1.序論
みなさま、おはようございます。サムエル記の後編の、今日が二回目の説教になりますが、物語は急展開を見せます。前回はサウル王の死を悼むという、サムエル記の前半を振り返るような内容でしたが、今回はダビデがイスラエルの王になるために一歩一歩その地保を固めていくという局面です。今日はその際のダビデの慎重な姿勢について見て参りたいと思います。
サウル王が死に、その有力な後継者であった王子ヨナタンも死に、今イスラエルには権力の空白が生じています。もちろんサウルにはほかにも男子の子がいたので、サウルの後継者がいないわけではないのですが、サウルの子どもたちには周囲の人々を納得させるだけの実績や実力がありません。原則論で言えば、王位は世襲で受け継がれるので、王となるためには実績が必要だというわけではないのですが、サウルはイスラエル最初の王であり、まだイスラエルには王制が確固とした形で確立していません。父から子へ、王権が移譲されたケースはまだないのです。ですから状況は非常に流動的で不安定であり、ダビデにもサウルの子たちを押しのけて王となるチャンスは十分にあります。ダビデはこのチャンスをつかもうと、動き出します。しかし、サウルの王朝も黙って王権を渡す気はありません。ですからどうしても対立が生まれます。この対立は熾烈なものとなり、内乱が起っても不思議ではありませんでした。しかし、外からはペリシテ人の脅威に常にさらされています。内輪もめなど起こしている場合ではないのです。ダビデは慎重に、内乱にならないように事を運びます。しかし、そのようなダビデの思惑とは裏腹に、サウル軍とダビデ軍の対立の火種は常にくすぶっています。そのような難しい局面を描いているのが今日の2章です。では、その成り行きを見て参りましょう。
2.本論
では、2章の1節から読んでまいりましょう。サウルのために喪に服す短い期間が明けると、ダビデはすかさず動き出します。ダビデはペリシテ軍の傭兵という不名誉な地位を一刻も早く放棄し、早くイスラエルに戻りたいのです。とはいえ、ダビデはサウル王からお尋ね者とされ、一年以上も敵国であるペリシテ人に身を寄せていました。イスラエルの人たちがもろ手を挙げてダビデの帰還を歓迎するはずもありません。そこでダビデが頼ったのが自分の出身部族のユダ族でした。イスラエルには12の部族があり、それぞれがライバル関係にありました。政治の世界でいえば、派閥のようなもので、各部族は自分たちの部族からイスラエル全体のリーダーを生み出したいと願っていました。ダビデは前からイスラエルに戻ることを見越して、ユダ族の長老たちに贈り物を送ったりと、良好な関係を築く努力を忘れませんでした。ユダ族の方も、ダビデがサウルに追いかけ回されていた時にも、全部ではないですが一部の人たちはダビデを匿ってくれました。ですから、イスラエルに戻ることを決意したダビデは、ほかでもないユダ族の領地に戻ることにしました。そこでダビデは、具体的にユダ族の領地の内でも、何処に戻るべきかを主にお伺いを立てました。主が示されたのはヘブロンでした。ヘブロンは、ユダの地の真ん中に位置する大きな町でした。ダビデが再起を図るのにはうってつけの場所でした。ユダの人々も、ダビデの帰還を歓迎しました。そして、彼らはダビデに油を注いでユダ族の王としました。ただ、注意したいのは、ダビデを王として認めたのはイスラエルの12部族の内の一つ、ユダ族だけだったということです。残りの11部族は、いまだにサウル王朝に従っていたのです。ですから、ユダ族がダビデに油を注いだということは、ユダ族が他の11部族との対立も辞さないという決意を表明したということでもあります。とはいえ、サウル王朝もベニヤミン族出身のサウルの王朝ですから、ベニヤミン族以外の部族の人たちも必ずしも無条件でサウル王朝を支持しているわけではありません。彼らがサウル王朝に不満を抱けば、ユダ族と連携してダビデの支持に回るということもあり得ました。かつての自民党の派閥の合従連衡のように、どの部族も自分たちの部族がなるべく有利な立場に立てるようにと考えて行動するものだからです。こうしたことを踏まえて、ダビデはまず自分の出身部族のユダ族をまとめ、それから徐々に他の部族も自分の仲間に引き入れようとしたのです。ダビデがサウルの家を武力で圧倒しようとはしなかったことは注目すべきです。彼は、いわば外交的手段で仲間を増やそうとしました。
そうしたダビデの努力を端的に示しているのが、ヤベシュ・ギルアデの人々への接触でした。彼らはペリシテ人によってさらし者にされていたサウルやヨナタンの遺体を奪い返した、勇気のある、そして忠誠心のある人たちでした。彼らはベニヤミン族とヤベシュ人の混血の人たちだったので、必ずしもベニヤミン族に忠誠を誓っているわけではありませんでした。混血の人たちというのは、どこでも差別を受けやすいものですが、彼らのベニヤミン族への思いも複雑なものがあり、彼らの忠誠心はむしろサウル王個人に向けられていました。ダビデは大胆にも、彼らの忠誠心を自分に向けさせようとしました。こうしてベニヤミン族の一部の切り崩しを狙ったのです。ダビデは彼らに書状を送りました。ダビデは、「今、主があなたがたに恵みとまことを施してくださいますように」と書き送っています。この「恵みとまこと」という言葉の意味を少し詳しく考えてみたいと思います。
恵みとまことのヘブライ語は「ヘセド」と「エメス」です。いきなりヘブライ語をいわれてもピンとこないかもしれませんが、この二つの言葉は非常に重要で聖書に何度も登場する言葉なので、覚えておいて損はないと思います。恵みとまこと、というと全然別々の二つの言葉のようですが、ヘブライ語においては実は同義語といってもよいくらい、近い意味を持つ言葉です。この二つは、人間同士の関係で言えば、相手に対してどんなときにも誠実である、忠実であるという意味です。まず「恵み」と訳されているヘセドについてですが、この言葉はほかにも「慈しみ」や「愛」と訳されることもあります。聖書にいろんな訳語で登場する、様々な意味合いを持つ、訳すのが難しい言葉なのですが、基本的な意味は「契約に基づく愛」です。聖書には契約という言葉が何度も登場しますが、契約の基本的な意味とは、血縁関係のない両者に血縁的関係を作り出すというものです。なんだか難しいと思われるかもしれませんが、要は他人同士を家族にする取り決めということです。私たちの一番身近なものは「結婚」で、ほかにも「養子縁組」もそれにあたります。ですからヘセドというのは、単に恋愛感情に基づく愛、ということではなく、結婚という人類にとって重要な制度に基づく、責任を伴う愛だということです。ダビデがここで言っているのは、神が契約の民であるイスラエルに向けるそのような愛が、あなたがたの上にありますように、というような意味合いです。
「エメス」というのも同じような意味を持っています。ここでは「まこと」と訳されていますが、最も一般的な訳語は「信仰」です。まことと信仰は全然違うじゃないか、と思われるかもしれませんが、そうなのです。英語ではまこと、つまりトゥルース(truth)と信仰のフェイス(faith)は全く別々の概念ですが、ヘブライ語のエメスはどちらの意味も持っているのです。さらにいえばFaithのみならず、faithfulness、つまり「忠実さ」という意味もあるのです。神が契約に忠実な方だ、という場合にも、このエメスを用いるということです。契約に忠実だということの意味は、なんだか漠然として分かり難いかもしれませんが、先ほどの例でいえば結婚関係に忠実だ、というような意味合いです。結婚関係は、恋愛の時の熱が冷めたとしても継続するものですよね。相手が大好きというわけでもなくても、結婚関係は大事にする、ということが当然あります。神の契約への忠実さも、誤解を恐れずにいえばそれと似たようなところがあります。神がイスラエルに対して抱く感情は必ずしも好意的なものばかりではありません。イスラエルが神を裏切ってばかりいれば、神様も当然イスラエルに不満を持ちます。それでも、契約という重要な関係を大事にし、イスラエルに対して責任を持ち続ける、これが神の契約への忠実さということです。つまり感情的に好きかどうかということ以上に、約束したことを守るということです。
このように、6節の「恵みとまこと」というのは、どちらも神の契約への忠実さを表す言葉なのです。神は、契約の民としてのヤベツ・ギルアデの人々を守る義務と責任を負っておられます。そして神の代理人としてその義務を果たしてきたのがサウル王だったわけですが、今やダビデはその義務をこれから私が担おうと申し出ているのです。「勇気のある者となれ」という意味は、もうサウルの家の者ではなく、これからは私に頼りなさい、勇気を出してサウルの家の者を恐れずに私を信じなさいと呼びかけているのです。これは非常に大胆な懐柔策だと言えます。
しかし、こうしたダビデの外交的努力を台無しにしてしまうような事件が起こました。サウル軍とダビデ軍の正面衝突、全面戦争に発展しかねない事態が生じたのです。そしてその事件はダビデがまったく関与しない状況下で起こりました。ダビデ軍団の中心にいたのはダビデではなく「ヨアブ」でした。ヨアブはダビデの甥、つまりダビデの姉妹ツェルヤの子どもなのですが、段々とダビデさえもしのぐ実力を蓄えて、ダビデの軍勢を実質的に動かすほどになる人物です。実際、サムエル記下の主役の一人がヨアブなのです。このヨアブと、サウル王朝の実質的なリーダであるアブネルとの対立を描いているのが8節以降です。アブネルというのはサウル王の従弟で、サウルの血縁関係にあった人物でしたが有名な将軍でサウルとヨナタン亡き後の、サウル王朝の実質的なナンバーワンでした。彼はサウルの三人の息子が戦死したので、残ったイシュ・ボシェテを王にしました。彼はつまりキングメーカーだったのです。今の自民党総裁選でも、立候補している人々の背後には影の実力者がキングメーカーになろうとうごめいていますが、このアブネルはまさに王をもしのぐ力を持っていたのです。王となるイシュ・ボシェテもこの時にはすでに40歳でしたので、決して操り人形になるような若者ではなかったのですが、後見人であるアブネルの意向には逆らえない状態でした。
このアブネルと、ダビデの甥のヨアブがギブオンというところで鉢合わせしました。これはどちらか一方が待ち伏せしていたということではなく、偶然の遭遇でした。アブネルとヨアブは、それぞれの軍営のエース格の将軍でしたから、互いを良く知っていて、実力を認めあっていました。その二人がそれぞれの精鋭を引き連れていたのです。そしてダビデの家とサウルの家は、イスラエルの覇権を争うライバル同士ですから、このような偶発的な出会いが大きな戦いに発展しかねないものでした。しかしヨアブもアブネルもこんなところで衝突してしまえば、互いに大きな損害を出すことがわかっていましたし、それを避けようとする慎重さも持っていました。そこで、両軍の中から代表選手を選んで、その人たちを戦わせようということになりました。11人制のサッカーの国際試合は、国と国との威信をかけた戦いになることも少なくないですが、そんな感じでしょうか。ヨアブとアブネルはそれぞれ自軍から12名の精鋭を選んで競わせました。この戦いは凄惨を極めました。単なるスポーツではなく、実際の殺し合いだったのです。そして、結果はダビデ側、つまりヨアブ軍団の圧勝でした。この勝利の勢いに乗ったヨアブ側は、さらに大きな勝利を得ようとしました。つまり代表選手だけでなく、アブネルの軍勢そのものを圧倒しようとしたのです。その狙いはずばり、敵の大将アブネルでした。ヨアブの弟であるアサエルは、アブネルに勝負を挑みました。しかしアブネルの方は、これ以上の被害を出さないために部下たちに撤退するように指示し、自分もそこから立ち去ろうとしました。ここは逃げの一手が賢明だと判断したのです。しかし、追いかけるアサエルの方はかもしかのように足の早い兵士でしたので、すぐにアブネルに追いつきました。アブネルは腕に覚えるある武人でしたから、アサエルと戦っても勝つだけの自信はありました。しかしアブネルはアサエルの兄ヨアブを恐れていました。もしここでアサエルを討ってしまったら、兄ヨアブから恨みを買うことを恐れたのです。そこでアブネルはアサエルに、自分ではなく誰か若い者を打ち取ったらよかろうと水を向けます。しかし、アサエルは狙うは大将ただ一人とばかりに、アブネルを執拗に追い回します。アブネルもでは仕方がないと、アサエルを迎え撃ち、一刺しで打ち殺してしまいました。
ヨアブの軍の兵士たちはアサエルが殺されているのを見て驚き、立ち止まりました。しかしアサエルの兄であるヨアブとアビシャイは止まりませんでした。弟の仇を討とうと、アブネルめがけて追いすがっていきました。自分たちの大将が突き進むのを見て、ヨアブの兵士たちも後に続きました。こうして代表選士による代理戦争で終わらせるはずが、両軍の全面的な戦闘にまで発展しそうになりました。こうした状況の中でも冷静さを保っていたのがアブネルでした。アブネルは、仲間たちを集めて高台に陣取り、上から呼びかけるようにしてヨアブたちに語り掛けました。これ以上やると、本当に取り返しがつかなくなるぞ、冷静になれ、と呼びかけたのです。その時、自分たちはサウル家とダビデ家という対立があるにせよ、同じイスラエル人、兄弟同士ではないか、と訴えることを忘れませんでした。陣地としても高台にいるほうが有利です。その有利な立場にあるアブネルが和平を呼びかけてきました。ここでヨアブの方も冷静さを取り戻しました。弟が討たれた悔しさはありますが、これ以上やればお互い大変な損失を出す覚悟が要ります。これまでの戦いでは自分たちが優勢だったこともあり、ヨアブも兵を引く決断をします。こうしてなんとか一触即発の事態は回避されたのでした。この戦闘の結果、ヨアブ側の死者は20名だったのに対し、アブネル側は360名もの死者を出しました。なんと18倍です。ヨアブ側、ダビデ軍の圧勝といってよいでしょう。この戦いは象徴的な意味合いがありました。ダビデの勢いはサウルの家を大きく上回っているということです。
3.結論
まとめになります。今回はサウル王亡き後、イスラエルの王座をめぐってダビデの家とサウルの家が対立を深めていくところを学びました。ダビデはサウルが死んだ後にすぐにペリシテ人のもとを離れ、イスラエルに足場を築こうとします。彼が最初に頼ったのは同族のユダ族で、ユダ族の長老たちも彼の実力を認めて彼をユダの王としました。しかし、ユダ族はイスラエル12部族の1部族に過ぎません。ダビデがイスラエルの王となるためには、残りの11部族の忠誠心をサウルの家から自分の方に向けさせる必要があります。ダビデはそれを、外交的な手段で成し遂げようとしました。ベニヤミン族と近い関係にあるヤベシュ・ギルアデの人々に書状を送ったのもその一つでした。
しかし、ダビデ軍には非常に強力なカリスマを持った人物がいました。それがヨアブで、彼はダビデよりも直接的で強硬な手段を取ることが多い人物です。それを端的に示しているのが、彼とサウル軍の実質的なキングメーカーのアブネルとのつばぜり合いでした。このつばぜり合いはあやうく全面衝突に発展しそうになりましたが、サウル側のアブネルの冷静な対応で何とか最悪の事態には至りませんでした。この戦いでヨアブはアブネルに圧勝し、ますますその存在感を高めていきます。しかもこの戦いはダビデのまったくあずかり知らないところで行われていました。ヨアブは段々とダビデですらコントロールでいない、ダビデにとってジョーカーのような存在になっていきます。
今回の箇所で、私たちが特に学びたいのはダビデの慎重さです。ダビデはヘブロンで7年間王位にいましたが、逆に言えばこの7年間はダビデはサウルの王朝を倒そうとか、そういう動きは取らなかったということです。7年とはずいぶん長い期間です。力を付けてきたダビデ軍がサウル軍を一気に殲滅することもできたでしょう。ダビデ軍の強さは、今回のアブネルとヨアブとの戦いでも示されている通りです。しかしダビデはそうせずに、ひたすら神の時を待ちました。ここにダビデの非凡な信仰を見ます。信仰生活にとって一番難しいのは「待つ」ことです。私たちは、特に自分の力が充実している時には、待つということが出来ません。すぐに欲しいものを手に入れようとしてしまいます。しかし、その焦りが様々な問題を生じさせることになります。ダビデもすぐに動けばサウルの家を打倒できたかもしれません。しかし、そうなればサウル側も頑強に抵抗するでしょう。こうしてイスラエルの家の中で争いが起きれば、漁夫の利を得るのはペリシテ人です。たとえダビデがサウルの家に勝ったとしてもペリシテ人にイスラエルそのものが滅ぼされてしまえば何にもなりません。ダビデはそのことを理解し、じっと我慢しました。部下たちが暴走することがあっても、ダビデは出来るだけ彼らを抑えようとしました。そして、その我慢の背後にあったのが神への信頼です。神はふさわしい時に自分に必要なものを与えてくださるだろうという信仰があったので、彼は待つことができたのです。私たちの人生にも、「待つ」ことが必要なときは少なくありません。待つのは辛いです。未確定な未来を、早く確定させたいと私たちは思ってしまうのです。しかし、それでも私たちは待つことを学びたいと思います。ダビデのヘブロンでの7年間からそのことを学んで参りましょう。お祈りします。
ダビデをユダの王とされた神様、そのお名前を讃美します。私たちはダビデの生涯から「信仰」について学んでいます。ダビデの辛抱強く待つ姿勢を私たちも持つことができますように。われらの救い主イエス・キリストの聖名によって祈ります。アーメン