1.序論
みなさま、おはようございます。私たちは今、マタイ福音書を読み進めていますが、今日の箇所はイエスの公生涯の第一歩ということで、大変重要な箇所です。では、イエスはその公生涯の始めに何をなさったのでしょうか?それが、バプテスマのヨハネから洗礼を受けたということでした。今日はこの行動の意味を考えて参りましょう。
バプテスマのヨハネはユダヤやガリラヤの様々な人々に洗礼を施していました。ヨハネは、天の国が近いというメッセージを携えて登場しました。その意味は、神の支配がもうすぐ実現する、より具体的には、現在のローマ帝国という外国の異教徒にユダヤの地が支配されている状態、またそのローマの傀儡であるユダヤの指導者によって統治される時代が終わり、イスラエルの神ご自身による支配が始まるというメッセージでした。それは政治的・社会的な大激変、変革の時となるでしょう。神の裁きはイスラエルの敵に向けられますが、しかしヨハネはイスラエル人、ユダヤ人なら誰でもその裁きを逃れる、救われるとも説きませんでした。むしろ、神の裁きは異邦人だけでなく、イスラエル人の中でも神に忠実に歩まない者にも下されると警告しました。それは数百年も前に預言者アモスが警告したことでもありました。アモスはこう言いました。
ああ、主の日を待ち望む者。主の日はあなたがたにとっていったい何になる。それはやみであって、光ではない。
イスラエル人は、イスラエルの神はイスラエル人をみな救ってくれると考えて、イスラエルの敵が滅ぼされる主の日を待ち望んでいましたが、しかし正義を求めないイスラエル人にとっては主の日は救いどころか裁きの日になるだろう、とアモスは語ったのです。バプテスマのヨハネもそれと同じことを語りました。彼は、こう語りました。
まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるからだ。斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
ユダヤ人たちは、自分たちは族長アブラハムのゆえに愛されている。だから、全地に神の怒りが下る時にも自分たちだけは大丈夫だ、救われると信じていました。それはちょうど、多くのクリスチャンがキリストの再臨の際の大いなる裁きの際に、自分はクリスチャンだから大丈夫だ、さばきに遭うことはないと考えているのと同じです。しかしヨハネは、ユダヤ人であるだけでは十分ではない、それにふさわしい実を結ばなければならないと教えました。まったく同じメッセージはクリスチャンにも当てはまることを忘れてはいけません。主イエスもこう言われました。
良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
このように、イエスのメッセージの中にはヨハネの教えを承継したものが確かにあります。それでは、ヨハネとイエスの関係はどのようなものだったのでしょうか?
イエスはバプテスマのヨハネのメッセージに共感し、彼の元にやってきてヨハネから洗礼を受けました。では、洗礼を授ける者と受ける者との関係はどのようなものでしょうか?普通に考えれば、授ける方が先生で、受ける方が弟子だということになりますよね。ということは、バプテスマのヨハネはイエスの先生だった、ということになります。さらには、バプテスマ、洗礼の目的は「罪の赦し」を与えるためです。ということは、イエスもまた、罪を赦される必要があったのだろうか、という疑問が生じます。
このように、イエスがヨハネから洗礼を授けられたということは、よくよく考えると私たちクリスチャンにとっては非常に不可解な、というか問題含みの行動なわけです。そして、福音書記者たちもこのことが大きな問題をはらんでいるのをよく理解していました。前にもお話ししたように、マタイ福音書はマルコ福音書より後に書かれています。マタイはマルコ福音書をよく知っていて、それを大きく拡大させたのがマタイ福音書です。では、マルコ福音書ではイエスの洗礼はどのように描かれているでしょうか。こうあります。
そのころ、イエスはガリラヤからナザレに来られ、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。
このように、とてもシンプルな記述です。イエスとヨハネの間に交わされた会話は何もありません。イエスも、他の多くの人の一人として洗礼を受けられたという印象を受けます。マルコ福音書でも、ヨハネは自分よりさらに偉大な人物が現れることを予告していますが、イエスがその人物だとは述べていません。天からの声を聞いたのも、イエス一人だったという印象を受けます。ですから、バプテスマのヨハネから洗礼を受けた時点では、イエスはまだ無名の青年だったということになります。
それに対し、今日のマタイ福音書の記述からは、ヨハネはイエスを一目見た時から彼の権威を直ちに認め、自らをイエスの下に置こうとしている様子がありありと伝わってきます。ここでヨハネは、なんとかイエスに洗礼を受けることを思いとどまらせようとしています。マルコ福音書とは相当に異なる印象を受けます。では、どちらが歴史的事実に基づいているのかといえば、常識的に考えれば最初に書かれたマルコ福音書でしょう。イエスがヨハネから洗礼を授けられたという歴史的事実は誰もが認めることでしたが、しかしその事実はクリスチャンたちに狼狽や動揺をもたらしたことでしょう。なぜ神の子であるイエスが、ヨハネから洗礼を授けられる必要があったのか、と。その疑問に答えようとして、マタイはイエスとヨハネの会話を創作したのではないか、ということです。ヨハネは、自分こそがイエスにバプテスマを授けられるべきだと主張していますが、この言葉の歴史的な信憑性は疑われています。福音書の研究者の多くはそう考えています。おそらくバプテスマのヨハネは、イエスの弟子の一人として迎え入れ、洗礼を授けたのでしょう。もちろん、イエスとしばらく行動を共にする中で、イエスの非凡な力や資質に気が付き、彼のことを大いに注目するようになったと思われますが、最初に出会った時点では彼を特別扱いすることはなかったのではないか、ということがマルコ福音書の記述から伺えます。
実際、他の福音書にもイエスがヨハネの弟子だったことを仄めかす記述があります。ヨハネ福音書3章26節には、ヨハネの弟子たちがヨハネに苦情を言っている様子が描かれています。
先生。見てください。ヨルダンの向こう岸であなたといっしょにいて、あなたが証言なさったあの方が、バプテスマを授けておられます。そして、みなあの方のほうへ行きます。
これは丁寧語で訳されているので正しくニュアンスが伝わってきませんが、ヨハネの弟子たちはヨハネに文句を言っているのです。イエスという人はあなたの弟子だったのに、今やあなたよりも人気が出て人々は彼のところに押し寄せている。先生、悔しいではありませんか、ということです。また、イエスが復活して使徒たちが活躍した頃でさえ、バプテスマのヨハネの弟子たちはイエスの弟子たちと競合関係にあったことが使徒言行録からも分かります。
これらの点から考えると、イエスは最初バプテスマのヨハネに弟子入りしたものの、後に師であるヨハネとは袂を分かって独立したのだ、というように考えてもよいと思います。イエスはヨハネのメッセージに共鳴しつつも、彼のメッセージにどこか疑問や問題を感じ、別の道を歩むことを決意したということです。では、バプテスマのヨハネとイエスの違いとは何なのでしょうか?そのことを深く理解することは、イエスのメッセージの独自性を理解する上で役立つことでしょう。ですから今日はこの点を考えていきます。
2.本論
では、イエスはヨハネのメッセージのどのような点に問題を見出だしたのでしょうか?ヨハネやイエスの活躍した時代、当時のユダヤ人たちの悲願はユダヤの地を支配するローマ帝国を追い出してユダヤ民族の独立を回復することでした。そして、バプテスマのヨハネもこのような人々の願いを共有していたものと思われます。ヨハネはこの後、ヘロデ大王の息子でガリラヤの領主だったヘロデ・アンティパスに逮捕されて牢獄に入れられます。福音書では、この逮捕の原因はヨハネがアンティパスの不法な結婚を非難したからだと言われています。アンティパスは隣国の王女を妃にしていましたが、彼女と離縁して自分の兄弟の妻と略奪婚をしています。しかし、紀元一世紀の歴史家ヨセフスによると、ヨハネが逮捕されたのは彼の政治力が増して反乱が起きる恐れがあったからだとされています。この二つの記述は矛盾していません。ヨハネがアンティパスの不法な結婚を非難したのは確かでしょうが、アンティパスが民衆に人気のあったヨハネ逮捕にまで踏み切ったのは、ヨハネの政治的な影響力を恐れたからでしょう。ガリラヤという地域は、これまでも何度か政府に対する大きな暴動や反乱が起きています。アンティパスも反乱が起きるのを非常に警戒していました。反乱の芽を早い時期に摘もうとしたということは十分あり得ることです。
では、ヨハネの方はどうだったのか?彼は反乱のリーダーになるつもりはあったのか、といえば、そうではなかったでしょう。彼は自分自身のことを真打登場のための露払いをする役割を帯びていると信じていました。来るべきメシアのための道備えをするということです。では、その来るべきメシアはヘロデとその背後にいるローマへの反乱を率いる人物になるとヨハネは考えていたのでしょうか?この件については、そうだといってよいでしょう。後に牢屋に入っていたヨハネは弟子をイエスの元に遣わして、「あなたが来るべきメシアなのか、それとも他の人物が現れるのか」と尋ねています。これはイエスに対し、あなたは自分を幽閉しているヘロデ・アンティパスと戦う意思があるのか、と尋ねているのと同じようなものです。つまりヨハネは、自分が反乱のリーダーになるとは考えてはいなかったものの、ヘロデやローマに対する反乱そのものは否定していたのではなく、むしろ期待していたということです。
イエスがヨハネと袂を分かつことになった理由は、ここにあるように思えます。ヨハネは、多くのユダヤ人たちの悲願、すなわちユダヤの地からローマを武力で追い出すという期待を抱いていました。イエスは、このような武力抵抗の道が本当に神の御心なのか、ということを深く考えていたように思われるのです。イエスは段々と、ただ黙ってローマに服従するのでもなく、反対にローマに武力で徹底抗戦するのでもない、第三の道を模索し始めたということです。では、イエスが見いだそうとした第三の道とは何か、ということについてはこれからマタイ福音書が進むにつれて明らかになっていくのですが、その道が武力抵抗の道ではなかったことは明らかです。
3.結論
まとめになります。今日は、イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けた場面を学びました。今回の説教では、やや大胆な物言いをしました。それは、ヨハネの言葉、つまり「私こそ、あなたからバプテスマを受けるべきですのに」という言葉は、恐らく後の時代の創作ではないか、ということです。この時点では、ヨハネはイエスを弟子の一人として受け入れただろうということです。つまり、最初イエスはヨハネに弟子入りしたということです。そんなことがありうるのか、と思われるかもしれません。しかし、私たちが青年時代に自分のなすべきことは何なのかと思い悩むように、イエスもまた自分の使命について思いめぐらし、当時預言者として名高かったヨセフの元を訪れた、ということは十分あり得ることなのです。
私たちは、主イエスがその公生涯の始めから自分が何者で、何をなすべきなのかを完璧に分かっていた、というように考えがちですが、おそらくはそうではなく、イエスは自らの使命、天命を公生涯の祈りの生活の中で段々と把握していったのだろうということです。そして、イエスが自分の特別な使命を初めて明確に意識したのがヨハネから洗礼を授けられた時だと思われます。この時イエスは、聖霊が鳩のように自分に降って来るのを見ました。そして、これを目撃したのはイエスただ一人だったことでしょう。イエスだけがこの不思議な体験をして、また「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という神の声を聞いたということです。もちろんイエスもこの時までに、自分には何か特別な使命があるのではないかという予感のようなものを抱いていたでしょうが、このバプテスマの瞬間にその予感が確信に変わったということです。
ここまで述べたことはもちろん私の解釈というか推測であり、それが正しいということではありません。ただ、私がかなり強く確信しているのは、イエスはその公生涯を通じて自らの使命は何であるのかを探し求めていたということです。もしそうでないなら、なぜイエスはいつもいつも早朝長い時間祈り続け、そして最後にゲッセマネの祈りにおいてあれほど必死に祈って神の御心を求めたのかが説明できません。イエスは祈りの人でしたが、それは彼が自らの召命を探し求めていたことの一つの証拠なのではないか、ということです。神の子であるイエスさえ、自らの召命を探し求めていたとするならば、私たちのような凡人が自分の生きる目的、理由について思いまどうのはむしろ当然のことです。私たちは自分の人生についていろいろ思い悩み、こうすればよいのか、こうしたほうが良かったのか、としょっちゅう考えるものですが、それは少しもおかしなことではなく、むしろ当たり前のことです。そして、そのような時は主イエスのように神の前に自分の悩みをさらけ出し、祈る者でありたいと願うものです。お祈りします。
主イエスをバプテスマのヨハネの元に導き、そこで天命を示された父なる神よ、そのお名前を賛美します。私たちも自らの生きる目的に思い悩む者でありますが、私たちをも導いてくださるようにお願いいたします。われらの平和の主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン