェルはライバルであるアブシャロムに加勢しようと思ったのでしょうか?ここからはわたしの想像なのですが、おそらくアヒトフェルはバテ・シェバの夫であるウリヤがダビデによって謀殺されたことを心底怒っていたのだと思います。彼は孫娘のバテ・シェバの夫であるウリヤの誠実な人柄を快く思っていたのでしょう。その彼が、妻をダビデに寝取られて、さらには騙されて戦死してしまったことはアヒトフェルにとっては大変ショックな出来事であったと思われます。しかも、孫娘のバテ・シェバはダビデの妻に収まってしまったのです。こんなことを許してよいのか、という怒りを抱き続けていました。そんな彼だったからこそ、アブシャロムがダビデに抱いた怒りをよく理解できたし、共感すらしたことでしょう。ですから、アヒトフェルはあえて火中の栗を拾う形で、クーデターに加勢することにしたのだと考えられます。これはダビデ陣営にとっては大変な痛手です。なにしろ、イスラエル最高のブレーンがアブシャロム陣営に加わってしまったのですから。

アブシャロムがヘブロンで起こした行動は、すぐさまエルサレムにいるダビデに伝えられました。その時にダビデはどうしたか?アブシャロムが王になると宣言したからといって、ダビデが直ちに窮地に陥るわけではありません。なにしろエルサレムは難攻不落の要塞都市です。ずいぶん後の時代の話ですが、超大国であるバビロンやローマですら、エルサレムを陥落させるためには何年もかかっています。ダビデには親衛隊もいますので、アブシャロム軍が攻めて来たとしても十分に応戦できるはずです。そしてダビデが断固戦うという姿勢を示せば、大多数のイスラエルの人々もダビデに従ったでしょう。何と言っても、ダビデは生ける伝説、あのゴリヤテを石礫で倒した人物です。その彼が号令をかければ、若いアブシャロムなど一ひねりだったでしょう。しかし、なんとダビデは一目散にエルサレムから逃げ出すことに決めたのです。昔はダビデは勇猛果敢な勇士でしたが、王となってからのここ数年は戦場に出ることもせずに、面倒なことは全部ヨアブに任せてきました。自分の部下たちが命がけで戦っているのに、その部下の奥さんと不倫をするようなだらしのない王になっていました。そのダビデが、この国家の危機に臨んで果敢な行動に出れるかといえば、そうもいきません。普段からぶらぶら遊んでばかりいる王様が、いきなり国家の危機に臨んで勇敢に行動できるはずがないのです。これまでもダビデは、過去に大きなトラブルがいくつもありました。アムノンによる王女タマルの強姦や、その第一王子であるアムノンの暗殺という国を揺るがす大事件が起きた時にも、何もしませんでしたが、今回もなにもせずに、王都を捨てて当てもない旅に出るということにしたのでした。

このように、ダビデは巨人ゴリヤテと勇敢に戦った若い頃とは違って、難敵に立ち向かうための気迫がありませんでした。彼は王という周りが何でもやってくれるという立場に長くいたために、きつい言い方ですが骨抜きにされてしまっていたのでした。同時に、ダビデの中にはアブシャロムと戦いたくないという気持ちが強かったように思います。後にヨアブたちがアブシャロムに対して反撃するときにも、アブシャロムを私に免じて見逃してほしいと頼んでいます。相手が自分の息子だということも、ダビデが戦うことを一顧だにせずに、すぐに逃走することを選んだ理由の一つでしょう。

そのようなダビデですが、部下たちは健気にも彼を見捨てずについて来てくれました。それもイスラエル人だけでなく、イスラエルの敵国のペリシテ人のガテ人もついて来てくれました。そのリーダーがイタイという人でした。彼らはイスラエル人ではないので、いわば傭兵のような立場なのですが、彼も部下たちと共に落ち延びるダビデに従ってくれました。しかしダビデにも、外国人に頼ることに不安を感じていたようです。あなたがたは私と一緒に来る必要はない、あの王のところにとどまりなさい、と言います。「あの王」とはアブシャロムのことです。ダビデがあたかもアブシャロムを王として認めているような言い方です。なぜこんな言い方をしたのかといえば、おそらくダビデはイタイのことを試したのだと思います。この男は信用できるのか、忠誠心はあるのか、ということを試したということです。そのダビデに対し、イタイは「生きるためにも、死ぬためにも、しもべも必ず、そこにいます」とまで言い切っています。そこでダビデも彼を信用して一緒に連れていくことにしました。この問答からも、ダビデはエルサレムを放棄したといっても、王位を諦めてしまったわけでは決してなく、チャンスを待って復権を果たそうとしていたことが分かります。ダビデは信頼のおける仲間を選んで自分の周りに置いて、反転攻勢の機会を探ろうとしていたのです。ダビデはすっかり腑抜けになってしまったわけではなく、まだしたたかさを失っていなかったのです。

ダビデのしたたかさは、次の行動からも伺えます。ダビデが逃げ延びるときに、彼に従う人たちは「契約の箱」も一緒に持ち運ぼうとしました。この契約の箱は、日本の天皇家の「三種の神器」のようなもので、王の正統性を示すシンボルのような意味を持っています。ダビデが自分こそ正統な王であるということを示すために、契約の箱はなんとしても奪われるわけにはいかないのです。しかし、なんとダビデはこの契約の箱をエルサレムに残していくことを決断します。それはなぜか?ダビデはここで、契約の箱を「トロイの木馬」のように用いようとしたのです。トロイの木馬とは、敵国への贈り物の木馬の中にスパイを忍び込ませて、敵の内側に入り込んだというギリシアの有名な話です。ダビデも、この契約の箱と同時に、契約の箱を持ち運ぶことのできる人たち、すなわちレビ人の指導者たちをスパイとしてアブシャロムの下に送り込もうとしたのです。アブシャロムも、「契約の箱」を自分の下に届けてくれたということで、彼らを信用するでしょう。自分に寝返ってくれたのか、と。それがダビデの狙いでした。ダビデは、これから大祭司の家系を担っていくツァドクとその息子たちをアブシャロムにところに送り出してこう言います、「よく覚えていてもらいたい。私は、あなたがたから知らせのことばが来るまで、荒野の草原で、しばらく待とう。」この言葉の意味は、しばらくアブシャロムの下でスパイとして働いて欲しい、そしてチャンスが来たら、私に知らせてほしいということです。

しかし、そのダビデの下に頭を抱えたくなるような知らせが届きました。それはあの神のごとき知恵者のアヒトフェルがアブシャロムの陣営に付いたという知らせでした。アブシャロムは、先ほども言いましたが諸葛孔明のような人物です。そんな人物がアブシャロムの陣営に付いてしまったのです。そこでダビデはここでも一計を案じます。アブシャロムに対抗できる知恵者、諸葛孔明に対する司馬懿仲達のような人物をアブシャロムのところにスパイとして送り込むことにしました。その人物の名はフシャイです。ダビデはフシャイに、「あなたは、私のために、アヒトフェルの助言を打ちこわすことになる」と言って彼を送り出しました。

こうしてみると、武人としてのダビデはすっかり影を潜めていますが、老練な政治家としてのダビデは面目躍如ということになるでしょう。

3.結論

まとめになります。今回はアブシャロムが謀反を起こし、それに対してダビデがどのような行動を採ったのかということを見て参りました。特に強調したのは、アブシャロムが反乱を起こしたのは、王になりたいという野心のためではなかったということでした。彼が本当に王になりたかったのなら、クーデターなどという非常に危険な行動を採る必要はありませんでした。むしろおとなしくしていたほうが、王になるチャンスは大きかったでしょう。ではなぜ彼は反乱を起こしたのか?それは、ダビデは王としてふさわしくないということを彼が見切って、彼なりにダビデに裁きを下そうとしたということでした。ダビデは王でありながら、国家を揺るがす大事件に対して何の行動もとらない、そんな人物を王に留めておいてはならないと信じたのです。 

そしてこのアブシャロムの背後には神のご意思、御心があったのは間違いないと思います。ダビデに次から次へと家族の不幸が起るのは、神がダビデに自らの罪に向き合うように促しているからだと言えます。ダビデはバテ・シェバ事件をもう終わったことにしてしまおうとしましたが、そうはいきませんでした。自らが蒔いた種を刈り取らせるというのが神の御心でした。しかしダビデが自分の罪から目をそらすたびに、新しい不幸がダビデを襲います。それがついには国を揺るがす内戦へとつながってしまったのです。

私たちもここから重要な教訓を学ぶべきでしょう。キリスト教は「罪の赦し」を強調します。では、罪の赦しとはどのように実現するのでしょうか?祈って、「神様、ごめんなさい。わたしはこんな罪を犯してしまいました」と告白すればよいのでしょうか?確かに神に赦しを求めることは重要です。しかし、それだけでは済まないということです。私たちは罪を犯した相手に対し、また自分の罪そのものに真摯に向き合う必要があります。水に流すのではなく、その結果に真摯に向き合わなければなりません。誰かに危害を加えてしまったのなら、その相手から赦してもらうのがどんなに大変でも、そのために努力しなければなりません。相手に真摯に向き合わなければなりません。神様が赦してくれたからそれで終わり、ということではないのです。その努力をしないと、ダビデのように自分の犯した罪から追いかけられる人生になってしまうでしょう。主イエスも神殿での礼拝よりも人との和解を優先しなさいと教えました。それは礼拝を軽んじてもよいという意味ではもちろんありませんが、それぐらい和解のために真剣に行動しなさいということです。そのようなことを思いめぐらしつつ、今後もサムエル記を読んで参りましょう。お祈りします。

公平な裁き主である神よ、そのお名前を賛美します。主がえこひいきせず、誰をも公平に裁かれることをダビデの生涯から学んでいます。私たちもそこから神を畏れることを学ぶことができますように。われらの救い主、平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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