1.序論
みなさま、おはようございます。相変わらず猛暑が続きますが、本日もマタイ福音書を読み進めて参りましょう。前回はイエスが天の御国、神の国が近いというメッセージを宣べ伝え始めた、というところを読みました。イエスのこのメッセージを聞いた一般のユダヤ人たちが考えたことは、神の支配が近いということはローマの支配の終わりが近い、ということでした。神は、ユダヤの地を不当に支配するローマの人々を追い払ってくださる、そうしてユダヤの地に神の支配が実現するだろう、というのが多くのユダヤ人が抱いていた希望でした。バプテスマのヨハネもそのような未来展望を持っていたものと思われます。
しかし、イエスはそれとは違う神の国のヴィジョンを持っていました。ローマという外敵を打ち払う、いわば攘夷思想ではなく、むしろイスラエル民族の内部覚醒を促そうというのがイエスの目標でした。当時のユダヤ社会は超格差社会、少数の富んだエリートと大多数の貧しい人々という歪んだ構造になっており、ユダヤ社会は内部で団結できずにバラバラになっていました。ユダヤ人は「罪人」という名のアウトカーストを作り出し、彼らを差別することで人々の鬱積した政治的不満を逸らそうとしていたのです。「罪人」と呼ばれた人々の典型は取税人や遊女たちでしたが、彼らは自らの意志で罪を犯した人々というよりも、貧しさのゆえに「罪人」とされる生き方を選ばざるを得ないような人たちでした。イエスはこうした人々を助け出してユダヤ人の共同体に連れ戻すことを通じて、バラバラになっていたユダヤ人の心を一つにして、神が本来意図していた助け合いの精神、社会的弱者に手を差し伸べるという聖書的な精神をユダヤ人の間に取り戻そうとしたのです。こうしてユダヤ人の本来の役割、すなわち世の光として、弱肉強食の原理に生きていた外国人たちにとっての模範となるという役割を取り戻させようとしたのです。そしてイエスが活躍の場として選んだのは聖都エルサレムではなく、むしろ田舎町、辺境の地であるガリラヤでした。改革は地方から、というのがイエスのやり方でした。では、さっそく今日のテクストを読んで参りましょう。
2.本論
イエスが活躍の場として選んだのは、ガリラヤの自らの出身地であるナザレではなく、カペナウムというガリラヤ湖畔の町でした。カペナウムはシモン・ペトロや彼の兄弟であるアンデレの町でした。つまりイエスは、ペテロの本拠地を彼の活動の拠点にしたのです。イエスが活動の始めにしたのは二つのことでした。一つは仲間集め、同志を集めることで、もう一つは病の人々を癒すことでした。
ここで注目したいのは、ペテロやアンデレ、そしてゼベダイの子であるヤコブとヨハネが、イエスに誘われてすぐに仕事を捨てて彼に従っていることです。これは、普通に考えればあり得ないことではないでしょうか。皆さんも自分事として考えていただきたいのですが、安定した仕事を捨てるというのは大変難しいことです。私事で恐縮ですが、私もキリスト教の道に入る前は15年間サラリーマンをしていました。自分で言うのもなんですが、勤めていた複数の会社は泣く子も黙るような大企業でした。そのような企業勤めを辞めて、キリスト教を真剣に勉強しようと思い立ってから実際に辞めるまでには五年間もかかりました。それは、仕事を辞めるという決断そのものが難しかったためでもありますが、同時にその五年間は仕事を辞めてからの生活費や学費を稼ぐための時間でもありました。これまでずっと頑張って来た仕事を辞めてまで勉強をするのだから、それなりに時間をかけて本場で腰を据えて勉強をしたいし、そのためにはそれなりの蓄えがなくてはならないだろうと、それまでのライフスタイルを見直してじっくりと貯蓄や投資に励んだ五年間でした。そして、そのめどがついたときに仕事を辞めてイギリスに留学しました。何がいいたいかといえば、人生の大きな方向転換をするためにはどんな人でもそれなりの準備をするだろうということです。
しかし、ペテロやアンデレは、それこそ一瞬で仕事を辞める決意をしたように見えます。では、彼らが本当にイエスにやりたいことやヴィジョンを理解していたかといえば、実は全く理解していなかったことが後で明らかになります。彼らはイエスのことを良く分かっていないのに、何もかも捨てて彼について行く決断をしたということです。しかも、ペテロにはすでに奥さんがいたのです。マルコ福音書には、イエスがペテロのしゅうとめの病を癒したという記述がありますが、しゅうとめがいるということはペテロにはすでに奥さんがいたのです。家族を養う責任がある人間が、それを捨てていきなり無名の青年についていくなどということができるでしょうか。私自身については、仕事を辞めて留学をするという大胆のことができたのもそれは私が独身だったからで、自分の性格を考えればもし妻子がいれば仕事を辞めるという決断はあり得なかったと思います。ペテロがイエスの弟子になることで、イエスの秘書として給料がもらえるとか、何らかの安定した収入の道があるということなら話は別ですが、イエスは報酬を受け取らずに癒しを受け取っていたので基本的に無一文の放浪者です。そんな人の弟子になって、いったいどうするつもりか、家族への責任はどうするつもりなのか、というのが普通の感覚ではないでしょうか。
しかし、ここで注意すべきことはイエスはペテロを弟子とした後にどこか他の町にいってしまったのではなく、ペテロの町であるカペナウムに留まったのです。ペテロがカペナウムに留まった以上、ペテロとその家族との関係が切れることはありませんでした。それどころか、イエスが拠点にしたのはなんとペテロの実家であったように思われます。つまりどういうことかと言えば、ペテロがイエスの弟子となる決意をしたときに、確かに彼は漁師という仕事を捨てたのですが、彼の家族そのものを捨てたわけではないということです。反対に、ペテロの実家の人々は、それこそ家族ぐるみでイエスを支援、サポートし、家族を代表してペテロとアンデレをイエスの元に遣わしたとさえいえるということです。ペテロの実家は、人を雇えるぐらいの割と豊かな漁師を生業とする家だったと思われます。ですからペテロがいなくなっても、なんとか漁師の家業を続けられるぐらいの余裕というか、力があったのでしょう。それにしてもペテロは一家の大黒柱です。そんな人物をイエスの弟子とすることに同意して送り出したというのは、ペテロの家の人たちがイエスの非凡な力を認めて、彼について行けばペテロも大出世できるかもしれない、ペテロが出世すればペテロの実家も大きな恩恵に与れるだろうという打算というか、野心があったとさえいえるということです。実際にイエスはペテロのしゅうとめの病をいやすという奇跡を行っています。それを目撃した人たちの驚愕は想像を超えるものがあります。皆さんも、家族の中に医者もお手上げの難病を患った人がいて、その家族の病を奇跡的に治した人がいたら、それこそ尊敬を通り越して崇敬の念すら覚えるのではないでしょうか。ペテロの家族の人たちは、イエスが本物の神の人だと認め、彼を何としてもサポートしようという気持ちになったのでしょう。
このように、ペテロやアンデレ、また彼らとは漁師仲間で商売上のつながりがあったであろうヤコブやヨハネは、このイエスがイスラエルを変える、イスラエルの大群衆を率いて世界を変える可能性のある人物だと見込んだのでしょう。それが彼らの動機でした。現代的に言えば、いわゆる宗教の立派な先生に弟子入りするというようなことではなく、新進気鋭の政治家を熱心にサポートする無給秘書になったという感じでしょう。
そのイエスは実際目覚ましい活躍を続けていきます。彼がまず初めに行ったのは病の癒しでした。イエスはあらゆる病を癒された、となっていますが、主としてイエスが癒したのは今日でいうところの重度の精神疾患、心の病であったと思われます。その典型は、いわゆる悪霊憑きとよばれる現象で、悪い霊に取りつかれたのだと人々が考えるような病でした。自分で自分を痛めつける、いわゆる自傷行為を行うような人たちです。自傷行為については今日医学的な知見が積み上げられていますが、これは個人の問題というより社会病理であるということが言われています。今日の若者の10人に1人が精神的な病の診断を受けているといわれ、そうした若者の中にも自傷行為を繰り返す人が少なくないということです。しかし、なぜ自分で自分を傷つけるようなことをするのでしょうか?その原因の一つは、逆説的に聞こえるかもしれませんが痛みを和らげるためなのです。痛みを和らげるために自分を傷つけるなんてことがあるのか?と思うかもしれませんが、あるのです。というのは心に耐えられない痛みを抱えている人がいます。その人が自分の体に傷をつけると、脳の中で痛みを和らげるような成分、一種の麻酔や麻薬のような成分が分泌されるのです。そのおかげで、もともと自分の心に抱えていた痛みが軽減されるのです。イエスが癒した人々の多くがそのような人たちだったと思われます。では、イエスはどうやってそうした人たちを癒したのでしょうか。それは、イエスが超自然的な力で彼らを癒したということもあったかもしれませんが、それ以上に彼らの中に備わっている病をいやす力、いわゆる自然治癒力を高めたということがあったように思います。自然治癒力が発揮される条件の一つは、心の在り方です。前向きな心や強い信頼感は自然治癒力を高めます。イエスは癒しをする際に信仰を求めましたが、それは神への強い信仰、揺るぎない信頼こそが彼らの心を癒す力を引き出すことが分かっておられたのです。心の病に苦しんでいた人たちは、「私は神に見捨てられた」という気持ちに囚われていました。その原因は、社会から見捨てられたような立場にいたからでしょう。当時の人々は重税に苦しめられ、社会的に弱い立場に置かれた人たちを顧みる余裕を失っていました。こうして「自分は社会にとって何の役にも立たない、神様にさえ見捨てられた者なのだ」という絶望感にさいなまれた人たちは心の病を負い、それが体にも影響して様々な病を発症しました。イエスはこうした病の根本原因、つまり彼らの心の疎外感を癒し、彼らが再び神と人とに向き直ることができるようにしました。イエスのもっともすぐれた力とは、心を閉ざした人々に近ずく力、今風に言えば共感力というのでしょうか、彼らの心に再び希望の燈を灯す力にあったように思います。
イエスの働きはこのような癒しの業だけではありませんでした。さらに人々を驚かせたのはイエスの教師としての際立った能力です。専門の教育機関で訓練を受けたことがない、今でいえば学歴のないイエスが、聖書の教えを実に新鮮に、聞いたこともない言葉で解き明かすのです。これについては次回以降のテーマになりますが、こうした優れた教師としてのイエスが、癒し人としてのイエスと共に彼の名声を高め、噂は人伝えに村々に町々に伝わり、今や多くの人がイエスに会うために押し掛けるようになりました。このイエスこそイスラエルを贖うために神が遣わした人なのではないか、という期待が高まったのです。ですので、ペテロの家のように一族を挙げてイエスを応援しようという人たちも現れたのです。しかし、残念ながら彼らはイエスの意図がまだ全然わかっていませんでした。イエスの教えはあまりにも新しすぎて、彼らの理解を超えていたからです。それでも、イエスは一生懸命彼らに教え続けます。その詳しい内容については次回以降に見ていくことにします。
3.結論
まとめになります。今日はガリラヤで活動を始めたイエスの行動を見て参りました。イエスが最初になさったことは、弟子、あるいは同志を集めることでした。イエスはイスラエル社会を根本的に変えようとしていました。そのためには自分一人でできることには限界があります。ですから仲間を求めたのです。では、イエスはどういう基準で仲間を集めたのでしょうか?いわゆるできる人、有能な人たちを集めようとしたわけではないようです。むしろイエスが求めたのは普通の人たちでした。それはなぜか?普通の人たちには普通の人たちの気持ちが理解できるからです。イエスは人々を支配、管理するための能力の高い人たちを求めたのではなく、人々の気持ちが分かる人たちを自分のチームに加えたのです。なぜならイエスが思い描いた神の国は、一部のごく少数のエリートが大衆を支配するというような共産主義やグローバル資本主義のような社会を目指したのではなく、偉い人ほど率先して人々のために働く、そのような王国だからです。イエス自身が率先して自らの行動によって神の国の姿を人々に示しました。イエスは人々の病をいやしましたが、そのために報酬を取ることはしませんでした。では生活ができないではないか、と思うかもしれませんが、生活についてはイエスは人々の善意に頼ることを良しとしたのです。つまり、無償で人々のために働きながらも、自らの生活の人々は人々の善意に頼るということをしたのです。このような助け合い、相互扶助こそイエスの目指す神の国の姿だからです。しかし、イエスの神の国の驚くべき性格、革命的と言ってもよい新しさは彼の教えの中にこそ見いだされます。それを次回以降に学んで参りましょう。お祈りします。
イエス・キリストの父なる神様、そのお名前を賛美します。今日からいよいよ神の国のための活動を始めたイエスの働きを見て参りました。イエスの行動から、私たちもどのように御国のために働くべきかを学ぶことができますように。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン