アブネルとヨアブ
第二サムエル3章1~39節

1.序論

みなさま、おはようございます。今朝も第二サムエル記を読み進めて参りましょう。前回は、サウル王亡き後、ダビデがイスラエルに戻り、ユダ族の王になったところを見ていきました。ダビデはイスラエル全体の王になったのではなく、その12部族の一つだけ、自らの出身部族であるユダ族だけの王となりました。他の11部族は未だにサウル王家に従っているのですが、段々とダビデ家の勢力が増していく様子を前回は見ていきました。

そして今回は、ダビデがいよいよイスラエル全体の王へと昇りつめていく、その過程を描いています。私がこの説教準備で3章を読んでいるときに思い浮かべたのが先に行われた自民党の総裁選でした。派閥解消後の初めての総裁選ということで、9名もの候補者が立ったことが話題になりましたが、候補者たちの戦いの背後にあるキングメーカーたちの戦いも大きな注目を集めました。今回、総裁が代わった背後には、副総裁の変更がありました。岸田内閣の時代の麻生元総理から、菅元総理へと副総裁が代わりました。これが今回の総裁選の裏の勝負の結果だ、と指摘する評論家は多いですが、多分そうなんでしょう。詳しいことはよく分かりませんが、元々小泉さんを推していた菅元総理は、小泉さんが負けた後に小泉さんと近い関係にあるとされる石破さんの支援に回ったということだそうです。表の戦いの背後で、こういう陰の権力者たちの戦いがあったということです。人間、いくつになっても権力欲・名誉欲はなくならないといいます。日本の政治にも、キングメーカーと呼ばれた田中角栄、竹下登、小沢一郎などの有力政治家がいましたが、今でもそのような座をめぐる戦いがあるということです。

なぜこんな話をしたかと言えば、今回のサムエル記三章の話が、まさにキングメーカーの話だからです。サウル王なき後のイスラエルの王位をめぐって争っているのは、ユダ族のダビデと、サウルの息子であるイシュ・ボシェテです。しかし、その二人とは全く関係のないところで話は大きく動き、この二人の意に反する方向に事態は向かっていきます。なぜなら、歴史を動かしていたのはキングメーカーであるアブネルとヨアブだったからです。そしてこの物語の最後は、この二人の直接対決で幕を閉じます。ダビデもその結果にはまったく納得しておらず、自分の無力を嘆いているという有様です。

信仰的に考えた場合、霊的な世界にもキングメーカーとも呼ぶべき存在がいることを聖書は教えます。そのことを示している箇所として、ルカ福音書を見てみましょう。4章5節以降です。

また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」

サタンは、なんとイエスに対し、私は世界のキングメーカーだから、あなたを世界の王にしてやろう。その代償として私を拝みなさい、と提案しているのです。恐ろしい話ですし、もちろんイエスはその話を断っていますが、しかし実際には権力の誘惑に負けてしまう人の方が多いのかもしれません。実際に悪魔に身をかがめるという人はいないでしょうが、いわゆる「悪魔の誘惑」、つまり「あなたの青臭い理想は捨てなさい。そんなことを言っていてはいつまでたっても天下を取れませんよ。私の現実的な政策を受け入れなさい。そうすれば、あなたは出世できますよ」という声に耳を傾ける人は少なくありません。大臣になるためには原発反対の政策を放棄しなさい、それが条件だと言われて従った方もおられるそうです。出世しなければ自分の政策を実現できない、だから今は自分の理想は棚上げして、現実路線で進むのだ...そうこうしているうちに、最初の理想を忘れてしまい、しがらみにからめとられてしまう、理想を実現することよりも、権力を握ることそのものが目的となってしまう、そういうことは少なくないのではないでしょうか。

今回のアブネルとヨアブの話もそのような観点から見ていきたいと思います。つまりダビデも出世のために様々な妥協を強いられ、その結果段々と最初の理想を失っていったということです。ダビデはこれから大きな過ち、大きな罪を犯していくのですが、その萌芽はすでにこの時点であったということです。では、今日の聖書箇所を詳しく見ていきましょう。

2.本論

では3章の1節です。サウル家とダビデ家の確執は長く続いた、という書き出しになっています。実際、ダビデはイスラエルの王になるまで、ヘブロンで7年半もの間ユダ一部族の王のままでした。2節以降はダビデの男の子どもの名前が挙げられています。ダビデには六人の息子がいましたが、それらは皆異母兄弟でした。これらの息子たちがこれから骨肉の争いをしていくのですが、その背景にはダビデがあまりにも無節操にたくさんの女性を妻にしてしまったことがあります。「英雄色を好む」ということわざがありますが、ダビデという人は美人に目がなかったようで、美しい女性を次々と自分の妻にしていきました。そうした妻同士の間でもダビデの寵愛を求めての女の戦いがあったのでしょうが、その争いがそのまま子どもたちの争いにつながっていったように思えます。しかし、ダビデの次男、アビガイルの子キルアブだけはそうした争いに加わらなかったように見えます。彼の母アビガイルは大変賢い女性でしたが、その子も非常に賢かったのでしょう。無駄に権力闘争で命を落とすようなことはなかったのです。

さて、ダビデの家はそのような状況でしたが、他方でサウルの家はどうだったのでしょうか?サウルの息子の中でもずば抜けて優秀だったヨナタンはサウルと共に戦死してしまいました。サウルの他の二人の息子もサウルと共に戦場で散りました。そうして生き残ったサウルの息子たちにはそれほど優秀な王子はいなかったようです。結局生き残った王子の一人、イシュ・ボシェテがサウルの後に王になりましたが、その在位はわずか二年間でした。ダビデが七年であるのに対しわずか二年しか王でなかったということは、サウル家において王不在の時期が結構な間続いたということになります。王がいないのに、どうしてサウル家が存続できたかといえば、王を上回るほどの実力者がいたからでした。かつての日本でも蘇我氏が天皇家を上回る力を持ち、大化の改新までは実質的な日本の王だったと言われていますが、そのような実力者がサウルの家にもいたのです。それがサウルのいとこであるアブネルでした。傑出した武人だったアブネルは、サウル亡き後にサウル王家を仕切っていました。

そのアブネルはサウルのそばめだったリツパという女性を我が物にしました。王のそばめを自分のものにするという行為には、象徴的な意味がありました。それは、自分が実質的なサウルの後継者であると宣言する意味合いがあったのです。イシュ・ボシェテとしては王としてのプライドをひどく傷つけられる行動でした。イシュ・ボシェテはキングメーカーであるアブネルの後ろ盾で王となることができたのですが、プライドを傷つけられて黙っていることができなかったのでしょう。アブネルにそのことを抗議します。しかし、むしろアブネルに逆切れされてしまいます。貴様、誰のおかげで王になれたと思っているのかと、アブネルはイシュ・ボシェテに説教を始めます。アブネルは、自分はサウルの家に真実を尽くしてきたと語ります。この「真実」という言葉のヘブライ語は「ヘセド」です。この言葉については前回の説教でお話ししたので覚えておられるかもしれませんが、「ヘセド」は「恵み」や「慈しみ」と訳される非常に重要な言葉です。神のヘセドと言う場合、契約の民に注がれる神の変わらぬ愛や恵みという意味があります。アブネルも、このヘセドをもって自分はサウル家に仕えてきたのだ、ダビデ家に対して劣勢になっても自分はサウルの一族を見捨てずに盛り立ててきたのだ。それを何だ、そばめ一人私に与えようとしないのか、と怒りをイシュ・ボシェテにぶつけます。

そしてついに、決定的な言葉を吐きます。アブネルは、預言者サムエルがダビデに油を注ぎ、イスラエルの王として立てたという秘密の事柄をどうも知っていたようなのです。神はダビデを王にすると誓われたという、サウル家にとっては一番聞きたくない爆弾発言をします。そして彼は今や、自分は神の御心に従う、サウルの家からダビデの家に王位を移すことにする、と宣言します。この驚くべき発言を聞いて、イシュ・ボシェテはすっかり委縮してしまいました。アブネルが怖くて何も言い返せなくなってしまったのです。

それからアブネルは迅速に行動します。ダビデ王に対し、自分はあなたが全イスラエルの王となることに協力しよう、と申し出たのです。そして問題は、この時のダビデの対応です。ダビデはこの申し出に食いついてしまったのです。しかし、それは今までのダビデの行動からすると逸脱と言わざるを得ないものでした。なぜなら王の位を譲ると言ってきたのは王であるイシュ・ボシェテではなくその家臣のアブネルだったからです。いわばアブネルが主君を裏切る行動をしているわけです。これまでダビデは、少なくとも表面上はサウルやサウル家を立てて、サウルから王位を奪おうとはしませんでした。彼は正当な手続きにこだわったのです。サウルあるいはその後継者が自ら王位をダビデに譲る、いわゆる禅譲を目指してきたのです。しかし、ここでダビデはアブネルのクーデターに乗っかることにしました。ダビデもいよいよ機が熟したと思ったのかもしれませんが、しかし今までのダビデのサウル家に対する態度から見ればこれは逸脱した行動だと言わざるを得ません。

ダビデはこのアブネルの話に乗りましたが、そこに条件を付けました。それは、自分がかつて結婚したが、離縁させられたサウル王の娘ミカルを自分に返してくれ、というものでした。これはダビデのミカルへの純愛から出た行動だとは思えません。その後のダビデのミカルへの冷たい仕打ちからは、とてもそうとは思えないのです。むしろそこにはダビデの打算がありました。つまり、サウルの実の娘であるミカルと再び結婚すれば、ダビデはサウルの息子ということになります。したがって、堂々とサウル王の息子としてその王位を譲り受ける権利を手にできるのです。自らの王としての正統性にこだわってきたダビデらしい計略だと言えます。アブネルもこの条件を飲みました。自分がサウル家を動かして、あなたの要求が通るように取り測ろうと申し出たのです。そこでダビデは正式なルートとして、王であるイシュ・ボシェテに彼の妹であるミカルを自分に渡して欲しいと申し出ます。イシュ・ボシェテはあらかじめアブネルにダビデに従うように指示されていたのでしょう、その申し出を受け入れます。その時ミカルはパルティエルという人の妻になっていましたが、王の命令ということで問答無用で離縁させられました。パルティエルはミカルを深く愛していたのでしょう、泣きながら追いすがりますが、大将軍であるアブネルに一喝され、泣く泣く諦めました。

こうしてダビデの条件を満たしたアブネルは、さっそくイスラエルの長老を集めて、ダビデがイスラエルの王になるのは主の御心であるから、それに従うようにとの演説をぶちます。イシュ・ボシェテの意向はお構いなしの、まさにキングメーカーとしての面目躍如たる出来事でした。それからアブネルはたった二十人の部下を連れてダビデの元に赴き、全イスラエルをあなたのもとに集めようと申しでます。ダビデも彼の申し出を受け入れ、アブネルを歓待し、契約を交わしました。しかし、そこにサウル家の王であるイシュ・ボシェテは一切出て来ません。ダビデはサウル家の裏切り者、獅子身中の虫と契約を交わしたのです。この行動が主の御心に適うものだったか、私たちは慎重に判断しなければなりませんが、私はこれが誤りであっただろうと考えています。次週、イシュ・ボシェテは惨たらしく殺され、ダビデはそれについて自分は無罪だと主張しますが、彼にも責任があったと私には思われるのです。

さて、アブネルはこれまではサウル家のキングメーカーでしたが、今度はダビデ家のキングメーカーになったと、安心しきって意気揚々と帰っていきました。しかし、この状況を面白く思わず、危機感を募らせている人物がいました。それがダビデ家のキングメーカー、大将軍のヨアブでした。彼はダビデとアブネルが陰謀を巡らしている間、戦争に出かけていました。ダビデは段々と戦場に行かなくなり、戦場の事はヨアブに任せるようになります。後にダビデが最悪の罪である人妻バテ・シェバとの逢瀬を楽しんでいた時も、ヨアブは戦場で戦っていたのです。ヨアブは今や自分こそダビデ家を背負っているという強い自負がありました。しかし、彼の知らぬ間に、自分が戦場を走り回っている間に、ダビデはアブネルと契約を結んでいました。そのことにヨアブは激怒しました。自分が必死でダビデのために戦っているというのに、あなたは私よりも敵の将軍を信頼するのですか、彼は自分の主君イシュ・ボシェテも裏切るような人間ですよ、きっとあなたに対してもよからぬたくらみを抱いているのに違いない、と抗議します。しかし、ダビデはこのヨアブの抗議を受け流したように見えます。

そこでヨアブは独断で行動します。ヨアブは先の戦いで、自分の弟であるアサエルをアブネルに殺されています。弟の仇をダビデ王朝の重臣として迎えるなどということはヨアブには我慢のならないことでした。そこでヨアブはアブネルに密談を持ちかけると見せかけて、彼をだまし討ちにして殺してしまいます。ヨアブはこれからもダビデの意向を無視して独断専行の行動を重ねますが、これが最初の出来事でした。

このヨアブの勝手な行動をダビデは後になって知りますが、ダビデはこの事態に慌てます。そしてこの時の彼の関心を占めていたのは、自分がこの暗殺に無関係であることを内外に知らしめることでした。自分は無実だと強くアピールしたのです。しかし、ここでダビデは二つ目の重大な誤りを犯したと私は考えています。それは、このヨアブの凶行を不問に付したことです。いやしくも和平を持ちかけてきた相手国の全権大使を闇討ちにしたのですから、その罪は重大です。ダビデはどんな犠牲を払ってでもヨアブを処罰すべきでした。しかし、ダビデはヨアブに不平不満を述べるだけで、何もしなかったのです。これはヨアブを増長させ、またユダ王国の人々に誰が本当の実権を握っているのかを知らしめることになる出来事でした。ダビデはそんなことも分からないほど政治センスのない人物ではないはずですが、しかし今や彼はヨアブに頼り切っていました。ヨアブなしではやっていけない状態になっていたのです。ですから泣いて馬謖を斬ることが出来ませんでした。

このダビデの弱さは後に彼に重い代償を払わせることになります。彼は、最後の一節の祈りにあるように、このヨアブの処罰を主に委ねたように見えます。しかし、彼は今やユダの王なのです。彼の家の管理は神から彼に委ねられているのです。ダビデの王国以外の事柄は神に委ねるということはあり得るでしょうが、ダビデの家の内部の事柄まで主に丸投げというのは単なる責任放棄です。ダビデはこれから何度もこのような責任放棄とも言える行動を取りますが、それは実に彼の王国の最初から起きていたことだったのです。

3.結論

まとめになります。今日はサウル家とダビデ家のキングメーカーであるアブネルとヨアブ、そして彼らとダビデとの関係を見て参りました。ダビデはこのアブネルとヨアブのおかげで全イスラエルの王となることができたと言えますが、しかしキングメーカーに頼って彼の王位を確立させたことは後々彼の人生に大きな負債としてのしかかることになります。

このアブネルもヨアブも、その手腕ややり方は主の御心に沿ったものとはとても言えない人物たちでした。私たちも、何かの権威や地位を手に入れたいときに、こういうキングメーカーに頼りたくなる誘惑に晒されることがあるかもしれません。それが最も安全な権力への近道だと思えるからです。しかし、主イエスが権力を約束するサタンを退けたように、私たちも安易にキングメーカーと手を結ぶことがないようにしたいものです。なぜなら、私たちのキングメーカーは唯一の真の神だけだからです。神は目的のためには手段を選ばない、目的は手段を正当化する、というような考えのお方ではありません。むしろ不正な手段で何かを手に入れるよりも、それを諦める方です。それが十字架の道です。そして、その十字架の道こそ真の命への道なのです。私たちも常に、主イエスを見上げ、権力の甘いささやきに惑わされないようにしたいと願うものです。お祈りします。

歴史を司り、あらゆる権力者を野の草のように虚しいものとされる神よ、そのお名前を讃美します。この世の権力をめぐる争いは激しいですが、私たちは権力よりも神の義を求める者であることができますように、私たちを導いてください。私たちの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン

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